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地域づくり情報局

一人も取りこぼさない社会をめざして

大阪府豊中市のコミュニティソーシャルワーカー・勝部麗子さん。地域や家族から孤立する人々に寄り添い支える日々を綴ります。

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2019年06月18日 (火)

阪神淡路から23年 ふたたびの災害に地域はどう立ち向かったか(前半)

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大阪北部地震翌日の豊中市

 

震災で試された地域の見守り力

昨年6月18日午前7時57分に発生した大阪北部地震。豊中でも震度5強の大きな揺れが観測されました。阪神淡路大震災から24年、こんな大きな災害がふたたびわたしたちの街に起きるとは、という衝撃が走りました。

考えてみれば、阪神淡路大震災が、わたしたちの見守り活動や孤独死対策の原点になっています。当時は、地域の人と人のつながりが、今よりもありませんでした。今回こそは、前回救えなかったような人たちを必ず救うんだという強い思いで、まずは地域の中の高齢者世帯や、障害のある方、避難行動要援護者などのことを考えて、震災直後の午前8時37分、災害対策本部を社協の中に立ち上げました。そのうち職員も三々五々集まってきて、つながりのある方たちに連絡をとり始めたのですが、連絡してみると、すでに地域の方々が見守り活動を始めてらっしゃることがわかったんです。

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災害対策本部

 

わたしたちは、平成10年から災害時の安否確認事業を年に2回、図上訓練と実地訓練を各小学校区内でやってきました。これは、災害時の見守りを希望する方の情報を、ボランティアスタッフが地図上で確認して担当者を決め、さらに実際に本人に会いに行って確認するというものです。そのおかげで、震度4以上の災害が起きたときには、地域の人たちが自発的に見守る体制がすでにできていたのです。

昼の12時か13時ごろには、どの地域でエレベーターが止まっているとか、避難所にどれくらいの人たちが集まっているなど、地域の実情を、ほぼ把握することができました。多くの地域の方々が、自ら動いて状況を知らせてくれました。あわせて、ふだんからつながっている生活困窮者の方や、介護者家族の会、障害者作業所の連絡会などにも安否確認をしたので、およそ4時間で約1万2千人の情報を把握することができました。地域の見守り力が試された、と思ったところです。

 

マンションの課題

今回、浮き彫りになったのは、マンション内のコミュニティが強いところと弱いところで、かなりの差が出たということです。

たとえば、障害者や要介護者をマンションの部屋に訪ねても、本人が出てこない。中で倒れているかもと地域の人たちと心配していたら、夕方やっと本人に会えて、デイサービスの職員が迎えに来てくれて、そこで一日過ごしていたことがわかりました。住民同士のネットワークはできていても、施設の専門職と地域住民のネットワークは十分できていなかったのです。

もうひとつ大きな問題は、エレベーターが震度4になると止まってしまうことです。最大2週間止まっていたマンションもありました。止まってしまうと足の弱い高齢者は外出できなくなります。中に閉じ込められた人たちもいました。ちょうど子どもたちの通学時間だったので、閉じ込められたトラウマで不登校になった子もいます。

一方、「無事ですシート」というマグネットシートをドアに貼ることをルールにしていたマンションでは、安否確認がすぐにできました。一人暮らしの高齢者などが、無事の場合に玄関ドアの廊下側に貼るのです。これで安否確認の時間や効率性に大きな差が出てくるので、カードを普及させることが大切だということがわかりました。

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無事ですシート

 

わたしたちは地震後の7月7日に、マンション内でどういう問題があったかを話し合う「マンションサミット」を開催したのですが、このシートを新たに2万枚作ってマンションの管理組合に配布していくことになりました。管理組合が、各戸に配布することでコミュニケーションが生まれ、見守りやつながりづくりにもなりますし、訓練時から使ってもらうことで、次の機会に必ず役に立ちます。

 

災害があぶりだす孤立

阪神淡路大震災の時は、見守り組織が十分ではありませんでした。だから知っている人しか助けることができなかった。そして知っている人でも、問題をどこに言えば解決してくれるか、本人だけでなく地域の福祉委員や民生委員たちもわかりませんでした。だから何ヵ月も経っても、家具が倒れたままだ、など、ちょっとしたことさえ相談できずにSOSが挙げられない高齢の人たちがたくさんいたのです。

今回は、災害時に心配な人たちをひとりも取りこぼさないようにと思って取り組みました。そして、障害者や高齢の人たちはある程度、見守れることがわかってきました。しかし新しい課題も見えてきました。23年前の震災時と比べると、豊中市の自治会の組織率は20ポイントくらい下がっています。夫が単身赴任中の家では、何か月か夫が帰るまで、倒壊した家具を片付ける手立てがないといった課題も見えてきました。単身赴任でなくても、夫が仕事に出た後の昼間の時間帯、お母さんと子どもだけがいて、子どもの世話をしながら倒れた家具などの片づけをするのが難しいということもありました。家具の片づけを手伝ってくれるような、近隣のつながりが無くなっているのです。

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地震で家具が散乱した室内

 

さらに、地震がない国から来ている外国の方たちが大パニックになりました。なぜ揺れているかわからないし、避難所という概念も理解できない。停電や断水も対処の方法がわからない。また、亡くなった親が残してくれた家に暮らしていた引きこもりの方たちが、今回の災害で初めて家の外にSOSを出して、わたしたちの相談窓口につながり、ここから就労に至ったという人もいます。

わたしたちは高齢者や障害者の人を見守らなくてはと思っていたけれど、想定していなかった人たちからの相談が次々と入ってきて、地域内の孤立が深刻になっていることを感じました。

やっぱり災害は弱者の存在を表に出すということです。平常時はなんとかギリギリで暮らせていた人たちが、災害が起きたときに相談する人がいない。避難所におられる方も高齢の夫婦であったり、引きこもりの息子さんを抱えている人たちであったり。いっぺんにいろんな問題が見えてきました。こうしたたくさんの見えてきた課題に、これから取り組んでいくことになります。

【2に続く】

一人も取りこぼさない社会をめざして

勝部麗子さん(コミュニティソーシャルワーカー)

10年前、大阪府で初導入された地域福祉の専門職=コミュニティソーシャルワーカーの第一人者。大阪府豊中市社会福祉協議会・事務局長として、様々な地域福祉計画・活動計画に携わる。2006年から始まった「福祉ゴミ処理プロジェクト」では、孤立する高齢者に寄り添い、数多くのゴミ屋敷を解決に導いた。厚生労働省社会保障審議会「生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会」委員。信条は「道がなければ作ればいい」。

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