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インタビュー・地域づくりへの提言

日本をリードする知の巨人たち。社会が大きく転換しつつあるいま、時代を拓くカギは地域にあると指摘します。持続可能な未来へのビジョンを語っていただきます。

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2020年01月16日 (木)

地域を襲う自然災害から、明日の社会を考える~ 民俗研究家・結城登美雄さんインタビュー【前編】

水害が思い出させたこと

mabi-tyhpoon.jpg西日本豪雨で被災した岡山県倉敷市真備町

 

――おととし夏の西日本豪雨、去年秋の台風19号は大きな被害を日本列島にもたらしました。地震災害に続いて、大きな水害が頻繁に起きる現状を、どう見ておられますか。

 

河川の治水工事が進んで、もう大きな水害はないだろうと思われていた地方都市、そして全国の山間地に、今回すごい被害があいついで、多くの人の命を奪った。これまでは、文明の力、技術の力、経済の力で災害は克服できるんだ、自然なんか大したものではないよという思い上がりが、日本の中に、特に都市にはあったなと思うんです。

そうではない。自然の力というのは大きいんだ、われわれは自然というものの上に立って生きているんだ。山、川、里、田んぼ、畑、海、という、いわば繊細な水系の上に、われわれの存在があるのであって、そのことをちゃんと踏まえたうえで、これからの社会をとらえていきなさいよと問いかけられているように、僕はニュースを見ながら思ったんです。

「ローカル」という言い方をしますけども、それは中央に対して地方であるとか、へき地ということではない。自然の上に立って生きている人たちの住んでいるところを「ローカル」というんだなあと、あらためて思いました。

日本の国土のほぼ70%は山林です。18%が農地。5%が宅地。それ以外は水路や川です。農業は水が欠かせないわけでしょう。ましてやコメはほとんど水田で作るのだから、水と切り離せない。東北では、農地の8割近くが水田です。

僕が暮らしている仙台も、単純に言えば、城下町以外は田んぼの集まりだったところです。小字(こあざ)という地名は、新田を開発したところ。そこでコメを作って、一つひとつ集落を築いてきた。

だけど都市の人たちは、川を、たんなるひとつの景観以上のものとしては見ていない。日本という国は、ビルやマンションなど都市機能の向上には関心をもっても、それ以外のところには関心をもたないできました。

でも現実には、今はビルになっているその場所は、1000年前には人は住んでいなかった山林だったのを、だいたい500年ぐらい前に切り開いて、水を山から引き入れながら田んぼを作って、住めるように開いていった場所ですよ。そういうことを、水害は思い出させた。

 

自然のありがたさと恐ろしさ                      

yuki-san_tanbo.jpg結城登美雄さん(岡山県倉敷市真備町にて)

 

宮城県が出している「宮城県史」の22巻にあるのですが、江戸時代から昭和37年の367年間に、どれだけの災害があったか。地震27回、津波19回、ずいぶんありますよね。

大変だったなあと思うわけですが、洪水はいちばん多いんです。104回です。大雨が降ったり、台風が来たり、色々あったと思いますが、367年で104回ですから、平均すると4年弱で1回。昭和の37年の間にも、18回が記録されているんです。江戸時代の飢饉は、18回と記録されています。

青森の稲垣村というところは、5000人の村に2000体のお地蔵さんがあるんですよ。このお地蔵さんはみんな、餓死したり自然にやられて死んだりした人たちを供養するためのものです。山形の新庄の最上も昔は冷害凶作がひどくて、今でもお彼岸にはお地蔵さんにぼた餅を食べさせている。ぼた餅は、あんこですよね。子どもの大好物。おなかをすかせて飢えて死んでいった子どもに、せめて供養として、ぼた餅のごちそうを食べさせたいという、地域の人たちの思い、母親の思い、父親の思いが込められていると思います。

各地に残るお祭りの多くも、飢饉で何千人と死んで、みんな落ち込んで、なかなか立ち上がれないのを、「がんばろうや」と克服するために始めた。それが、お祭りだった。そのことをみんな忘れて、踊りや山車が「きれいだな」としか見なくなってしまった。

厳しい自然と闘って生きてきた積み上げの上に、現在のわれわれの地域がある。今度の水害は、そのことを教えてくれたという思いが、僕にはあります。これからの未来を考える時に、このことを忘れてはだめなんだ。水だけじゃない。土砂崩れや地滑り、日照り。水と風と光と土は風土の四要素です。こうした自然は、いつ牙をむくか分からない。自然を安定したものと考えたらいけないんです。

地域の農業者は、ずっとそうした自然を相手にして農作物を作ってきた。水の恵みのありがたさと、恐ろしさを知っている。でも高齢化が進んで、高齢者が亡くなってきたために、わかる人が少なくなってきた。

こうした中で、私には心配なことがあります。それは、もしかして今回の災害は、農業とコメ作りにものすごく大きな影響を与えるかもしれないなと思っているんです。

 

農業の危機、食料の危機

inekari.jpg稲刈り(岡山県倉敷市真備町)

 

今回の災害によってコメ作りをやめる人が増えてくると思います。ただでさえ採算があわないんだもの。

今、コメの農家一戸あたりの平均栽培面積は、1ヘクタールあまりだと思います。この1ヘクタールでどれだけのお米がとれるかというと、宮城では、だいたい80~90俵ぐらい。1俵は60キログラムです。つまり500キロ前後のコメがとれる。

コメは今、1俵の価格が、12,000円ぐらいですから、売り上げは、100万円ぐらい。ここから田植え機、稲刈り機などの機械代や肥料代、農薬代など経費を差し引くと、利益はだいたい40万円ぐらいです。田植えの準備からコメの出荷まで、1年がかりで米を作って、利益が農家一戸で40万円。これが、日本のコメの現状です。水害で、これだけ田んぼもやられ、機械もやられたら、国は補助金を用意するだろうけども、もうコメ作りをあきらめる人たちが増えるのではないかと思います。

こうした現状に対して、コメの大切さを国民に訴えて、もういっぺん農村を再生させていくぞという官僚たちや識者たちがどれだけいるか。農家にしても、黄金ゆたかに実っていた田んぼが全部やられてしまった。そこにもういちど、よいコメ、よい野菜を作っていくために投資しようというのは、よほどの意欲が必要だと思います。

 

――行政による支援が必要になっていますね。

 

日本の食料自給率はもう37%を切って、世界でも下から考えて何番目かという低さです。農地は人間がいなければ農地と言わないんですよ。単なる土地です。耕したり、種をまいたり、手入れをしたり、収穫をする人がいないと「農地」じゃないんです。

それが今、農業の担い手は150万人しかいないでしょう。しかも平均70歳を超えていて、若い人は2~3万人しかいない。仙台市でも108万人の市民がいるなかで、農業をやっているのは2000人しかいません。その中では今回、台風19号で被災した丸森町は1283人と多い方ですが、これが今年の春には減ってしまう可能性がある。

農業機械って高いんですよ。田植え機は、安くても200万~300万。稲刈り機、コンバインと言いますが、1200万から、良いやつだと1,600万。トラクターも1000万ぐらいします。たとえば行政から9割補助があっても、1割の自己負担は軽くはないです。もう年も年だし、せいぜいわが家族の食べ物は作るが、人さまのものはもう作れないよという人たちが、増えると思います。自分たちの食料がきわめて不安定になっていくということ。それを「しかたないよね」と言っていられないのが、われわれ食べる方の人間です。

農家の窮状を見て「あの田んぼ大変だね」じゃなくて、自分たち都会に暮らす人が生きていくうえで不可欠なものが失われていくということ。それを支える人がいなくなっていくんだということ。たんに農山村という地方の復興の話じゃなくて、わたしたちのこれからと強いつながりのあるテーマを内包しているということを、わかってほしいなと思いますね。

 

【後編】に続く

インタビュー・地域づくりへの提言

結城登美雄さん

1945年生まれ。民俗研究家。東北各地を10年以上歩き、地元をもっと知り、資源を活用する智恵や術を地元の人々から学ぼうという「地元学」を提唱。自らも農業を営み、村人と言葉を交わしながら住民主体の地域づくりに取組む。「食の文化祭」などの地域づくり活動で、1998年「NHK東北ふるさと賞」、2005年「芸術選奨芸術振興部門文部科学大臣賞」受賞。雑誌や新聞で農と地域づくりについて多数執筆中。現在、宮城教育大学・東北大学大学院非常勤講師。

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