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19のいのち

65歳の女性

65歳の女性

更新2020年03月 更新

法廷で読まれた妹の調書から

殺された姉の無念を思うと、ふつふつと怒りがわいてきます。私は幼いころは存在を知らされておらず、10歳ぐらいになった時、姉のことを聞かされました。施設に入っているということで初めて会いに行ったときは緊張しました。明るく人なつっこい性格で初対面の私ににこにこ笑ってきて、すぐ打ち解けることができました。私が1人で訪ねても寄ってきて、交互に指を差して職員などに「私の妹だ」と言っているように感じました。

姉は耳は聞こえずことばもできず、歩行も安定しませんでした。知的障害があり、自立して生活することができませんでしたが、身ぶり手ぶりでコミュニケーションがとれるようで、ご飯をたべることや、行き先の写真を見せればでかけることも理解できていました。物事が全く分かっていない訳ではないと思っていました。一緒に道を歩いていたとき車が来たら、私を道路の脇に両手で寄せてくれました。周囲の危険を察する能力があり、家族の私を守ろうとそのような行動をとったと思うので、重度障害者とは私は思えません。

20年ほど前に津久井やまゆり園に入りました。買い物が好きで、目を輝かせて欲しいものを指で差して、全力でおねだりしてきました。笑顔になるので、甘やかして買ってしまっていました。買った服を職員が「かわいい」と褒めると服を見せびらかすようにして私を指さし、「妹に買ってもらった」と言っているようでした。何か買ってあげるために仕事を頑張ることが生活の張り合いになっていました。姉にとってはやまゆり園も家で家族でした。職員にも優しくしてもらっていたと思います。人が好きでいつもにこにこしていて、いつもリビングで楽しそうにしていました。

事件当日は職員から「来て欲しい」と連絡を受け、姉がけがをしたのかなと心配になって施設に向かいました。私はけがをしただけだと思っていましたが、「亡くなった」と言われそこで初めて死亡したという現実を理解しました。でも、死を受け入れることができず「何かの間違いだ。死ぬはずがない」と自分に言い聞かせ、ぼんやりと座っていました。対面した姉は目をつぶっていて、私は「苦しまなかった?」と心の中で聞きました。苦しかったかな痛かったかなと思うと、耐えられない怒りがこみ上げてきました。どうして殺されないといけなかったのかと、体がバラバラに引き裂かれるようでした。

被告は姉がどんなにみんなに愛される存在だったか知るわけがない。好き嫌いせずに誰にでも愛される姉を、見ず知らずの姉を障害者というくくりにして殺してしまった。いろんな人がいて個性を持っていることをわかっているはず。みんな好きなものがあり、明るく懸命に生きているのを被告は知っていたはずなのになぜ殺してしまったのでしょうか。私は全く理解できません。ある人から「被告は死んで地獄に行く」と言われたけれど、そんなことではなまぬるいと思います。私の手で存在そのものを消してやりたいです。極刑になることを望みます。

更新2017年01月 更新

施設関係者

いつも笑顔で仲間の中心にいる方でした。ご家族と一緒に外出したとき、とても嬉しそうにしていたことを覚えています。

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