シリーズ 戦争とラジオ〈第6回〉

国策の「宣伝者」として

~アナウンサーたちの戦争(後編)~

公開:2020年9月1日

前編では「淡々調」の誕生と、日中戦争期におけるその位置づけを見てきたが、後編では「淡々調」が「雄叫び調」に転換してゆく過程を考察する。
「帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」
この、太平洋戦争の開戦を告げる館野守男アナウンサーによる臨時ニュースこそが、いわゆる「雄叫び調」が誕生した瞬間であると、当時から主張されていたし、今日でも定説となっている。しかし、これが事実ではなく、いわば伝説にすぎなかったことは開戦前のアナウンサーたちの発言を注意深く見ていけばすぐにわかる。彼らは日米開戦の危機が迫った1941年夏以降、すでに「淡々調」を否定し、新しいアナウンス理論「雄叫び調」を模索していたのである。「雄叫び調」の誕生をめぐっては、なぜ、事実とは異なる伝説が必要とされたのだろうか。
本稿では、「雄叫び調」が誕生する背景には軍からの強い要望があったこと、アナウンサーたちにとってそれは受け入れがたいアナウンスであったこと、そして軍が要望する文字通りの「雄叫び調」とは異なる「雄叫び調」を生み出したことを論証する。軍の要望を内面化する、そのためにこそ伝説は必要だったのである。
「雄叫び調」は軍が求める「突撃ラッパ」のようなアナウンスではなかった。館野守男は「雄叫び調」を「情熱によって国民を捉え、其の感情を結集し、組織し、之を一定の方向へ動員」するアナウンスと定義した。それは、どんな成果を得たのだろうか。

メディア研究部 大森淳郎

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