高層ビルのエレベーターで女性2人と乗り合わせた。扉が開き1人が「開」ボタンを押してくれた。すると,もう1人の20代後半らしき女性が「おそれいります」と言ってコートをひらりとなびかせ去っていく。春風がさーっと吹きぬけた。実にかっこよかった。私はその景色に一瞬たじろぎ,「すみません」と言ってあとに続いた。ああ,なんてやぼったい。ことばをなりわいにしている者として,自分のことばのつたなさに情けない気持ちになった。
さて,「おそれいります」は,「恐れ入る」に「ます」をつけた表現で,感謝・おわび・依頼などをするときの丁寧なあいさつのことばだ。席を譲られたときにお年寄りがお礼を伝えるときや,ビジネス上のやりとりで見聞きすることが多く,どちらかといえば大人の表現というイメージを私は持っている。
ところが,あの女性は,まったく構えることもなく,ごく自然にさわやかに言ってのけた。
こんなことを思い出した。10歳ほど年下の容姿端麗な友人の話。彼女は「かわいい」とか「顔が小さい」と誰かにほめられたときには,「おそれいります」と言うことにしているのだそうだ。もし私がそんなことを言われたら「そんなことないですよお」と照れくささとうれしさがないまぜになった,中途半端な答え方をしてしまうと思う。彼女の考え方はこうだ。せっかくほめてくれたのだから素直に喜んでお礼のことばを口にしたほうが,言ってくれた人も気持ちがいいのではないか。そうかといって「ありがとうございます」では,はなから真に受けたようでおくゆかしさが感じられない。だから「おそれいります」がしっくりくるというのだ。控えめな姿勢を示しつつ,相手への敬意も込めて受け入れる。なんて気が利いているのだろう。言い方もあくまでさらりと軽やかだ。
もしかすると,「おそれいります」の使い方は微妙に変化しているのかもしれない。ことばの使い方は,社会のニーズによって,かっこいいものや使いやすいものが受け入れられていくのだと思う。
彼女たちの「おそれいります」は,細やかな心配りや感謝の気持ちを伝えるのに,今の彼女たちに合ったちょうどいい表現なのだろう。そのセンスのいいことば選び,おそれいりました。