メディアフォーカス

FCCパウエル委員長,任期残し辞任へ

FCC(米連邦通信委員会)のマイケル・パウエル委員長が1月21日,3月で辞任することを発表した。2001年2月の就任以来,規制緩和を旗印にFCC の舵取りをしてきたが,2007年まである任期半ばでの退陣である。父親のパウエル国務長官の後を追って,第二次ブッシュ政権を去ることになる。

氏自身は,その辞任の理由を明らかにしていないが,1996年電気通信法で示された規制緩和をさらに推し進める形で改定した2003年6月のメディア所有新規則が頓挫したことが大きな理由だろう。新規則では,1社が全国で所有できるテレビ局の視聴世帯到達範囲の上限を,35%から45%に引き上げて,ネットワークの直営局の強化をはかった。また1市場で1社が所有できるテレビ局の上限をこれまでの2局から3局まで増やした。さらに1975年以来禁止されていた新聞と放送の相互所有に,再度,道を開こうとした。

しかし,メディア監視団体や消費者保護団体などが新規則に強く反対し,施行を食い止めるため集団訴訟を起こした。ネットワークがさらに巨大化することを恐れ,また複数局所有や放送局と新聞社の相互所有が強まれば,それだけ,地域の「声」の多様性が失われることを懸念したのである。逆に放送や新聞事業者は,さらなる緩和を求めて訴訟を起こした。一方,選挙が近づいていたこともあり,連邦議会は市民グループの懸念に共鳴した。パウエル委員長が頼みとした共和党も規制緩和の行き過ぎを恐れた。結局,議会は2004年1月,1社が所有できるテレビ局の全国視聴世帯到達率を,FCCの決めた45%への引き上げから 39%に下げて立法化した。すでに上限を超えていたFoxやCBSは直営局を売らずにすむが,それ以上の肥大化は認めないという判断だった。2004年6 月,フィラデルフィア連邦高裁はその判決で,この視聴世帯到達上限を除くほぼすべての新規則を,より合理的な理由づけを求めて差し戻した。2005年1月 25日,連邦機関が訴訟で敗れたときに最高裁に審理を申請するか否かを決める司法省訟務局は申請しないことを決め, 氏は万策尽きた。

一方氏は,在任中,放送のデジタル化に向けて指導力を発揮した。2002年に発表した地デジ放送を中心とした放送デジタル化のためのガイドラインは,各業界にデジタル化の具体的プラン作りを迫ったもので,氏の指導力と意気込みを示した。また,ブロードバンドの普及に向けた取り組みでも種々の成果をあげた。また氏は,メディア所有規制の雲行きがおかしくなる中,スーパーボウルでの女性歌手の胸部露出放送問題をきっかけに「下品な番組」に戦いを挑んだ。しかし,何を下品とするかという明確な基準のないまま相次いで多額の罰金を命じたため,放送事業者からは氏に対する不満の声が高まっていた。

氏は最後の仕事として,放送事業者が望んでいたデジタル・マストキャリーに決着をつけると伝えられる。テレビ局にとって,デジタル放送をすべてケーブルテレビが再送信しなければ,多チャンネル放送やデータ放送は難しくなる。が,ケーブル事業者は,「言論の自由」を盾に,何を放送するかの選択は自分たちに権利があると反対してきた。FCCを悩ませてきた課題に,パウエル委員長がどう結論を出すのかが注目される。

池田 正之