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インタビュー・地域づくりへの提言

日本をリードする知の巨人たち。社会が大きく転換しつつあるいま、時代を拓くカギは地域にあると指摘します。持続可能な未来へのビジョンを語っていただきます。

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2016年04月06日 (水)

いまのシステムは限界を迎えている―地域から変革を!【経済学者・神野直彦さん】⑤

④では、別の地域から企業を呼び寄せる形の工業社会は行き詰りつつあるため、それぞれの地域に内在している“発展要素”に向き合っていくべきだという話がありました。今回は、工業化に対し、今一度「自然」と向き合う「農業」を見直すところにヒントがあるという話になっていきます。(全6回中5回目)

工業化の先に起こったグローバル化で、地域間格差が拡大していった。


-- 地球環境的にも限界が見えてきたということですね。

神野氏  そもそも資源が枯渇してしまう。そうすると私たちは、これからは「知識社会」という観点から、いかに自然資源を少なくして生産に結びつけるのかということを工夫せざるを得なくなってくる。私たちはものを作る時に、自然の物質を自分に必要なものに変えるのですが、その時に知識を使うわけです。インフォメーション=情報というのは、インフォルメラといって、形を与えるものという意味ですから、鉄鉱石から矢じりを作る時に、自然に存在する物質に、人間の知識・情報を入れ込んで矢じりにしているわけですね。

これからは“量よりも質”に変えていく作業をして、人間の知識を大量に入れ込んで、自然を犠牲にする物質量を小さくする、大量の知識や情報を入れ込んで作っていくという時代に変わっていく。大量生産・大量消費で自然資源を多く消費するっていうのは限界になってきているし、人間自身もそうした需要がなくなってくるので、新しい知識を使った多品種少量生産のような方向に、つまり“量よりも質”が重視されてくる時代に変わっていくということです。

また、農業の周辺に工業ができあがるのと同時に、工業の周辺に、実は知識産業とか、あるいはサービス産業というのが出てきました。企画・研究とか、開発もそうですし、さまざまな事業所に対するサービスということを含めて、非常にソフトな産業がどんどん出てきて、触れ合いなどのようなことのほうが重要な産業が出てくることになったわけです。そういう産業はどこにできるのかというと、もともと農業は自然的に農作物が作れるようなところに立地されるのだけれども、工業はそれに対して都市に立地され、都市が工業化していく。日本の高度成長期もそうだけれども、工業化するということは都市化するということなので、農村から都市へ、人々が大きく移動することになったわけです。

では今度は、企画・研究・開発やさまざまなサービス産業ができてきた時に、それは都市に立地するかというと、日本では依然として都市に立地すると予測されていますが、実はヨーロッパで起きているのは「逆都市化」なのです。1973年の石油ショックで自然資源が頭打ちになり、工業時代の終わりを知らせるシグナルとなりましたが、あの時以来ヨーロッパで起きているのは、都市から今度は逆に人々が出ていくという「逆都市化」なのです。研究やデザインのいいものをつくるとか、そうしたことは当然のことながら自然環境のいいところで、人間と人間との絆がちゃんとあるようなところでやりたいと思うから、みんな「逆都市化」していくのです。

 

-- それに対して日本では?

神野氏  高度成長が終わり、石油ショックがあって、1970年代の後半から、日本でも「逆都市化」が起きています。都市から農村に人口が動いているのです。動いているのだけれども、そのあと80年代に日本ではバブルが起きます。それでまた都市への集中が進み、バブルが崩壊すると再び「逆都市化」の方向へと変わった。

ところが、21世紀になるぐらいから、また都市集中になっています。これは、工業の時代が終わろうとしている時に、日本では「地方の過疎」・「都市の過密」の解消ということで、工業を地方に移せとなり、どんどん移していったことに原因があります。農村に工業を移していったのだけれども、もはや工業の時代ではなかったので、しっぺ返しが来た。バブルの時に地方に行った工場は、その後は海外などへほぼフライトしていきました。みんな海外の人口があるところに移ってしまったわけです。それで、地元に残ったのは地場産業ぐらい。しかも日本の地方の地場産業というのはほぼ建設業なので、建設業しか残らないような状態になってしまった。いま日本の地域が苦しんでいるのは、工業社会ではなくなっていく過程でありながら工業で生きていこうとした結果であり、それが無理になってきているということなのです。

高度成長の時代、地方には工場が来てくれることへの好条件がそろっていました。地方には過剰人口があり、労働力があったのです。過剰人口・労働力があるので「低賃金でも大丈夫なので、こちらに来ていただけますか」と地方からは言えるし、企業の方でも「はい、わかりました」となる。ところがいまは、地方の人口がどんどん減ってしまい、おじいさんとおばあさんしかいない。人がいなのだけれども来てくれませんか、という状況になっています。そうすると企業としては「何のために行くわけ?」となる。説得力ないですよね。

それから、もう1つ重要なのは、高度成長期に農村から都市へ人々が移動した時には、地域間の所得間格差が小さくなったのです。なぜなら、仕事がないから仕事を求めて都市に行くので、所得の低い人が都市に流入していくかたちとなり、地域間格差が小さくなっていったのです。ところが、いま起きている人々の移動というのは、地域間格差が拡大する方向なのですよ。なぜかというと、いまは工業の時代ではないので、生産機能はみんな他の国に行ってしまっている。国内に残っているのは、デザインとか研究開発、本社機能や管理機能のあるところになるわけです。そうしたところに人々が移動していくわけです。そうすると何が起きてくるのかというと、大企業でいえば、グローバル化して、工場は世界に配置して、日本国内には中枢管理機能と企画機能が残っているわけですよね。この企画機能を、東京に集中しようとするわけですよ。世界的に管理するということになるわけですからね。そうすると、地域にあった支社・支店・出張所を閉じて、東京に移すわけです。そして大企業に勤めているサラリーマン、つまりその地域において経済的に比較的豊かな人が東京へと移動することになるから、格差は拡大する方向になっていくのです。

さらにもう1つ重要な点は、地方でがんばっていた企業の移動です。先ほどのようなグローバル化が進んでいくと、がんばっていた地方の企業は、地元の本社機能を弱めて、東京の支社機能を強めることになっていく。やがてそれでも対応しきれなくなって、ついには本社も東京へと行ってしまう。

そういうことを考えていくと、高度成長期は東京・大阪・名古屋の三大都市圏への人々の移動だったのですけれども、いまや三大都市圏への移動ではなくて、東京一極集中になっているのですね。地方に本社がある経済的に豊かな会社員も東京へ行ってしまい、地方からいなくなってしまうと。

 

-- 一方で、地方では、新しい時代の新しい地域づくりが、様々な形で始まっているとも感じます。

神野氏  農業の周りを工業が取り巻く工業社会のかたちだと、工業の論理が農業に入ってきてしまうことになります。これから農業の周りを取り巻くのは、工業ではなく知識産業になっていきます。フィンランドやスウェーデンでは、このことを農業の知識集約化と言っています。重要なのは「知識集約産業化」へ移行していくこと。例えば、自然のメカニズムはどうなっているのかということを見通して、その自然のメカニズムで自然を豊かにしていく農業をやっていこうというようなことです。ところが、日本はまだ完全に工業社会だから、オランダのまねをして、人工的な水耕栽培のような野菜工場を作って、工業的に生産しようとしています。しかし、このやり方には、課題があると思います。私に言わせれば、結局、工業化では無理なんだということです。自然のメカニズムをきちんと理解して、自然のメカニズムに合わせたものにしていかないと。知識産業というものが、そこで使われるべきなのです。農業ならば、知識農業と。

その好例のひとつが、北海道の十勝にある中札内村です。化学肥料や農薬の50%削減や、地域の自然環境に即した畑作経営による農村活性化を実現し、平成23年度「環境保全型農業推進コンクール」で大賞を受賞しています。中札内という地名は、アイヌ語で“水の無い川”という意味らしいです。だから、完全に畑作しかできない。畑作はご存じのとおり、それだけでも自然破壊になってしまいます。地力を落とさないために、馬鈴薯・枝豆・麦・てん菜・豆類を1年ごとに育てる5年輪作をやり、しかもその途中に牧畜を入れて豊かにしているわけです。また、6次産業化でいえば、まるで森のようなところに農産物の加工工場を作って、その森のような工場を見に行こうと観光客が自然に押し寄せています。収益もバンバン伸びているわけです。輪作をしながら、自然に優しい農業を十分やっていますよ。


いまのシステムは限界を迎えている―地域から変革を!【経済学者・神野直彦さん】⑥に続きます

インタビュー・地域づくりへの提言

神野直彦さん

1946年、埼玉県生まれ。1981年、東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。大阪市立大学助教授、東京大学教授、関西学院大学教授などを経て、東京大学名誉教授。前地方財政審議会会長。専攻は財政学。ドイツの財政学を中心に学び、長く欧州を観察する中、日本も欧州のようにもう一度自分たちの良いところを見直し、作り直すべきと提言。 日本にはそれぞれの土地の風土にあった教えが沢山あると提唱し、精力的な執筆活動を続けてきた。

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