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学校を拠点にまち(地域)育て

「秋津コミュニティ」顧問として、学校区の生涯学習の充実に尽力してきた岸裕司さんが、学校と地域が一体となった学びの場作りの極意を語ります。

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2019年03月19日 (火)

デイリー・デモクラシーの大切さ ~地域に民主主義を実現する日常的ないとなみ~

 この連載は、今回が最終回。これまで、秋津小学校を活動の拠点としたさまざまな実践事例を紹介してきた。とくに子どもたちの在りようや、関わるおやじを中心とした心象的なことも紹介した。

で、最終回は、秋津実践を続けてきた私の理念のはなしでまとめたい。

 

簡素なチラシでも子どもたちが集う

「おじさん~、今日はペンキ塗りだから、友だちを連れてきたよ!」と、女の子。

「おお、〇ちゃん、元気!」「汚れてもいい服装で来た?」と、工作教室のおやじが声をかける。

今日、3月9日(土)は、飼育小屋のペンキ塗り。20年も前におやじたちが手づくりした飼育小屋の改装である。要は、改装作業も子どもたちの遊びの教室にしちゃおう、とのアイデアである。

でも、参加者募集チラシは、いたって簡素。

記してあるのは「日時・作業内容・参加費100円・雨天の場合10日に順延。汚れてもいい履物、服装で来てください」程度。そして、場所は、飼育小屋の写真の下に→(矢印)とともに「ここに来てね」とあるだけである。

A-1.jpg「秋津・地域であそぼう!」(放課後子ども教室)のおやじたちが毎月開催の「工作教室」のチラシ。

で、集合時間前からぞくぞくと子どもがやってきた。

たかが(されど?)ペンキ塗りに100円玉を握ってやってきたのである。

そうなんです。秋津コミュニティは、楽しむことを基本に、これまでの30年間ず~とやってきた。

そんな、誰でもが参加しやすい脚本と、踊りやすい舞台とを準備する手慣れたおやじたちがいっぱい育っているのである。

「お、きみ、ペンキ塗り、うまいね!」と、男の子に隣で作業するおやじが褒めた。

「うん、ぼく、絵もうまいんだよ!」と、この子はいった。

 こんなふうに、入り口としての多様な人が集う場で多世代交流を図ることで、ひとり一人がかけがえのない存在であることを認め合う、優しいまち秋津をつくってきたのである。

 

「人材バンク」づくりでの失敗

しかし、住民と小学校とがパートナーの関係を築くまでには、失敗もあった。

「人材バンク」のリストをつくろうとした際のことである。

開校9年目の1989年度から3年間、学校と、併設の秋津幼稚園が、習志野市と千葉県から生涯学習の研究指定校になった。私がPTA役員時代のことである。

その研究推進のために、「人材活用」のための募集チラシを全戸配布した。

チラシには、このようなことを記した。

「~の推進のために、何か得意なことや技術・知識などをお持ちの方を募集します。」と。

つまり、得意なものを持っている人にのみアッピールする文面だった。

逆にいうと、得意なものを持っていない人を排除したのである。その片棒を、親として担いでしまったのである。しかし、人材バンクへの登録用紙は次々と届いた。

数か月過ぎ、ある子に尋ねた。

「きみのお父さんは、人材バンクに登録したよね?」と。

すると、この子は切なそうな顔つきでいった。

「ぼくのお父さんは、得意なものがないんだって。だから登録しないんだって」と。

私は頭を殴られたようなショックを受けた。

この子のお父さんは、子ども会の活動によく参加していたことから、きっと人材バンクに登録しただろうと思っていたからである。しかし、ご本人は「得意なものはない」と、思っていたのである。

お父さんのそんな気持を知ったこの子は、どれほど切なかったことであろうと、私は想い、とても自分が嫌になった。

このことは学校へ伝え、話し合った。そして、「人材バンク」のリストは、研究発表会で紹介したのみで、以後は廃止した。

学校も親も、無意識でかつ悪気はなかったのであるが、住民を有能・無能と差別しかねない「人材活用」の発想からの脱却への、大きな大きなきっかけをあたえてくれた30年前の事件だったのである。

 

「人材活用」の発想は×(ペケ)

 教育行政の上意下達のシステムは、「指導行政」といわれている。文部科学省を頂点として、以下、都道府県から市町村の教育委員会から末端で指導を受ける学校・教師までへと貫徹している。

で、この業界人が市民に対して一般に発する言葉に、「人材活用」がいまだにある。

その言葉の最たる使用者が、教育行政のトップ・オブ・ザ・トップの文部科学省である。

間もなく実施の次期学習指導要領にも明記された「社会に開かれた教育課程」には、このように記されている。

「教育課程の実施に当たって、地域の人的・物的資源を活用したり、放課後や土曜日等を活用した社会教育との連携を図ったりし、学校教育を学校内に閉じずに、その目指すところを社会と共有・連携しながら実現させること。」()と。

私が傍線を付した、「地域の人的資源を活用し」との文言が記されている。なぜ、活用される市民側の気持を忖度しないのかと、不思議でならない。逆に、末端の教師を含む教育行政パースンに、市民から「地域のために『人材活用』したい」といわれたら、嫌であろう。

私はこの単語が、先の「人材バンク」づくりの際の苦い経験から大嫌いになった。

行政や学校側からみた「活用する人」と「活用しない(されない)人」を、市民のなかから選別することになるからだ。その選別を、行政や学校が顕在化させ、結果的に地域に差別を持ち込むことになりかねないからである。

にもかかわらず、行政や学校から「(有能な)人材(だけを)活用(したい)」ので、「人材バンクに登録してください」と、市民に発信してしまえば、「無能な(と思っている)人」は、その地域でのイゴコチが悪くなるだろうし、子どもや家族も良い気持ちはしないと思うのである。

だから、「人材活用」の発想は×(ペケ)である。

A-2.JPG

飼育小屋改修のペンキ塗り作業も、参加費100円を出してあそぶ子どもたちや親・おやじたち。2019年3月9日。

 

学校と住民がパートナーとして互いにWin&Winする理念

その後の秋津小学校は、「子どもたちと一緒に活動しませんか」を表題にしたチラシを毎年全戸に配布し、新たな協働者も募るようになった。

今年度のチラシには、このように記されている。

「本校では、一層の学校教育の充実・活性化を図るため、併せて保護者や地域の皆様にとりましては、生涯学習の活動の場や学びの機会として、子どもたちと一緒に取り組む学習や活動を推進しています。」

つまり、大人にとっては生涯学習の場が学校で得られる発想である。

この発想こそが、秋津で築き上げてきた「学校と住民がパートナーとして互いにWin&Winする理念」なのである。

さらに、「『できる人が、できるときに、無理なく、楽しく』をモットーとしています」の文言がある。

この文言も、当初のPTA運営の失敗からつくられた理念である。

私が最初に役員になった1986年ごろは、以下のようなマイナスのフレーズが飛び交っていた。

「PTAの役員は受けたくない!」「専業主婦がやればよいのよ!」「いや、働いていることを理由に役員にならない人がおかしいわよ!」「先生が言っていたけど、『勤務時間外のPTA活動はおかしい』」などなど。

つまり、先の文言の逆に「できない人が、できないときに、無理して(やらざるを得ないので)、楽しくない」PTAだったのである。

そこで、PTAとは、保護者と教職員が任意に加入して互いの資質を高め合う社会教育の団体であること、法律に定めはなく、無理に加入しなくてよいこと、などを話し合った。

そして、理念としてできたフレーズが、「できる人が、できるときに、無理なく、楽しく!」だったのである。

先の募集チラシは、以下の秋津小学校と地域の関係のあり方を如実に示す文言で終わる。

「みんなの力でより一層地域の風がいきかい、共に学び、共に育ち、支え合い助け合って『共に生きていく力』のみなぎる学校にしていきたい。」

また、生涯学習研究時代の失敗後、学校と住民とが協働活動を練り推進する組織も「パートナー会議」と新たに命名しなおされ、今日も続いている。

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秋津小正門の看板には「学校と地域が共に学び、共に協力し合いながら、教育を進めている学校です。」と記されている。前の4人は筆者の孫。

 

びりっかす、向きを変えたら1番だ!

ところで学校は、正解智を教える装置である。

しかし、その正解智の優劣は、全国学力テストではかられ、装置としての「学校の価値」が決まるような現状である。

すると、劣の学校では教師が必死にならざるを得ない。そんな状態が、いまのニッポンにはびこっている。劣に置かれた教師や子どもたちは、なんだか可哀そうと、私は思う。

いっぽう、地域は総体としての社会智を会得することができる装置である。

社会智は、雑々とした日常の喜怒哀楽の暮らしのなかにある。

そんな暮らしには、私たちを笑いや名演技で感動させてくれる芸能がある。

お笑い芸人を多く輩出してきた地は、なんといっても大阪圏。たとえ正解智の学力が劣と揶揄されようが、大阪圏の子どもたちを「きみたちには、多くの人を笑顔にするお笑いがあるじゃないか!」と励まし、生きる力を鼓舞する社会的親が必要不可欠と思う。

また、同じく正解智の世界で劣とされた沖縄県は、多くの俳優やミュージシャンを輩出している。沖縄県には社会智として、そのような資質が受け継がれている。

そんな多様な社会智としての価値を認め、リアル社会へと子どもたちを元気に送り届ける義務が、私たち大人にはある。

正解智=学力の優劣といった評価だけではなく、別な面からの評価軸でみることが、とくに子どもたちと関わり合う際には大切なことと思う。

だから、「びりっかす、向きを変えたら1番だ!」のフレーズが、私は大好きである。

 

「地域の記憶」を語り継ぐ

東京湾の埋め立て地に誕生した秋津のまちは、たかだか40年。されど、40年でもある。それなりの「地域の記憶」を積み上げてきたからである。

開校間もない秋津小学校校門前の横断歩道横に朝な夕なに立ち、信号が青になるまで子どもたちと楽しみながらじゃんけんをしつつ、道路への飛び出しを防ぎ安全を見守っていたおじいちゃんがいた。

子どもたちは、「じゃんけんおじいちゃん」と、親しみを込めていつしか呼ぶようになった。

今は亡き久我喜代次翁を、私たちは「秋津の偉大な父」として語り継いでいる。

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ありし日の「じゃんけんおじいちゃん」の久我喜代次翁と子どもたち。

 

もうおひとりは、学校に通い、校庭のあちらこちらにお花の種を撒き咲かせて子どもたちを和ませていた近藤ヒサ子さん。「お花のおばあちゃん」の愛称で親しまれていた。

近藤さんは、福島生まれで少女のころからお花が大好きだった。しかし、息子さん家族と秋津の団地で暮らすようになり、ベランダから毎日、学校の殺風景な校庭を眺めていた。

あるとき思い立ち、校長さんの了解を得て、お花の種まきを開始したのである。

今は亡き近藤おばあちゃんを、「秋津の偉大な母」として、久我翁とともに私たちは語り継いでいる。

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ありし日の「お花のおばあちゃん」の近藤ヒサ子さんと子どもたち。

 

このお二人の後ろ姿から、当時は企業戦士として殺伐とした生活を送っていた若い私たちお父さんも、たったひとりでもできることがあることを学んだのである。そして、いつしかお二人に連なりたいと想った。

40年の秋津のまちにも、「地域の記憶」が確かにあるのである。

 

デイリー・デモクラシーの大切さ~地域に民主主義を実現する日常的ないとなみ~

学校やPTAから地域活動では、失敗や違和感など、雑々としたことが日々起きる。

その際の大切なことは、話し合うことである。互いに遠慮はいらない、タブーは一切なく、である。

失敗や違和感をそのままにしておくと、同じことを繰り返したり、また傷として拡大する場合もあるからだ。

とくに学校は、先生が異動すると「学校の記憶」は残らない。

いっぽう、「秋津の父と母」が教えてくれた、ひとりでもできることがある。その「地域の記憶」に連なり、傍らの仲間とともに育ちあう場が、顔と名前を憶えあえるエリアコミュニティである。

優劣ではないひとり一人の営為により、より良い地域社会を目指す日常的なあり方を、私は「デイリー・デモクラシー」と名付けた。

この私の想いは、変わらない。

 

 2017年6月から7月に開催された「平成29年度小・中学校新教育課程説明会(中央説明会)における文科省説明資料」内の「新しい学習指導要領の考え方-中央教育審議会における議論から改訂そして実施へ-」より

学校を拠点にまち(地域)育て

岸裕司さん(「秋津コミュニティ」顧問)

「秋津コミュニティ」顧問。文部科学省コミュニティ・スクールマイスター。1986年から習志野市立秋津小学校PTA会長を含む役員を経験し、以後、学区の生涯学習に取り組んできた。「学校開放でまち育て-サスティナブルタウンをめざして」(学芸出版社)など著書多数。

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