1. ホーム
  2. 地域づくりナビ
  3. つながって商店街の再生を Part1 再生のヒントはどこに?

地域づくりナビ

つながって商店街の再生を Part1 再生のヒントはどこに?

つながって商店街の再生を Part1 再生のヒントはどこに?

2018年12月5日更新

20年前に全国で83万店あった個人商店は、現在、39万店まで減っています。「ペリー来航の地」として知られる静岡県下田市の商店街も、好立地にもかかわらず、活気がありません。地域で育つ子どもたちのためにも、なんとか活気を取り戻したい。解決策を模索する地域の商店主たちのもとへ、埼玉県秩父市「みやのかわ商店街」を再生させた手腕で注目を集める島田憲一さんがやってきました。「自分が楽しいことをやっていれば、きっとそれに共感する人が来てくれる」という島田さん。下田の商店街を再生するヒントは見つかるでしょうか?
※『ふるさとグングン! “人のつながり”で商店街の再生を~静岡・下田市~』(2018年10月21日放送)の内容をまとめたものです。

[動画]つながって商店街の再生を【1/3】再生のヒントはどこに?

「ペリー来航の地」として知られる静岡県下田市。しかし、駅と観光スポットにはさまれた好立地にもかかわらず、商店街には活気がありません。地域で育つ子どもたちのためにも、なんとか活気を取り戻したい。アイデアを求める地域の商店主たちのもとへ、埼玉県秩父市「みやのかわ商店街」を再生させた手腕で注目を集める島田憲一さんがやってきました。下田市の商店街を歩いてみた島田さん、さっそく再生のヒントを見つけたようです。

ふるさとグングン!
“人のつながり”で商店街の再生を~静岡・下田市~
(2018年10月21日放送)

伊豆半島の南に位置する静岡県下田市。東京から特急電車でおよそ2時間半です。夏には海水浴客が押し寄せます。「ペリー来航の地」という歴史から、港を中心に観光スポットが点在しています。日本に上陸したペリーが歩いた道、「ペリーロード」には、石作りの蔵が保存され、喫茶店などが並んでいます。

今回の舞台となる商店街は、ペリーロードと伊豆急下田駅の間。およそ400メートルに渡っています。駅と観光地に挟まれて最高の立地!と思いきや、買い物客の姿はほとんどありません。あちこちにシャッターを下ろした店が目立ちます。時折通る観光客も、多くは素通りです。

観光客: 「ちょっと寂しい感じかな。」
「『あっ入ろうか』と言っても、『ちょっと入りづらいね』みたいな。」

8月下旬、島田さんが下田駅に降り立ちました。この商店街、どうしたら再生できるのか。

島田さん:「シャッター多いですね。寂しさを感じる。寂しさっていうか大変さを。」

そんな中、よそでは見かけない店を見つけました。

島田さん:「今でも帽子専門店が残ってるんですねえ。なかなか帽子専門店で小さなお店って残ってないですよね。珍しく帽子屋さんがあったり、仏具屋さんがあったり、瀬戸物屋さんがあったりとか。けっこうたくさん、いろんなお店が残ってますよね。」

ここで島田さん、大切なお店がないことに気がつきました。

島田さん:「食品をもう少し扱うお店があってもいいんじゃないかな。商店街でいちばん問題なのは、八百屋とか肉屋さんとか、「食」がなくなること。で『夕飯の買い出しに行こう』といって毎日出てくる必要のない商店街になりつつある。それをすごく感じますね。」

開いているお店で話を聞いてみることにしました。文具店の店主、澤村孝一さんです。

島田さん:「ふだんお客さんは観光客よりも地元の人が?」

澤村さん:「基本、地元ですね。この店はピーク時に1日のお客さんが4~500人来たんじゃないかな。あっという間に10分の1くらいになりましたね。」

下田が栄えるきっかけとなったのは、昭和36年、東京と下田を結ぶ伊豆急下田駅の開業でした。団体旅行客などがどっと押し寄せ、旅館やホテルが立ち並び、商店街は発展していきました。しかし、観光ブームは長くは続きませんでした。

澤村さん:「これ老舗のホテルなんですが、観光不況に巻き込まれて倒産ですね。そのまま廃墟です。これが、下田が衰退した象徴みたいなもんじゃないですかね。」

ピーク時には、下田で70軒を数えた旅館やホテルが、今では三分の一以下に減少。商店街の得意先だった、地元の旅館などが次々に営業を止めていきました。

澤村さん:「大手資本が入ってきて、基本的には、そういう旅館・ホテルは地元から仕入れをしないんですよね。だからそういう形で、ますますここは衰退していく。」

なんとか下田の商店街を再生させたいと、がんばっている人がいました。
創業85年の呉服店の店主、高橋弘樹さんです。旅館の女将や仲居などを得意客に、かつては市内に10軒ほどあった呉服店も、今はこの店だけ。いつまで商売を続けられるか不安に感じています。

高橋さん: 「私も高校生の息子がいるんですけど、実際この商売を継がせようとはなかなか思い至らないといいますか。」

商店街を何とか再生させる手立てはないかと考えた高橋さん。そこで始めたのが、「開国市」です。屋台を並べ、紙芝居などを呼んで、人を集めようとしました。しかし、年に一度たくさんの人が集まるものの、毎日の売り上げにはつながりませんでした。

高橋さん:「ここに八百屋さんがあって、そこは家具屋さんだったんです」

高橋さんが商店街を案内してくれました。
島田さんが、気になるものを見つけました。

島田さん:「案内板が貼り付けてあるんだけど、壁だからちょっと気がつかない。歩いて優しい町になってないような気がして。」

もう一つ気がかりなことが。

島田さん:「伊勢町通り、池の町通りって、路地が変わるたびに商店街の名前が変わる。街灯がみんな違う。だからなんか統一感がないなって」

実は、下田の中心部には、合わせて10もの商店街があります。町のブロックごとに商店街が分かれていて、一つの長さはおよそ100メートル。商店街を超えた店同士の交流は少ないといいます。

高橋さん:「昔から ブロックごとに商店街の名前を変えて、という歴史がありましたね。」

島田さん:「だからみんなバラバラなんだ。」

高橋さん:「今は統一しようという力がないのかな」

しかし、下田の商店街にもまだまだ元気な店はあると、高橋さんが案内してくれました。

島田さん:「鰹節店。ここ鰹節があるんだ。へ~。こんにちは。いい匂いしますね。」

昌史さん: 「ありがとうございます。」

こちらは鰹節を扱う専門店です。国産の素材にこだわり、削りたてを買うことができます。

島田さん:「うん!おいしい!ここはやっぱり地元の人もいっぱい買いに来るの?」

店主:「はい。観光客の方も珍しくて、結構入ってきてくれたりするんですけど。」

島田さん:「これ絶対さ、灯を消しちゃいけないって思わない?」

店主:「思います」

島田さん:「俺たちの代で絶対に灯は消さないと」

店主:「小さい頃には下田元気だったんで。それも見てるんで、やっぱりもう一回っていうのはありますよね。」

続いて、商店街の未来を担う期待の若手店主がいると、高橋さんが紹介してくれました。衣料品店の6代目、平山圭輔さん。東京で働いていましたが、7年前、下田に戻りました。

島田さん:「若手で、商店街を使って何かやろうとか、そんな試みもしてるの?」

平山さん:「いやそれが・・・そういう試みは、ない状態ですね。やっぱり高橋さんみたいにリーダーシップを発揮してくれる人が、なかなか若手の中でいないというのが現状。」

島田さん:「自分でやっちゃえばいいじゃん」

平山さん:「そうなんですけど…」

夜、商店街の人たちが島田さんの歓迎会を開いてくれました。集まったのは商店会連盟の会長をはじめ、高橋さんや平山さんなど若手の店主たちです。

島田さん:「今の下田の商店街、個人的にはどう思ってる?」

高瀬さん:「町がだいぶ疲弊しちゃってるんで、ちょっとだけでも人通りが増えれば。」

平山さん:「今の僕ら世代の方たちって、どうしても『自分たちで生き残っていかなきゃいけない』という競争の気持ちがあると思うんですけど、それをどうやって一つになれるのか。」
「コミュニケーション不足ですかね、やっぱり。お互いのお店同士が。商店同士の距離が(もっと)近かったら。」

人と人とのつながりが薄くなっていることに、実はみんな、危機感を持っていました。

藤田さん:「たぶんコミュニケーションとれてないだけで、下田が嫌いで下田に残ってる人間はいないと思うんだよね。」

かつお節店主:「下田、好きだから」

平山さん:「僕も帰ってきた当初は、長男だからというので何となく帰ってきて、何となく仕事して、何かやろうっていう気持ちもなかったんですけど。父親になって、子どもが下田を好きになって欲しいなという気持ちになった。この町で生まれてよかった、この町で育ってよかったと思ってほしくて、商店街を活性化させたいなと思っております。」

下田の人たちの思いを聞いた島田さん。商店街づくりの先輩として、語りかけました。

島田さん:「今日も聞いただけで下田大好き人間がこんなにいる。町に対する思いとかそういうのが、いっぱい出てきたじゃないですか。『好きな町をなんとかしようぜ!』っていう、このエネルギーがいろんなところに向いていった時に、下田って町が絶対変わる。『俺の町こうなんだよ』って自慢できる町。そうなれば最高ですよ。」