放送に関する世論調査

「テレビを見ること」の近景

朝起きるなりテレビをつける、家に帰るなりテレビをつける、人々の身体にすっかりなじんでしまっている「テレビを見ること」とはいったい何なのだろうか。過去の調査結果の知見や欧米の視聴理論を洗い出し、ふだん「テレビを見ること」について、遠・中・近距離からとらえるべく「自分の家で見る」「他のことをしながら見る」「一瞥として見る」の3つの特性を導き出し、グループ・インタビューを重ねた。

「テレビを見ること」の遠景とは、自分の家で見ることであり、それぞれの家庭の多層的な意味に組み込まれた形で「テレビを見ること」が進行するということである。同時に家でテレビを見るということは、さまざまなほかの生活上の活動と渾然一体となって、そこに独自の生活の流れが誕生しているということである。これが「テレビを見ること」の中景である(詳細は本誌2005年6月号)。 残る近景について知るために、人々がテレビで何をどう見たのかを一般論ではなく、その時の経験に即して語ってもらったところ、語られたのはニュースの項目やドラマのストーリーなどよりも、「山手線の架線のおもり」「落としたチャーハン」「松の実さし」といった印象に残ったシーン、つまり生活上のさまざまな活動のなかで身体が一瞥したものについての語りが多かった。 「自分の家で」、「他のことをしながら」見るということは、家庭の社会的、文化的な背景や、他の生活上の活動の意味が混合しながら、この一瞥の意味の生成に関与してくるということである。つまりテレビへの一瞥においては、仏の思想家R・バルトのいうところの、明解に話すことのできない「鈍い意味」が多様に生成し、それらが、テレビテクストとして多層的に織り成されていく。また「テレビを見ること」を語ることには、その場の状況や語っている人の生活観などの制度的な枠組みが反映したり、ある特定の意味への方向付けが与えられたりすることがある。

主任研究員 白石信子