最近気になる放送用語

「~たり~たりする」?

「~(し)たり…」と一度言ったら、そのあとも必ず「~(し)たり」としなければならない、と聞いたことがあります。「たり」は単独では使えないのでしょうか。

「~たり~たりする」という言い方ができる場合には、後ろの「~たりする」を省くと、据わりのよくない言い方になる場合があります。ただし例外も多いので、いろいろな言い方を吟味しながら、その場に一番ふさわしい表現を見つけるようにしましょう。

解説

まず、「たり」が単独で表れることはよくあります。例えばこのような言い方です。

   ご飯を食べたりする時間もない。

ここで、「~たりする」となっているところに注目しておいてください。この形なら、単独で使っても問題はないのです。

また、この文には、頭のほうに「~たり」を並べて「例示」を増やすことができます。

   トイレに行ったり、ご飯を食べたりする時間もない。

   テレビを見たり、トイレに行ったり、ご飯を食べたりする時間もない。

ところが、最後の「~たりする」を省くと、少々ぎこちない言い方になります。

   トイレに行ったり、ご飯を食べる時間もない。

このようなことから、「~たり」は単独では使えない(ただし「~たりする」なら単独でもOK)というように言われることがあるのです。

では、次のような表現は「間違い」でしょうか。

「愛にはぐれたり 淋しさが涙に負けそうな時は 思い出して みんな ひとりきりじゃないと」(菊池桃子「Say Yes!」1986年)

「去年の暮、僕の旅行中、Tという人の使いというのが来て、(中略)十五分もねばって、部屋の中をのぞいたり、うろつき廻って、女中を困らせた人物があったそうだ。」(坂口安吾「西荻随筆」1949年)

「心なしか、お母さんは少しやせて、お肌もここしばらくの真っ青だったり荒れている感じよりも若返っている気がした。」(よしもとばなな「もしもし下北沢」2009年)

1番目の例は歌謡曲の歌詞、2番目と3番目は作家が書いたものです。いずれも「…淋しさが涙に負けそうだったりする時は」「…うろつき廻ったりして」「…荒れたりしている」とはなっていません。ですが、1番目の歌のメロディーをご存知の方ならわかるかと思いますが(ぼくと同世代ですね)、これでは曲になりません。また文学作品でも、表現上の効果などから「~たりする」が使われていないものがたくさんあるのです。

「日本語では『~たり~たりする』という形になる傾向がある」というように覚えたりしておく程度が、無難なのではないでしょうか。

(メディア研究部・放送用語 塩田雄大)