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2017年11月17日 (金)
生涯現役 ― それは弱者の底力を見せること
老人クラブ大会は、厳かに式典から始まりますが…
式典終了後の芸能発表に向けて、スタンバイOKです!!
地域づくりブログには、ご無沙汰しておりました。
筆不精の言い訳ですが、つい考え込んでいたのです。私に、皆様に向けて発信できることなんてあるのだろうか、と。
それが今、先月に実施した藤里町老人クラブ大会の写真を眺めるうちに、どうしても書きたくなりました。
私は今、地方創生としての「町民全てが生涯現役を目指せる町づくり事業」に全力で取り組んでいます。
3年前、耳にも新しい「地方創生事業」の報道が流れるたびに、私の中で違和感が強くなったのです。この事業の担い手は、能力も力量もある人だと言われている気がしました。私たち社会福祉協議会が関わる、弱者と呼ばれる方々は、その立派な誰かが実施する地方創生事業を行う人ではなく、その恩恵を受ける人なのだ、と。
一人で勝手に苛立って、あげくに、手を挙げていました。
福祉の立場からの地方創生事業に参入したい。弱者と呼ばれる方々が担い手になれる地方創生事業を実施したい、と。
私たち地域福祉実践現場の者は、知っています。
一部介護が必要でデイサービスの利用者になったとしても、全ての機能がダメになった人ではないことを。障害者でも、地域で活動できることはいっぱいあることを。地域には、100%の力量はなくても、まだまだ頑張れる意欲も力量もある方々がいるということを。
紫Tシャツの恐ろしい伝説
第14回地域福祉実践研究セミナー
藤里町では、ボランティア活動には紫Tシャツが欠かせないという暗黙の了解があり、そこに疑問を感じる者さえいなくなっております。
それは9年前の、私が事務局長職だった頃。藤里町社会福祉協議会が3年間のモデル地区指定を受けて取り組んだ「トータルケア推進事業」の集大成として、日本地域福祉研究所の全国研究大会を藤里町で開催するというお話を頂いたことから始まりました。過疎の田舎町の社協が、全国から120人の研究者の方を2泊3日でお迎えするというのですから、大騒ぎでした。町民の力を借りるしかないと実行委員スタッフを募ったところ、250人のボランティアスタッフが集まりました。
閉会式の写真は、紫Tシャツがスタッフで、それ以外の人が参加者です。
参加者が120人でスタッフが250人という大会がどんなものだったかは、ご想像にお任せします。結果オーライにしましたが、スタッフとして必要な人数を超えたら断るのが普通で、250人全てをスタッフで使うという発想は「キクチマユミ」ならではだというお言葉も頂きました。
その時、老人クラブ連合会では「ボランティアスタッフは辞退する」ことになったのです。「高齢だし、たいして役に立てそうもないから」という理由でした。
もちろん、スタッフ数が膨れ上がって四苦八苦している私の立場を考慮してくれた、などということではなかったのですが。
それでも「協力できることがあるなら言ってくれ」とおっしゃるので、遠慮しないタイプの私は、できることなら山ほどあると、申し上げました。
それぞれの地域の老人クラブが缶拾いや清掃活動等を大会の開催に合わせてやってくれれば助かるし、個々人としてはスタッフ用の紫Tシャツを買って、大会期間中はそれを着てウロウロしてくれればウェルカムムードが出る、と。
実際、○○地区がワークショップ会場になるらしいと噂が出た段階で、老人クラブの草刈りや清掃活動が始まり、「何だ? △△地区で何かやるなら早く言え!」と怒られることも1度や2度ではなく、老人クラブの実行力を見くびっていました。まして、紫Tシャツを着てウロウロの話は、冗談半分だったのですが…。
大会当日、派手な紫Tシャツで畑仕事をしている高齢者の目撃情報が、地元スーパーで買い物する紫Tシャツの目撃情報が、そして、隣町のJR駅での目撃情報が寄せられ、不覚にも涙が出そうになりました。ありがたいことです。
「ダサい!」「派手!」「絶対に着たくない!」騒いだ職員は町民の恐ろしい決定に…
それ以上にセンスを問われ続けるデザイン決定者の私の立場は…
のど元を過ぎれば何とやら。「紫Tシャツを着て、みんなで力を合わせれば怖くない、何でもできる!」と、今となれば、美しくも楽しい思い出として語り継がれています。
そして、「ボランティア活動に紫Tシャツは欠かせない」という思い込みでボロボロになったTシャツを着続ける町民の方々の姿に根負けをして、社協は2年前に新たな紫Tシャツを購入することになりました。
ちなみに、現在の「町民全てが生涯現役を目指せる町づくり事業」について、老人クラブさんに対してはこんな説明をしております。
「町を元気にするために自分にできることがあるなら参加したい。そんな思いがあるならどなた様でも、志があるなら必ずどなた様も参加できる仕組みを作りますからよろしく」と。「足腰が弱くなったとおっしゃる方には手指だけで参加できるカタチを、手も足もダメになったとおっしゃる方には口だけで参加できるカタチをご用意いたしますのでよろしく」と。
【山菜の皮むきを生きがい支援とは認めません!】
フキの皮むきに目がキラリ☆
藤里町社協の生涯現役事業について、新聞記者の方に聞かれました。
個人としては藤里社協の取り組みに共感するが、「生きがいづくり」とか「自立支援」とか、言葉にするとありきたりになる。よそと何が違うのか、違いがあるなら教えてほしい、と。
それこそ、私の方こそ、教えてほしいことです。
福祉職として、特別なことを目指したつもりもなければ、よそとは違うことをやっているつもりもないのです。それなのに、全国から講師依頼や視察研修依頼を頂くようになり、戸惑いの方が強いのです。
藤里社協がよそに比べて優れていると胸を張れることって、何だろうか? いえ、そんなモノがあるのだろうか?
そんな中、とあるシンポジウムで就労支援の福祉職を対象に、藤里社協の「町民全てが生涯現役を目指せる町づくり事業」の話をしました。
前述の「生涯現役事業」にかける思いや「紫Tシャツの伝説」から始まる思いを語り、「自立支援」や「生きがいづくり」を日常業務の中で決しておろそかにしたくないというこだわりを語り…。
具体例を聞かれて、デイサービス利用者に山菜の皮むきをお願いした時の話をしました。生涯現役事業の藤里町の特産品づくりに、車椅子でも参加できる作業として「山菜の皮むき」は可能かどうか、デイサービス利用者に試していただいたのです。レクリェーション活動に関心を示さない利用者が、帰りの時間ばかりを気にする利用者が、目を輝かせて夢中になって「山菜の皮むき」作業に熱中する姿に、事業化の手ごたえを感じました。
ですが、それを見ていたデイサービス職員が、早速レクリェーション活動として実施しようとしたので、それは「自立支援」でも「生きがいづくり」でもないと、厳しく叱責しました。
と、そこまで話したところで200人以上の福祉職の方々に、「え???」とドン引きされてしまいました。その反応に、私も「え???」と驚きましたが、言い訳もさせてもらえないままに終わってしまいました。
誰にも理解してもらえない寂しさを抱えては、当社協の職員に、愚痴の一つも二つも三つもこぼしたくなります。
町民の笑顔が…優しさが…身に沁みます(/_;)
私は、「レクリェーション活動としての山菜の皮むき」を「生きがいづくり」とは認めません。仕事として「山菜の皮むき」をこなしてきた高齢者に対して。それで高齢者を喜ばせるつもりだとすれば、私はむしろ侮辱と考えます。職員は、「山菜の皮むき」を単なるレクリェーション活動で終わらせず、利用者が皮むきをしてくれた山菜をどう活かすかを真剣に考え、そこに汗を流さなければいけないと思います。頑張って下さった「山菜の皮むき」作業の成果を活かしてこそ、本当の「生きがいづくり」に繋がると思うのです。
私に、高齢者の作業の成果を活かせる自信はありませんが、その努力をし続ける自信はあります。そして、職員にもそうあってほしいと思うのです。
そんな愚痴に職員たちは、「会長らしい」と、「会長のそんなこだわりは、私たち職員のこだわりになってしまっているし、町民にも伝わっていると思う」と理解を示してくれました。ただし、付き合いが長くて理解できるようになったとはいえ、会長の言い訳を聞かずにその会場でただの聴衆で座っていたとしたら、皆と同様にドン引きで終わったかもしれない。と、そんな言い方をします。
そして、そんなこだわりが、よそとの違いかもしれないと、思いつきました。私の分かりにくいこだわりに、諦め顔で職員がつきあってくれ、訳も分からないままに町民もつきあってくれ、だから成せたことが多くありました。
特に優れていなくても、特に立派ではなくても、視察依頼や講演依頼が来ていること自体に意味があるのかもしれません。私たちのこだわりに、その活動に関心を寄せて下さっている方々がいるのかもしれない、と思えたのです。
そのとたん、私には発信したいことが山のようにあることを思い出しています。
とりあえず今回は、老人クラブさん中心の「弱者の底力」のお話でした。次回は、ひきこもりのいなくなった町での、ひきこもり支援のお話でもしましょうか。