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2018年03月16日 (金)
変態系から生態系へ
未来の箱庭 ~最後尾から最先端へ~
約10年前、私が東京から縁もゆかりもない島根県海士町へ移住した理由は、そこが人口減少や少子高齢化、財政難といった日本の重要課題の超先進地であり、「人・物・金・情報がない(集まりにくい)孤島」という条件不利地だったからである。未来の箱庭であり社会の縮図であるこの島で、次代の地域創生のモデルをつくることによって、それが広がり、社会や未来を変えていける、と信じて飛び込んだ。
イノベーションとは無縁の場所から ~公立学校からの地域創生~
地域づくりにおける盲点であった学校を起点に(イノベーションとは縁がないと思われていた公立学校をテコに)、多様なセクターの協働による一つのモデルが生まれた。人口減少と少子化により廃校寸前だった学校は、全国や海外からも志願者が集まる学校に変わり、卒業生たちが各地で活躍し、「ここで子どもを育てたい」という若い家族が集まる教育移住という新たな人の流れが生まれ、町全体の出生数も増加し、全国や海外の自治体、企業、NPO、大学、教育機関などからの視察や研修が絶え間なく来るようになった。
「成功モデル」の二つの壁 ~あそこだから問題、あの人だから問題~
しかし、モデルはすぐには広がらなかった。「あれは島だからできた」「あそこだからできた」といった声(以後、『あそこだから問題』)や、「あれはあの人がいたからできた」「あんな人がいてくれればできるのに」といった声(以後、『あの人だから問題』)が多く聞かれた。また表面的に一部を模倣して失敗する事例も目の当たりにした。「成功モデルをつくれば、勝手に広がる」という簡単なものではないことを痛感した。
地域を越えてモデルをスケールアウト(拡散・増殖・普及)していく方法論を持たないなかで、国や都道府県や私たちは「モデルづくり」の事業を行い、結果的にできたモデルはほとんど広がっていないという実態も見えてきた。「モデルを広げる方法論」自体も、実はまだほとんど解明されていないのである。
それとともに、成功モデルといわれている多くの地域は、「イノベーター」と一般的に呼ばれそうな「人」に依存する属人的な取り組みから脱却できておらず、「あの人だから問題」を解決できていないという現実も見えてきた。
啐啄同時
そこで私は、「一地域での変革を超え、モデルをスケールすること」、また「突出した個人(通称、突然変異体もしくは変態系)による取り組みを超え、進化し続ける『生態系』をつくること」を意図し、3年前に町から県へ立場を広げた(海士町から島根県へ所属を遷した)。最初の一年間は、各地域を巡り現場を学ばせてもらうこと、関係性をつくること、縦割りを融解し協働への機運を醸成することに注力してきた。2年目には、市町村連合による共同事業、県庁内での組織横断チームなど組織や地域の壁を越えた動きが広がりはじめ、3年目には今までの試行錯誤のなかでようやくモデルが広がっていくための要諦が見えてきた、というまさにそのタイミングで、全国の学校を核にした地域創生の取り組みを支援・促進する産学官の協働プラットフォームが立ち上がったのである。これから、様々な地域に関わらせ学ばせていただきながら、学校や教育・子どもを活かした持続可能な地域づくりに少しでもお役に立てれば幸いである。
どうぞ宜しくお願い致します。
≪続く≫