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2016年08月16日 (火)

番組担当ディレクター・取材見てある記 vol.3「自然災害を乗り越えて、田畑に生きる」

熊本地震から2カ月余りたった2016年6月下旬、二度の震度7を記録した熊本県益城(ましき)町で、日曜日の午前10時05分から放送している「明日へ つなげよう 復興サポート」の収録が行われました。会場に集まって頂いたのは、益城町でも被害の大きかった東無田(ひがしむた)集落の皆さんです。120世帯のうち、およそ100世帯が全半壊しました。
番組の収録にあたって、会場にゲストとしてお呼びしたのは、東日本大震災の被災地で、復興に尽力した3人の方々でした。震災直後から避難所運営のリーダーを務めた宮城県石巻市の松村善行さんと宮城県気仙沼市の松下尚子さん。そして仙台在住の民俗研究家で、復興への提言を続けてきた結城登美雄さんです。東北の方々が復興に向けて積み上げてこられた経験や知恵を、熊本地震の被災地にも届けてもらいました。収録後、「明日へ つなげよう 復興サポート 温かな手と手をつないで~熊本・益城町~」という番組として7月10日に放送しました。

今回は、番組を担当した栗田和久ディレクターに東無田集落での取材を振り返ってもらいました。

自然災害を乗り越えて、田畑に生きる」 栗田和久ディレクターの話

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集落の8割の家屋が地震で全半壊した益城町東無田集落


熊本県益城町の中心部から南へ車で10分、400人ほどが暮らす東無田集落があります。熊本地震発生から3週間後に集落を訪れると、120軒のうち100軒が全半壊という甚大な被害を目の当たりにしました。

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地下100メートルから水をくみ上げていたポンプが全壊

この集落では、田んぼが小川に近い低い土地と、丘の上に広がっています。丘の上の田んぼは、戦前、住民総出で開墾したものです。丘には水を引いてくるのが難しいため、電動ポンプで地下水をくみ上げていました。ポンプの修繕や電気料金などにお金がかかり、代々、条件の厳しい土地での営農を迫られてきた集落です。


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東無田集落で一番若い専業農家の宮崎誠さん

 

ここで、農業を営むひとりが、専業農家の宮崎誠さん(36)。田んぼを見せてもらうと、水をくみ上げるポンプが地震で壊れ、途方に暮れていました。丘の上の田んぼでは、今年、田植えを出来ない状態でした。さらに、小川に近い低い場所にある田んぼでは、深い地割れが発生し、水を引いても、水を溜めることが出来ず、こちらも営農できない状況でした。

さらに、地震から2カ月後の6月半ばからは、最大で毎時70mmという豪雨が幾日も続き、低いところの田んぼは冠水してしまいました。

実は、初めて訪れたときから、「東無田」という集落の名前が気になっていました。地元のタクシー運転手に尋ねてみると、「昔から、大雨が降ると田んぼが水に浸かり、一面が沼のようになってしまう土地なのです」と話してくれました。以前の東無田は、頻繁に田畑が冠水し、大きな水害になると、米が採れなくなってしまう土地だったのです。

地震による、田んぼの地割れに加えて、水源が断たれた上に、田んぼが水に浸かるという多重の被害が起きていた東無田集落。災害によって常に苦しんできた土地であることを知りました。それでも、先祖代々、集落の人々はこの土地に暮らし、現在も、土地を離れようとはしません。

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6月下旬、豪雨で水浸しになった畑に立つ宮崎さん


もともと自然には、人に恵みを与える側面と、災害などで苦難を与える側面があります。近代文明は、自然をコントロールしようとしてきましたが、どんなに優れた文明が築かれても、自然災害は不意に襲いかかり、それに傷つきながらも、受け入れ、再生に向かって行かなくてはならないのが農業です。東無田の集落の農家の方々にも、どんなに厳しくとも生き抜こうとする、自然観が息づいているように感じました。

「先祖は、きっと自然災害によって、いまの自分と同じような苦労をしてきました。そこから立ちあがって来たからこそ、現在の東無田集落があります。だから、ここで自分が次の世代に田畑を渡さずに、やめることはできない。受け継いできた土地を、必ず次の世代に渡さなくてはならない義務があります」。

農家の宮崎誠さんは、こう言いました。宮崎さんは、今年、復旧に時間のかかるコメを諦め、東無田集落特産のニラを復興の足掛かりにしたいと考えていました。そして、いつか叶えたい夢を語りました。

「負けたくないんですよね。震災があったからこそ、いちからやり直したい。もっとおいしくしてやろうという気持ちになって。自分が作ったニラを、いつか全国のみなさんに食べてほしい、これが夢です」。


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50メートル以上の亀裂が入った田んぼ

東無田集落の人たちは、地震と豪雨に見舞われた後も、土を耕し続けています。幾度となく自然災害に遭いながらも、農業を放棄せず、住民同士が力を合わせて、幾度も危機を乗り越えてきました。人と人とがつながりあって、みんなで苦しみやリスクを分かち合う伝統が、幾世代もの間、培われ、受け継がれてきているように思われます。こうしたたくましさとしなやかさは、東無田集落だけでなく、自然災害という大きなリスクと常に向き合いながら農業を続けてきた、日本各地にも息づいている大切な価値観だと思います。


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民俗研究家の結城登美雄さん

番組を収録した後、宮城県仙台市で、民俗研究家の結城登美雄さんと打ち合わせをしました。結城さんは、東北を中心に800余りの農山漁村を訪ね、地域おこしのアドバイスをしてきた方です。自然災害に対して、他の地域よりも脆弱な東無田の農地。その厳しさを、先祖代々、力を合わせて乗り越えてきた集落の結びつき。そして、全国の人たちにニラを食べてほしいという宮崎誠さんの夢。そんな東無田集落の実情をふたりで話していた時、結城さんはひらめいたように、こう言いました。「“消費者が農家のリスクを背負う”そんな農業のやり方がある!」と。

「消費者が農家のリスクを背負う」。結城さんから提案されたアイデアは、従来の流通システムとは全く違う、新たな農産物の流通システムです。アメリカの大都市部近郊から始まった「CSA(Community Supported Agriculture )=地域支援型農業」というもの。これは、特定の農家と契約した消費者が、収穫の前に代金を支払って、収穫後に農作物を受け取る仕組みです。前金制、そして重要なポイントは、自然災害によって、例えば農作物が不作だったり、凶作で全く収穫出来ない場合でも、農家に事前に支払ったお金は返金されないという点です。自然を相手とする農業のリスクを、生産者だけに押しつけるのではなく、契約した消費者も同様に負う仕組みです。⇒動画「農家と消費者がリスクを分かち合う新しい農業」岩手県遠野市(明日へ つなげよう 復興サポート)

これによって、農家は、農産物を安心して作れるようになり、自然災害などによるリスクから回避されることによって、安定的に、そして意欲的に営農できます。一方、消費者は、農家から農産物の生育情報を刻々と受け取り、お米であれば田植えや草取り、稲刈りなどスタディツアーにも参加することが出来ます。消費者は、農業の厳しさや楽しさ、自分が直接口にする食物への理解や感謝を、肌で感じとることができます。

 

番組の放送後、農家の宮崎誠さんは、同じ集落の先輩農家と話し合いを始めました。まず、身近な知人友人に声をかけ、東無田で採れた野菜の買い手・消費者になってもらおうという計画です。季節ごと、その折々のいろいろな野菜を箱に詰め、セットにして販売してみようと考えています。

今年7月、集落で少ないながらも田植えができた田んぼで、稲が根付き始めました。植えたのは、東無田集落の農家、宮永和典さん(65)です。宮永さんは、秋に収穫した米を「復興米」として、集落の公民館でおにぎりを作り、住民みんなにふるまう計画です。集落の「和」を大切にしてきた東無田の人達。そのおにぎりは、きっと特別なごちそうになるでしょう。私たちの番組は、これからも東無田集落を始めとする、熊本の方々を支援していきます。



※関連コラム:BIGインタビュー・地域づくりへの提言
自分たちの地域を考えていく大きなヒントに。【民俗研究家・結城登美雄さん】

 

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