2022年4月、東京の航空会社が、福井県の福井空港を拠点に、福井と国内のテーマパークなどを結ぶヘリコプター便を就航させる計画を発表した。県内は沸き立ち、NHK福井放送局など地域の報道各社も大きく取り上げた。
しかし、翌月以降、会社が必要な事業許可の申請すらしていなかったことが判明。取材に適切に応対しないまま、計画は宙に浮いた形となる。
NHKの担当記者は、自らの取材が不十分であったため、計画が実現するかのように誤解させ、視聴者の信頼を失ったのではないかと自責の念でいっぱいだった。そんな彼を見て、後輩のディレクターが提案した。「あなた自身が出演し、真相を追う番組を作らないか。このままにしてよいのか」と。
この番組とウェブ記事は同年12月に完成し、放送・配信された。
失敗をなかったことにするのではなく、自己批判を示す。そして改めて事実関係を取材するという報道のスタイルは、現在のマスメディアの“信頼”にとってどのような意味を持つのか。このケースを通じて考察する。
(メディア研究部 東山 浩太)
1-1.ヘリコプター便就航計画が宙に浮くまで
第1章では、ヘリ便の就航計画が宙に浮くまでと、それを伝えた報道の経緯を見ていく。
2022年4月27日、福井空港で、東京に本社のある「セレスティアル航空(以下、セ社)」の濱津昌泰社長が会見を行った。福井県が開いた空港活性化のための催しで、県知事や県幹部、県議会議員、自治体の長らが集まる中でのことだった。そこで発表されたのは、福井空港と東京ディズニーランド、大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパン、福井県立恐竜博物館(福井県勝山市)を結ぶヘリ便を就航させるという事業計画だった。

運航プランによると、まずは乗客6人のヘリ4機で、首都圏と大阪は1日2便、恐竜博物館は1日4便の運航とする。所要時間と運賃は首都圏へは片道80分あまりで2万2,000円、大阪へは40分あまり1万8,000円、勝山市へは5分で7,700円とするという。オンラインでの予約開始は5月1日とされた。
さらに県内にヘリポートを約20か所整備するなど、将来の事業拡大にも言及した。
県北部にある福井空港には現在、定期便は就航しておらず、防災ヘリやグライダー愛好家たちの練習場などに使われている。そこにヘリ便が就航し、軌道に乗って定期便化が実現すれば1976年以来、実に46年ぶりとなる。
福井から東京に行くには、特急と新幹線を乗り継いで3時間半はかかるが、ヘリでは半分以下の時間で済み、運賃も途方もなく高額というわけでもない。
これらの好条件を備えた“夢の計画”に、地元の活性化につながると福井県は歓迎の姿勢を示し、杉本達治知事も「わくわく、ドキドキしている」と期待を寄せる発言をした。
これを受けて、会見当日からほとんどの新聞・テレビがニュースとして大きく取り上げた。
ところが大勢の人に歓迎された計画がほころびを見せたのは、オンライン予約の受付開始日とされた5月1日だった。予約の受付が開始されなかったのだ。5月10日には新聞1紙が、セ社が国土交通省に対し、航空法で定められた事業許可の申請をしていないことがわかったと伝えた。
同社は翌11日にホームページで、当初の予定を延期して予約受付を7月ごろから始めると発表した。これを受けて報道各社は、事業が不透明になったことを伝えた。
その後、報道各社は5月17日の定例会見で、杉本知事が、会社の計画について「県がお墨付きを与えるという状況では現状も含めてない」と発言したことなどを伝えた。
7月になっても予約は始まらず、セ社のヘリは就航しないまま。セ社の動向を詳しく伝える報道は5月以降、ほぼなくなった。
1-2.NHKの12月の報道
セ社の持ち込んだ“夢の計画”の背景に迫り、課題を提起する報道が出たのは、4月から約8か月後の12月だった。NHK福井放送局が12月9日に配信したウェブ記事「ヘリコプターが飛ばなくて | NHK | WEB特集」と、12日に「ドキュメント20min.」で放送した同名の番組である。これらは異なる媒体で発表されたが、相互補完的な関係にある。
これらを構成するおおまかな要素を列挙する。
- Ⓐ当初、セ社の事業計画の実現性について疑いを抱かなかった担当記者が、一人称で番組や記事に登場し、自責の念を語ったうえで、検証取材を展開するまでのいきさつ
- Ⓑセ社の計画の実現性を、情報開示請求で入手した資料や関係者の取材をもとに検証する
- Ⓒ県や県内の有力者がなぜセ社に巻き込まれたのか、証言をもとに明らかにする
- Ⓓセ社の実態や狙いを、関係者に直接、取材することで突きとめようとする
次章からは上記の構成要素ごとに、番組と記事の内容を詳しく見ていく。それとともに取材・制作した記者とディレクターはどのように思考し、行動していたのか。筆者が2人からヒアリングした内容を紹介する。

2-1.つまずいた初期報道
12月の番組やウェブ記事の特徴は、内容面では「不十分な取材について記者が反省を示す」こと、形式面では「記者が取材のプロセスを一人称で語る」ことである。近年の国内のテレビドキュメンタリーでは、これら2つの特徴を兼ね備えたものを筆者は見ない。
2章では前述Ⓐ、なぜ番組や記事がこうしたものになったのかについて経緯を見ていく。
一連のセ社の動向について取材を担当したのはNHK福井局記者の宮本雄太郎だ。2010年に入局し、札幌局や東京・経済部を経て、2021年に福井局に赴任した。

宮本記者は自らの当初の取材が十分ではなかったと自覚している。ひとえに4月27日、セ社の濱津社長の会見内容に疑問を感じることなく、記事を書いたためだと言う。過去、北海道・新千歳空港を担当した経験もあった。だが、会見で「有償で、ヘリを使って人や貨物を運ぶ航空運送事業の許可は国交省から下りているのか」との点に疑念を持たず、質問することができなかった。彼を含めて1人でもこの点を確かめ、未申請であることを引き出していれば展開は異なっていたかもしれない。
ウェブ記事には“夢の計画”がほころびを見せた際の気持ちが直せつにつづってある。
「新聞に衝撃の記事が載った。『福井発ヘリ運航せず セレスティアル航空 許可未申請』。血の気が引く思いがした」
「4月に報じたニュースは、インパクトもあり視聴者の反響は大きかった。事実と異なる情報ならば、大きな誤解をまねいたことになる。私は焦っていた」
「会社の発表をうのみにしてしまった自責の念も消えなかった」
なぜこうした結果となったのか、当時の状況を宮本記者に尋ねた。
「会見の前から、県庁を探っていると、近々、空港関連で大きな発表があるとわかってきて、当日は各社ともに前のめりの雰囲気がありました。ヘリ便の就航を県知事が歓迎する発言も出ていましたし、会見には県庁の幹部も同席していた。公的な人たちが同席している場で行った社長の発言に対して、うそはないだろうと思い込んでしまったんです。まさか、許認可の申請さえしていないとは思いもしませんでした」
4月27日の社長会見のニュースの後、航空愛好家らはさっそく計画に関する疑問の数々をTwitter(現・X)に投稿していた。インターネット上で国交省のリストを閲覧してみたところ事業許可が下りていないようだ、といった具体的な指摘もあった。
ヘリは実際に飛ばないし、Twitterの指摘も気にかかる……大型連休明けには宮本記者も他社も焦りだした。事業計画の変更を続報として出すには会社への裏取りは欠かせない。しかし、会社のウェブサイトに記された番号に電話をかけても、一向につながらなかった。最も焦ったのは先述した5月10日、許可申請が出されていないと新聞に掲載されたときだったという。
「実は、記者会見の際、社長と名刺交換をしていなかったんです。切らしたと先方が言うので、確認用に名札だけを撮影しました。私は名刺を渡して、連絡してくれるよう依頼したんですが来ませんでした。あとで取材先から彼の名刺のコピーを入手したところ、メールアドレスが記されていました。それから電話に加えてメールで連絡をしたんですが、応答がなく、焦りました。各社、同じような状況だったので、最終的には県に談判して、県が会社に連絡を取りました。すると会社のウェブサイトに『予約の受付をことし7月ごろから始める』と発表があったので、『事業が不透明になった』と続報をようやく出せた格好でした」
記者となって13年目。経済部で企業取材にあたっていたうえ、福井では若手に取材の範を示すべき立場であるのに、取材の基本中の基本を怠る失態をおかした。何より、視聴者に誤解を生じさせるニュースを伝えてしまった。事の重さに宮本記者は自分を責めずにはいられなかった。
そんな状態の彼に声をかけたのが、同じ福井局の後輩、大川祐一郎ディレクターだった。何が起きているのか関心を持っていた。宮本記者はいきさつを話し、心情を吐露する。「俺、やっちゃった……」。そこで大川ディレクターは即座に提案する。「宮本さん自身が出演して、真相に迫っていくドキュメンタリーを作りませんか。このままにしてよいのですか」。

2-2.なぜ一人称ドキュメンタリーか
大川祐一郎は、2011年に記者として入局し、青森局から東京・経済部を経て、ディレクターに転じ、福井局に赴任していた(現・報道番組センター勤務)。宮本記者とは経済部時代に同じ省庁を担当していたこともあり、気心が知れた仲だった。
大川ディレクターは、なぜ一人称ドキュメンタリーの制作を提案したのか。狙いがあった。
「僕はもともと、取材者自身が『私』として番組に登場し語っていく一人称のドキュメンタリーをやりたかったんです。なぜかというと、取材者である『私』が、番組のテーマをなぜやりたいのか、動機がはっきり示せると思うからです。何か問題が起きて、それを第三者の目線で描くものもいいけれど、取材者の行動の動機や問題意識を共有したほうが、視聴者により内容が伝わる場合もあると考えています。番組に集中、没入してもらえるんじゃないかって」
「今回、宮本さんは初動の取材につまずき、視聴者に対する申し訳なさで、自責の念に駆られていました。つまり強い動機を持っていたんです。真相を追及して、視聴者の信頼を取り戻したい、と。すぐに、宮本さんが『私』として動機を明かし、取材に臨むドキュメンタリーを思いつきました。見る側も『私』に気持ちを重ねることで、展開を追いやすくなると考えました」
大川ディレクターは、番組の中で、「私」=宮本記者の心情の移ろいとともにセ社の問題追及のプロセスを描くことを志向していた。
この思わぬ提案に、宮本記者はしゅん巡した。恥の上塗りになるのではと考えたという。
一方で、もともと、彼自身取材を続け、いつか事実関係を伝えたいという思いを持っていた。大川ディレクターの言う手法では、責任の所在が自分にあることが示せるし、自分で視聴者に対する説明責任を果たすことにもつながる。
結局、彼は提案を受け入れ、大川ディレクターはさっそく一人称ドキュメンタリーの趣旨を反映させた企画提案を書いた。NHKの番組の中では実験的な手法を許容するという「ドキュメント20min.」の番組枠を狙った。提案は7月に採択された。
3-1.“夢の計画”の検証
3章は前述Ⓑ、セ社の事業計画の実現性の検証についてだ。
“夢の計画”はそもそも実現可能だったのか。会社や県の発表がないため、調査報道として独自に検証しなければならない。そのために事業の関連資料を収集し、確認していった。先に述べたTwitterの情報に有益なものもあり、資料収集などの参考になったという。
まず、国交省や県に情報の開示を請求した。入手した文書から、セ社の実態のなさが次々と明らかになった。会社は4月の会見で、自社が所有するヘリで運送事業を行うと説明していた。しかし、県に提出された資料に記載されたセ社が使用するとしていたヘリの機体記号(番号)を、国交省の「航空機登録原簿」という文書と照合すると、すべて別の会社が所有するヘリであることがわかった。
このうち、1機を所有する関東の建設会社に電話で確認すると、「ヘリは社員の移動のために使っており、他社が使うことはない」と答えた。セ社の存在すら知らないという。初めの資料提出の時点から実現性があったのか、疑わしかった。
4月以降、セ社が借りているという空港事務所を訪ねてみた。しかし部屋の中には何もなかった。管理者に尋ねると使われた形跡はなく、賃料も全く支払われていなかった。

3-2.運航プランの安全性にも疑問
続いて、ヘリ業界に詳しい現役パイロットに匿名を条件に取材に協力してもらった。運航プランに無理はなかったか、見解を聞くためである。

福井-東京間について、セ社の言う通り、片道80分あまりで結べるのか、航空地図を見ながら改めて精査してもらった。パイロットの男性は「計算上は可能だ」とした。しかし、福井と東京の間には北アルプスなど標高の高い山がある。運航するにあたっては、高度が高くなればなるほど気象条件が厳しくなるため、ヘリが毎回確実に飛べるかというと難しいと思う、と指摘した。
さらに同区間で会社の提示した80分あまりで乗客6人、1人2万2,000円として合計で13万2,000円という運賃について、「信じられなかった」と述べた。60分あたりの単価が、業界の相場の半分あまりにすぎないのである。パイロットいわく、運賃の中には航空機の燃料や保険代、人件費が含まれる。人件費にはパイロット、整備士などの費用も含まれるので、コストを大幅に下げると安全性が損なわれるおそれがある。安全な運航にはお金がかかる、ということだった。
もちろんセ社は事故を起こしたわけではない。大川ディレクターはパイロットの指摘に納得するとともに、次のように感じたという。
「頭をよぎったのは、当時、報道されていた北海道の知床遊覧船の事故です。会社が船の設備のメンテナンスに投資しなかったり、気象条件が万全でないのに運航したりして、多くの犠牲を出した。人を運ぶという事業を報道するには、安全の問題を踏まえたうえで詳しく実現性を確認する視点が欠かせないと思いました」
4.なぜ福井県は巻き込まれたのか――“地方の悲哀”
“夢の計画”は、実現できそうもなかったことが濃厚になった。2人は前述Ⓒ、「なぜ福井県はこのずさんな計画に巻き込まれたか」を明らかにしようとした。
取材に対して、県は、今回の就航計画に際して補助金を出したわけではなく、セ社の事業を詳細に精査する立場にはない、と話した。しかし、県の空港活性化に関係してくる会社であれば、どのような実態なのか、なぜチェックを徹底しなかったのか‥‥‥そうした疑問が湧きあがった。

宮本記者の取材で、県は4月27日のセ社の会見の前日には、同社が国交省の事業許可を得ていないと把握していたことが明らかになっていた。航空運送事業でなく、代理店業ならば、すぐ許可は取れるなどと言われたという。県も濱津社長の説明をうのみにしていた。
上記の図はセ社をめぐる関係者の立ち位置を示している。
複雑な実態を説明すると、4月27日のセ社の記者会見では、実は県のほかに「福井の空を語る会」という団体のメンバーも集まっていた。福井空港の活性化を目的とした任意団体で、県内の自治体の長や県議会議員が参加しており、県庁にも一定の影響力がある。取材によると、この団体の複数のメンバーが2021年の秋にはセ社に接触し、県に話を持ちかけていた。社長はこの団体の顧問に就いている。
同団体はなぜ県への後押しをしたのか。宮本記者は県や団体の幹部の証言を集めていった。共通するのは、地元・福井の現状への強い危機感だったという。
福井空港は滑走路の延長計画もあったが、近隣住民の反対などで頓挫し、1976年以降、定期便はない。2024年春には北陸新幹線が福井県敦賀市まで延伸する予定だが、恐竜博物館や永平寺など、駅から離れた観光地への交通の便がよくない。ヘリの定期便化とその事業の拡大はこれらの課題を一挙に解決する“夢の計画”に映った。そして団体はこれに飛びつき、持ちかけられた県も飛びついたという背景が見えてきた。客を呼び込み、地域の魅力を知ってもらうことで、ゆくゆくは企業誘致などにつなげ、経済の衰退に歯止めをかけたいという思いがあったのである。宮本記者は次のように述べた。
「団体に関してはヘリ誘致で実績をあげたいという思惑もあり、県と会社を仲介したわけですから、事態について責任があります。ただ、計画に乗ったのは、少子高齢化や人口減少が進む中、交通網の弱い福井県が埋没していくことへの危機感があったことは確かです。取材していくとこうした“地方の悲哀”ともいえる構造に突き当たったんです」
「重要なのは、こうした構造は都市部ではない地域なら、どこでも起こりえるだろうということです。自治体の補助金などを狙って、例えばデジタルや脱炭素といった分野でうまい話を持ってくる企業などがいるかもしれない。それが魅力的であればあるほど、一度立ち止まって調べることが必要なんだという思いを強くしました」
5.会社関係者へ直接取材
5章はいよいよ前述Ⓓ、関係者への直接取材についてである。
周辺で資料や証言を集めることのみならず、最終的には問題の当事者に接触して、事実関係をただす、言い分を聞くのは、調査報道において欠かせないプロセスだ。接触すべきは、東京・セ社の濱津社長とその周辺だった。番組の撮影自体は10月に始まり、11月7、8日に東京でのロケ撮影が行われた。
なかなか社長の所在がつかめず、最終的にセ社の本社を訪ねると、3階建ての小さなビルだった。同居している別会社の会長に尋ねると、ここにセ社の実態はないと言われたものの、事務所の奥には同社の役員がいるということだった。この人物に取材を申し込んだが、応じなかった。

番組・記事では盛り込まなかった話だが、2人はビルの外に出て、役員が出てくるのを7、8時間待った。役員はブラインド越しに彼らを見ていたという。そこへ、半年以上、接触を試みても何の反応もなかった濱津社長からメールが届いた。役員から社長本人に連絡がいき、反応があったのだろうと推察される。やはり会えなかったとしても、取材対象者を直接訪ねることの大切さを痛感したという。
社長からのメールには「年内に準備を整え、ヘリ就航を目指す」という趣旨が書かれていた。とはいえ、実現の根拠の説明が乏しかった。そこで、就航延期の理由や実現の根拠などを聞くべく、改めて彼にインタビューをメールで申し込んだ。5日後、受けられないとの返信があり、代わりにA4サイズ10枚分の回答が添付してあった。

国内外での会社の実績と称する説明に枚数が割かれていたが、肝心の福井空港で事業許可を申請しなかった理由などには触れられておらず、質問に対する明確な回答は得られなかった。最後に、社長の私感として、このようなコメントが記されていた。
「弊社事業に期待を抱いた方。基本的に他人が行う事業に期待を抱く方はご自身のご都合で期待するだけで、その方々に対して特別のコメントは御座いません」
取材した2人は、このコメントからは地方の切実な期待に対する理解や責任を感じられないと受け取り、がく然とした。
一連の取材は時間切れとなり、セ社の本当の思惑や実態までは明らかにできなかった。しかしこのコメントを引き出せたことで、その一端に迫れたのではないかと感じているという。
6.取材・制作を通じて――2人の受けとめ
これまで、番組とウェブ記事を通じて、取材記者の自責の念を土台に“夢の計画”の実態に迫るプロセスを見てきた。2人に改めて、一連の取材・制作やアウトプットの受けとめを聞いた。
ディレクターの大川によれば、番組では記事に比べると、取材の不足によって打ちのめされている宮本記者の様子を明示的に表現できなかった。宮本記者が自責の念を吐露した当時はカメラを回しておらず、映像や音声の材料が足りなかった。しかしそうであっても、彼が再び取材に乗り出す動機につながる部分は伝わるよう描いたという。
例えば、番組は濱津社長の会見の場で、宮本記者が積極的に質問をして答えを引き出しているシーンを、音声も交えて伝えている。視聴者は彼が結果的に計画の真実味を増すことに加担したことが了解できる。のちに宮本記者の自責につながる重要な場面である。
大川は、番組について次のように受けとめているという。
「全国メディアの強みって地方の取材網でニュースをキャッチし、そこに普遍的なものを見つけ、全国に伝えられることかと思います。今回もローカルで起きたことですが、そこだけにとどまらず、企業につけ込まれる地方の悲哀の構造を描くことで、同じような構造を持っている全国のほかの地域に警鐘を伝えられたのではないかと思っています」

宮本記者は「偉そうなことは言えません」と何度も断りながら、次のように述べた。
「県内の私たちマスコミや行政、影響力のある人たちは計画に乗ってしまったわけです。それが頓挫して……それを検証しないままになりそうな雰囲気を少なくとも私は感じました。そしてその雰囲気にあらがいたかった。私たちのような『外から来たけれど、福井県民でもある』、というしがらみのない立場だからこそ検証を行うことができた側面はあると思います」
「私たちマスコミはこの計画について、大きく騒いで、真実味を増すことに加担したわけですよね。そして結果的にミスリードを招きました。そのことをなかったことにするよりも、きちんと自分の反省を伝えたうえで取材し、結果を示したほうが、まだ視聴者に対して誠実なんじゃないかと考えるようになりました。失敗をしないことが一番ですが……」
実際、確認できる限りそれまでの県内の主な報道各社の報道を見ると、県議会でセ社への対応について県に質問がなされたという6月の小さな記事を最後に、セ社関連の報道は途切れている。また、県庁や議会でも、セ社の問題について本格的な検証を行った形跡はない。
宮本記者の発言は、現場の一記者の実感として、マスメディアのあり方について重要なことを示唆している。普段、正確な情報を伝える役割を果たすと標ぼうしているマスメディアは、いざ、伝えた内容のほころびが露見すると、なかったことにしがちだ。つまり説明責任を果たさない。その言行不一致の違和感について述べているのである。

7-1.考察 「私」で語る意義
最終章は、これまで見てきた取材・制作者の実践について、どういった意義が見いだせるのか、筆者が考察するものである。2点に注目する。まず1点目は、番組や記事内で、取材プロセスを取材者=「私」が語っていることについてだ。
実際に番組ではどうだったかを見る。大川ディレクターは「取材プロセスを取材者=『私』が語る」ことを通じて、「取材者の取材動機を視聴者と共有し、番組の訴求力を高める」というねらいを語った。今回のケースでは、その効果はあったのではないか。
報道番組を見るとき、なぜ番組が労力をかけて社会的な問題を取材しているのかをあまり深く考えることなく、なんとなく「みんなにとって深刻な問題だから懸命に取材しているのだろう」という前提=「お約束」のもと、観ている人がいるように思う。筆者が見たところ、取材者の思いを想像させる時間を割いている番組は決して多くはない。
「ヘリコプターが飛ばなくて」は違う。セ社の件は、公的な問題だが、その公的なことが実は宮本記者という「私」にとってもいかに切実なことか、視聴者が了解しやすいような作りにしてある。失敗の過程を透明化し、セ社の真相を究明することでしか、自分やNHKの失地を回復できないという彼の内発的な取材動機を明かしたからだ。こうした「お約束」を超えた作りは、視聴者への訴求力を高め、硬いテーマの内容でも視聴者を集中させてくれる。このように「取材のプロセスを取材者=『私』が語る」という手法を採用することは、伝わりやすさを生む効果があったように筆者は考える。
一方で、社会問題を描くうえでこれが最適ということではないだろう。「私」の問題に還元できない課題は幾多もあるし、複雑な課題を「私」の物語で矮小(わいしょう)化してしまうおそれもあるからだ。「私」語りはケースを選んで使うことが肝要かと思われる。
また、ドキュメンタリストの故・牛山純一の考えでは、取材者の主観かもしれない事実を客観的なものに変換するためには、報道で「だれが、いつ、どこで取材したか」「どのようなプロセスで取材したか」を明示することが最低条件となるという1)。筆者としては当局の情報に依拠しない調査報道で客観性を担保するには、特に重要な視点かと考える。
番組ではこの視点をどこまで意識して、取材者=「私」が取材プロセスを語る手法が使われていたのか、よくわからなかった。
7-2.信頼を取り戻すための自己批判
注目する2点目は「ヘリコプターが飛ばなくて」のテーマが、「マスメディアが失った信頼を取り戻す」であることだ。そこでの重要なポイントは、自らの初動取材の失敗を前面に出して自己批判をしているということである。自己批判は説明責任を果たすことにつながる。
普段、他者の間違いを追及する、隠していることを明らかにすることが、マスメディアの役割と称しているのに、ミスリードを疑われるときは「素知らぬ顔で報道を続けている」と感じる者は、(実数ではないが)ソーシャルメディアをのぞいても決して少なくない。このダブルスタンダードへの不満や不信が、人々がマスメディアを指して「マスゴミ」との罵声を浴びせる大きな要因の1つであると考えられる。
今回のケースを調べていくと、先に述べたように、現場でもダブルスタンダードへの違和感を覚える取材者がいるということがわかった。
「ヘリコプターが飛ばなくて」は、これまで見てきたように、番組や記事内に「私」という自己言及的な語りを導入し、自己批判を行っている。
自らの報道に結果的にせよ過ちや不作為があったならば、それらについて自己批判的な表現を通じて説明責任を果たす。そして再び取材に臨む――その姿勢を地域からでも示し、積み重ねることが、失われつつある受け手との信頼関係を少しでもつなぎとめる方策の1つではないか。
もし、自らの取材を突き放す勇気を持たず、受け手目線で対応をしない状態を放置すればどうなるか。さまざまなケースで、受け手はますますダブルスタンダードを敏感に察知し、厳しく糾弾し、マスメディアを遠ざけるおそれが広がる。「ヘリコプターが飛ばなくて」はそのことに警鐘を鳴らしているように思うのである。
<注釈>
1)武田徹(2017)『日本ノンフィクション史』(中央公論新社)、P167