放送現場の疑問・視聴者の疑問

生々しすぎる「おぼれ死ぬ」の語感

水の事故で「おぼれ死ぬ」「おぼれ死にました」という言い方を耳にすることがあります。「おぼれ死ぬ」の語感が生々しすぎる気がしますが・・・。

ご指摘のように生々しすぎるので、これを避ける意味でも放送では「おぼれて死亡しました」など、ほかの表現・言い方をするようにしています。

解説

「おぼれ死ぬ」は、名詞形の「おぼれ死に」から生まれたとみられる動詞形のことばですが、ほとんどの国語辞書は「おぼれ死に」のみを見出し語の項目として採っています。私が中国地方で新人記者時代を過ごした昭和40年代初めから中ごろにかけては、瀬戸内海や中国山地の湖沼や河川で起きた水の事故を伝える際、「おぼれ死にました」という言い方もしていました。この表現に対し、「語感上の印象が強く生々しすぎる」「一般的な言い方ではない」と指摘する視聴者からの電話を、私自身が直接受けたこともあります。同じような指摘が視聴者や放送の現場から寄せられる中、昭和48年9月の第793回用語委員会で、「おぼれ死ぬ(おぼれ死にました)」という言い方について審議しました。その結果、この表現は避けて、場合(事情・状況)に応じて「おぼれて死亡しました」など、ほかの表現を使うことを決めています。その理由は(1)「おぼれ死ぬ」という言い方は慣用が熟していないこと、(2)端的に表現しようとすると使いたくなることばであるが、生々しい言い方であり、これを避ける意味でも使わないほうがよい、というものです。

(『ことばのハンドブック』P31、P88参照)

(メディア研究部・放送用語 豊島 秀雄)