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2022年03月14日 (月)

番組担当ディレクター・取材見てある記 vol.8:結城登美雄さんと巡る三陸の浜【2】浜は祈りの空間である

結城さんは「浜は祈りの空間である」と言います。浜で漁をする人たちは「祈る心」を忘れずにいる人たちだ、というのです。今回の番組で取材した各地の漁業集落で、それを実感することができました。


気仙沼市唐桑町


気仙沼市唐桑町はかつて、マグロなどの遠洋漁業で栄えました。古くから海難事故で亡くなる方も多く、人の「生と死」に向かい合ってきた地域でもあります。

唐桑では東日本大震災の津波で102人の方が亡くなり、今も行方不明の方もいます。唐桑半島の西側にある鮪立(しびたち)集落では、震災直後に「鮪立老人憩いの家」が避難場所となりました。そこで食事の世話などをされていたという方にお話を伺うことができました。ホタテやカキの養殖をしている村上あや子さんです。村上さんは、海辺にあった自宅や作業場を流され、今は息子さんの家族と高台で暮らしています。避難所で食事の世話などをしていた時、浜では行方不明者の捜索が行われていました。村上さんは、避難所に祭壇をつくって亡くなった方の供養をしたいと申し出たそうです。
「私が小さい頃、海難事故で自分の身内が亡くなったことがありました。私の母が『海で亡くなった人があれば、海岸に行って鉦を叩きながら南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と唱えれば、お仏の上がってくるものだから』と言っていたことがあり、震災になったときにすぐにピンと来ました。避難所の皆さんに相談して祭壇をつくって鉦を置きました。カキむきの従業員さんでカッちゃんという方が行方不明だったので、鉦を鳴らしながら『カッちゃん上がれ、カッちゃん上がれ』と唱えました。すると、十分後くらいにそのカッちゃんが見つかったんです。それから一人上がり二人上がり、おうちの前で上がりしました。供養のために花をお供えして、みんなに喜ばれました。」

etoku220312_2_01.png村上さんは震災直後、このようにして鉦を鳴らし行方不明者の発見を祈った

村上さんのお話を聞くうち、津波に加えて海難事故で命を落とす人が多かった唐桑には、死と向き合う文化のようなものがあるのかもしれないと感じさせられました。

村上さんは、こんなこともおっしゃっていました。
「今回の東日本大震災のような大きな被害は初めてでしたが、海の事故では色んな経験を積んできました。でも海ってありがたいんですよ。私なんか現在牡蠣の養殖、ホタテの養殖をしてますけど、小さいのから育てて、大きくなって水揚げするっていうことは本当に素晴らしいことなんですよね。海で生まれて海で育って海の商売をして、海って素晴らしいなあって。津波って恐ろしいけど、海ってありがたい。」

漁師たちの心のよりどころ・金華山


東北の三大霊場の一つが、宮城県の牡鹿半島沖にある島、金華山です。ここは三陸の漁師たちの心のよりどころとなってきました。そのことを実感したのは、南三陸町の歌津泊浜を取材した時でした。

泊浜集落の海沿いに、尾崎神社があります。その境内には、海に向かって建てられた不思議な小屋のようなものがありました。賽銭箱があり、海側の壁に窓が設けられています。何だと思いますか?

etoku220312_2_02.jpg

結城さんに聞くと、これは金華山を拝むための建物だと教えてくれました。写真の左奥に映っている小さな島影が金華山です。海に突き出た半島の突端にある泊浜からは、直線距離で40キロほど南にある島、金華山を見ることができるのです。東北三大霊場の一つである金華山に向かって、漁師さん達はここから海上安全や大漁を祈願するというのです。漁に出るときなどに船上から金華山の方角に頭を垂れる漁師さんも多いそうです。

金華山は牡鹿半島の先に浮かぶ小島で、昔から漁師さんたちの信仰を集めてきました。金華山周辺の海は荒れやすく、GPSなどなかった時代には、三角形の金華山は漁師さんにとって海上での目印でもありました。金華山が見える場所より沖には行くな、と言われていたそうです。かつては東北各地に、金華山を信仰する金華山講がつくられ、参拝の記念などに石碑を建てました。今も活動を続けている金華山講もあります。

etoku220312_2_03.jpg金華山碑(石巻市内)

etoku220312_2_04.jpg金華山

etoku220312_2_05.jpg金華山にある黄金山神社

「お船霊様」に祈る大晦日の儀礼


大晦日、結城さんは毎年、石巻市北上町十三浜を訪ねるそうです。2021年の大晦日に結城さんの案内で十三浜の大指(おおざし)漁港を訪ねると、いくつかの漁船に大漁旗が掲げられていました。
夕暮れ時になると、お膳を持った漁師さんたちが三々五々、港にやってきました。
漁船の舳先などには、漁の神様であり船の神様である「お船霊(ふなだま)様」が納められています。船大工が船を完成させると、船主に引き渡す前に、紙の人形などのご神体を舳先の柱などに封じ込めておくのです。漁師達は大晦日になると「お船霊様」にお膳を捧げて、この一年の安全に感謝し、来年の海上安全と豊漁を祈願するのです。この献膳の儀礼は、以前は多くの浜で行われていたそうですが、今は十三浜でもこの大指でしか見ることができないといいます。若手漁師の阿部勝太さんが、お子さんやお父さんと一緒にお膳を捧げていました。

etoku220312_2_06.jpgお船霊様に膳を捧げる阿部さん一家(2021年12月)

etoku220312_2_07.jpgお船霊様として紙の人形やサイコロなどが納められている

結城さんは震災の年、2011年にも大指漁港に来たそうです。
「あの3.11の年、これだけやられたんだから、献膳しに来る漁師さんはいないだろうと思っていたら、いつもと同じように来たんです。打ちひしがれながらも、船に対して、海に対して、ありがとうございますっていう心を忘れない、海の人たちだなあっていうのを感じましたね。瓦礫だらけのところを片付けて。あの姿はびっくりしました。」

etoku220312_2_08.jpg2011年大晦日の献膳(撮影:結城登美雄さん 十三浜大指にて)

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2011年大晦日 献膳する西條幣夫さん(撮影:結城登美雄さん 十三浜大指にて)

結城さんはその時に見かけた人に、今回の取材で再会することができました。ホタテとワカメの養殖を手がける、西條幣夫さんです。西條さんは津波で漁船を失いましたが、2011年夏に中古の漁船を入手して漁を再開することができたそうです。

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西條幣夫さんと(2021年大晦日 大指漁港)

西條さんは、「板子一枚下は地獄。海の上で仕事させてもらってるから、お船霊様は頼らざるを得ない心の支えです。」とおっしゃっていました。

厳しい自然と向き合う三陸の漁師さん達は、自然に感謝し祈る心を、今も持ち続けていました。結城さんは言います。
「人間は自然と共に生きて行く存在です。しかし僕たちはいつの間にか、経済社会の影響を受けすぎて、自然から遠ざかってはいなかったでしょうか。自分を生かしてくれる自然、生き物。それがいて、私がいるんだという謙虚な深い心を持つのが人間なんだっていうことを、自然と向かい合って生きる海辺の人たちから教えられました。そのことが今、いろんな意味で行き詰まり感のある日本社会のこれからを考えていくときの、大きなヒントや方向づけを示してくれているように思います」

>> 取材見てある記  vol.8【1】石巻・十三浜の漁師さんたち はこちら

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