文研ブログ

メディアの動き 2020年06月12日 (金)

#254 感染者や医療従事者等が追いつめられない社会を~放送は何を心がけるべきか~ ⑴「放送局が当事者になった時」

メディア研究部(メディア動向) 村上圭子

 

 ここ数か月の間に、手洗い・マスク・ソーシャルディスタンスの3点セットは社会生活におけるエチケットとなりました。ステイホームをいかに快適に過ごすかが人々の関心事となり、クラスター化しやすい場所に行くことはリスクある行為だという認識も広がってきました。“自分を守ろう・社会を守ろう”というメッセージを日々放送し続けるテレビやラジオは、こうした個人や企業のリスク管理の浸透に少なからず寄与していると思います。接触追跡アプリの実用化、検査体制の整備などの動きもあり、迫りくる感染の第二波に備える準備は進んでいるように見えます。

 しかし、感染者に対する「社会のまなざし」についてはどうでしょうか。新型コロナに感染した人はこれまで、地域社会では噂を広められ、ネットでは実名がさらされ、リアルでもバーチャルでも追いつめられてきました。ひとたび感染が確認されると、その人は確認前の2週間の行動に問題がなかったかを徹底的に問われ、少しでも問題があったら責められ、かりに問題がなかったとしても、社会や家族に迷惑をかけてしまったと自分自身を責め、謝らなければならない状態に追い込まれてしまっています。“自分を守ろう・社会を守ろう”と声高に繰り返すことは、反転すると、感染者や感染者を出した組織、クラスターを生んだ医療機関等を、自分を守れない・社会を守れない、と責めたてる社会を作ってしまっているのではないかそう思うこともあります。

 新型コロナと共存しながら社会活動を行う“withコロナ時代”は、究極的に言えば「誰もが安心して感染できる社会」でなければなりません。もちろん、リスク管理は必要です。しかし管理することが目的化してしまうことの怖さも同時にわきまえておかなければ、テレビやラジオは安易に同調圧力に加担し、感染者を更に傷つけてしまうことにもつながりかねません。

 5月21日、日本新聞協会と民放連は「新型コロナウイルス感染症の差別・偏見問題に関する共同声明」を発表しました。「センセーショナルな報道にならないよう節度を持った取材と報道」に努め、「プライバシーを侵害しない範囲で提供するという観点」で議論を続けていくとしています。では、具体的には何をすべきなのか。感染者や感染者が所属する組織、医療従事者等が追いつめられない社会にするために、影響力が大きく、そして公共的な役割を果たすことを法的に定められた放送メディアは何を心がけておくべきなのか。本ブログでは、最近ローカル民放で制作された新型コロナウイルスに関する2本のドキュメント番組を手がかりに、2回に分けて考えてみたいと思います。いずれもローカルエリア向けの放送ですが、視聴した上で制作者に取材をしています。

 

 1回目のテーマは「放送局が当事者になった時」です。ここでは、4月半ばに男性社員1人、役員1人の感染が確認されたOBS大分放送が制作し、5月30日深夜に大分エリアで放送された60分のテレビドキュメント番組『コロナ禍の地方局 感染確認から1か月の記録』を取り上げます。また、6月4日には、OBSと同様に放送局が当事者となった、テレビ朝日の『報道ステーション』で、キャスターが番組内で陳謝すると共に、経緯及び反省点が示されました。この内容についても、OBSとの番組との相違点という面から最後に少し触れたいと思います。

 

*番組制作の経緯

  OBSでは2人の感染が確認された後、社内の44人が接触者として検査を受けることになりました。結果は全員陰性で、幸いなことに感染拡大はありませんでしたが、大型連休までは3つの自社制作番組を休止し、ニュースを扱う夕方のローカルワイド番組も縮小するという判断を行いました。OBSで働く人達は180人あまり。やむを得ない決断だったといいます。

 ドキュメント番組を制作するためにカメラを回し始めたのは2人目の感染が確認された翌日、4月17日からでしたが、その以前の様子も報道部等に据え付けられた情報カメラに映像が記録されています。番組は、こうした映像も交えながら構成されました。

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 当初、番組の企画は、社内の様子だけでなく、他にも県内で感染した人達の生の声を聴くという条件で制作に入ったといいます。しかし現場では予想以上に取材拒否が相次ぎ、番組の撮影はおろか、通常のニュース取材ですら困難な状況に陥りました。そのため、放送を見送るという意見もあったそうですが、地方局で感染者が確認された状況を記録するのも必要だろうとの判断で、取材は社内に関するものに限定して続行されました。

 番組では、ニュース取材に行き詰まる様子も紹介しています。たとえば、学校再開のニュースを取材したいと申し込んだところ、学校からは「テレビ局は全て断っていると言われて取材はNGに。しかし当日のニュースを見ると、OBS以外の各局は学校にカメラを入れて撮影していました。

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*感染した2人のインタビュー

 番組では感染した男性社員と役員にもインタビューしています。
 男性社員の方は、一度38度まで発熱した後、すぐに微熱に下がり、その後、症状らしいものはなかったといいます。インタビューでは、「発熱したのがもし土曜日だったら日曜日に回復して、状況が変わらなければ出社していたと思います」と答えていました。

 役員の方は入院して2週間人工呼吸器をつけるなど重い症状だったといいます。インタビューは機器が外れた当日に行われました。アビガンの投与後に体調が回復したこと、看護師との病室でのやりとりの様子などが紹介された上で、「会社にも迷惑をかける、家族にも迷惑をかける、すべてに友だちにも知り合いにも迷惑をかけて、恥じ入るばかりです」と答えていました。

*広がる社外の人との距離

 社員の家族や、OBSに出入りしている外部の人達にも様々な影響が出てきました。例えば、子供が通う学校の保護者から、自分の子供を通わせられないという連絡を受けたという社員は「自分が働いているから世間からそういう目が向けられて、自分は世間の一番厳しい目よりも厳しい行動をとらないといけないことは納得できるけれど、子どもがそういう思いをするのはきついですね」と話します。テレビ制作部では2人の男性が、2人とも妻が仕事をなくし、番組でお願いしているヘアメイクさんも仕事がなくなったという「二次被害が明らかに起きている」と話します。番組では当時の状況について、「コロナで生じた社外の人との距離を誰もが感じていた」とコメントしています。

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*対応の課題

 番組では、OBS自身の対応のまずさについても取り上げています。取り上げた課題は大きく2点。1つは初動における情報開示の失敗、もう1つは、もともとBCP(事業継続計画)はあったものの、そこに詳細な対応策が示されていなかったというものです。特に前者については、視聴者から大きな不信感を抱かれることになります。

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 最初の男性社員の感染がOBSで確認されたのは4月15日の昼過ぎでしたが、保健所が発表する前に報じて両者の情報に齟齬があると県民が不安に思うとして、当日はわずか35秒の短い原稿で伝えるのに留まりました。翌日のニュースで詳細な情報を伝えようとしていたところ、2人目の役員の感染が確認、ニュース枠を縮小せざるをえなかったことに加えて、緊急事態宣言が全国に拡大されたというニュースも重なり、詳細は伝えられないままになってしまったといいます。視聴者からは、「情報が少ない。経緯と言えるほどの説明も少ない」「社員の名前を公表するべき」等の声が寄せられました。そして、自社制作番組が再開されることになった5月初旬になっても、「まだまだ自粛してる市民、県民は沢山居る!OBS社員も講釈垂れずに自粛していろ!」「発症が家族からだとすれば4週間さかのぼって説明しないと、説明責任を果たしたことにはなっていませんよ」などの厳しい声が寄せられ続けたといいます。

 

*今後に向けて

 番組の最後は、再開した自社制作番組の現場の様子や、新たに社内マニュアルを作成する取り組みなどについて紹介し、「社内が混乱し、番組の休止を余儀なくされたOBS。この教訓をもとに、新型コロナウイルスとの共存をもがき続ける」とのコメントで締めくくられました。

 

 *報道制作局長のコメント

 番組を視聴した私は、新型コロナを巡る対応について、様々な角度からかなり踏み込んで取り上げていると感じ、OBSと連絡を取り、兼子憲司報道制作局長にメール及び電話でインタビューしました。

Q 自社の対応のまずさについてかなりさらけ出されている気がしますが、どこまで提示するかなど議論はありましたか?

 特にためらいはありませんでした。会社の都合の悪いことを番組に出すかどうかといった問題よりも、新型コロナという目に見えないウイルスにより生じたOBSと視聴者との間の溝を埋めることの方が大切だったという認識です。最近の視聴者はテレビ局の世界をよく理解しているため、私たちが何かを隠そうとしてもすぐに気が付くでしょうし、小手先のことでは、納得してもらえないのではないかと考えています。それだけに、“さらけ出す”といったシーンも必要だったと考えています。 

Q 視聴者や地域社会によるOBSに対する厳しい眼差し、時に社員や関係者への差別や風評被害ともいえるような状況も描いています。取り上げることに逡巡はありませんでしたか?

 新型コロナに対する人々の不安は当然であり、自分や家族等を守るための言動を差別と見ていいのか については、とても難しいところだと思います。それが、この感染症の最も難しい問題だと痛切に感じました。そのため、感染が発覚した会社では何が起きるのかをとにかく記録し、それを、あまり手を加えずにそのまま出そうという判断で放送しました。

Q 感染した社員・役員とはどう向き合ったのでしょうか。メディアとして、情報の公表と感染者への配慮をどう両立させるかは難しい問題だと思います。会社としての姿勢は?

 大分県が感染者について公式発表する際には、不特定多数との接触がないケースにおいては通常、会社名は伏せています。しかし、OBSの場合はマスコミということもあり公式発表に先立って、社名を公表するという判断をとりました。ただこれにより、感染者本人や家族が一部特定される事態となり、様々な被害があったということを聞いています。本人からは、「感染判明後、企業として感染者に対するケアが足りなかったし、報道するにあたってもその視点が抜け落ちていた。」との意見ももらっています。
 ただ、感染が確認された後、視聴者から寄せられた批判や苦情の多くは、どういうルートで感染したのか、その経路が知りたいというものでした。そのために、検証番組を制作するにあたっては、感染者本人達の取材は欠かせないと思いました。視聴者からは顔も名前も公開しろ、という声もありました。しかし、放送することで本人や家族等への更なる差別が起きることは絶対に避けなければならないと、匿名でのインタビューとしました。しかし、それでも、2人の感染が確認されていなければ、番組の休止などは起きなかったし、県民の不安もなかったという事実を鑑みれば、2人が悪いという印象を持つ人が視聴者の中に全くいないとは言い切れないと思います。大変難しい問題です。

 Q 報道機関として、何を謝罪し何を謝罪すべきではないか、その線引きは難しいと思います。どういう判断をされましたか?

 番組を休止し、ニュースも短縮する等、地域メディアとしての業務を縮小せざるをえなかったことについては視聴者に謝罪しています。しかし、感染は誰でも起こりうることというスタンスなので、感染したことそのものについての謝罪は会社としてもしていませんし、感染した2人にもさせていません。今回は2人とも感染経路がはっきりしないままでしたが、経路がわかるわからない、また、リスク管理をしているしていないで感染者を選別し、社会を分断させることは報道機関としては避けなければならないという心構えで今後も臨んでいきたいと思っています。

Q 今回の経験でローカル局であるOBSが学んだことは何でしょうか?

 ローカル局はやはり、地元の情報をできるだけ正確に素早く、視聴者に届けることでその存在を必要とされているのだと思います。そのためには、地元の方々が取材に協力していただかなければなりません。今回の一連のコロナ騒動ともいえる事態を経験したことで、地方局と視聴者との距離を、今まで以上に感じさせられました。情報の在り方によって、視聴者は離れていくし、今OBSで起きていることなどをできるだけ正直に伝えることで、視聴者の中には、“また応援をしてやろう”と思う人も出てくる。結局、地道に取材活動をして、一つひとつ信頼を得ていくしかないと考えています。

 

*取材を終えて

 OBS兼子局長には、私が新型コロナウイルスとメディアについて考える上で答えが見いだせないでいる問いをぶつけさせていただいた格好になってしまいましたが、とても丁寧にお答えいただきました。
 番組もインタビューも、決して歯切れのいいものとは言えませんでしたが、この問いについては、歯切れよく答えることはできないし、今後も簡単に答えてはいけないものなのだと思います。ただ大切なことは、感染を経験した人の声を十分に組織が受け止め、今後の取材活動に生かしていくこと、そして、OBSのような組織の経験を社会が共有し、個々の企業のBCP対策などに生かしていくことなんだろうと思います。
 最後に、冒頭に少し触れたように、同じく放送局が新型コロナウイルス感染の当事者となったテレビ朝日制作の『報道ステーション』についても少しコメントしておきたいと思います。
 6月4日、感染後休養をとっていた富川悠太キャスターが約2か月ぶりに番組に復帰しました。番組後段では15分かけて、①キャスターが発症前後から陽性反応に至るまでの経緯、②番組内で5人に感染が広がったことについて、感染拡大防止に何が足りなかったかの検証と現在の対応策、③番組プロデューサーが経緯について振り返り猛省するとのコメントの紹介、④キャスターが入院中に自身を撮影した映像の紹介と関わった医療関係者への謝意、⑤番組が今回の感染から学んだ点について視聴者に教訓として提示、という内容を放送し、私もリアルタイムで視聴しました。

 感染拡大防止を日々呼び掛けていたニュース番組としての責任、そしてキャスターと番組プロデューサーの初動の対応のまずさが感染拡大を引き起こしたという点で、番組での謝罪が必要だという判断に至ったことについては納得できました。しかし、キャスターであるとはいえ、感染前のプライベートな行動まで含んだ経緯を詳細に本人に語らせる必要があったのかという点については、視聴していて違和感を抱きました。また、SNS上などのキャスターへの批判の中には、批判に留まらない本人を傷つけるような言葉も多く見受けられており、こうした行為については、謝罪とは切り離して、毅然とした態度を示すことも必要だったのではないかと思います。それは、富川キャスターのためだけではなく、多くの心無いネット上の言葉に傷ついてきた感染者、そして今後も傷つく可能性のある感染者のためでもあると思います。

 OBSとは置かれた条件も大きく異なりますので比較をするつもりはありませんが、最大の違いは、局と視聴者との距離ではないかと思います。テレビ朝日のように全国に多くの視聴者がいるキー局が、距離が近いとはいえない視聴者とどう向き合っていくのか、私には解はありません。今少し熟考した上で、取材を続けていきたいと思っています。

 最後に、OBSの番組放送後に寄せられた視聴者の意見を1つ紹介します。「特番はする必要はないと思います。他にも感染した会社がありますが、番組にできるのは大分放送だけ。他の会社は説明もできません。」この意見は非常に重たいと私は感じました。OBSもテレビ朝日も、今回の番組はコロナ感染によって社会に広がったネガティブな企業イメージを、説明責任という形で自社の放送によって払拭しようとしていると言えなくもありません。今後メディアとして心がけるべきは、感染が確認された時に報じるだけでなく、感染が収まった時にこそ、感染が確認された企業や医療機関等をできるだけ応援し盛り上げていくためにメディアとして何ができるかを考えていくこと、このことがコロナを経験した放送局の1つの大きな役割なのではないかと思っています。

 

 2回目は、5月30日に放送されたRNB南海放送のラジオ報道特別番組、『「感染」―正義とは何か―』を取り上げます。

 

放送ヒストリー 2020年06月09日 (火)

#253 資料で振り返る番組制作者 吉田直哉

メディア研究部(メディア史研究)村上聖一

 

 今となっては「懐かしの番組」になってしまうかもしれませんが、1970年代から80年代にかけて放送された『未来への遺産』(1974~75年)や、『NHK特集』の「ポロロッカ アマゾンの大逆流」(1978年)、「21世紀は警告する」(1984~85年)といった番組をご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。
 これらを含め、20世紀後半のNHKを代表する数々の番組を生み出した吉田直哉(1931~2008)の遺した番組関連資料が、調査・研究での活用に向けて、このほど文研に移されました。

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吉田直哉(2006年、武蔵野美術大学での特別講義から)
提供:武蔵野美術大学 撮影:三本松淳

  数千点に上る資料は、東京都内の吉田の自宅やNHK退職後に教授を務めていた武蔵野美術大学に残されていました。内容は、番組の台本や企画書、セット図面、楽譜、写真など多種多様で、当時の番組制作の実態を浮き彫りにするものです。武蔵野美術大学が2017年に資料を用いた展覧会を開催したのち、今後の活用と保管の方法について遺族と大学、NHKの3者で協議し、番組に関連した資料は文研に移すことになったものです。

 吉田直哉がNHKに入ったのは、ラジオ放送最盛期の1953年(この年、日本でテレビ放送が始まりました)のことで、最初に担当したのもラジオ番組でした。
 写真は、今回の資料の中で最も古いものの一つ、放送開始30年記念番組『音の四季』(1955年)の制作資料です。このラジオ番組は、季節ごとに鳥や虫の声、祭り、物売りなどの音と伴奏音楽を組み合わせて1つの楽章とし、全4楽章で日本の春夏秋冬を描いたものです。こうした音の組み合わせは、このあとの資料でも多く確認でき、吉田が好んで用いた手法のようです。

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『音の四季』(1955年3月20日19:30~20:00・ラジオ第2)関連資料

 番組では日本を代表する現代音楽家、武満徹(1930~1996)らのグループが作曲を担当しました。このとき武満は24歳、吉田は23歳。共に無名の時代から協力しつつ番組制作に当たっていたこともわかります。

 テレビ時代の資料としては、1962年に放送された『日本の文様』の資料を見てみましょう。『日本の文様』は、実験的なコマ撮りアニメーションを取り入れながら、日本で古くから使われている和柄の文様を紹介した番組で、映像と音楽で構成されています。写真は、撮影のようすと、そこで使用された文様です。文様は、黒字の紙に白の「きりぬき紋」を組み合わせて作られています。

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『日本の文様』(1962年6月9日22:00~22:30・教育テレビ)の制作風景と撮影で使われた文様

   この番組でも武満徹が音楽を担当しました。映像の編集が完成すると、武満は、それを秒単位で巻紙に表示してほしいと求めたことから、吉田は、地震計用グラフ用紙に0.5秒単位で映像の変化を書き込んで渡したということです。それをもとに武満が音の流れを書き込んだ用紙も残されていました。

  ここでは、やや古めのものを紹介しましたが、資料には、大河ドラマ 『太閤記』(1965年)や『NHK特集』の「21世紀は警告する」(1984~1985年)、「ミツコ 二つの世紀末」(1987年)といった番組の台本やメモなども多数残されていました。詳しくは、『放送研究と調査』2020年5月号をご覧ください。

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 文研の資料庫(NHK放送博物館内に所在)に保管されている資料

 

 文研に移された資料は、劣化が進まないよう対策を施すとともに、詳細な目録の作成を進めています。資料を眠らせることなく、放送に関する調査・研究、さらには今後の番組制作に向けた活用がなされるよう取り組みを続けていくことが、我々の責務と考えています。

 

メディアの動き 2020年06月01日 (月)

#252 新型コロナウイルス感染拡大に対応するメディア連携の広がり~世界の動きから(2)

メディア研究部(海外メディア研究) 青木紀美子

 

 5月14日、15日にアメリカ、ニュージャージー州立モントクレア大学のCenter for Cooperative Media 1)の主催で、ジャーナリズムにおける連携について話し合うオンラインの国際会議(2020 Collaborative Journalism Summit )2) が開催されました。参加者は、国境を超えた国際的な連携から地域に特化したローカル連携まで、幅広い取材連携について、それぞれが経験を通して学んだことを共有しました。連携の内容は多岐にわたり、気候変動やアメリカ大統領選挙、自治体首長の公約履行など多角的な検証が必要なテーマや、性犯罪の訴追や自殺の予防といった根が深い社会問題への対応策などに加え、新型コロナウイルスに関わる報道にも及びました。

 新型コロナウイルスの感染拡大は、信頼できる情報への需要を高め、テレビニュースの視聴者、新聞やオンラインニュースの読者を世界的に増やしています。その一方で経済の停滞でメディアの広告収入は減り、アメリカでは記者の解雇や給与削減、一時帰休などが広がっています。少なくなった要員で必要とされる情報を取材・報道していくためには、競争よりも協力、取材の重複を避けた分担も必要だという判断が、連携の追い風にもなっています。このブログでも、真偽を見極めるのが難しい情報の氾濫「インフォデミック」に立ち向かうファクトチェック連携などの動きについて先にお伝えしましたが、誤情報・偽情報に関する対応以外の分野でも、連携の試みが増えています。

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    連携プロジェクトについて話し合うコロラド州のジャーナリストたち 3)

 国際会議で紹介された連携のひとつは、アメリカ西部コロラド州のColorado News Collaborative (COLab)4) です。公共ラジオColorado Public RadioやDenver Post紙をはじめ、AP通信、商業テレビ、オンラインニュースなど40以上のメディアが、AP通信によって開発されたプラットフォームAP StoryShareを使って4月から新型コロナウイルスに関連する記事を交換しています。このうち22のメディアは、「COVID Diaries Colorado」(コロラドの新型コロナウイルス日記)5)という特集の取材でも協力しました。感染拡大が続き、死者も増える最中の4月16日、州内各地で、患者やその家族、医師や看護師、教員や商店主、さらに失業した人や乳幼児を持つ親など様々な立場の市民の1日を取材しました。手分けして取材対象を探し、起きてから寝るまでの‘動画日記’のスマホ収録を依頼。この動画を含めた材料と情報を共有し、それぞれが記事にすることで、人々の身に迫る危機の影響を多角的に描き、60本近い記事や動画を集めたウェブサイト「A Day in the Pandemic」(パンデミックの中の1日)も設けました。 

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       Colorado News Collaborative  (COLab) のウェブサイトから

  東部ペンシルベニア州のフィラデルフィアでは、テレビ、ラジオ、新聞、オンラインニュースなど20以上のメディアが参加する連携ネットワークResolve Philly 6) が、新たに「Equally Informed Philly」7)というプロジェクトを開始しました。貧困の問題を継続的に報道してきたこのネットワークは、パンデミックの危機に際し、貧富の格差や言語の壁が情報格差につながってはいけないという考えに立ち、誰もが等しく必要な情報を入手できる環境づくりをめざしています。Equally Informed Phillyは、市民からの質問を受け付け、各社の記事などをもとに疑問に答える情報のアーカイブを設けるほか、アーティストの協力も得て、感染予防に重要な情報を伝達するためのポスターやチラシなども作り、これを英語だけでなく、スペイン語やベトナム語など、あわせて5つの言語での提供する計画です。

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「市民がつくる‘よくある質問集’」 Equally Informed Philly のウェブサイトから

  連邦政府や州政府の対応に関わる情報の入手と開示を目的にした連携もあります。The COVID Tracking Project  8) は、州ごとに異なる形式で発表されている検査の実施数、陽性率や入院患者数などを全米のジャーナリストや研究者らが協力して集め、公開する連携プロジェクトです。3月にThe Atlantic誌の記者らが始めたもので、その後も連邦政府による同様の情報のとりまとめがないため、協力者を募って継続しており、世界的に利用されているJohns Hopkins大学のコロナウイルスのデータベースの情報源のひとつにもなっています。アメリカでは人口対比で黒人の死者が多いことなど、格差による感染拡大の影響の差異も明らかにしていくため、プロジェクトでは各州政府に対し、より詳細な情報を求めるとともに、独自の指標を設けて州政府の情報公開の度合いを評価しています。
 また、連邦政府の経済対策の柱の一つ、中小企業への低金利融資制度について、市民は巨額の税金が適切に使われているかを知る権利があるとして、Washington Post、BloombergやProPublicaなどアメリカの有力メディア5社が、この制度にもとづく支援を受けた事業者名や融資の金額などを開示するよう求める訴訟を起こしました 9)。個別に行っていた情報公開請求にアメリカ中小企業庁が応じなかったため、連携しての訴訟に踏み切ったものです。

 今回の危機では、政府や自治体などが発表する情報がまちまち、不十分でわかりにくい、外出自粛のため社会で何が起きているのかが見えにくい、偽情報が拡散されて人命が脅かされる、といった状況が各国で生じています。経験したことのない事態に直面した人々が的確な判断をできるよう、メディアが信頼に足る情報を届ける公共サービスとしての役割を果たしていくために連携する意義は大きく、さまざまな可能性があることがアメリカの試みからうかがえます。取材力だけなく、発信力の面でも強みを持ち寄り、より幅広い社会の層に情報を届けることが危機を乗り越えていくために重要になっています。

 連携ジャーナリズムのバーチャル・サミットを主催したCenter for Cooperative Mediaのセンター長、ステファニー・マレイさんによると、アメリカでは、これまでに活動してきた連携ネットワークだけでなく、新型コロナウイルスの感染拡大を機に新たな連携を開始するメディアも増えています。コロラドにおけるメディア連携の推進者の1人、Colorado Media Project 10) のメリッサ・デイビスさんは、参加したジャーナリストたちは力をあわせることで地域社会のためにより大きく意味ある仕事ができると感じ、人員削減などの厳しい状況に直面する中でも、今後への希望と意欲を持ち直す経験になっていると話しています。

 

1) Center for Cooperative Media    https://centerforcooperativemedia.org/

2) 2020 Collaborative Journalism Summit   https://collaborativejournalism.org/cjs2020/

3) Melissa Milios Davis(2020/4/25) Local News Collaboration in the Time of COVID

   https://medium.com/colorado-media-project/collaboration-in-the-time-of-covid-90a6f6026ed5

4) Colorado News Collaborative (COLab)  https://coloradomediaproject.com/colab

5) COVID Diaries Colorado   https://colabnews.co/

6) Resolve Philly   https://resolvephilly.org/

7) Equally Informed Project   https://equallyinformed.com/

8) The COVID Tracking Project  https://covidtracking.com/

9) The Post among five news organizations suing Small Business Administration for access to loan data (2020/5/13)

   https://www.washingtonpost.com/business/2020/05/12/sba-foia-lawsuit/

10) Colorado Media Project   https://coloradomediaproject.com/


メディアの動き 2020年05月29日 (金)

#251 ファクトチェックと風刺

メディア研究部(海外メディア研究) 塩﨑隆敏

 

 「ファクトチェック」という言葉が最近、よく使われるようになってきました。ファクトチェックとは、記事に含まれる言説やデータの信憑性を確かめ、内容について、“正”“誤”“ミスリード”といった表現を用いて判定するものです。対象となるのは、もちろん疑わしい情報です。広告収入を得るため、派手な見出しを付け、虚偽の情報を発信する人が世界中にいますから、日々、そうした情報に向き合いファクトチェックを行う「ファクトチェッカー」と呼ばれる人たちも活躍しています。

 『放送研究と調査』2020年4月号で、2019年12月にシンガポールで開かれたアジアのメディア関係者の国際会議、「APAC Trusted Media Summit」について報告しました。各地のファクトチェッカーたちも参加したあるセッションで、あまり聞き慣れない英単語を耳にしました。Satireです。辞書を引いてみると(政治・時事問題などについての)風刺、皮肉と出てきました。

 風刺は、新聞の風刺漫画や挿絵など、ジャーナリズムと深い関わりを持っています。パロディーとともに、時の権力や有力者を揶揄したり、世の中の本音をあぶり出したりと、ジャーナリズムの批判精神を体現してきた存在です。風刺とファクトチェックにいったい何の関係があるのか、興味を覚えました。 

 風刺やパロディーは、もともと“事実ではない事柄”です。架空の話だったり、内容が誇張されたりした言説も含まれます。パンチの効いた風刺や皮肉は、重苦しい空気を笑い飛ばす力を持っていますが、読者の側にも意図を読み解くメディア・リテラシーが必要になります。風刺の記事をSNSに投稿すると多くの人の目にとまります。ところが、一部分だけが取り上げられ、人々に共有されるうちに、風刺やパロディーだったはずのものが、どこかの段階で、あたかも事実であるかのように広まっていくことがあります。なかには、風刺であることを故意に隠して偽情報を広める人までいます。

 とはいえ、風刺は、そもそも「事実」ではないので、ファクトチェックの対象と一線を画すべきものだと講師は説明していましたファクトチェックを進めている人たちの間では、以前からこの点を論じてきたようです 1)。風刺やパロディーは「芸術の形の1つ」としてみなし、ファクトチェックの中で、きちんと切り離して考えていく必要があるのだと、講師は強調していました。会議に参加するまで考えてもみなかったことでした。

 ただ、時として風刺は思わぬ事態も招きます。2015年にはイスラム教の預言者を風刺する漫画を載せたフランスの新聞社「シャルリ・エブド」への襲撃事件も起きています。表現の自由やリテラシーといった点以外からも議論する必要があります。極端な例はともかくとして、ファクトチェックにしても風刺にしても、根底に共通しているのは批判精神であると考えます。さまざまな情報が瞬時に世界を駆け巡る今だからこそ、ジャーナリズムやメディアにとって、批判精神が出発点であることを会議の議論から共有できたと感じています。

1) https://firstdraftnews.org/latest/fake-news-complicated/


 

 

調査あれこれ 2020年05月27日 (水)

#250 何が避難行動を後押しするのか!? ~「災害に関する意識調査」結果から~

世論調査部(視聴者調査)  中山準之助

 

突然ですが、いま、あなたが、大きな災害に見舞われたとします。 どういう状況になれば避難しますか?

また、放送で、アナウンサーに“どう呼びかけられたら”避難しますか?

 

阪神・淡路大震災から今年で25年。

地震や豪雨などの自然災害に人々はどう向き合っているのか、全国世論調査を実施しました。

 

その中で、「どうすれば避難行動を起こしてもらえるのか」、避難行動を後押しする “トリガー” について探りました。

まず、どのような状況のときに避難しようと思うのか。避難行動を後押しすると思うものを選んでもらった結果です。

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グラフからもわかるように、複数回答でも、1番目に答えた回答でも、順番はほぼ変わらず、

最も多いのが、「周囲の状況から危険を感じたとき」で、次いで、「消防団などから直接避難を促されたとき」、

「家族や知人に避難を強くすすめられたとき」など“身近な人などからの直接的な呼びかけ”が上位を占めました。

つまり、危険を自分事として捉えられたとき、人々は避難行動を起こすことがみてとれたのです。

 

また、アナウンサーからどのように言われたときに避難しようと思うかを尋ねた結果は、次のようになりました。

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最も多いのが、「詳細かつ身近な地名を言われたとき」。次いで、「直ちに、避難してください」。

これらから、差し迫った危険を自分事として感じてもらうためにも、

「どこ」にいる人が、「いつ」避難すべきなのか、具体的に示されることが必要であることがみえてきたのです。

 

では、放送で、“誰に”呼びかけられたら避難しようと思いますか?

その結果は、「放送研究と調査」2020年4月号で、詳しく紹介しています。

 

今回の調査では、避難行動を後押しする“トリガー”のほかにも、様々な質問をしました。

 

▼自宅での災害への備えが「不十分」と思う人が大半を占めている。

▼食料や飲み水を自宅で備蓄する人が減ってきている。

▼地域の高齢化や近所づきあいが減っていることを背景に、

  大災害時に住民どうしの助け合いが「期待できない」という人が増えている。  等々

 

調査結果から浮かび上がった災害や防災に対する人々の意識を参考に

地域の実情にあわせて、被害を減らす対策に役立てていただければ幸いです。

是非、ご一読ください。

 

メディアの動き 2020年05月22日 (金)

#249 放送局とメディア・リテラシーの歴史を振り返る

メディア研究部(番組研究) 宇治橋祐之

 

 新型コロナ感染拡大防止に伴う緊急事態宣言で、4月から5月は多くの人が在宅で過ごされたことと思います。家にいる時間が長くなるとメディアに接する時間も長くなり、テレビを見る時間や、スマートフォンやパソコンでインターネットに接する時間も通常より長くなっています。(こうした調査結果は今後の『放送研究と調査』でも報告が出る予定です。)

  メディアに接する時間が長くなると、メディアについて考えたり、疑問をもったりすることも出てくるでしょう。今こそメディア・リテラシーが必要だという声も、ネットで目にする機会が多くなりました。メディア・リテラシーとは具体的にはどういうことなのでしょうか。

  メディア・リテラシーという言葉は、ユネスコやEUなどがそれぞれに定義を示しており、また情報リテラシーやデジタルリテラシーというような用語も使われています。それぞれの定義には共通する部分も多いのですが、現状では多義的な言葉と言えそうです。

  日本ではメディア・リテラシーという言葉は「マスメディアが伝える情報を批判的に読み解く能力」という意味合いでとらえられることが多く、1990年代後半から広く使われるようになりました。この時期にNHKや民放でメディア・リテラシーに関する取り組みが進み、「放送分野における青少年とメディア・リテラシーに関する調査研究会 報告書」(2000年6月)では、下記の3つを構成要素とする複合的な能力として定義しています。

1.メディアを主体的に読み解く能力。

2.メディアにアクセスし、活用する能力。

3.メディアを通じてコミュニケーションを創造する能力。

  特に、情報の読み手との相互作用的(インタラクティブ) コミュニケーション能力。

「読解力」、「活用力」、「創造力」の3つの力の「相互作用」がメディア・リテラシーあるということになります。

 

 放送を通して、メディア・リテラシーについて、学んでもらう取り組みも行われています。NHKでは2001年度から、メディア・リテラシー教育に関する番組を放送しています。現在は『メディアタイムズ』というタイトルで、放送とあわせてウェブサイトNHK for Schoolでも動画を公開しています。

 番組はドラマパートから始まります。舞台は様々なメディアを取材する架空の映像制作会社メディアタイムズです。続くドキュメンタリーパートで、新聞やテレビ、ネットニュースなどメディアの現場を紹介。最後に再びドラマパートに戻って「メディアとの向き合い方を考える問い」を提示します。メディアのあり方について「対話」を通じて考え続け、ゆるやかな合意を形成していくことを重視しています。

 

『メディアタイムズ』

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 『放送研究と調査』4月号「テレビの読み解きからネットでのコミュニケーションまで~放送局のメディア・リテラシーへの取り組みの変遷~」では、こうした放送局のメディア・リテラシーへの取り組みの歴史をまとめています。

 メディアに接する時間が長いこの時期、今回紹介した番組や論考を通してメディア・リテラシーとは何かを考えてもらえると嬉しいです。

 

 

放送ヒストリー 2020年05月13日 (水)

#248 テレビドキュメンタリーの技法研究など無意味だとささやく悪魔A,B,Cへの反駁

メディア研究部(メディア史研究) 宮田章

 

『放送研究と調査』4月号5月号では、NHKのテレビドキュメンタリー(TD)の基礎を築いた『日本の素顔』(1957~64の制作技法について論じた。「三つ子の魂百までも」と言うが、『日本の素顔』という初期TDの展開の中で、TD制作の基本的な技法が、すでにかなりの程度出揃っていることがわかる。興味のある方は一読されたい。

 研究と執筆は基本的に孤独な作業なので、心が弱っている時には、TDの技法研究など無意味だと悪魔がささやきかけてくることがある。彼らのささやきと、それに対して筆者が行った反駁をここに記しておきたい。

 

 悪魔Aのささやき:「テレビはメディアだろう。メディアとは「仲立ち」で、自分の関与なしで発生した情報を視聴者に伝えるパイプのようなものだ。テレビ自身が情報を作ってはならん、まして「制作技法」なんぞあってはならん」。 悪魔Aへの反駁:「テレビは確かにメディアの一つだ。しかし歴史的な事実としてテレビ局の中には制作部門がずっと存在しており、そこでは番組制作という情報の生産行為がずっと行われてきた。そこには作り手がいて、様々な制作技法がある。おれはそれを研究しているだけだ。「制作技法などあってはならん」というのはおまえの意見で、「ある」というのは事実だ」。

 悪魔Bのささやき:「テレビは視聴者あってのものだろう。視聴者が求める番組を作ればいいんだ。テレビに主体的な作り手など不要だ」。 悪魔Bへの反駁:「自分に迎合してくるだけの相手を尊敬できるか?テレビ番組の作り手が視聴者には真似のできないアイデアや技法をまだ少しは持っているからこそ、テレビはまだ少しは見られているのではないか?制作技法研究は、テレビ局がまだ少しは持っている「強み」の研究だ」。

 悪魔Cのささやき:「おまえのような制作現場を離れた人間に、ドキュメンタリーの作り方についてあれこれ言われたくない。大学教授や研究者が書いたものが実際の番組制作に役立ったことは一度もない」。 悪魔Cへの反駁:「現場を離れた人間に言われたくないという気持ちは元作り手として理解できる。大学教授や研究者が書いたものが実際のドキュメンタリー制作に役立ったことはないと言いたい気持ちもわかる。しかしそれは日本において特にそうなのであって、海外では、制作現場と研究者をつなぐ客観的な制作技法論が90年代以降盛んだ。日本にもあっていいだろう。「やはり無益だ」と言うのは勝手だが、読んでから言ってくれ」

 

特に眠れぬ夜など、彼らは繰り返しささやきかけてくる。このように言語化することで悪魔祓いとするのである。


メディアの動き 2020年05月01日 (金)

#247 「公共放送の在り方に関する検討分科会」始まる~構成員の3人(宍戸常寿氏、西田亮介氏、林秀弥氏)からのコメント~

メディア研究部(メディア動向)村上圭子

 4月17日、総務省の「放送を巡る諸課題に関する検討会(諸課題検)」に「公共放送の在り方に関する検討分科会(公共放送分科会)」が立ち上がりました。これまで議論が行われてきたNHKの三位一体改革(業務・受信料・ガバナンス)に加えて、受信料制度のあり方そのものについて議論が始まることになります。
*総務省ホームページ
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/housou_kadai/02ryutsu07_04000232.html

 本ブログでは、NHKに関する現状認識や今後の議論に何を期待するか等について、東京大学大学院の宍戸常寿教授、東京工業大学の西田亮介准教授、名古屋大学大学院の林秀弥教授にコメントを寄せていただきました。実はこのお三方については、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため中止した「文研フォーラム2020」にご登壇いただく予定でした。偶然にもお三方とも公共放送分科会の構成員に就任されたので、これを機にコメントをいただきました。以下、いただいた内容を筆者なりに整理して皆さんと共有したいと思います。

 まず、林氏からは、これまでの常時同時配信を巡るNHKの姿勢について厳しい指摘がありました。林氏は、総務省の電波監理審議会のメンバーであり、NHKが提出した「インターネット活用業務実施基準」の案が、総務大臣が認可をするのに適当かどうかを議論、判断する立場にあります。
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NHKの常時同時配信には、これまで一定の「ニーズ」がある、という言い方をされてきたかと思いますが、「ニーズ」をいうだけではだけでは私は少し弱いと思います。なぜ公共放送として、常時同時配信で提供したいのかという、理念的なところを国民視聴者にもっと訴えかける必要があったのではないかと思っています。(中略)常時同時配信はすでに走り出したわけですが、なぜNHKがやりたいと考えたのか、なぜやる必要があるのか、なぜ社会の役に立つのか、ということをもっと発信をしてほしいと思います。これは、常時同時配信に限らず、NHKの業務全般についていえることと存じます。NHKの説明責任といえばそれまでかもしれませんが、NHKは公共放送として、政治からも経済からも独立して国民みんなが支えるものという共通認識のもとに存在していると思いますので、通常の民間企業や公益企業以上に高いレベルの説明責任が課されていると思います。」



 政治とメディア、ジャーナリズムについて研究し、民放やネットメディアでも積極的に言論活動を行っている西田氏は、NHKに対しては以下のような現状認識をお持ちでした。
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「あるべき公共放送の姿やビジョンが明確にならないことには、公共放送の適正規模や適正な受信料も明確になりにくい。ただし注意したいのは、インターネット、スマホ、SNSの普及等、メディア環境は近年大きく変化している一方で、幾つかの理由でNHKの役割は減じていないどころか信頼される、質の高いコンテンツの提供者という意味では却って重要性を増しているようにも思える点である。(中略)実際、幾つかの調査を見ても、国民のNHKに対する信頼も総じて高い。厳密に実証されているとまではいえないが、その信頼は放送か、ネットかで分けられるものではなく、NHK全般に係るものと見なすことができるのではないか。そうであれば公共放送のあり方は、より広いコンテンツレイヤー全般に位置する「公共メディア」のあり方とあわせて考えていくことが好ましいようにも思えてくる。」

 
 諸課題検が開始した2015年の当初から構成員としてNHKを巡る議論に関わってきた宍戸氏は、今後の議論に臨むにあたり、受信料を負担する立場の国民・視聴者、そしてNHK議論について報じるメディアに対して以下のように訴えました。
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 まず国民・視聴者に対しては「メディア不信の矛先がNHKに集中的に向けられることもあるが、メディアの多元性が私たちの知る権利の実現や情報環境にとって決定的に重要であり、そのための仕組みである受信料制度について、国民・視聴者の側に、より深い理解が必要だと思う。」
報じるメディアに対しては「この間、NHKに対して「肥大化」という批判がされてきた。しかし、諸課題検で繰り返し指摘したように、何がNHKの適正規模かというベースがないままの「肥大化」批判は、あまりにも粗雑である。NHK改革を巡る記事には、依然として、「肥大化」という表現が踊っているように思われるので、改めて、報道に携わる方々に対しては、この点を強く訴えたい。」

 



 
受信料制度についても伺いました。宍戸氏は、「NHKを巡る議論には、一方に極端な廃止や全面スクランブル化論があり、他方にいわゆるドイツ型の全世帯受信料のような議論があるが、そもそも比較対象に挙げられる国や社会の文脈で公共放送が果たしている役割を具体的に踏まえた上で」議論すべきとし、NHKにとってはこれまでの方法を抜本的に見直すことになるような以下の問題提起を行いました。NHKがその公共放送としての役割を果たすために必要なチャンネル数という観点から、地上契約と衛星契約の二本立てをこのまま維持するのかどうか、2K減波やネットでの同時送信を含めて、契約の一本化やそれに伴う受信料額の引き下げと、全世帯が衛星放送を見られるための措置を検討してもよいのではないか。」

  競争政策がご専門の林氏は、「一部で主張されているNHKのスクランブル放送化は、有料放送市場における競争を措定するものですが、公共放送に求められている役割は、他の競争事業者と受信契約者を奪い合うという同一次元のゼロサム的な競争状態の創出ではなく、それとは異次元の競争概念ではないか、と思います。公共放送のあり方を論じるときには、経済的競争ではなくいわば「ジャーナリズム上の競争」を念頭に置く必要があると思います。その上で、民放とNHKが切磋琢磨していってほしいと思います」と述べています。

  確かに、NHKと民放による“ジャーナリズム上の競争”は、国民・視聴者の知る権利の充足のためにも不可欠だと筆者も考えます。ただ西田氏は、新聞社や民放各社はコストカットに注力しており、「将来的に現在のマスコミ各社の取材網や、コストがペイしにくい報道、ドキュメンタリー、教育番組等の制作、提供が現在の水準で維持できるのかは必ずしも自明ではない」とした上で、NHKに以下のような連携のあり方を問題提起しました「中長期のコンテンツの有効活用という観点でいえば、新聞業界における通信社のような役割についてもひとつ参考にできるのではないか。例えば民放各局の情報番組の制作現場では、データベースに保存、更新される自社等の記事、映像を組み合わせ、演出しながら、番組を制作している。もしNHKが民放各社、ネット企業等にも強力なネットワークで取材する記事、映像を提供するようになれば、利用可能な選択肢が増加し各社のコンテンツ制作力もいっそう豊かになるかもしれないし、より強みを特化させていけるかもしれない。NHKと民放、民間企業の連携のあり方として考えてみても面白いのではないか。」
大胆な問題提起ですが、NHKの取材した素材や制作したコンテンツ、アーカイブのオープン化については、公共放送の今後の役割として、この分科会の主要な論点になると筆者も考えています。

 林氏と宍戸氏は、NHKの今後のあり方について考えるということは同時に二元体制の一翼である民放の公共性について考えることでもあると述べています。
 林氏は「私は、公共放送にいう「公共」は、「主体」の公共性だけでなく、「役務」の公共性でもあるべきだと思っています。三位一体改革や受信料制度をはじめとする議論は、主に、公共放送の「主体」としてのNHKのあり方に関する議論でしたが、「役務」の公共性論についても議論が必要だと思います(もちろん番組編集の自主自律を前提にした話ではあります。)。そもそも、NHKと民間放送とは役務の性質という点では共通するわけで、二元体制の下では、NHKと民放の併存によって両者が車の両輪となって公共の福祉に寄与しており、その意味では、NHKのみを公共放送と呼ぶことはその意味ではある意味ミスリーディングではないかと思っております。NHKと民放が同種の役務を提供する中で、にもかかわらずそれでもやはり、NHKにしかできない公共放送の内容や役割は何か、という観点に立ち返って、NHKは放送に臨んでおられると思いますし、今後ともそうであってほしいと思います。」
 
宍戸氏は、放送の公共性を担う民放に期待することとして「今後は、民間放送が現在のメディア環境において、自らの活動の方向性を示し、それとの相関関係でNHKの業務の制限・縮小や、逆にNHKの協力を求めるというのが、健全な議論のあり方であると思われる。そうでなければ、放送制度と放送事業の総体が、人口・世帯減少とテレビ離れの中で、共倒れしていくことになるのではないか、危惧している」と述べています。

 お三方に共通していたのは、この分科会で公共放送とは何か、放送の公共性とは何かという本質的な議論をすべきだと考えていることでした。
「日本の放送制度の根本的問題に常に立ち返りながら各論を議論することが必要(宍戸氏)」
「そもそも論として「現代の公共放送はいかにあるべきか/いかなるものか」を問い直す必要があるのではないか(西田氏)」
「放送の根源的価値に根差した骨太の議論を期待します(林氏)」

 分科会の第一回では、これまでのNHKの三位一体改革の議論を基に、総務省がNHKの現状と課題をまとめた89ページにも及ぶ資料が公開されました。NHKの今後のあり方については、出来る限り国民、視聴者に関心を持ってもらい、開かれた議論をしていかなければならないと思っていますので、その資料を筆者なりに整理した一覧表を作成しました。本ブログで共有しておきます。ここに挙げられた17に及ぶ論点についてどのような優先順位で議論していくべきか、抜け落ちている論点はないか、お三方の指摘のような本質的な議論にどこまで迫っていけるのか。今後も引き続き取材すると共に、本ブログでも積極的に発信していきたいと思います。

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メディアの動き 2020年04月23日 (木)

#246 『パンデミック』×『インフォデミック』に立ち向かう『連携』~世界の動きから

メディア研究部(海外メディア研究)青木 紀美子

イギリスやオランダで4月、携帯電話の通信施設が放火される事件が相次ぎました。新型コロナウイルスの感染拡大を5G通信サービスの開始と結びつける科学的根拠のない流説の広がりと重なっておきたことから、関連が疑われています。これについて英NHS(国民保健サービス)の主席医務官は最も悪質な類の偽情報だと非難し、この危機への対応に不可欠なインフラが攻撃されたことに憤りを表明しました。真偽の見分けを困難にして恐怖や混乱を引き起こす情報の氾濫『インフォデミック』は、感染症の世界的な大流行『パンデミック』の危機を深め、有効な対応を脅かしています。

インフォデミックという表現はinformation(情報)epidemic(伝染病)2つの言葉を組み合わせたものです。デジタル化による情報通信環境の急激な変化とSARS(重症急性呼吸器症候群)の発生が重なった2003年から頻繁に使われるようになりました(1)。新型コロナウイルスの感染拡大を受けてWHO・世界保健機関は2月、パンデミックを宣言する前にインフォデミックの危険性について警告を発し、とりわけ予防策と治療方法に関わる流言が多く有害であるとして、24時間体制で監視し、対応する方針を示しました(2)

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 「5G携帯のネットワークは新型コロナウイルスの感染拡大と関係ありません」(訳は筆者)  *WHO Myth bustersウェブサイト(3)から

 アメリカのポインター研究所を拠点とするIFCN(国際ファクトチェックネットワーク)は1月下旬に国際的なファクトチェック連携を発足させました(4)。 4月までに70を超える国や地域の100近いメディアや非営利組織が参加する連携に発展し、ハッシュタグの#CoronaVirusFactsと#DatosCoronaVirusなどを使って40以上の言語で発信しています。2か月あまりで3500件の検証を行い、キーワードなどで検索できるデータベースも作成しました(5)。 こうした情報検証の連携は、日本のFIJ(ファクトチェック・イニシアティブ)やブラジルのComprovaのように国単位や、中南米や北欧など地域単位のものもあり、その情報が世界的に共有されるという幾層にもわたるネットワークになっています。
インフォデミックに対応するために『連携』が効果的な理由はいくつかあります。1つは拡散される情報の量、種類の多さ、複雑さです。未知の部分が多い新型ウイルスの感染拡大では、確かな情報が少ないだけに偽情報が駆け巡りやすく、また、科学的な調査研究から予防策や経済政策まで幅広い分野で刻々と新たな動きがある中では、意図的な情報操作や誤った情報の発信もおきやすくなっています。限られた人数で速やかに情報を検証していくためには、同じ作業を重複して行うよりも、それぞれが得意分野の知識や人脈を生かし、分担する方が効率的で、その検証結果を多様なニュース媒体が承認し、取り上げ、広めることは検証結果への信頼も高めると考えるメディアが増えています。

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 もう一つの理由は、誤・偽情報の伝播力です。これに対抗して幅広い層に正しい情報を届けるためには、業種の垣根を越えて連携し、多様な媒体で発信することが欠かせません。ここでは市民との連携も力を発揮します。IFCNのクリスティーナ・タルダーギラさんは「怪しい情報を見たら、これを打ち消す検証済みの事実やファクトチェック記事のURLを共有するだけでもいい」と述べ、市民の協力を呼びかけています。また、ソーシャルメディアのWhatsAppなどでは外からは見えない個人どうしの通信や、個別のグループ内での情報共有で、誤・偽情報の拡散が起きています。検証が必要な怪しい情報があるという一報を市民がメディアやファクトチェック組織に伝えることも正しい情報の共有につながる第一歩です。

アメリカのように政治的な分断が深刻な社会では、効率が悪くても複数のメディアや組織が個別にファクトチェックを行い、同じ結論であっても個別に発信した方が、広く説得力を持つという考え方もあります。それでも基礎情報のデータベース、知識やスキルの共有で連携することはできます。今回のパンデミック取材では科学や医療を取材した経験があまりない記者が加わっていることもあり、研究機関や非営利組織が科学的な知見やデータの扱いなどのノウハウで支援する例も増え、国際的にもメディアどうしだけでなく、医師や科学者、IT技術者など専門家との連携が広がっています(6)

 ジャーナリズムの連携が、アメリカではメディアの危機を背景に広がっていることを2019年7月の「放送研究と調査」で報告しました。いま未知のウイルスの感染拡大という新たな危機を背景に、すでに発足している連携のネットワークや発足に向けて準備をしてきた連携プロジェクト、そして新たな連携が力を発揮しようとしています。今回は「パンデミック×インフォデミック」に立ち向かう連携についてお伝えしました。それ以外の連携の試みについても、このブログで報告していきます。


(1) https://www.wsj.com/articles/infodemic-when-unreliable-information-spreads-far-and-wide-11583430244
(2) https://www.who.int/docs/default-source/coronaviruse/situation-reports/20200202-sitrep-13-ncov-v3.pdf?sfvrsn=195f4010_6
(3) https://www.who.int/emergencies/diseases/novel-coronavirus-2019/advice-for-public/myth-busters
(4) https://www.poynter.org/coronavirusfactsalliance/
(5) https://www.poynter.org/ifcn-covid-19-misinformation/
(6) https://firstdraftnews.org/long-form-article/coronavirus-resources-for-reporters/
     https://www.icfj.org/our-work/covering-covid-19-resources-journalists
     https://www.sciline.org/covid など

メディアの動き 2020年04月10日 (金)

#245 「八日目の蝉(せみ)」に肖像権を思う

メディア研究部(メディア動向)大髙 崇

角田光代さんの小説『八日目の蝉』は、映画やドラマにもなり、ご存じの方も多いと思います。私も、2010年放送のNHKドラマ10を観てすっかりハマった一人です。
檀れいさん扮する主人公・希和子は、妻子のいる丈博との不倫関係に陥っていました。そしてなんと、衝動的に丈博の生後間もない娘を誘拐。希和子は娘を「薫」と名付け、偽りの「母子」として逃亡生活に入ります。

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やがて小豆島にたどり着いた二人。本当の親子のような愛情を深め、ようやく暮らしも落ち着き始めました。が、その矢先、希和子は警察に逮捕されるのです。

希和子と薫が小豆島にいることがなぜ発覚したのか。
それは、島の祭りに参加した二人を撮影した写真が新聞の全国紙に掲載されたためでした。
写真は、仲睦まじい母子の姿を通して祭りの雰囲気を伝えるもので、希和子の居場所を暴露するために撮られたわけではありません。もちろん希和子の過去など知る由もないカメラマンは、逮捕の知らせにさぞ驚いたことでしょう。
ちなみに、希和子は撮影されたことに気づかず、カメラマンも撮影の承諾を取っていません。祭りの場は大勢の島民で賑わっていましたから無理からぬことです。

イベントの楽しい様子をテレビで報道する際、参加者の「いい表情」は欠かせません。
とはいえ、被写体となった方々それぞれの「事情」は撮影する側にはわかりません。お一人ずつ承諾を取れればいいのですが、人が多ければそうもいかないのが現実です。
では、「事情」のある人や「出たくない」と思う人がいるかもしれない、ということで、参加者の顔は全員モザイク(顔消し)をするか、首から下だけ撮るか、後ろ姿だけにすると・・・
なんだか「怪しげな集まり」になってしまいます。「参加した皆さんは喜んでいる様子でした」とナレーションで補足したところで、余計に嘘くさくなってしまうでしょう。

ああ、肖像権。
テレビの「顔消し」はどこまで必要か。みなさんはどう思いますか?

これまで放送した番組をもっとたくさんの人に観てもらいたい。そのためには肖像権の問題と向き合う必要がある。そうした思いで、以前のブログでも紹介した「肖像権ガイドライン(案)」をもとに研究した論文を放送研究と調査3月号に掲載しています。
ぜひご一読いただき、一緒にこの問題を考えてみてください!