ことばウラ・オモテ

「誤爆」と「誤射」

イラク戦争が戦闘終結宣言をもって終わり、戦争関連ニュースが少なくなったのは同慶の至りですが、一連のニュースの中で気になることばがありました。

「アメリカ軍による『誤爆』」という表現です。

文字通り、「誤って爆撃した」ということですが、「誤って」とはどういう事でしょうか?

「狙ったところでないところに爆弾が落ちた」ということに疑問がわきました。

「狙ったところを爆撃できれば問題がない」という考えが根本にありそうです。

ところが、軍事虐殺技術が発達する以前は、「絨毯(じゅうたん)爆撃」「焦土作戦」などのことばが示すように、「見境なく爆弾を投下する」ことが中心でした。

爆弾や砲弾が目標を破壊できるかどうかは、「命中率」といわれますが、アメリカの専門家は「CEP(Circular Error Probability=半数必中界、円形公算誤差)」という尺度を使っています。投下(射撃)した半数がどの範囲におさまるかを目標からの半径で示すものです。

この半径は、旧来型の方法では爆弾の場合2,3百メートルとされていました。ベトナム戦争以前は「数撃ちゃ当たる」という軍事思想だったと言えます。

それが、テレビ映像やレーザーを使う電子化された兵器では、半径3,4メートルと極度に狭くなりました。

「狙いたがわず」が可能になってきたわけです。

軍事の効率化の時代に入り、「目標をはずす」という表現が初めてできるようになったわけです。しかし、攻撃前に病院を軍事施設だと誤って思いこんでいれば「誤爆」は当然起こりえます。

そういう意味でも「情報戦」の時代になりました。

爆弾が破裂すれば人間や施設を殺傷破壊することに代わりはありませんし、「百発百中」などはあり得ません。

人を傷つけるための軍事技術の発展と、一般の技術の発展を同一の物差しで測って良いのでしょうか。

「大量破壊兵器」と「目標限定破壊兵器」の間に大きな違いがあるのでしょうか。

大量の放射性降下物を生じる「ダーティボム(汚い爆弾)」という核兵器があります。逆の意味のことば「クリーンボム(きれいな爆弾)」も核兵器に違いはありません。

「誤爆」「誤射」ということばの陰にどこか「百発百中が当たり前」「効率のよい破壊」という考えが入り込み、人命の軽視、戦闘の正当化などが起きなければよいがと思います。

(メディア研究部・放送用語 柴田 実)