そばのメニュー
2008.06.01
そろそろ、そばの種まきの季節です。今回はおそば屋さんのメニューについて考えてみましょう。
そばのメニューをことばの成り立ちから見ると、大きく2つに分けることができます。
一つは、「そのものずばりタイプ」、もう一つは「しゃれタイプ」です。
「そのものずばりタイプ」は「天ぷらそば、わかめそば」など、いわゆる「種物」と呼ばれている、おそばの上に何かが乗っているもの、その名前を付けたメニューです。
「ざるそば」「せいろそば」などはそばが載っている容器の名前を付けたもので、どちらかというと「ずばりタイプ」です。
もう一つの、「しゃれタイプ」は、乗っているものそのものではなく、何となくしゃれを利かせた命名です。
「おかめ」や「タヌキ」が乗っているわけではないのに、「おかめそば」「たぬきそば」というたぐいがそうです。
このほかに「変わりそば」という種類があります。
「茶そば」や「ゆずそば」などの、そばそのものに風味を練り込んだもので、ほとんどが、そのものずばりの名付け方です。
江戸時代の終わり頃に書かれた『守貞謾稿』という本があります。今は『近世風俗史』という題で文庫本にもなっていますが、江戸時代の生活ぶりを実によく記録してある本です。これによりますと、丼鉢に盛るのは「かけ、天ぷら、花巻、しっぽく、あられ、なんばん」とあって、「小田巻は大茶碗にもる、蒸す故なり」と書いてあります。
なじみのないメニューもありますが、花巻そばというのは、岩手県の花巻とは関係が無く、「のりは磯の花」という意味でかけそばの上に焼きノリを揉みちらした種物で、薬味はわさびを使ったようです。
名前にしゃれを効かせたメニューと言えます。
「しっぽく」というのは、長崎の郷土料理にしっぽく料理というのがありますが、それと同じで、いろいろな種類があるという意味で、江戸時代の五目そばですね。これは元々はうどんの種類で、上に、鶏肉、厚焼き卵、麩(ふ)、湯葉、しいたけ、かまぼこ、三つ葉、ノリを置くという豪華版です。
これはさすがに上にのせるものが多いために、普通の丼ではなく、大平椀(おおひらわん)という口の大きな少し平たい椀で出した店もあったようです。
このしっぽくそば、今はほとんど見ませんが、そのあとに出てきた「おかめそば」に追われ、消えていきます。
「おかめそば」の名前の由来は比較的はっきりしています。幕末に、今の台東区根岸で開業したおそば屋さんが考え出したことがわかっています。
上に並べる具の配置が、おかめ・ひょっとこの面の顔を連想させるからという理由です。
湯葉を真ん中で結んでリボンのようにしたものを丼の上の方(奥の方)に置きます、これは髪に見立てたという説と両目だという説があります。
そして、真ん中には松茸(たけ)の塩漬けを鼻に見立てて置きます。かまぼこ二枚を松茸の両側に下膨れの顔になるように置いて、三つ葉などの青みや卵焼きで口や襟元を作る店もあります。
この湯葉が一番上にあるのが江戸の決まりだったようです。戦前までは湯葉の下に海苔を置いて、黒髪を強調した店もあったそうです。
手のかかった、そして、福を呼び込む顔に見立てるという本当にしゃれた名前の付け方だと思います。
江戸のことばの特徴として、このようにしゃれを大切にしたものの言い方があります。
「しゃれタイプ」の品書きには、今はほとんど無くなりましたが、「あられそば」というのがありました。
熱い汁を張ったそばの上にのりを敷いて、その上から青柳(バカ貝の貝柱)をそばの汁で煮たものを散らす種物です、黒い地面にあられが散ったような風情があったと言います。
これも手がかかるのと、貝柱の値段が上がったために姿を消してきたようです。
私たちになじみが深い、キツネとタヌキはどうして名前が付けられたかを見てみましょう。
キツネはご存じのように、油揚げを甘辛く煮たものが乗っています。
同じ油揚げを使ったものには、稲荷寿司(いなりずし)があります、油揚げは、稲荷神社のお使いであるキツネの好物ということで「キツネ」と名前が付けられたという説があります。
「キツネそば」は昔は、信田といわれていたこともあったようで、文化11年の落とし咄には「信田あるか。熱くして一つおくれ」というセリフがあります。
大阪の信田の森の女狐が阿部の保名と結ばれ子どもができるのですが、キツネの正体がばれて森に帰るという伝説があり、これから信太(しのだ)ずし、信田そばの名前ができました。
もう一方の「タヌキ」ですが、これは少しややこしくて、大阪などではきつねうどんのうどんをそばに変えたものを「きつねそば」といわずに「タヌキ」と言うことがあります。京都では、きつねうどんのあんかけを「タヌキ」と言うことがあるそうですが、私はよく知りませんので、そういう説があるということでご紹介しておきます。
いわゆる揚げ玉をちらしたそばを「タヌキ」というのは、揚げ玉の色がタヌキの毛色を表しているという説と、「天ぷらのタネ抜き」つまり「タヌキ」だという説があります。
今あるファストフードの店では「ハイカラうどん」といって揚げ玉を入れたうどんを出すところがありますが、これは大正時代から昭和の初めにかけて使われていた名前です。
キツネがさきにあったのは確かなようで、キツネとタヌキはおそば屋さんでは、やはり良いコンビなのかもしれません。
最近は、食べ物の名前の付け方では「しゃれタイプ」が少なくなり、「そのものずばりタイプ」が増えてきたのは、便利なようで、うるおいが少なくなってきたような感じを受けます。外国の人に食べ物を説明することを考えると、「ずばりタイプ」のほうが翻訳しやすいのですが、「おかめそば」「きつねそば」を説明しようとすると大変です。なにしろ江戸時代や、それ以前にまでさかのぼって、伝説や風習まで説き起こさなければならない、通訳の人は大変かもしれませんが、おそばの名前一つにも、私たち日本人の長い文化や伝統が反映しているということを少しは思い起こしても良いのではないかと考えています。