文研ブログ

調査あれこれ 2023年04月05日 (水)

#469 中高生の学校生活、どんな感じ? ~第6回「中学生・高校生の生活と意識調査」から~

世論調査部(社会調査) 村田ひろ子

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 いよいよ新年度がスタート!新たな友だちや先生との出会いに、期待と不安の入り交じった気持ちでいる中高生の皆さんも多いのではないでしょうか。新しい教科書やノートで心機一転、「勉強頑張るぞ~」と張り切っている人もいるかもしれませんね。
 ところで、いまどきの中高生は、学校や先生、勉強についてどんなふうに感じているのでしょうか。
 文研が昨夏、全国の中高生を対象に実施した世論調査1)の結果をみると、学校が『楽しい(とても+まあ)』と答えたのは、中学生、高校生ともにおよそ9割を占めています。楽しい理由として、「友だちと話したり一緒に何かしたりすること」を挙げた中高生は7割台に上ります。

学校は楽しいか
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 学校といえば、部活動を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。「部活動に入っている」と答えたのは、中学生が8割、高校生が7割。このうち、部活動に『満足している(とても+まあ)』という人は、中高ともに9割近くでした。
 それでは先生に対しては、どう思っているのでしょうか?担任の先生が、自分のことを『わかってくれていると思う(よく+まあ)』と答えたのは、中高ともにおよそ8割。身近な担任の先生が自分を理解してくれていたら、安心して学校生活がおくれそうですね。

担任の先生は、自分のことをわかってくれているか
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 さて、勉強についてですが、「一生懸命勉強すれば、将来よい暮らしができるようになると思う」中高生は7割台に上ります。多くの子どもたちが、勉強を頑張れば、豊かな将来が期待できると考えているようです。また、自分の将来に『期待している(とても+ある程度)』という中高生は6割台で、明るい将来展望を思い描いている様子がうかがえます。

「一生懸命勉強すれば、将来よい暮らしができるようになる」と思うか
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 ただ、進学意向についてみると、子どもたちが考える将来像は、親の状況によって少し異なっているようです。 進学の最終目標について尋ねたところ、親の学歴や生活程度2)が高いほど「大学・大学院まで」進学したいという中高生が多くなっています。

進学の最終目標(父親の学歴別)
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進学の最終目標(父親の生活程度別)
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 日本は、経済協力開発機構(OECD)加盟国の平均と比べて教育費に占める家計負担の割合が高く、特に高校生・大学生のいる家庭の家計に教育費が重くのしかかっています。学費の負担ができずに大学進学をあきらめる子どもたちが相当数いることも指摘されています。子どもたちの将来が、親の学歴や経済状況によって左右されることがないように、格差の是正や教育費用の負担についての議論を高めていくことも必要ではないでしょうか。

中学生・高校生の生活と意識調査2022の結果は、こちらから!↓↓↓
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/20221216_1.html


1) 第6回「中学生・高校生の生活と意識調査2022」

2) 生活程度については、父母を対象にした調査で、「上」から「下」まで5段階で尋ねているが、このうち「上」と「中の上」を「上」、「中の中」を「中」、「下」と「中の下」を「下」としてまとめ、分析を行った。

メディアの動き 2023年03月31日 (金)

#468 "不偏不党"と"表現の自由"で揺れるBBC 

メディア研究部(海外メディア)税所玲子

世界の「公共放送の母船」とも形容されるイギリスBBC。その看板スポーツ番組に、解説者として出演するサッカー・イングランドの元主将のギャリー・リネカー氏が、政府の移民政策の批判を約890万のフォロワーを持つ個人アカウント上でツイートし、同局のジャーナリズムの原則の1つである「不偏不党」と「表現の自由」をどう両立させるのか大論争になっています。

ロンドンの観光名所、オックスフォード・ストリートから数分のところにあるBBC本部の玄関脇には2.5メートルのジョージ・オーウェルの像があります。1941年から2年間、BBCの対外宣伝放送に携わった作家の横には、「もし自由に意味があるとするとすれば、それは相手が聞きたくないことを告げる権利のことだろう」との言葉が刻まれ、「権力監視」と「表現の自由」をうたっています。

BBC1_W_high.jpg BBC本部の前にあるジョージ・オーウェルの像

もう一つ、BBCのDNAと呼ばれるのが「不偏不党」(impartiality)です1) 。伝統的な二大政党の時代には左右のバランスをとることとも理解されていましたが、政治・社会が多軸・多様な今、「どの立場にもくみせず、偏見のない状態をいう」とBBC関係者は説明しています 2)。この原則は、国王からの「特許状」に明文化され、いかなる勢力にも偏ることなく、事実に基づいた報道を目指す その姿勢が、信頼の源となってきた、とBBCの職員は胸を張ります。

BBC2_W_high.jpg「不偏不党」が明記されているBBCの特許状 
(BBCのホームページより)

今回の論争のきっかけとなったリネカー氏のツイートは、3月7日、イギリス政府が打ち出した移民政策についてのやりとりの中で起きました。英仏海峡を小舟で渡り入国を試みる移民が後を絶たず、政府は対策としてこうした手段で入国した人には亡命申請を認めないという法案を発表しました。
これに対し、難民を自宅に受け入れるなどの支援を行っているリネカー氏は、「1930年代のドイツが使ったのと変わらない言葉で、最も弱い立場の人たちに向けられた残酷な政策だ」と厳しく批判したのです。

BBC3_W_high.jpg問題となったリネカー氏のツイートを伝える英Daily Mail紙 
(Daily Mail ホームページより)

これに対し、与党・保守党の議員から批判の声が上がり、首相官邸の報道官も「受け入れられない」と述べました。一方、ネットでは支持の声が広がりました。

実はリネカー氏の「不規則発言」は今回が初めてではありません。EU離脱や保守党へのロシアからの献金を批判するツイートを繰り返し、ネット時代にあった「不偏不党」のあり方を模索するBBCにとって、その苦悩を象徴するような存在でした。

BBCは、2010年代からソーシャルメディア(SNS)での活用を進めてきました。取材者個人が批判されたり、いわゆる炎上事件が起きたりするリスクは認識しながらも、ネット空間での視聴者との対話が、これからは避けて通れないと判断したのです。

しかし、格差、移民、ポピュリズムなどの課題を抱えたイギリスは、2016年のEUからの離脱を問う国民投票をきっかけに対立が噴出します。国のあり方をめぐる論争は、自分が何を大事に思うのかという「価値」を際立たせ、記者たちは右からも左からも「偏向だ」と批判されることが増えていきます。

そして2019年、難航するEU離脱交渉を終わらせることを公約に掲げて総選挙に勝利したジョンソン首相は、交渉の行方を追及するメディアにいらだち、対決姿勢を強めます。BBCの受信許可料の不払いに対し刑事罰を科す制度の見直しを試みたり、Channel4の民営化計画を打ち出したりするなど揺さぶりをかけました3)

BBC4_W_high.jpgBBCデイビー会長就任を伝えるBBCニュース
「不偏不党を守らないスター出演者の解雇も辞さず」

そんな緊張が漂う中、2020年9月に会長に就任したティム・デイビー氏は、「不偏不党」の徹底を最重要課題に掲げます。当時、欧米では、#MeToo運動や黒人の人権擁護の運動が広がっていましたが、デイビー会長は、報道や社会番組に関わる者は、政治志向を推察される言動はもとより、キャンペーンへの参加も許さない姿勢を打ち出し、SNS利用のルールを厳格化しました。キャスターや記者の中には、管理を嫌い他局に移る人も少なくありません。またSNSでの発信を当然と考える若い職員の間には不満がくすぶっていると伝えられています。

ただ、リネカー氏は、BBCの職員ではなく、フリーランスとして番組に出演しています。リネカー氏は、自分はガイドラインの対象でないと考えていたと主張しています。一方、BBCからすれば、135万ポンド(約2億2000万円)と局で最高報酬を得、抜群の知名度を持つリネカー氏には特別な責任が伴うとの考えがあったようです。

リネカー氏がツイートの削除を拒否したことを受けて、ついにBBCは10日、「SNSの利用について、明確な方針の合意が得られるまで」番組の一時降板を要請したと発表しました。

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リネカー氏を支持する出演者による番組ボイコットを伝える新聞各紙
(BBCのホームページより)

ところが、このBBCの決定に、リネカー氏を支持する他のサッカー番組の司会者や出演者による番組ボイコットが起きました。また一部の選手が、試合後のBBCのインタビューを拒否する考えを選手組合に伝えたため、プレミアリーグは、すべての選手と監督が、リネカー氏を降板させた番組のインタビューを見送る方針を示しました。

土曜日のイギリスは、朝から晩までテレビやラジオでサッカー番組が組まれています。しかし11日は、多くの番組が放送できなくなり、テレビでは文化系番組の再放送で、ラジオではポッドキャストの放送で編成の空白を埋めることを余儀なくされる、異例の事態に陥りました。

BBC6_W_edited.jpgシャープ理事長に対する議会での聴聞の様子を伝えるBBCニュース

この大混乱は、BBCにとって最悪のタイミングで起きました。
今年1月、シャープ理事長がジョンソン元首相の約80万ポンドのローンの保証人の仲介に関わっていたことが発覚。シャープ氏は、ジョンソン氏のロンドン市長時代やスナク首相の財務相時代のアドバイザーを務めていました。保証人の仲介は理事長の選出のさなかの出来事だっただけに 「お友達人事」との批判を浴び、選出のプロセスが適切だったか外部調査が進められていました。
13日には、議会下院でリネカー氏の問題と不偏不党について、文化相に対する緊急質問が行われ、 野党からは、「権力に対しモノを申した人物を降板させるのはおかしい」「BBCへの信頼を傷つけたシャープ氏こそ辞任すべきだ」などの声があがりました。

混乱の収拾を図るため、デイビー会長はリネカー氏と話し合い13日、番組に復活させる方針を示すとともに、SNS利用のルールを見直す考えを示しました。声明の中でデイビー会長は、視聴者に謝罪するとともに「BBCは、特許状で不偏不党を誓っている。まだ表現の自由も同じように大事だと考えている」と述べ、2つの価値のはざまで苦悩していることをあらわにしました。

 BBC7_W_edited.jpgデイビー会長へのBBC記者によるインタビュー動画
(BBCホームページより)

ところでこの騒動をBBCの報道部門は、過去の自局のスキャンダルの時と同様に、客観的に報じています。出張先のアメリカでデイビー会長へのインタビューを行った特派員が、「視聴者はリネカー氏でなくあなたの不偏不党に疑問に投げかけている。政府や与党・保守党、右派のメディアの圧力に屈したのではないか」「BBCにとって不偏不党と同じく信頼も大事だ。その信頼を失った今、辞任すべきではないか」と問う様子を収めた動画は、全編、ネットで公開されています4)

 BBC8_W_edited.jpg BBC外観

誰もがネットを通じて自由に発信できるようになり、多様性が重視される今の社会で、不偏不党はどう実践されるべきか。問題をきっかけに議論が 広がっています。

BBCの元報道局長で、現在、ネットメディアTortoiseを率いるジェームズ・ハーディング氏は、BBCのラジオ番組で、「公金で支えられる放送局が提供するニュースや情報は公平でなければならないが、政治的な問題の判断は個人に委ねられるべきだ。すべての作家、監督、音楽家、スポーツ解説者、科学者、経営者のオピニオンを管理するのは無理がある」と行き過ぎた管理に疑問を呈します。
また外部規制監督機関・放送通信庁(Ofcom)の元会長のパトリシア・ホジソン氏も「BBCのブランドを傷つけないように表現の自由を行使すべきで、そのことによって、視聴者の多様な意見を尊重することにもつながるのではないでしょうか」と述べています5)

一方、偽情報や誤情報が飛び交う時代だからこそ、正確で信頼できる情報が必要で、それを担保する情報の多様性や不偏不党は譲れないとの主張も聞かれます。BBCのデイビー会長はもちろん、元会長のマーク・トンプソン氏も、かつて「不偏不党がなくなるくらいなら、BBCがなくなった方がよい」とまで言い切りました。

BBCの歴史の編さんに携わったウェストミンスター大学のジーン・シートン教授は、「そもそも不偏不党は不完全なものだ」といいます。放送が始まった100年前を振り返り、「当時世界は“新しいメディア”によって、大企業の利益が国民の利益よりも優先されたり、海外のイデオロギーによって世論が影響を受けたり、戦争の宣伝によって政府やメディアに対する国民の不信が高まったり、国民が分断されることが懸念されていた。そうした懸念を克服するために国民の声を反映する場、議論の出発点となる情報が必要だったのだ」と説明します6)

この言葉は、今の時代にも、そのまま当てはまると思います。

日本のメディアが未曾有の災害によって変化したと言われるように、BBCは戦争や政権交代など社会の変化の中で生じる影響から、編集権の独立をいかに守るかという組織防衛の歴史の中で成長してきました。

激動のメディア環境の中で、これまで試され、再構築してきた ジャーナリズムの原則にBBCが向き合い続けることで、ネット時代の不偏不党の姿が見えてくることを期待しています。そして、それは、世界の公共放送にも示唆に富むものになるでしょう。


1)Impartialityは「公平公正」の訳も使用される。本ブログでは、BBCが「予断を持たないバイアスのない状態」との説明を受け、検察官が任務遂行にあたって用いる不偏不党の概念に近いと考え、同訳を使用している。

2)BBCの編集方針に関する議会証言 https://committees.parliament.uk/oralevidence/3201/pdf/h / 編集指針Editorial Guideline で求めるのはDue Impartialityとされ、問題に相応(due)の対応を求めている。意見が対立する問題について同じ秒数を配分する必要はなく、1つの番組でなく放送全体で判断されるものだと説明されている。また21世紀の不偏不党のあり方について検討したBBCの報告書“From Seesaw to Wagon Wheel”(2007)では、不偏不党は、正確性やバランス、公平性、客観性、透明性など様々な要素が組み合わさってできるものだとした上で、「視座の広がり」も重要で「より多くの意見を取り入れることで実現される」と強調している。https://www.johnbridcut.com/documents/seesaw_to_wagon_wheel_report.pdf

3)いずれの政策も、途中で見直しとなり、実現されなかった。

4)Gary Lineker: BBC director general Tim Davie’s interview in full https://www.bbc.com/news/av/uk-64928580

5)Press Gazette, BBC to review social media rules for all staff in bid to resolve Gary Lineker row, March 13 2023

6)Jean Seaton, History of the BBC: impartiality https://www.bbc.co.uk/historyofthebbc/100-voices/inventingthefuture/impartiality/

メディアの動き 2023年03月27日 (月)

#467 平成の放送制度改革を振り返る

 メディア研究部(メディア史研究)村上聖一

  平成(1989年~2019年)の約30年間、インターネットが普及し、放送と通信の融合が進展していく中で、放送制度にも大きな見直しが迫られました。この間、制度改革をめぐってどのような議論が行われ、どのような結論に至ったかについては、『放送研究と調査』で2回にわたってまとめましたので、以下より、ぜひお読みいただければと思います。ここでは、簡単にその内容をご紹介します。

▶ 『放送研究と調査』2023年1月号
  平成の放送制度改革を振り返る(1)放送・通信融合と法体系見直し

▶ 『放送研究と調査』2023年2月号
  平成の放送制度改革を振り返る(2)番組規律をめぐる議論

  従来の制度で問題になったのは、放送と通信が融合する中で、テレビや電話といった業態別の縦割りの法体系では、新たなサービスの創出に支障があるのではないか、という点でした。これについては、2000年代に入り、官邸主導の政策形成が進む中、総務省や放送事業者に加えて、IT戦略本部といった新たなアクター(行為主体)が政策形成に参入しました。そして、以下の図にあるように、縦割りの法体系からレイヤー型(横割り型)の法体系に転換し、規制の緩和を図るべきといった改革案が浮上しました。

2001年の法体系見直しのアイデア
kiseikaikaku.jpg(IT戦略本部IT関連規制改革専門調査会資料)

  これに対して、以下の図は、2010年に実現した放送・通信関連法の再編後の法体系です。この図を見ると、新たなアイデアが採用され、レイヤー型の法体系に移行したと言うことはできるでしょう。一方で、先のアイデアが提示されてから実際の法改正に至るまでに、10年近くの期間がかかったこともわかります。また、図からは読み取れませんが、改正内容を詳しく見ますと、放送での完全なハード・ソフト分離といった改革は見送られ、規制の見直しを含め、法改正は、既存の放送事業者の経営に大きな影響を及ぼさないものとなりました

2010年の放送・通信関連法の再編
soumusho.png(平成27年版情報通信白書)

  改革の中身が変化していった背景には、制度を抜本的に見直すアイデアは新たなアクターによって打ち出されたものの、それが具体化される段階で、所管官庁(総務省)や放送事業者といった従来の政策共同体が大きな影響力を持ったという点があります。そして、そうした政策共同体を中心に検討が進む中で、改正内容が次第に漸進的なものになっていった面があります。

  さらに、平成期の制度改革をめぐって指摘できる問題はこれだけではありません。放送制度の見直しでは、法体系の再編に加えて、メディアが多様化する中でのコンテンツ規律(番組規律)の見直しも重要な課題になりますが、制度の見直しにあたっては、その2つが切り分けられ、異なるアクターによって別々に議論されたということも指摘することができます。そして、コンテンツ規律をめぐる議論は、放送・通信融合への対応というよりも、番組をめぐる個別の問題が発端になって起きることが多く見られました

  例えば、1997年放送法改正でなされた番組審議機関の機能強化では、それに先立って起きた番組をめぐるさまざまな不祥事が存在していました。また、2010年の法体系の再編の際には、通販番組を含め、放送番組の種別の公表を義務づける規制強化がなされましたが、これもその直前の通販番組に対する批判がきっかけでした。

  しかし、放送制度の目的が、究極的には、「放送による表現の自由の確保」や「健全な民主主義の発達」(放送法1条)にあることを考えれば、法体系の見直しにしても、番組規律の見直しにしても、そうした目的を踏まえた上で、双方をどのように組み合わせれば政策目標の達成につながるのか、といった観点からの議論がより求められていたのではないかと指摘することができます。

  放送制度は、令和に入ってからも見直しが続いています。そこでは、近年の情報空間の変容を踏まえた上で、放送政策の目標を改めて確認し、制度のあり方を体系的・総合的に検討していくことが求められていると思います。

 

メディアの動き 2023年03月23日 (木)

#466 テレビのジェンダーバランス~国際女性デーのメディア発信から日常の放送・報道を見直すことを考える~

メディア研究部 青木紀美子・小笠原晶子・熊谷百合子・渡辺誓司

 3月8日は国連が定める「国際女性デー」。2023年もこの日をはさみ、さまざまなメディアで女性の政治参加、働きやすさ、からだのこと、差別の問題など、女性やジェンダーの課題を考える多くの特集や連載が組まれました。

#自分のからだだから

 ハッシュタグ「#自分のカラダだから」(1)では、女性の健康な生き方につながる情報を発信するため、NHKと在京民放6局(日本テレビ、テレビ朝日、TBS、テレビ東京、フジテレビ、TOKYO MX)が連携しました。このうちNHKは、Eテレ 「u&i」の『なんでずる休みするの? ~生理』」や特集ドラマ『生理のおじさんとその娘』をはじめ、ドラマや情報番組、報道番組などで幅広く関連するテーマを取り上げています。フジテレビでは男性も加わり、アナウンサー8人が性別に関わる「決めつけ」について考える記事も特集ページ「"私"を生きる~live My life~」(2)に掲載しました。朝日新聞の「ジェンダーを考えるThink Gender」(3)や東京新聞の「ジェンダー 平等 ともに」(4)は、社会が生む性差や性差別について問いかけています。
 こうした特集は、日常的には取り上げることが少ない、あるいは光があたりにくいテーマや課題などについて、シリーズにしたり、ハッシュタグでひもづけたりすることで、読者や視聴者の注意を引き、関心を広げる可能性があります。女性の視点を伝える発信が多いことは、メディアが社会の多様性を反映するという観点からも、男性を含めより多くの人に「気づき」のきっかけをつくるという観点からも歓迎したいことです。一方で、国際女性デーの前後というタイミングを利用しないと伝えられないことがあるのだろうか、常日頃から女性の課題を取り上げ、女性の視点を反映することはできているのだろうか、という懸念も抱きます。
 私たち文研の多様性調査チームは、テレビの番組に登場する人物のジェンダーバランスを継続的に調べ始めています。2021年度の調査(5)ではNHKと在京民放キー局の女性と男性の割合は、番組全般をみるとおよそ4:6、夜9-11時台の主要ニュース番組ではおよそ3:7で男性の割合が高く、年齢層でみると女性は若い年層が多く、男性は中高年層が多いという結果になりました。ニュースに登場する女性は街頭のひとことインタビューなどでは男性と同数に近い一方、肩書ある立場から発言することは男性に比べて大幅に少ないといった偏りがあることもわかりました。
 この傾向はその後、少し変わったのでしょうか?下の図は集計中の2022年度の調査結果です。テレビ番組全般については6月の1週間、NHK総合とEテレ、在京民放キー局のあわせて7チャンネルの登場人物についてメタデータ(6)に記録がある人について集計したものです。女性の割合は2021年度に比べて1ポイント増えていました。

番組全般の出演者

 夜の主要ニュース番組については6月と11月の月~金曜日に登場した人物を調べたものです。女性の割合は番組全般とは逆に1ポイント減っていました。ニュース番組は10日分、番組全般は1週間分の数字なので、増減はどちらも誤差の範囲で、大きな傾向は変わっていなかったというべきかもしれません。より詳しい集計内容については、追ってこちらのブログや文研が出版する『放送研究と調査』でご報告します。

夜のニュース番組 登場人物

 ちなみに日本の総人口をみると、女性は半数以上を占めています。労働力人口でみても、女性は全体の 45%近くを占めています。(7)多くの女性は仕事と子育ての両方の負担を担い、社会を支えています。しかし、非正規雇用の割合が高いということもあって、コロナ禍では解雇や育児負担などでより大きな影響を受けたことがわかっています。ところが、テレビに映し出される世界には女性が少なく、女性の視点が十分には反映されていない可能性を上記のデータは示唆しています。『放送研究と調査』2023年2月号の「"コロナ特別休暇"制度の報道は子育て世帯に届いたのか?(8)のために行ったアンケート調査では、仕事と育児を両立する女性、男性のいずれもがテレビニュースは「多様な意見を届けていない」、「子育てや生活情報が少ない」と感じていることが明らかになっています。
 世界経済フォーラムのグローバル・ジェンダー・ギャップ報告(2022)で日本は調査対象146か国中116位。イギリスのエコノミスト誌が行った「女性の働きやすさ」についての調査では、今年も主要29か国のうち28位でした。メディアが女性の姿や声を反映せず、ロールモデルを示さないことなどでジェンダー・ギャップを固定化し、再生産していないか、考える必要があります。

日本の人口

 2月のブログ記事「北欧メディアに学ぶジェンダー格差解消のヒント(9)では、アイスランド国営放送編集長ソーラ・アルノルスドッティルさんの「人々にとって何がニュースなのかを再定義する必要があるのです」という問題提起を伝えています。『放送研究と調査』の連載「メディアは社会の多様性を反映しているのか➂(10)では、アメリカのメディアが組織・人材とコンテンツの多様性向上をめざしている背景にメディアとしての存続への危機感があることも紹介しました。
 国際女性デーにあわせて組まれた特集や連載、その中で取り上げたテーマや課題、女性の視点が、日常のテレビ番組、新聞記事、メディアの発信内容や価値判断の基準を見直す手がかりになっていくとよいのではないか、と私たちは考えています。それは男性も含めメディアの取材・制作現場にいる人、編集方針を決める権限を持つ人たちの新たな気づきのきっかけになり、問題意識の共有につながるのではないでしょうか。国際女性デーの前後はこうしたメディアの課題を考える機会でもあります。


(1)#自分のカラダだから ──メディア連携で女性の体・心・生き方について考えるコンテンツを集中発信!(NHK、民放各局)
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=37744
(2)"私"を生きる~live My life~(FNNプライムオンライン)
https://www.fnn.jp/subcategory/live_My_life
(3)ジェンダーを考えるThink Gender(朝日新聞)
https://www.asahi.com/special/thinkgender/?iref=kijiue_bnr
(4)ジェンダー 平等 ともに(東京新聞)
https://www.tokyo-np.co.jp/tags_topic/womensday
(5) 連載 メディアは社会の多様性を反映しているか①
調査報告 テレビのジェンダーバランス(『放送研究と調査』2022年5月号)
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/domestic/20220501_7.html
(6) エムデータ社のメタデータ記録を利用
(7) 令和3年版働く女性の実情(厚生労働省)
https://www.mhlw.go.jp/bunya/koyoukintou/josei-jitsujo/21.html
(8) "コロナ特別休暇"制度の報道は子育て世帯に届いたのか?~「共働き子育て世帯のメディア接触調査」の結果から~(『放送研究と調査』2023年2月号)
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/domestic/20230201_4.html
(9) 北欧メディアに学ぶジェンダー格差解消のヒント
https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/100/480010.html
(10) 連載 メディアは社会の多様性を反映しているか③ 将来に向けた危機感を問うアメリカの事例と専門家の提言(『放送研究と調査』2023年1月号)
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/oversea/20230101_4.html
放送ヒストリー 2023年03月22日 (水)

#465 『いないいないばあっ!』が生まれるまで ~ワンワン誕生秘話~

計画 久保なおみ

 Eテレで放送中の『いないいないばあっ!』は、0~2歳の乳幼児を対象にした番組で、今年の4月に放送開始から28年目を迎えます。私は1995年の番組立ち上げ時にディレクターとして関わりましたので、今回は『いないいないばあっ!』が生まれた経緯について、書いてみたいと思います。
 この番組を提案した時は、『いないいないばあっ!』という番組名も、主要なキャラクターの「ワンワン」という名前も、編成から工夫がないと言われ、なかなか決まりませんでした。けれども、0~2歳児に身近で、自然と覚えられる言葉を使いたいという思いは強く、提案に書いた番組名とキャラクター名を最終的に残したまま、制作に入りました。

いないいないばあっ!

 『いないいないばあっ!』という番組が誕生したきっかけとなったのは、1989年に発行された「テレビがある時代の赤ちゃん」という研究報告でした。この研究報告は、テレビと赤ちゃんとのかかわりについて書かれたもので、国立小児病院長だった小林登氏が代表を務め、産婦人科医や小児科医、大学の研究者、NHKのプロデューサー、放送技術研究所・放送文化研究所の研究員などが共同研究を行い、その成果を報告していました。

テレビがある時代の赤ちゃん

 この報告書の存在を教えてくれたのは、当時私が所属していた『天才てれびくん』班の中村哲志プロデューサーでした。子ども番組が作りたくて NHK に入局して4年目。200人いたディレクターの中で、ただ一人子ども番組の制作を希望した私は、念願の幼児班に配属されたものの、体調を崩して『天才てれびくん』班に移されていました。そんな私に「世界初の赤ちゃん向け番組を作ってみないか」と、この報告書を渡してくださったのです。

 報告は、以下のような内容で構成されていました。

  • 映像、音の胎児の行動に及ぼす影響について
  • 映像と音声の母児に対する影響に関する研究
  • 胎児の音声発達
  • 映像と音声に対する乳児の反応行動の発達に関する研究
  • P300 (事象関連電位) を用いての乳児の認知の評価(注1)
  • 乳児の視覚機能の発達に対するテレビの影響
  • テレビと聴覚障害
  • テレビをめぐる赤ちゃんと家族の育ちあい ―生活記録事例を通して
  • 0~2歳児の対テレビ行動
  • テレビがある時代の赤ちゃん -集団調査
  • 低年齢乳幼児のテレビ視聴行動 ―行動観察
  • 乳幼児テレビ視聴行動観察のためのプレイルーム音響条件
  • 視覚・聴覚障害児のテレビ視聴行動の研究

 私たち制作者が注目したのは、0~2歳児がいる部屋のおよそ7割にテレビが置いてあり、かなり早い時期から日常的にテレビと接している、という事実でした。NHKの幼児向け番組の先駆けで、2~4歳児を対象にした『おかあさんといっしょ』では、1979年に「2歳児テレビ番組研究会」を発足させ、2歳児を対象としたコーナーの開発を行っていましたが、2歳未満では、月齢によって発達や認知の度合いが大きく異なります。当時、テレビが乳幼児に与える悪影響についても論じられはじめていたので、月齢ごとの発達段階を研究した上で、乳幼児に特化した良質な番組を作ることが急務であると思われました。

 イギリスの公共放送BBCにも『テレタビーズ』という乳幼児向け番組がありますが、放送開始は1997年ですので、『いないいないばあっ!』提案時には、まだ世界に0~2歳児を対象にした番組はありませんでした。そこで私たち制作者は、小児科医など専門家への取材や、保育の現場取材などを重ねつつ、大学の研究者・絵本作家・造形作家・人形製作者・CG制作者・作家・アニメーター・デザイナー・シンガーソングライター・商品化担当者などで構成される「番組開発プロジェクト」を立ち上げました。多方面で活躍される方々を一堂に集めてディスカッションすることにより、今までにない全く新しい番組を開発することを目指したのです。

 番組を試作するにあたって大切にしたのは、以下のような点でした。

  • 子どもの感情、心、感性を揺り動かす。
  • 参加感を得られるよう、テレビの前の子どもに直接はたらきかける。
  • 伝えたい言葉にBGMは重ねず、本物の楽器の生の音を大切にする。
  • 親子のコミュニケーションのきっかけとなることを目指す。
  • 大人のバラエティーの子ども化ではなく、子どもの世界の原点に面白さをみつける。
  • 何かを学ばせるのではなく、「こんなこともできるよ!」という視点を大切に。
  • 生活習慣が自然と身につくよう、専門的な知識に裏付けされたコーナーを作る。
  • カメラも子どもと同じ目の高さで。子どものいい表情を撮ることに命を懸ける。
  • どこまでもシンプルに。
  • 子どもは常に変化していくので、リサーチを繰り返す。

 また、0~2歳児は年齢が近い子どもに関心があるという報告もありましたので、スタジオには1歳半の子どもたちを出したいと考えました。しかしながら『おかあさんといっしょ』に出演している一般公募の3歳児でも、一定数は親から離れられずに泣いてしまいます。1歳半の子どもたちを一般公募した場合、せっかく抽選に当たっても、多くの子どもたちがカメラの前に出て来られない状況になることが予想されました。そのためスタジオの子どもたちは一般公募ではなく、オーディションで選ぶことにしました。こうして選ばれた初代のレギュラー出演者の中には、その後『ひとりでできるもん!』で3代目まいちゃんとなった伊倉愛美さんもいました。

 進行役も、ターゲットの子どもたちにより年齢が近い、小学生にしたいと考えました。コントロールのきかない1歳半の子どもたちと共演するのは、かなり至難の業だと思われましたので、当時の『天才てれびくん』のレギュラー出演者で、柔軟な対応力をみせていた「かなちゃん」こと田原加奈子さんに、出演を依頼しました。『天才てれびくん』からの卒業が決まっていた「かなちゃん」は、「できるかわからないけど、やってみる!」と、快く引き受けてくれました。

試作時の田原加奈子さんとワンワン (試作版の 田原加奈子さんとワンワン)

 スタジオで子どもたちと遊ぶ犬のキャラクター「ワンワン」も、予測不可能な動きをする1歳半の子どもたちに、臨機応変に対応しなければなりません。当時日本では、操演と声は別々の人が担当することが一般的でしたが、『セサミ・ストリート』のドキュメンタリーを観て、キャラクターの中に俳優さんが入って演じるスタイルを知りました。そこで、キャラクターの中で声も演じられる人を探していたところ、小学3年生向けの社会科番組『たんけんぼくのまち』に出演していたチョー(当時は長島雄一)さんを紹介されました。チョーさんにお会いした時、「え!?僕が(着ぐるみの)中に入るんですか?」と、とても驚かれましたが、二つ返事で承諾してくださいました。当時既にベテランだったチョーさんが、以来28年という長きにわたってワンワンを演じてくださっていることに、とても感謝しています。チョーさんは、操演のプロではないことに悩んだ時期もあったそうですが、人間くさくていいと割り切ったことで楽になり、「ワンワン」独自のスタイルにつながったと、後に話してくださいました。

本放送版のかなちゃんとワンワン (本放送版の かなちゃんとワンワン)

 星の子の「ペンタ」も、『いないいないばあっ!』初代キャラクターのひとりです。赤ちゃんは「ぱぴぷぺぽ」の破裂音が好きだという調査結果を受けて、名付けました。試作では古典芸能の文楽のように、操演者が顔を出して人形を操作する方法も試してみましたが、人形を動かしている人から声が出ているという状況が、幼い子どもたちには難解であることが分かり、本放送時には、キャラクターだけが見えるスタイルに落ち着きました。2代目がふわふわの雲の子「くぅ」(途中から「ダーダ」も)で、3代目が現在の「うーたん」です。「うーたん」は4月からステージショー『ワンワンわんだーらんど』への出演となり、『いないいないばあっ!』には新キャラクター「ぽぅぽ」が仲間入りします。

(ペンタ 試作版) (試作版の ペンタ)

 もし1995年に体調を崩していなかったら、『天才てれびくん』の班にはおらず、「テレビがある時代の赤ちゃん」という研究報告を読むこともなかったかもしれません。かなちゃんやチョーさんとの出会いを含め、ほんとうに幸運な偶然であったように思います。
 『いないいないばあっ!』は2本の試作番組を経て、1996年4月にBS2での放送を開始しました。放送開始から28年。当時番組を観ていた子どもたちが親となり、自分の子どもと一緒に観てくれている人もいます。こんなに長く楽しんでいただけるなんて、最初に作った時は思ってもみませんでした。これからもずっと愛される番組であることを願っています。

【参考記事】
子どもとテレビ研究・50年の軌跡と考察|NHK放送文化研究所

注1:P300 (事象関連電位)とは、知覚や認知処理に関連して発生する脳波のこと。
メディアの動き 2023年03月20日 (月)

#464 「復帰」51年目に沖縄のことを考える ~『放送メディア研究16号』発刊に関連して~

メディア研究部(番組研究) 高橋浩一郎

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 研究誌『放送メディア研究』の第16号が今月発刊されました。テーマは「沖縄 『復帰』50年」です。
 沖縄が日本に「復帰」して50年が経過した2022年は、年明け早々3年目となる新型コロナの第6波、2月にはロシアによるウクライナ侵攻、7月には安倍元首相銃撃事件など、その後に尾を引く出来事が次々と起こり、「復帰」報道はその中に埋もれてしまった印象があります。その中で、メディアは沖縄に関して何を伝え、そして何を伝えなかったのでしょうか。本ブログでは、内容の一部と取材・編集を通じて感じたことを交えながら、「復帰」51年目に沖縄について考えることが持つ意味合いを検討します。

沖縄と本土メディアの報道ギャップ

 本書では、テレビや新聞、ネット、出版物やアートなど幅広い領域を対象にし、沖縄と本土それぞれの「復帰」に関わる動向を扱っています。ここではテレビ番組の分析から明らかになった点を簡潔に述べます。
 全国向けのテレビ番組に関して「沖縄」に関する話題は調査対象期間(2022年1月~8月)を通じて、紀行、グルメ、バラエティー番組や、コロナ関連の報道など一定程度伝えられ続けました。その一方、「復帰」に関する報道になると、5月15日の復帰記念式典の当日周辺に集中的になされたものの、それを除くと一部の番組を除いてほとんどなされず、その傾向は特に民放キー局において顕著でした。他方で、沖縄のローカル放送に目を向けると、局によって多少の差はあるものの、NHK、民放を問わず、期間を通じて「復帰」に関するニュースや企画、特集番組が放送され、全国向けと沖縄ローカルの間に「復帰」報道に関する報道量と質において大きな差があることが確認されました。
 さらに日常的に報じられるニュースでも、安全保障に関わる沖縄の米軍基地問題について両者を比較すると、昨年4月の4週間に、4つのローカルニュース番組で報じられた項目が99なのに対し、7つの全国向け夜のニュース番組では4本でした。沖縄ローカルで報じられたものの全国では報じられないニュースには、台湾危機を背景に活発化する米軍の軍事演習の影響として、漁場付近での指定区域外訓練(4月7日・北谷町)や民間地上空でのオスプレイのつり下げ訓練(4月15日・宜野座村)などがありました。(後者については、すべての全国向けニュースの中でNHK『列島ニュース』のみ報じていました。)どのニュースを全国向けにするかという判断は各放送局の個別の番組に委ねられており、明確な共通基準があるわけではありません。しかし、こういったニュースが果たして沖縄ローカルの放送だけにとどまり、全国の人たちに知られないままでよいのか議論の余地があります。

全国に十分伝えられない命に関わる問題

 沖縄のローカル放送では活発に報道されるものの、全国向けニュースではあまり大きく取り上げられていない問題として、有機フッ素化学物PFASによる水汚染もあります。PFASは深刻な健康被害との関連が指摘されている有害物質です。県民の3分の1に当たる45万人の飲み水に長年混入していたことが2016年に県の企業局の記者会見で明らかになり、その後、米軍基地周辺で国の基準値を大きく超える濃度のPFASが次々と検出されました。基地内で使用される泡消火剤との関係が疑われていますが、日米地位協定のために米軍基地内への立ち入り調査ができず汚染源が特定されていません。
 本号では二人のジャーナリストNHK沖縄放送局の記者・解説委員の西銘むつみさんと、OTV沖縄テレビのキャスターの平良いずみさんの対談を掲載しています。沖縄と本土の間に立ちはだかる「壁」の存在や、それをどのようにして乗り越えるかなど、率直な意見が交わされた対談の中でもPFASについて語られました。PFASの水汚染問題を追ったドキュメンタリー『水どぅ宝』(FNSドキュメンタリー大賞、「地方の時代」映像祭の優秀賞など受賞)の制作のきっかけとなったご自身の体験を平良さんが語ってくださったときの言葉です。

平良ちょうど育休をとってて、まもなく1歳になるぐらいのときにPFASの問題が出て、「いやいやいや。産婦人科で赤ちゃんにミルク作るときに水道水で煮沸して飲ませろって言ったよね」って、もう何か震えが止まらなくなっちゃって。この怒りとこの不安をどこに向けたらいいんだろうと。

平良いずみさん(OTV沖縄テレビ) 平良いずみさん(OTV沖縄テレビ)

 大切な我が子にPFASが混入している水を飲ませていたことを知ったときの驚きと悔しさ、怒りはどれほどだったでしょうか。『水どぅ宝』の中には「自分たちが状況を変えていかなければ、子どもを守ることができない」という切迫した思いから市民運動を始める母親たちの姿が描かれますが、その思いは子育ての"当事者"の一人である平良さんご自身のものでもあります。

子どもたちが日常の中で感じていること

 また同じ対談で、2015年にNHKスペシャル『沖縄戦全記録』(日本新聞協会賞、ギャラクシー奨励賞受賞)を制作した西銘むつみさんは普段の生活の中でお子さんが次のようなことを言うのを聞いたといいます。

西銘長男が中学生だったのかな、野球部の練習が終わって着替えるときに「沖縄って基地があるから攻撃されるのかな。」野球ばっかりやっている子どもたちが、普通にそんな話をして、「お母さん、俺たち徴兵されるの?」とか言うんですよ。そういう感覚がわかるのが、記者にとってありがたいというか、子どもを見ることで自分がどんな言葉で報じていけばいいのかっていうことをすごく教えてもらえます。

 

西銘むつみさん(NHK沖縄放送局) 西銘むつみさん(NHK沖縄放送局)

 西銘さんは、ご自身の息子さんが戦争の影を不安に感じながら学校生活を送っていることを知って「自分がどんな言葉で報じていけばいいのか」教えてもらえたといいます。それは、どれだけ沖縄戦の教訓を伝えても、自分の子どもが感じている戦争の不安を払拭させることができない現実を突きつけられた瞬間だったのかもしれません。しかし、無力感や絶望にさいなまれる暇はないというように、西銘さんは「では、次にどう伝えたらいいのか」考える契機としてとらえ、きっかけを与えてくれた子どもの存在をありがたいと感じています。
 お二人の対談から、幼い子どもを健康に育てることや、子どもが安心して暮らすことさえままならない現実が沖縄にあることに思い至ります。それと同時に容易ではないけれど、これからを生きる子どもたちのために現実をよりよいものに変えていかなくてはというジャーナリストとしての気概を強く感じます。それは大上段からもの申すというより、当たり前の生活実感を大切にし、「おかしい」と思うことにちゃんと反応する姿勢から来るように思えました。

呼びかけにちゃんと応える

 私たちはともすると自分から距離のある物事に無関心でいたり、冷淡な態度を示したりしてしまいがちです。沖縄で起きていることをメディアが十分伝えない以上、本土に暮らす人々が「自分には関係ない」と思ってしまうのもある程度やむをえないことなのかもしれません。
 しかし、PFASによる水汚染は青森の三沢や山口の岩国、神奈川の厚木、横須賀、東京の横田周辺など広い地域で確認されています。ロシアによるウクライナ侵攻や台湾危機を受けて、日本の安全保障政策は十分な議論を経ずに大きく方針転換し、日々のニュースに接する私の子どもたちも戦争への不安を感じるようになっています。沖縄の出来事は、時間差をおいてこの国で暮らす人の身に等しく降りかかっていることに気づく必要があります。
 「自分や身近な子どもが沖縄にいたら」と想像し、自分にできる範囲で呼応することが、子どもたちの未来を預かる大人に求められています。本土に暮らす人々が「復帰」51年目に沖縄のことを知り、考え、行動することは、自分自身や自分の大切な人の未来を考えることにもつながっているのだと思います。

(*4月20日に『放送メディア研究16号』の全文が文研HPで公開される予定です。)

おススメの1本 2023年03月17日 (金)

#463 NHKの長寿番組 調べてみると意外なジジツが...

メディア研究部 (メディア史研究) 居駒千穂

 昨秋に刊行した『NHK年鑑2022』(NHK放送文化研究所編)の「第4部 番組解説」では番組ひとつひとつの詳細データをまとめています。今回、そこに記載されている、国内定時番組476番組のデータをもとにいろいろ調べてみました。

NHK年鑑2022

 さっそくですが、簡単なクイズをひとつ。NHKの総合テレビ、Eテレ、BS1、BSプレミアム、BS4K、BS8K、ラジオ第1、ラジオ第2、FMの全9波(国内)で放送する定時番組、476番組の中で、もっとも長く放送を続けている番組は下の3つのうち、どれでしょう。

1.のど自慢
2.ラジオ体操
3.日曜討論

 これは当たったかたも多いのでは? 正解は、2.ラジオ体操です。『ラジオ体操』は1928年11月に放送を開始し、1947年9月1日から3年8か月の間、放送を中断しましたが、1951年5月6日に放送を再開しました。通算89年8か月放送を続けています(『年鑑2022』に合わせ、2022年3月末を基準に放送期間を計算しています)
 『ラジオ体操』に続いて長いのは、1.のど自慢で、放送開始から76年2か月経過しました。ついで長いのは3.日曜討論(前身は『国会討論会』)です。『のど自慢』も『日曜討論』も、ともに終戦直後の1946年にラジオ第1で放送を開始しました。

こんなにもあった。50年以上続く番組

 ここで、もう一問。NHKの国内定時番組476番組のうち、50年以上続く番組はいくつぐらいあるでしょう。次の中から選んでください。

1.約10番組
2.約20番組
3.約30番組

 正解は、3.約30番組です。
 表1を見てください。これは『NHK年鑑2022』「第4部 番組解説」に記載されている初回放送日に基づいて放送期間を割り出し、放送期間の長い番組から順に並べたものです。50年以上続く番組は数えてみると29番組ありました。
(2022年3月末を基準に計算。2021年度内に放送終了した番組も含みます)

表1 放送開始から50年以上のNHK番組(国内) 表1 放送開始から50年以上のNHK番組(国内)

 上位10番組は、テレビ放送開始の1953年より前の、ラジオ時代に始まった番組です。

放送波によって異なる放送期間と傾向

 3月に発行した『放送研究と調査』(NHK放送文化研究所編)では、総合、Eテレ、ラジオ第1、ラジオ第2、FMの波別に、放送期間の長いものから順に並べたグラフを掲載しています。
 波別に興味深い特徴が出てきましたので、ぜひご覧ください。
放送史料 探訪:『NHK年鑑』で振り返る放送の歴史④】 

(注)今回、分析対象にしたのは『NHK年鑑2022』の「第4部 番組解説」に掲載した、NHKの国内向け定時番組、476 番組である。データは2022年3月現在のものである。

調査あれこれ 2023年03月16日 (木)

#462 マスク着用 「個人の判断」に 顔を隠したくて着ける人ってどのくらいいるの?~「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査(第3回)」の結果から~

世論調査部(社会調査) 小林利行

新型コロナウイルスの感染が、国内で初めて確認されてから3年あまり。

この間、マスクは多くの人の必須アイテムとなっていますが、政府は3月13日からマスク着用の方針を大きく変えました。

医療機関を受診するときや混んだ電車やバスに乗るときなどは着用を推奨するものの、それ以外の場所での着用は個人の判断に委ねるとしたのです。

皆さんはどうしているでしょうか?

文研では2022年11月に新型コロナウイルスに関する世論調査を実施しました。

その中には今回のような状況を想定した質問もあります。

図①は、感染拡大が収束して、屋内や人混みでマスクの着用が求められなくなったとしたらどうするかと尋ねた結果です。

図①  着用が求められなくなったときマスクをどうするか?

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1番多いのは「感染拡大前よりは着ける機会を多くする」で47%、2番目は「できるだけ着けたままにする」で27%でした。

一方、「以前のように外す」は23%にとどまっています。

調査時点と今の感染状況や、この質問の前提と政府のマスク推奨の基準は少し異なりますが、結果をみる限り、すぐさま多くの人が以前のようにマスクを外すことにはならないようです。

考えてみれば、3月12日以前も、会話がなければ基本的に屋外でマスクを着ける必要はないとされていましたが、外でも着けていた人のほうが多かった印象があります。

この調査では、「感染拡大前よりは着ける機会を多くする」と「できるだけ着けたままにする」と答えた人に対して、その理由も尋ねています(図②)。

図②  求められなくなってもマスクを着け続けるのはなぜか 〈回答者1,671人〉

figure2_4png.png

ご覧のように、圧倒的多数の人が「感染症対策など衛生上の理由から」と回答しています。

ただ、「素顔をさらしたくないなど見た目の理由から」という人も7%います。

男女年層別に分けてみました(図③)。

図③  求められなくなってもマスクを着け続けるのはなぜか
(男女年層別)
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いずれの年層も「衛生上の理由から」が多数を占めていますが、18歳~39歳の男女では、「素顔をさらしたくないから」と回答している人も16%います。

この人たちを、18歳~39歳全体に占める割合でみても、男性11%、女性13%となります。

若い男女の10人に1人強が、顔を隠すなどの目的でマスクを着け続けたいという意向を示していることがわかります。

今回の調査は、コロナ禍をきっかけにマスクの意外な着用目的を明らかにしたようです。

調査の他の結果についても「コロナ禍3年 社会にもたらした影響-NHK」で公開していますので、ぜひご覧になってみてください。

また、「放送研究と調査 2023年5月号」では、3年にわたるコロナ禍によって、人々の意識や暮らしがどう変わったかなどについて詳しく紹介しますので、ご期待ください。

調査あれこれ 2023年03月14日 (火)

#461 岸田内閣支持率 若干回復の先は ~どうしのぐ統一地方選・統一補選~

放送文化研究所 研究主幹 島田敏男

 新年度予算案の成立に向け国会で答弁に立っている岸田総理大臣が、この日は東京ドームのマウンドにも立ちました。WBC・ワールドベースボールクラシックの1次リーグ、ライバル対決として注目された日本対韓国の一戦での始球式です。

始球式 出典:首相官邸ホームページ 出典:首相官邸ホームページ (https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/actions/202303/10wbc.html)

 侍ジャパンの栗山監督がキャッチャーを務め、高校球児だったという岸田総理の投球をワンバウンドで捕球。野党側の厳しい追及や質問を受ける予算委員会では見せることがない岸田総理の笑みがこぼれました。

 この3月10日(金)から翌々日12日(日)にかけて、東日本大震災から12年目の3・11をはさんでNHK月例電話世論調査が行われました。

☆あなたは岸田内閣を支持しますか。それとも支持しませんか。

 支持する  41%(対前月+5ポイント)
 支持しない  40%(対前月-1ポイント)

統計上の誤差もありますから支持と不支持が横並びと見た方が良いのかもしれません。それでも数字の上で支持が不支持を上回ったのは去年の8月以来7か月ぶりです。

「岸田内閣を支持する」と答えた人の割合を与党支持者、野党支持者、無党派の別に比べてみるとこうなります。

 与党支持者  69%(対前月+9ポイント)
 野党支持者  19%(対前月+2ポイント)
 無党派  24%(対前月+6ポイント)

 去年の8月以降の支持率低迷の期間は特に与党支持者(自民党支持者+公明党支持者)の支持率が陰っていたのですが、この1か月は上向きました。予算委員会の審議がストップするような大きな政治的トラブルが浮上せず、岸田総理が物価上昇を超える賃上げを呼び掛けたことに一部の企業が呼応し、一定の評価につながっている面もあるようです。

 さらには3月に入って韓国のユン・ソンニョル政権が、太平洋戦争中の「徴用」をめぐる問題で、解決に向けた判断を示してきたことも追い風になっているようです。この韓国政府の判断は、裁判で賠償を命じられた日本企業に代わって、韓国政府の傘下にある財団が支払いを行うとするものです。

岸田首相/韓国 ユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領

 ユン・ソンニョル大統領はアメリカのバイデン政権の強い働きかけを受け、日本との関係を改善するために、問題の解決を急いだと伝えられています。地域の安全保障環境を不安定化させている北朝鮮に向き合うには、日米韓の連携強化が最重要ということは岸田総理が繰り返し主張してきたことでもあります。「待っていました」といったところでしょう。

 しかしながら、こうした好材料の半面で肝心要の国民との対話が深まっているとは言えません。最も特徴的なのが昨年末に打ち出した5年間の防衛費の大幅増額問題です。

☆あなたは、防衛費の増額についての政府の説明が、十分だと思いますか。不十分だと思いますか。

 十分だ 16% < 不十分だ 66%

3分の2が不十分だと感じているという数字は、岸田総理をはじめとする政府関係者の言葉が国民に届いていないことを端的に示しています。

 国会審議を通じて「巡航ミサイル・トマホークを400発購入する予定」といった断片的な情報は出てきました。しかし、防衛費の水準を5年でGDP(国内総生産)比2%に引き上げるという判断が、どういう積算に基づいたものなのかは依然として不透明です。

巡航ミサイルトマホーク(資料) 巡航ミサイル トマホーク(資料)

 論戦の焦点になっている「反撃能力」つまり敵基地を攻撃できる能力を抑止力として保有することについても不明確です。政府の答弁は「これまでと同様の専守防衛の範囲内だ」と繰り返すだけで、一向に説得力が増しません。新たな攻撃的装備を保有するならば、新たな歯止めの仕組みも備えないことには「専守防衛」は空念仏になってしまいます。

 ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに、安全保障に対する国民の関心が高まったとはいえ、勢いで物事を進める姿は好ましいものではありません。平和憲法を掲げる日本にふさわしい国防政策、自衛隊の運用をより多くの国民に納得してもらうことが重要です。そうでなければ信頼は増しません。

☆岸田総理大臣は、将来的な子ども予算の倍増を掲げる一方、「数字ありきではない」として、まず政策を整理し、大枠を示すとしています。あなたは、政府の少子化対策に期待していますか。期待していませんか。

 期待している 39% < 期待していない 56%

このように岸田総理が力を込めて語る少子化対策についても、国民の受け止めは今一つです。特に気になるのは、まさに子育て世代にあたる18歳~39歳の回答が否定的なことです。(⇒期待している39%、期待していない66%)

 この背景には、岸田総理が通常国会冒頭の施政方針演説で総論は高く掲げたものの、中身の各論については「6月の骨太方針までに大枠を提示します」という所でストップしたままになっているという問題があります。

 4月には統一地方選挙、そして合わせて5つの衆参両院補欠選挙が控えています。地域にもよりますが、多くの人が現在の政治を見つめながら投票の機会を待つ中で、「具体的なことは後で」という姿勢には厳しい目が向けられて当然です。ここをどうしのぐかは大きな課題です。

 3月は岸田内閣の支持率が若干上向いたとはいえ、今後も一進一退が続く可能性はあります。5月のG7広島サミットを舞台に「外交・安全保障の岸田」をアピールしたいのだろうと思いますが、そのためには内を固める必要があります。

 国民の信頼を得られてこその外交・安全保障です。防衛費に関する一層の説明、少子化対策の具体的な柱建ての提示といった課題への向き合い方が、政権の今後を左右するように思います。

おススメの1本 2023年03月08日 (水)

#460 東日本大震災12年 「何が変わり、何が変わらないのか」~現地より~

 メディア研究部(メディア動向)中丸憲一

 東日本大震災の発生後、災害担当記者だった私も現地に入り、さまざまな取材をした。特に力を入れたのが、「消防団員の安全確保」の問題だった。

teikyogazou.jpg活動する消防団員(震災前) 提供:田中和七さん

 あれから12年。「何が変わり、何が変わらないのか」「メディアに何ができるのか」。今回は研究員になった私が現地を再び訪れ、感じたことを書いてゆく。

【始まりは“1本の電話”】
 まもなく新しい年に変わろうとしていた去年(2022年)暮れ。突然、携帯電話が鳴った。「今のままでは、消防団などの地域の守り手が危ない。あのとき(東日本大震災)の課題が今も残っている。『南海トラフ』や、『千島海溝・日本海溝』の巨大地震が切迫している。今課題を解決しないとまた犠牲者が出る。どうだ、また一緒にやらないか?」連絡をくれたのは、東京大学大学院情報学環総合防災情報研究センターの松尾一郎客員教授(67)。東日本大震災の直後、私は、松尾客員教授と一緒に被災地を駆け回り課題を探った。中でも最も力を入れたのが「消防団員の安全確保」だった。これを再度、検証しようという提案だった。

matsuo1.jpg東大 松尾一郎客員教授

 当時取材し放送したリポートを見返してみた。取材したのは、岩手県宮古市田老地区の男性。ふだんは食料品店を経営し、災害発生時にはすぐに消防団員として出動する。震災が起きたあの日、男性は防潮堤にある門に向かった。防潮堤には「水門」と「陸閘(りくこう)」(=漁港と市街地を車などが行き来するために防潮堤に設けられた門)がある。いずれも、津波が流れ込まないよう、到達前に閉めなければならない。このうち男性が向かったのは「陸閘」だった。

kakudaigazou.jpg男性と陸閘(震災直後)

到着すると、別の団員がすでに門を閉めていた。しかし、男性は近くにいた人から声をかけられる。「港に置いてきた車を取りに行きたいので、門を開けてくれないか」。男性は仕方なく再び門を開けた。すると、逃げ遅れて門の外側に取り残されていた車が次々と通り始めた。「もう早く通ってくれ、早く閉めたい」。最後の車が通過した後、急いで門を閉め、男性も車で急いで避難。そのおよそ5分後に田老地区に津波が襲来。男性は、すぐ後ろに津波が迫る中、ぎりぎりで高台にたどりつくことができた。しかし、男性の所属する分団では、一緒に門を閉めた団員など3人が犠牲になった。当時のインタビューで男性は絞り出すように語っている。「これほど危険な目にあってまで(門を)閉めに来なければならないという部分があるので、変えられるものであれば少しずつでも変えてほしい」。

【再び現地へ】
 このリポートの放送後の2011年11月、総務省消防庁は「東日本大震災を踏まえた大規模災害時における消防団活動のあり方等に関する検討会」を設置。その報告書によると、被災地では、田老地区以外でも消防団員の被災が相次ぎ、犠牲になった団員は254人にのぼった。その多くが水門等の閉鎖や住民の避難誘導、救助などにあたった人たちだった。検討会の委員には松尾客員教授(当時はNPO法人理事)が選出。ワーキングチームの構成員には、リポートで取材した男性の先輩消防団員の田中和七さん(68)が選ばれ、消防団員の安全をいかに確保するか議論を交わし対策案を示した。
 あれから何が変わり、何が変わらないのか。課題は残っているのか。
今年(2023年)2月初旬、松尾客員教授と再び田老地区を訪問。田中さんらと合流し現地をまわった。

matsuo2shot.jpg田中和七さん(左)と松尾客員教授(右)

 岩手県宮古市田老地区。私は初任地が盛岡放送局で、まだ3年目の駆け出しの頃、宮古報道室(現在は支局)の記者として何度も取材で足を運んだ。(当時は合併前で「田老町」だった)
地区中心部にあった高さ10m、総延長2,433mの巨大防潮堤。壊滅的な被害を受けた昭和8年(1933年)の「昭和三陸津波」を教訓に作られ、「万里の長城」と呼ばれた。これに加え、真剣な表情で避難訓練を繰り返す住民たち。まさに「津波防災の先進地」だった。そこを再び巨大津波が襲った。防潮堤は一定時間、津波を食い止めたものの、巨大津波は防潮堤を乗り越え、地区内に一気に流れ込んだ。立ち並んでいた住宅は流され、防潮堤もかなりの部分が破壊された。震災直後に取材に入り目にした、以前とは変わり果てたすさまじい光景は、今も脳裏に焼き付いて離れない。

banrino_edited.jpg津波で破壊され一部が残る「万里の長城」

【何が変わり、何が変わらないのか】
 震災後、新しい防潮堤が、かつての「万里の長城」よりもさらに海側に作られた。以前より高い14.7m。また防潮堤の裏側(陸側)を「災害危険区域」に指定し、住宅の建築を制限した。かつて防潮堤のすぐそばまであった住宅はなくなり、高台に移転。代わりに野球場や道の駅などが作られ、すぐに避難できるよう工夫がなされた。

fukkoupanel_edited.jpg新防潮堤や災害危険区域を示したパネル

 また、防潮堤の水門や陸閘は、津波注意報や津波警報、大津波警報が発表された場合、衛星回線を使って遠隔操作で自動的に閉まるように改善された。陸閘のゲートにはセンサーがついていて、もし車が通過中だった場合には、いったん開き、通過後に閉まるという動作も自動的に行う。リポートで取材した男性が、取り残された車が通過するまで門を開け続け、その後閉めたというような非常に危険な作業はしなくてよいことになった。

rikukou.jpg新しくつくられた陸閘

tsunamichui_edited.jpg陸閘の自動閉鎖を示すパネル

 また、松尾客員教授や田中さんが委員などとして参加した、総務省消防庁の検討会の報告書(2012年8月最終報告)では、市町村に津波発生が予想される場合の消防団の活動・安全管理マニュアルを整備するとともに「退避ルール」を確立するよう求めた。これを受けて宮古市も地域防災計画などに「退避ルール」を明記。「消防団は津波の到達予想時刻の10分前には高台に避難していなければならない(消防団の退避10分ルール)」を定めるとともに、避難を完了するために「20分前には防災行政無線により、消防団の避難を呼びかける(消防団退避指示)」とした。

shobodanshiji.png宮古市資料より

ここまで見てくると、大幅に改善されたと感じる。ただ、松尾客員教授とともに田中さんに聞き取りをしたところ、「まだ不安な点がある」ということだった。


talk2shot_edited.jpg調査する松尾客員教授(手前)と田中さん(奥)

例えば、「もしも門が閉まらなかったとしたら」。遠隔操作で自動閉鎖するとはいえ、機械なので「絶対」はないのではないか。その場合、近くにいる消防団員が閉めに行かざるを得ないのではないか。その不安はあるという。
さらに田中さんは、トンガの海底火山で発生した大規模な噴火により、去年1月16日、岩手県沿岸に津波警報が発表された際の出来事が忘れられないという。警報がまだ発表中だった16日朝、釣り客とみられる人が乗った車が港の方に入っていくのを、高台で警戒監視中の消防団員が発見。危険なのですぐに海から離れ避難するよう伝えに行った。結果的に、津波警報が出ているさなかに危険な海岸近くの低地で消防団員が活動せざるを得ない状況となったのだ。

【地域を守る責任感、使命感】
総務省消防庁の検討会の報告書の冒頭には、次のように書いてある。(一部中略)
「消防団は、自らも被災者であったにもかかわらず、だれよりも真っ先に災害現場へかけつけ、その活動は、住民の生命、安全を守るため、実に様々なものであった。東日本大震災における消防団の活動は地域住民に勇気を与え、改めて地域の絆・コミュニティの大切さ、そのために消防団が果たしている役割の大きさを教えてくれた。一方で、活動中の消防団員の安全をいかに確保するかという大きな課題を我々に突きつけた」
消防団員は、地域住民であり、被災者でもあった。地域住民ならば、本来はすぐに避難して、まずは自分や家族の命を守るはず。でも団員たちはあえて危険な任務を担った。田中さんは言う。


tanaka_edited.jpg田中和七さん

「消防団員は『見捨てられない、無視できない』という責任感や使命感を持っている人たちばかりなんです

「地域を守る」という責任感・使命感から、危険な任務にあたり、震災で多くの消防団員が命を落とした。しかし、今も多くの団員たちがその強い責任感・使命感を持ち続けている。だからこそ、また次の大災害で、消防団員が危険にさらされる可能性は残されていると思う。12年が経過しても変わっていない部分だと強く感じた。

松尾客員教授は、今後、田老地区と宮古市のもう一つの地区をモデル地区として消防団員や民生委員、町内会長など、地域の「守り手」の安全確保などについて調査することにしている。

matsuolast_edited.jpg松尾客員教授

「これ以上、『守り手』が犠牲になるのは防がなければならない。宮古市で調査した結果を、南海トラフや千島海溝・日本海溝沿いで発生する巨大地震で被災する可能性がある地域など、各地に広げていきたい」と話していた。
私も今回、田老地区を訪れ、さまざまな話を聞く中で、国の検討会が作成を求めた「消防団の退避ルール」などが全国各地でどのくらい徹底されているのか、また、防潮堤の門の自動閉鎖などのハード面の安全対策がどれだけ進み、機能しているのかなどを調べたいと思った。そのために、まずは松尾客員教授が行う調査に微力ながらできる限りお手伝いしたいと思っている。その上で、消防団を対象にした避難の呼びかけのあり方など、メディアにできることはないか、考えていきたいと思っている。

【もう一つの「変わっていないこと」】
今回の田老地区の訪問では、うれしい出来事があった。冒頭に紹介したリポートで取材した男性と再会したのだ。男性は経営していた食料品店が津波で流されたが、地区の別の場所に店を再建した。そして今も消防団員を続けているという。このとき思った。
「消防団員の安全は確保されなければならない。震災を生き延びて、その後の復興の担い手として活躍してもらうために」。
これは震災が起きたあのときから変わっていないし、今後も変わらない。
東日本大震災から12年。現地を訪れ、強く感じたことである。


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【中丸憲一】
1998年NHK入局。盛岡局、仙台局、高知局、報道局社会部、災害・気象センターで主に災害や環境の取材・デスク業務を担当。2022年から放送文化研究所で主任研究員として災害や環境をテーマに研究。

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