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2016年06月29日 (水)

熊本地震 地域の"絆"が復興の一歩へ

地震発生から一カ月以上が過ぎた熊本を、編集部が訪ねました。
まだまだ厳しい暮らしが続く中、それまでの地域の“絆”をよりどころに
コミュニティの復興へ向け立ち上がる人々がいました。

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熊本市の中心部 急ピッチで復興が進む

訪ねたのは熊本市東区にある秋津・沼山津(あきつ・ぬやまづ)地区。
熊本市の中心部から東へ車で15分ほど。大きな被害を受けた益城町との間にあります。
地区の南には広大な水田が広がり、
地震の前は、この地で何代もコメを作り続けてきた農家が軒を連ねていました。
また、熊本市の中心部に近いことから、アパートやマンションも点在しており、
後から引っ越して来た方も数多くいます。

 

秋津・沼山津地区は地震の被害が大きく、多くの建物が倒壊し、亡くなった方もいます。
自治会長の福田聖司さんは、自宅が全壊。
それでも地区を離れず、自宅の敷地の一角に自費でコンテナハウスを設置して、
コミュニティの再建に向けて動き出しています。



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秋津・沼山津地区の中心部 左が全壊した自治会長の福田さんのお宅

「この地域のために身を尽くそう―」
福田さんがそう決意するきっかけとなったのは、
地震後、困難に直面する中で再発見した、
地区の人々の“絆”の力でした。


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町内放送で地区の人たちが求める“最新情報”を伝える自治会長の福田さん


実は、地震発生から数週間、秋津・沼山津地区の人々は、
深刻な支援物資の不足という事態に直面しました。
地区の中には3つの指定避難所がありましたが、
避難してきた住民全員が入れるキャパシティはなく、
指定避難所ではない公民館や保育園に逃れた人も数多くいました。

これが思わぬ事態を招いたと、福田さんは言います。
「全国から救援物資がたくさん届きましたが、
配布されるのは指定避難所と決まっていたため、
 指定避難所ではないところにいる人たちの手元には届かんかったとです」

さらに心配が募ったのは、認知症の親と同居している人や、一人暮らしの高齢者が、
「指定避難所に行ったら、みんなに迷惑をかけてしまうのではないか」
と気兼ねして、壊れた自宅に戻っていったという話を耳にしたことでした。

そんな中、まさに“救いの神”が現れてくれたといいます。
それは、自主的に東北や関東から、車で支援物資を運んできてくれた個人の方々。
そして、行政と情報交換を行いながら、独自のきめ細やかな支援に乗り出した
NPOの人たちでした。
ようやく手元に届いた、コメなどの食料や日用品。
福田さんたち自治会のメンバーは、メガホンを手にがれきの合間を縫って歩き、
「食料が届きましたよ!足りていない人は、遠慮せず受け取りに来てください!」
と呼び掛けていったそうです。

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メガホンで声をかけながら支援物資を配って回る福田さん


この時、もうひとつ“救いの神”となったのが、
地区の人々が口伝えで教えてくれる情報でした。
どこにどんな方がいるのか。支援から取り残されている人はいないか。
高齢者施設でボランティアをしていた住民や、地区の民生委員といった人たちが、
「あちらの人たちには、まだ情報が届いていない」
「あそこに行けば、指定避難所以外の人にも支援物資を分けてくれる」
など、細かな情報の提供や、NPOからの物資の調達に奔走してくれたそうです。

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支援物資を届けてくれたNPOセカンドハーベストジャパンのメンバーたちと


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仕事を失い現金収入を絶たれた中、暮らしだけでなく心も支えられたとのこと



この出来事の中で、福田さんは自分が暮らしてきた地区を、改めて見つめ直したそうです。
「地震の前は、新しく引っ越してきた人との付き合いは、ほとんどなかったです。
物資が届かなくて困っていたのは、そうした引っ越してきた方が多かった。
中には1週間、温かいご飯を食べられなかったという人もいました。
今回の地震は本当にひどい出来事でしたが、たくさんの人が力を貸してくれました」


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秋津・沼山津地区では、いまも自宅での“軒先避難”を続ける方が多い

 

沼山津地区の公民館は、奇跡的に全半壊を免れました。
いま、福田さんたちは、24時間、公民館を開放しています。
誰かと話をしたくて立ち寄る人。
自宅が壊れトイレを借りに来る人。
ヨガ教室などこれまでの公民館での活動も再開させ、
公民館は地区の人々の心の拠り所になっています。


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被害を免れた地区の公民館 ここに来れば誰かと会えて話ができる


取材の最後、福田さんは私にこう語りました。
「地震の直後の一番大変なとき、外の力はあてになりませんでした。
 これまでの顔の見知った地区の仲間と、
その先にそれぞれつながっている、後から引っ越してきた人たち。
その“関係”が、危機に直面した中で“絆”になりました。
そんな支え合いがあったからこそ、いまこうして過ごすことができています。
地区は壊滅的な被害を受け、今後、どれだけの人がここに留まるのかわかりません。
それでも、新しく生まれた地区の“絆”をみんなで育てていきながら、
もう一度ここを、子どもや孫たちに誇りと思ってもらえるような
すばらしい場所にしていきたいです」

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暮らしの再建はまだまだ途上 福田さんたちはいまも支援物資の配布を続けている


いざというとき、命を守り、暮らしを支えるためには、どうすればいいのか。
かけがえのない大切な“力”が、地域の中にはたくさん存在していることを、
秋津・沼山津地区の方々との出会いが教えてくれました。

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