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調査あれこれ

調査あれこれ 2023年07月31日 (月)

テレビとYouTube、どんなときに役に立っている?【研究員の視点】#499

世論調査部(視聴者調査)行木 麻衣

 みなさんは、世の中の出来事や動きを知りたいと思ったとき、テレビを視聴しますか。新聞を読みますか。それともインターネットの検索サイトを見ようと思いますか。あるいは、癒やされたり、くつろいだりしたいと思ったときは、どのメディアを利用しようと思いますか。

 文研では、人々がどのようにメディアを利用しているのか、その背景にある意識は何か、2020年から「全国メディア意識世論調査」を実施しています。今回は、2022年の「全国メディア意識世論調査」から、メディアの効用、つまりそれぞれの目的ごとに、どのメディアがもっとも役に立つと思うかを尋ねた結果をご紹介します。

 まず、回答者全体の結果をみると(図1)、一番上の「世の中の出来事や動きを知る」ときはテレビが59%と半数を超え、もっとも役に立つと評価されています。また、グラフの2番目「感動したり、楽しんだりする」からグラフの下から2番目の「人のぬくもりを感じる」までについても、テレビに対する評価は、ほかのメディアと比べ、もっとも高くなりました。一方、テレビ以外で、どのメディアを利用しているかをみると、赤色のYouTubeは、グラフの真ん中ほどにある「癒やしやくつろぎを感じる」「退屈しのぎをする」で、テレビに迫っています。

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 全体でみると、多くの目的で、テレビがもっとも役に立っていると評価を受けていましたが、これを16~29歳の若年層に限ってみると、異なった様相がみられます(図2)。 全体の回答でテレビが6割ほどを占めていた「世の中の出来事や動きを知る」は、テレビが31%、Twitterが22%で、テレビとTwitterの間に有意差はなく同程度となっています。「癒やしやくつろぎを感じる」はYouTubeが51%と半数を超え、もっとも評価されています。また、「感動したり、楽しんだりする」「生活や趣味に関する情報を得る」「退屈しのぎをする」も、YouTubeがもっとも役に立つと評価されていました。

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 16~29歳では、「癒やしやくつろぎを感じる」という目的のときに、YouTubeがテレビを大きく上回って半数以上を占めました。この「癒やしやくつろぎを感じる」について、16~29歳以外のほかの年層がどのように思っているのかをみてみます(図3)。テレビは年層が高くなるほど評価が高く、反対にYouTubeは年層が低いほど評価が高く、対照的な結果となっています。この中間にあたるのが40~50代で、テレビとYouTubeが同程度でした。

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 このように、16~29歳では、テレビよりもYouTubeから癒やしやくつろぎを感じている人が多いですが、具体的にはどのような状況や場面で、どのようなコンテンツを見ているのでしょうか。今回の調査に関連して、2023年3月に30代以下の男女18人を対象に、オンライングループインタビューを行いました。その中での発言をいくつかご紹介します。

「癒やしやくつろぎを感じるうえで」(女性28歳 会社員)
(休日の朝にのんびりと、YouTubeでモデルの動画を見るときは)
「すてきなライフスタイルを送っていて憧れじゃないけど、そういう気持ちになれるのでなんか気分が高まる。それが自分のまったりしたい気分、のんびりしたい気分に合っているのかな。」

(女性29歳 パート・アルバイト)
(休日の朝、ご飯のあと、ソファでTwitter、パソコンでYouTube。YouTubeでは)
「このときは流し作業的な感じで、アーティストのライブ映像を流していたと思う。」


 時間に余裕があるときに、YouTubeで好きな動画を見たり、音楽を聴いたりしながら、のんびりとした時間を過ごしている様子がわかります。

 ここまでみてきたように、全体でみれば、テレビは「世の中の出来事や動きを知る」だけでなく「感動したり、楽しんだりする」「人と共通の話題を得る」など多くの目的や場面で、多くの人にもっとも役に立っていると思われています。一方で、16~29歳で顕著にみられたように、「感動したり、楽しんだりする」「癒やしやくつろぎを感じる」「生活や趣味に関する情報を得る」「退屈しのぎをする」といった場面では、その目的にかなう動画や情報をその場で見ることのできる、YouTubeを役に立っていると思う人が多くみられ、役に立っていると思うメディアが多様化している現状を垣間見ることができました。

 『放送研究と調査』2023年7月号では、今回ご紹介したメディアの効用をはじめ、メディアの利用実態、メディア利用と意識などについて、「全国メディア意識世論調査・2022」の結果をご紹介しています。
コロナ禍以降のメディア利用の変化と、背景にある意識~「全国メディア意識世論調査・2022」の結果から~
どうぞ、ご覧ください。

【行木麻衣】
2013年からNHK放送文化研究所で視聴者調査の企画や分析に従事。
これまで、全国個人視聴率調査、幼児視聴率調査、全国メディア意識世論調査などを担当。

調査あれこれ 2023年07月21日 (金)

動画配信サービスに見る 沖縄「慰霊の日」の地域放送番組【研究員の視点】#498

メディア研究部 高橋浩一郎

はじめに
 6月23日は慰霊の日です。この時期には例年沖縄戦を伝える番組が集中して放送されます。今年も全国向け、ローカル含めさまざまな番組が放送されました。本ブログでは、これまで沖縄県以外では見ることができなかった地域放送番組が動画配信サービスによって視聴可能になった現状を受け、NHKプラス、TVer、YouTube、各社ホームページで確認できる沖縄戦関連の地域放送番組を概観し、こういった状況が今後開いていく可能性と課題について考察します。

戦後78年の慰霊の日
 地域放送番組に言及する前に、全国向け番組の全体状況を概観します。今年6月23日の慰霊の日に地上波テレビでどれくらい関連報道がなされたのか、「沖縄戦」をキーワードにメタデータ(PTP社の全録型HDD「SPIDER PRO」による)を収集し報道量を算出しました。各局の報道量を比較すると局ごとに大きな差があることがわかります。
 NHKでは『おはよう日本』『ニュース7』『ニュースウオッチ9』『時論公論』などで、日本テレビでは『news every.』『news zero』などで、テレビ朝日では『大下容子ワイド!スクランブル』『スーパーJチャンネル』『報道ステーション』などで、TBSでは『ひるおび』『Nスタ』『news23』などで、テレビ東京では『ゆうがたサテライト』で、フジテレビでは『Live Newsイット!』などで、慰霊の日のニュースや関連企画を放送しました。

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 なお、6月23日以外に沖縄戦を伝えた番組として、TBS『報道特集』(6月17日/沖縄戦終焉(しゅうえん)の地・糸満市摩文仁に「平和の礎(いしじ)」が作られた経緯などを振り返ることで、戦没者を慰霊することの意味を問いかけた)や、『ETV特集 置き去りにされた子どもたち~沖縄 戦争孤児の戦後~』(6月24日/国や社会の支援がないまま過酷な人生を強いられた戦争孤児たちの戦後を描いた)、『NHKスペシャル 戦い、そして、死んでいく』(6月25日/アメリカ議会図書館に保管されていた海兵隊の音声記録を元に「あらゆる地獄を集めた」と言われる沖縄戦の実相を描いた)などが放送されました。

沖縄ローカル番組の配信状況
 全国向けに放送された「慰霊の日」関連のNHK・民放の番組は上記のとおりですが、これ以外にも沖縄でNHKと民放が県内向けに番組を放送しました。こうした番組は従来、基本的には沖縄県内で視聴できるだけでしたが、動画配信サービスの広がりによって県外でも見られるようになっています。ここでは沖縄の民放3局に関し、6月28日時点でTVer(在京民放キー局、準キー局、準キー局以外の系列局などが制作した番組を一元的に視聴できる動画配信サービス)やYouTube、各社ホームページで視聴できた番組について述べます。

【OTV沖縄テレビ】
 OTV沖縄テレビは6月23日当日、沖縄全戦没者追悼式の模様をオンライン中継し、その前後に過去に放送されたドキュメンタリー『むかし むかし この島で』(2005)やニュースで過去に放送された企画などを挟み、およそ2時間半にわたってYouTubeで生配信しました。
 『むかし むかし この島で』は『サンマデモクラシー』(2021)などのドキュメンタリー映画の監督でもある山里孫存さんが2005年に手がけた番組です。沖縄戦の記録フィルムの検証を続ける作家・上原正稔さんの活動に共感した山里さんは、1年半にわたって県内各地で上映会を開き、当時のフィルムに映っている人と場所を特定していきます。アーカイブ映像を戦争の悲惨さを伝える手段としてではなく、それぞれかけがえのない誰かの物語が刻まれた記録として丁寧に読み解き、視聴者と同じように当たり前に暮らしていた人たちが体験した沖縄戦を描き出しています。20年近く前の番組ですが、慰霊の日の数日前からYouTubeで公開され7月20日現在で14万回以上視聴されています。1)

mukashi_2_W_edited.jpgYouTubeより

【RBC琉球放送】
 RBC琉球放送もOTV同様追悼式を中継で配信したほか、6月21日に県内で放送された特別番組『池上彰も知らない慰霊の日のこと』をTVerで配信しました。(あわせて昨年放送された『池上彰と復帰50年を総決算スペシャル』も配信。ともに配信終了)ジャーナリストの池上彰さんとRBCの仲村美涼アナウンサーが司会を務め、4人のゲストをスタジオに招き、VTRを交えながら進行するという構成で、サムネイル画像を見る限りではバラエティー番組のように見えます。しかし実際に見てみると、辺野古の新基地建設や南西諸島の自衛隊配備など、沖縄戦が過去の出来事ではなくさまざまな形で現在につながっていることを伝える報道番組でした。
 その中で、池上さんが自衛隊の駐屯地が開設された石垣島を取材したVTRを受け、ゲストの新城和博さん(沖縄の出版社ボーダーインク編集者)は次のようにコメントしました。「70年前の戦争を考えると、防衛ラインを引くっていうのは、その防衛ラインを守るのではなくて、その背後を守ろうとしているんですね。その背後って何だろうか。少なくとも我々はそういうところの犠牲になりたくないですね」。もし自分が沖縄に暮らし、身近に沖縄戦の体験者がいたら、このように感じるのは当然ではないでしょうか。RBCの担当者によると、全国的に知名度のある池上さんを司会として起用しているのは、沖縄県内向け放送としてだけではなく、動画配信によって多くの本土の人に見てもらいたいという意図が込められているということです。2)

ikegami_3_W_edited.jpgTVerより

【QAB琉球朝日放送】
 QAB琉球朝日放送は6月23日に、平日夕方に放送している地域向けニュース情報番組『キャッチ―』内で「慰霊の日特別編」として30分番組を放送、その後動画を番組HPで公開しました。『キャッチ―』は通常、16時台の第1部(情報番組)、18時台の第2部(ニュース)に分かれており、出演者もそれぞれ異なります。今回の特別番組では、第1部MCのタレント・東江万那美さんとお笑い芸人・金城晋也さんが番組第2部の司会の中村守アナウンサーと一緒に沖縄戦について考えるという内容で、ニュース番組だけではなく、普段の暮らしの中で自分に引き寄せてほしいというねらいが感じられました。
 中でも印象的だったのは、若い世代の演劇人が戦争体験を語り継ぐ創作劇に取り組む姿を取材した企画でした。11歳の時に日本兵によってスパイ容疑をかけられ殺されそうになったという、宜野湾市の大城勇一さんの実体験を元に、劇団O.Z.Eの永田健作さんは『平和劇』というタイトルの作品を作り上げます。6月に行われた公演には体験者である大城さんも立ち会いましたが、公演後、大城さんは劇団員たちの苦労をねぎらったうえで、自分が体験した苦しみや悲しみには到底及ばず「がっかりした」と率直に伝えました。大城さんの厳しい言葉に永田さんたちはぼう然としながらも、直接言葉をもらえたことを「これからの活動にプラスになる」と前向きにとらえ、大城さんも「次はもっといい劇を作ってほしい」と激励しました。
 実際にその場にいた人にしかわからない体験を、当事者以外の他者が想像し表現することには限界があります。一方わからないから何もしないのではなく、わからないからこそわかろうと努力しなくてはならないこともあります。沖縄戦から学ぶとはどういうことなのか、その大切さと難しさが予定調和でない形で伝わる企画でした。3)

qab_4_W_edited.jpgQAB番組ホームページより

NHKプラスに見る各地の番組
 NHKプラス(NHK総合・Eテレの常時同時配信・見逃し番組配信サービス)ではこれまで各県域でしか見ることができなかった数多くの地域放送番組が視聴可能になっています。まず沖縄では慰霊の日当日の番組として、平日夕方に放送されるニュース番組『おきなわHOTeye』(県内各地の追悼の様子や記憶の継承をテーマとした特集企画を伝えた)や、ドキュメンタリー『流転~沖縄 引き裂かれた集落~』(九州沖縄管内/米軍の土地接収によりブラジル移住を強いられた宜野湾市の伊佐浜住民の人生を描いた)、『ザ・ライフ 平和のバトン託し続けて~元学徒・中山きくさんの生涯~』(九州沖縄管内/後述)などを見ることができました。(いずれも配信終了)
 沖縄以外では、北海道『ほっとニュース北海道』、名古屋『まるっと!』、広島『お好みワイドひろしま』、宮崎『てげビビ!』、鹿児島『情報WAVEかごしま』などのニュース情報番組で沖縄戦や慰霊の日に関連する企画が確認できました。中でも広島放送局の『お好みワイドひろしま』は、原爆ドーム近くで沖縄戦の犠牲者を追悼する様子を中継したり、平和の礎に新たに広島県出身者296人の名前が刻まれたニュースなどを伝えたりしたほか、「沖縄戦 平和のバトン」という企画を放送しました。被爆と地上戦という違いはありますが、同じように多くの犠牲者を出した広島と沖縄のつながりを感じさせました。
 企画の「沖縄戦 平和のバトン」は九州沖縄管内で同日放送された先述の『ザ・ライフ “平和のバトン”託し続けて~元学徒・中山きくさんの生涯~』の素材を広島局で独自に編集したものです。沖縄局のクルーが番組の取材に訪れることを知り、広島に特化した形のニュース企画として編集したそうです。ここでは広島局の企画の元になった『ザ・ライフ』について説明します。この番組は今年1月に94歳でなくなった沖縄戦の語り部の中山きくさんの生涯を、甥(おい)でタレントの津波信一さん(沖縄局の地域放送番組『きんくる』MC)がたどるという内容です。中山さんは元白梅学徒隊の一人で、苛烈な地上戦の体験を全国から訪れる若い世代に語り続けましたが、戦後長らく自らの体験を話そうとはしなかったといいます。中山さんがどうして年に数十回に及ぶ講話をするようになったのか。そのきっかけは夫の転勤で広島に引っ越し、そこで被爆者たちの活動を目にしたことにありました。「自分たちが経験した悲惨な思いを繰り返させない」という広島の被爆者たちの思いは、沖縄戦の当事者である中山さんを突き動かします。「思っているだけでは平和は来ない。何か行動をすることが大切ではないか」中山さんが語り部になったきっかけを知った津波さんも、濃淡はあれやはり当事者の一人であることを改めて意識します。そして番組を見た視聴者も間接的ではありますが、バトンを託された者として無関係ではないと感じさせる番組です。4)

nhkplus_5_W_edited.jpg『ザ・ライフ“平和のバトン”託し続けて~元学徒・中山きくさんの生涯~』番組ホームページより

地域放送番組が地域外で見られること
 ここまで動画配信サービスを通じて、沖縄戦や慰霊の日を伝えた沖縄の民放とNHKの各地域のローカル番組を見てきました。沖縄の民放局の取り組みでは、デイリー番組の出演者が自分のこととして沖縄戦を考える企画や、著名人に出演してもらい広く関心を喚起しようとする番組、アーカイブ番組の活用など、多様なアプローチがありました。またNHKプラスでは、沖縄以外の地域で作られた関連企画を通して、全国向け放送からはわからない地域間のつながりを確認することができました。
 NHK放送文化研究所が2022年に行った「復帰50年の沖縄に関する意識調査」の結果によると、6月23日が「慰霊の日」であることを知っている割合は、沖縄が92%なのに対し、全国は27%にとどまるなど、沖縄戦に対する認識には沖縄と本土の間で差があります。これまで沖縄県内にとどまっていた地域放送番組が動画配信によって県外でも視聴可能になる状況は、沖縄戦とその結果としてもたらされた基地問題について、本土の人々の理解を深めることにつながります。実際にどのくらい見られているか俯瞰的に判断できる材料はありませんが、YouTubeで公開された『むかし むかし この島で』が14万を超える視聴回数を記録しているように、全国放送されなくても動画配信によって少なくない人に見てもらえる可能性があります。また、今回はNHKプラスでしか確認ができませんでしたが、沖縄以外の地域で関連企画が放送されていることを相互に参照できるようになれば、広島と沖縄の例のように、今後地域どうしのさまざまな連携が生まれることも期待できます。
 一方で、TVerにしてもNHKプラスにしても、視聴できる期間も番組も限定されており、すべての番組が見たいときに見られるわけではありません。特にTVerで視聴可能な地域放送番組は数としては増加しているものの、バラエティー番組やドラマが多く、単発のドキュメンタリー番組や報道番組はほとんどありません。確実により多くの人に届けるには各放送局は単独ではなく、複数のプラットフォームの活用を視野に入れるなどさまざまな取り組みが求められます。
 今後、沖縄と本土の意識の差を埋めるどのような試みがなされるのか、地域放送番組の動画配信サービスの動向を注視していきたいと思います。


1) https://www.youtube.com/watch?v=l0-oq8BUd8M
 https://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/14th/05-330.html

2) https://www.rbc.co.jp/tv/tv_program/ikegami_ireinohi/

3) https://www.qab.co.jp/movie/movie/catchy230623

4) https://www.nhk.jp/p/ts/9RZY9ZG1Q1/episode/te/Q8RG52VY92/

調査あれこれ 2023年07月11日 (火)

夏、視界不良気味の岸田内閣 ~無党派層と若い世代の支持率低迷~【研究員の視点】#497

NHK放送文化研究所 研究主幹 島田敏男

 安倍元総理が遊説中に凶弾に倒れてから1年。命日の7月8日、岸田総理大臣は安倍氏をしのぶ会合で「あなたから受け継いだバトンを、しっかり次の世代へと引き継いでいく」と強調しました。

 安倍元総理の下で5年近く外務大臣を務め、安倍氏が首脳外交にかけた情熱をよく知る岸田総理は、3日後の11日朝、NATO (北大西洋条約機構)首脳会合に出席するためリトアニアに向かいました。NATOの加盟国ではない日本の総理大臣がこの会議に出席するのは、ロシアのウクライナ侵攻を受けて開かれた昨年の首脳会合に続いてのことです。

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 5月のG7広島サミットを終え「それなりの成果はあった」と総括していた岸田総理ですが、その後の報道各社の世論調査では軒並み内閣支持率が低迷し、内政・外交すべてに注がれる国民の視線には厳しいものがあります。

 7日(金)から9日(日)にかけて行われた7月のNHK電話世論調査も、そうした傾向と同様の結果になりました。

☆あなたは岸田内閣を支持しますか。それとも支持しませんか。

  支持する   38%(対前月-5ポイント)
  支持しない   41%(対前月+4ポイント)

2月から5月にかけて4か月連続で上向いていた内閣支持率が、6月、7月と連続して低下。「支持する<支持しない」になったのは、ことしの2月以来です。

 この1か月の間に内閣支持率がどこで低下しているかを詳しく見ると、与党支持者の微減、野党支持者の横ばいと比べて、無党派層の支持率が18%にとどまり前の月より9ポイント下がっているのが目立っています。

 また、年代別に見ると18歳~39歳の若い世代で前の月より8ポイント減、60歳代で10ポイント減という変化が出ています。

 では、こうした内閣支持率低下の要因になっているのは何か?今月の調査で国民の不評をかっている傾向が浮かび上がったのがマイナンバーカードの利用拡大に関する政府の方針です。

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☆政府はマイナンバーの利用範囲を拡大する方針です。あなたはこの方針に賛成ですか。反対ですか。

  賛成   35%
  反対   49%

反対がほぼ半数に上っています。これを詳しく見ると、与党支持者では賛成が反対をやや上回っているのに対し、野党支持者と無党派層では6割近くが反対と答えています。

☆政府は来年秋に今の健康保険証を廃止し、マイナンバーカードと一体化させる方針です。今の健康保険証を廃止する方針についてどう思いますか。

  予定通り廃止すべき   22%
  廃止を延期すべき   36%
  廃止の方針を撤回すべき   35%

「廃止を延期すべき」と「廃止の方針を撤回すべき」を合わせた、政府方針に待ったをかける答えが合わせて7割に達しています。この質問では与党支持者でも待ったをかける答えが7割近くに上り、野党支持者、無党派層はそれ以上に厳しい数字になっています。

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 マイナンバーカードの利用促進を掲げる河野デジタル担当大臣は、相次ぐトラブルを受けて、秋までにすべてのデータの総点検を行って対応するので、方針を変更する考えはないとしています。

 しかし、そもそもマイナンバーカードの利用拡大は、政府や自治体の側の行政効率化のために発想された政策です。確かに利用者にとっても便利になる面はありますが、「デジタル弱者」と呼ばれる高齢者などに対する配慮が十分でない点は大きな問題です。

 河野大臣は今の健康保険証を廃止した後も、経過措置を設けるので問題はないと言いますが、デジタルの世界とは無縁の高齢者やそうした高齢者を抱える家族にとっては大きな不安材料になります。

 ロシアのウクライナ侵攻の後、首脳外交に対する注目度が高まり、岸田総理は安倍元総理に劣らぬ情熱を傾けているように見えます。しかし、どうも政権運営の足元が危うい印象が拭えません。

 さらにもう一つ、岸田内閣が大きな看板を掲げる「異次元の少子化対策」についても、国民の期待感は薄いようです。

☆少子化対策について、政府は今後3年間をかけて年間3兆円台半ばの予算を確保し、児童手当の拡充策などに集中的に取り組む方針です。あなたはこの少子化対策の効果に期待していますか。期待していませんか。

  期待している   33%
  期待していない   62%

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全体の6割以上が期待していないというのは、岸田内閣にとって極めて厳しい数字でしょう。これを年代別に見ても、子育て世代にあたる18歳~39歳、40歳代でも、期待しているは3割台にとどまっています。

 少子化対策について、岸田総理は「国民に新たな負担は求めない」と強調していますが、そうなるとどういう方法で財源を確保するのかが不鮮明です。

 視界不良気味の岸田内閣の原因は、国民との間で共通了解を生み出す努力に欠けている点にあると思います。とりわけ日々の暮らしに直結するテーマでは、国民に率直にメリット、デメリットを伝え、協力を求める姿勢が必要です。

 岸田総理にとって、首脳外交を華々しく展開する一方で、国民の素朴な疑問に真摯(しんし)に応える力を磨くことが、この夏の課題になりそうです。

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島田敏男
1981年NHKに入局。政治部記者として中曽根総理番を手始めに政治取材に入り、法務省、外務省、防衛省、与野党などを担当する。
小渕内閣当時に首相官邸キャップを務め、政治部デスクを経て解説委員。
2006年より12年間にわたって「日曜討論」キャスターを担当。
2020年7月から放送文化研究所・研究主幹に。長年の政治取材をベースにした記事を執筆。

調査あれこれ 2023年06月28日 (水)

"メディア"と"多様性"の足跡をたずねて【研究員の視点】#496

メディア研究部(メディア動向)熊谷百合子

venue_long1.jpg企画展の会場

 6月21日、世界経済フォーラムが2023年版の「グローバル・ジェンダー・ギャップ報告書」1) を公表しました。日本は146か国中125位と、前年の116位を更に下回る結果となりました。2006年に調査が始まって以来、過去最低の水準です。ジェンダー・ギャップ解消のペースが今のままでは、男女平等の実現には131年かかるという試算も出されました。皆さんはこの現実をどのように受け止めますか?
 メディアがこの課題に果たすべき役割について改めて考えたいと思い、私は、8月20日まで開催中の企画展「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」2) を見るため、横浜のニュースパーク(日本新聞博物館)を訪ねました。
 日本新聞協会が運営するこの博物館は「歴史と現代の両面から確かな情報を見きわめる大切さと新聞の役割を学べる展示」を意識し、体験型ミュージアムとして中高生の体験学習の場としても活用3) が期待されています。今回の取材でも、館内は総合学習の一環で訪れている中学生や高校生でにぎわいを見せていました。
 新聞やテレビ、通信社は、報道を通じて差別や人権侵害に関する問題を提起し、社会制度そのものの改善を働きかける役割を担ってきました。一方で、社会のさまざまな分野で多様性(ダイバーシティー)が重視されるようになるなか、メディアの中の多様性は進んでいないのではないかという指摘もあります。SDGsの機運が高まり、Z世代を中心とした若い世代が多様性教育を受けるなかで、世代間で意識の差が生まれていることも否めません。そんな今だからこそ「多様性」をキーワードに、「メディアが変えてきたもの」と「メディアを変えてきたもの」を時代の変化とともに振り返ろうというのが、今回の企画展です。展示資料はおよそ300点。病気や障害、子ども、性的マイノリティー、日本で暮らす外国人や少数民族をメディアはどのように取り上げてきたのか。明治期から現代までの日本の多様性の足跡を追体験しながら、メディアと人々との新しい関係性や未来のメディアの役割についても考えさせられる企画構成になっています。このブログでは、この多様性展から見えてきたメディアのジェンダー平等の足跡に注目して取り上げます。

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 「第1章 近代日本と女性」の展示では、明治から昭和初期までの新聞紙面から、この時代の新聞が女性をどのように取り上げてきたかを確認することができます。気になった記事を1つ紹介しましょう。

 「當世婦人記者」と題したこの記事は、東京朝日新聞(現在の朝日新聞)の松崎天民記者が執筆したものです。記事の冒頭を引用します。
「文明開化の世界になつて、女の職業が段々殖(ふ)えて来た、遂(つい)には男の領分をも犯す様(よう)になつたは、婦人界のため祝着(しゅうちゃく)至極(しごく)だ、などゝ云つている間に油断は大敵、何時(いつ)しか新聞記者の領分にまで侵入して来た、あゝこれ何等(なんら)の珍現象ぞ」。

 明治20年代以降、新聞各紙で新設された家庭欄の編集担当として女性が採用されるケースも多くなっていました。この記事からは、女性記者が増えつつあることを「珍現象」として男性記者が捉えていた、当時の時代の空気がひしひしと伝わってきます。

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 時は流れて令和の時代。かつてに比べると今の日本は女性にとってだいぶ働きやすい社会になっているように感じます。その土台を作ったのは「男女雇用機会均等法」。就職、昇進、定年など職場における男女の平等をうたった日本初の法律です。
 企画展「第3章 メディアの中の多様性は」の冒頭に展示されていたのは、均等法が成立した1985年5月17日の夕刊の一面記事、そして当時の労働省婦人局長で“均等法の母”と呼ばれた赤松良子さんによって2021年12月に連載されていた日本経済新聞の「私の履歴書」の記事とメッセージでした。連載は去年、「男女平等への長い列」4) のタイトルで単行本化されました。女性官僚の先駆けでもある赤松さんが、戦後日本の女性の地位向上を目指して奮闘してきた歩みを辿ることのできる一冊で、会場でも手に取って読むことができます。

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 赤松さんの連載の編集を担当したのは、日本経済新聞社の編集委員兼論説委員の辻本浩子さんです。均等法施行後の89年に入社し、女性労働を長く取材してきた辻本さんにとって、赤松さんの連載に関わることには特別な思いがありました。

(辻本さん)
「私が就職活動をするころには均等法がもう施行されていて、女性も働く時代だということが当たり前のようにテレビや新聞でも取り上げられていました。働く女性を当たり前の存在として社会の中で映し出していたことが大きかったですね。そういう意味でも私は均等法の恩恵を受けた一人です。社会部や生活情報部の記者として、働く人の現場や厚生労働省を担当していたので、レジェンドでもある赤松さんのことはずっと存じ上げてきました」

 projectX_akamatsuW.jpg2000年12月放送「プロジェクトX」より

 日本の男女共同参画の道を切り開いてきたパイオニアとして知られる赤松良子さん。かつてNHK総合で放送していた「プロジェクトX」でも、赤松さんら労働省の女性官僚が均等法成立に注いだ情熱を克明に描いています。20世紀最後の放送回となった2000年12月19日に「女たちの10年戦争~『男女雇用機会均等法』誕生~」5)と題して放送された番組では、経済界や労働運動からの激しい反発を受けながらも、苦渋の末に法律が生まれた過程を描いています。“男女平等への長い列”が連綿と今の時代にも続き、まだ道半ばであることを感じさせる番組でした。ちなみに、2000年春に放送が始まった「プロジェクトX」が女性たちのプロジェクトとして初めて取り上げたのが、この「女たちの10年戦争」です。番組冒頭のスタジオでは、「今世紀最後のプロジェクトX、ついに女性たちのプロジェクトの登場です」と紹介されていました。
 「結婚退職制」、いわゆる“寿退社”の慣例に終止符を打った男女雇用機会均等法は、その後、1997年、2006年、2016年、2019年と4回の改正を経て現在に至っています。2度目の改正となった2006年には妊娠、出産を理由とした不利益取り扱いの禁止が盛り込まれたほか、直近の2016年の改正では事業主に対して妊娠、出産などに関するハラスメントの防止措置義務が新たに盛り込まれました。「プロジェクトX」の放送から21年後の2021年12月にNHK News Webに掲載された「News Up寿退社って、定年退職のこと?」6) と題した記事では、“寿退社”という言葉がもはや若い人には通じないことが紹介されています。
仕事と育児を両立する女性の先輩たちの背中を見ることができたのも、均等法が切り開いた新たな職場の風景と言えるでしょう。均等法は女性の働き方を変えたのみならず、この企画展のタイトルにもある「メディアを変えたもの」そのものだと感じました。
 辻本さんは、“均等法の母”と呼ばれる赤松さんの言葉に今だからこそ触れてほしいと言います。

(辻本さん)
「連載したのは均等法の施行から35年の節目でした。若い人たちには、均等法はあって当然の法律だと思いますが、なぜこの法律ができたのか、どんな経過で作られてきたかはあまり知らないですよね。今もまだ女性が働きやすい社会とはなっておらず、均等法が目指した完全な男女平等のかたちにはなお遠い状況です。『男女平等への長い列に加わる』というのは赤松さんが好きな言葉なんですが、今回の連載を若い人へのバトンのつもりで書いてくださいました。長い列にはたくさんの人がいるわけです。悩んでいるのは自分だけじゃない、そして長い列で進むわけですから、変えようとする人たちがずっといて、変えようとする動きがあるということに、私自身も励まされる思いでした」

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 今回の企画展では「メディアが変えたもの」として象徴的な展示もあります。
 会場のテレビモニターに映し出されていたのは1980年代にTBSが展開した「ベビーホテル・キャンペーン」の報道番組です。スタジオで解説する女性のテロップは「堂本記者」。2001年~2009年まで千葉県知事を務めた、堂本暁子さんの記者時代の姿でした。無認可の保育所に「ベビーホテル」と呼び名をつけて、子どもの置かれた劣悪な環境を週に1回のペースで夕方6時からのローカルニュースで1年にわたり放送しました。キャンペーン報道の概要を伝えるパネルでは「ベビーホテルの運営実態、預ける親の声や独自の利用者実態調査結果、識者の意見、厚生大臣のインタビューなどさまざまな角度から問題を伝え続けた」ことが紹介されています。この報道をきっかけに81年6月には児童福祉法が一部改正され、行政の監督権限が与えられるなどの改善につながりました。
 「問題に気づいた時に、入り口で止まるのではなく、課題を洗い出し、改善できるまで闘い抜くことが求められています」という堂本さんのメッセージが、報道の現場に身を置いてきた私にはずしりと響きました。

odakadirector6.jpg尾高泉館長

 開館以来、ニュースパークではさまざまな企画展を開催してきました。報道写真展や従軍取材展のほか、大震災や環境、太平洋戦争など取り上げたテーマは多岐にわたります。ミニ展示を含めるとその数は140を超えますが7)、「多様性」をテーマとした企画展は、20年あまりにわたる歴史のなかで今回が初めてのことです。館長の尾高泉さんが企画展のきっかけについて教えてくれました。

(尾高館長)
「男性中心の新聞業界でキャリアを重ねてきた均等法第一世代の全国の女性記者の皆さんが、定年や役員就任の時期を迎え、この40年弱の足跡からメディアや社会の変化をまとめてみよう、という機運が業界内外にありました。同時にグローバリズムやデジタル化でDE&I(Diversity, Equity and Inclusion)推進の流れも高まってきました。当時の報道業界は女性用の宿直室がなく、取材先に女性用のトイレもない時代でした。採用される女性も少なかったのですが、深夜勤務の多い報道界では、結婚や出産を機に辞めた人も多いので、今も残る女性はさらに少数派です。新聞博物館としてもまず、女性記者の歩みやジェンダー平等について、過去、現在、未来に時間軸を広げてまとめることから準備し、マイノリティーなどの多様性の視点の資料も収集していきました。」

 均等法が施行された1987年に日本新聞協会に就職した均等法第一世代でもある尾高館長。今回の企画展は、子育て中の男性学芸員や女性学芸員も含めた多様なメンバーで構成することも意識したそうです。メンバーの年齢も多様にすることで、互いの視点を生かしながら展示の内容を深めることにもつながったと手応えを感じていました。当初から企画展の準備に関わってきた学芸員の平形さゆみさんと工藤路江さんは、来館者からの反応に驚かされていると言います。

curators7.jpg学芸員の平形さんと工藤さん

(平形さん)
「企画展の会場でベテランの女性記者の方に声をかけていただくことがあります。展示をご覧になってこれまでの記者人生でのさまざまな思いがめぐるようなんですよね。男性が圧倒的に多い職場や取材先で、女性であるがゆえに味わった悔しい経験についても蕩々(とうとう)と語ってくださるので、私たちも新たな気づきを日々もらっています。それだけでなく、他の業界で働く女性からも声をかけられます。働く女性、過去に働いたことのある方なら誰でも胸に響く展示になっているのかなと感じます。ぜひ多くの方に来館してほしいです」

(工藤さん)
「展示物について聞かれるということよりも、展示物からさまざまな思いがめぐって、語らずにはいられないという方が多いのが今回の企画展の特徴かもしれないですね。見てくださる方の熱量を感じます。閉館後は毎日、展示室の清掃をしているのですが、ショーケースにはたくさんの指紋の跡が残っていて、熱心にご覧になっていったんだなぁというのが伝わってきます」

womensday8.jpg国際女性デーの地方紙の記事

 会場の中でひときわ印象的だったのが、国際女性デーの3月8日付けの全国紙や地方紙の朝刊を並べたコーナーです。沖縄タイムスと琉球新報は題号にシンボルフラワーのミモザをあしらい、国際女性デーならではの紙面を演出していました。また北海道新聞や東京新聞、西日本新聞など10紙以上の地方紙が一面トップでジェンダー・ギャップに関する記事を掲載しています。

newspaper_article9.jpg地方紙の一面記事 

 記事に共通して出てくるのが「都道府県版ジェンダー・ギャップ」というワードです。「都道府県版ジェンダー・ギャップ指数」は、共同通信が上智大学の三浦まり教授らと去年から始めた新たな取り組みで、世界経済フォーラムが算出するジェンダー・ギャップ指数を参考に「政治」「行政」「教育」「経済」の4分野の指数と順位を都道府県ごとに分析し、毎年国際女性デーの3月8日に公表しています。公表されたデータは加盟社の地方紙や放送局が活用することができます。地方紙の一面トップでジェンダー・ギャップが取り扱われていることに、館長の尾高さんも変化の兆しを感じています。

(尾高館長)
 「国際女性デーにこれだけ多くの地方紙が向き合っていることを知ったのは、今回の企画展の原動力の一つとなりました。『都道府県版ジェンダー・ギャップ指数』が可視化されたことで、地方紙の各紙がジェンダー・ギャップを『地域の社会課題の一つだ』という認識で独自に取り組めるようになったのだと思います。地方紙でジェンダーに取り組んでいるのは20代、30代の若い女性記者です。均等法1期生の女性は組織の中で圧倒的に少数派なので、ジェンダーやフェミニズムとはあえて距離を置いてきたという人も少なくありません。若い世代の記者の皆さんが地域のジェンダー・ギャップを真正面から描写して記事化していることに、活力を感じますね」

 男女間の格差がいまだに深刻な日本。ジェンダー平等の実現に向けて、変化を加速させていくためにメディアが果たしていくべき役割は、これまでにも増して大きくなっていると感じます。7月15日(土)には「多様性とメディア」8) 、そして7月29日(土)は「新聞とジェンダー平等」9) をテーマにした2つのシンポジウムも企画していて、メディアに関わる新聞記者や研究者が議論を交わす予定です。ニュースパークの「多様性展」は、日本のジャーナリズムの現在地、そして未来に向けて果たしていく役割を見つめ直す一つの契機となりそうです。


1) https://www.weforum.org/reports/global-gender-gap-report-2023

2) 企画の詳細は https://newspark.jp/exhibition/ex000318.html

3) ニュースパークの概要・沿革 https://newspark.jp/about/

4) https://bookplus.nikkei.com/atcl/catalog/22/06/23/00255/

5) https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A200012192115001300100

6) https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211215/k10013389061000.html

7) これまでの企画展一覧 https://newspark.jp/exhibition/archive/

8) https://newspark.jp/news/2023/0609_000324.html

9) https://newspark.jp/news/2023/0609_000325.html

kumagai.jpg

【熊谷 百合子】
2006年NHKに入局。福岡局、報道局、札幌局、首都圏局を経て2021年11月から放送文化研究所。
メディア内部のダイバーシティやジェンダーをテーマに調査研究中。

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調査あれこれ 2023年06月23日 (金)

日本海中部地震から40年 北海道南西沖地震から30年 2つの大津波の教訓【研究員の視点】#494

メディア研究部(メディア動向)中丸憲一

okushirito_damage.jpg北海道南西沖地震津波の被害 (写真提供:東北大学災害科学国際研究所 津波工学研究室)

【2つの大津波の共通点】
 2023年は、日本海中部地震津波(1983年)、北海道南西沖地震津波(1993年)からそれぞれ40年、30年となります。今回はこの2つの大津波が今に伝える教訓について、かつて災害担当記者だったメディア研究者の視点から考えていきたいと思います。
この2つの津波には、共通点があります。
▼過去に何度も津波被害を受けた三陸沿岸ではない、日本海側で起きた津波だった。
▼観光地など地元に土地勘のない人が多く訪れる地域を襲った津波だった。
▼地震発生から津波到達までの時間が10分未満だった。
 この2つの災害が発生した時、当時の技術では津波警報の発表と伝達が間に合いませんでした。結果的に多くの犠牲者が出る事態となりました。
メディアの災害報道のあり方にも大きな課題を突きつけ、防災教育の重要性が指摘されました。

【日本海中部地震津波とは】

gyosen_2_W_edited.jpg日本海中部地震津波の被害 (秋田地方気象台ホームページより)

日本海中部地震が起きたのは40年前の1983年5月26日午前11時59分。マグニチュード7.7の大地震により津波が発生しました(※1)
東北大学の研究グループが、当時作成したシミュレーション動画では、この津波がどのような動きをしたのか詳しく見ることができます。

 日本海中部地震津波シミュレーション (動画提供:東北大学災害科学国際研究所 今村文彦教授)
 

地震発生後、日本海の震源付近で盛り上がった海面がほぼ東西に分かれ、高い津波となって主に秋田県と青森県の沿岸に襲来。津波の第1波は地震発生から約7分で到達しました。
その後も繰り返し津波が押し寄せ、1時間近く経過してもなかなか衰えない様子がわかります。津波は最高14mの地点まで到達したという記録が残っています。
この時、仙台管区気象台が津波警報を発表したのは、地震の発生から15分後。さらにNHKが津波警報を伝えたのが、その5分後。津波の第1波の到着から13分が経過していました(※2)。当時の技術力ではこれが限界だったと思いますが、メディアとしては情報を迅速に伝えることが責務です。しかし、結果的にそれが十分にできない中で、この津波では、秋田県と青森県、北海道であわせて100人が犠牲になりました。

【土地勘のない海岸で津波に襲われた遠足中の小学生】
犠牲者には、北秋田市の旧合川南小学校の4年生と5年生の児童13人が含まれています。子どもたちは、秋田県男鹿市の加茂青砂海岸に遠足で来ていて、ちょうどお昼のお弁当を食べていたところでした。当時のNHK社会部の記者が研究者と共同で、このときのことを記録しています。日本海中部地震の翌年に出版された本から証言を引用します。

(大地震に遭った子どもたち「日本海中部地震」の教訓 清永賢二 小出治 平井邦彦 井辺洋一著)
 午後零時ごろ 男鹿半島・賀茂青砂海岸に降りて昼食。
《一人の子どもが大声をあげるので駆けつけたところ、岩間にリュックを落としており、それを拾い上げたところに大波が来た。その後、気がついた時は、海岸で人工呼吸を受けていた》(四年担任の先生)
《海辺の方向を振り返った時、「アッ」という悲鳴が聞こえ、子どもを助けに行こうとしたところ、岩の周りの海が盛り上がってきた。二人の子どもの手をとり、助けようとしたところ、急激な力で海へ引っ張られ、体が一回転した。その時、右手の子どもの手が「スルリ」と抜けていった。》(五年担任の先生)
《わたしらでも、こんな大きな津波が来るとは少しも思ってませんでしたからね。まして、合川というところは山の中でしょう。地震と津波というのは少しも結びつけて考えなかったでしょうね。》(地元の女性・六〇歳くらい)

 子どもたちは、不意打ちで津波に遭い、一瞬のうちに波にさらわれました。また、海岸付近に住む地元の女性の話から、子どもたちは山あいの地区にある小学校に通っており、土地勘のない場所で津波に遭遇したことがわかります。

imamura_onlinecoverage.jpg東北大学災害科学国際研究所 今村文彦教授
(リモートインタビューの様子)

日本の津波研究の第一人者で、当時、日本海中部地震津波の被災地を調査した東北大学災害科学国際研究所の今村文彦教授は次のように話しています。
土地勘がなく、『地震のあとに津波が来る』という知識もなかったことで、適切な避難ができず、遠足や観光などで沿岸を訪れていた多くの方が犠牲になった。海に近い地域はもちろん、そうでない地域の人たちでも海の近くに行くことはある。全国各地で津波の防災教育を進めることの重要性を突きつけた津波災害だった
この時の津波では、放送による呼びかけで被害を防ぐことはできませんでした。津波警報の放送についてはこのあと見直しが進められましたが、今村教授が指摘する防災の知識を広げていくことは、放送のコンテンツを通じても可能です。メディアにそのことを意識させる大きなきっかけの1つが日本海中部地震だったと筆者は考えます。

【北海道南西沖地震とは】
北海道南西沖地震は、日本海中部地震から10年後の1993年7月12日午後10時17分に発生しました。北海道奥尻島の北西の沖合を震源とするマグニチュード7.8の地震により津波が発生。震源が島に近かったため、津波は地震発生後4分から5分で到達。高さ20m以上の地点まで達し、観光地として知られていた奥尻島を中心に230人が犠牲になりました(※3)


okushirito_damage2.jpg北海道奥尻島の被害(写真提供:東北大学災害科学国際研究所 津波工学研究室)

札幌管区気象台は、地震発生から5分後に津波警報を出しましたが(※4)、この時点で奥尻島にはすでに津波が到達していました。

【被害を拡大した津波の「挟みうち」】
津波の速度に加え、島や岬などの特有の地形によって津波に「挟みうち」されるような状態になったことも、多くの犠牲者が出た原因の1つです。当時、東北大学の研究グループが作成したシミュレーション動画を見てみます。

 北海道南西沖地震津波シミュレーション (動画提供:東北大学災害科学国際研究所 今村文彦教授)
 

画面中央にある岬が、奥尻島南端部に位置する青苗地区。壊滅的な被害を受けた場所です。津波はいったん地区(岬)の西側に到達したあと、南側を高速で回り込んで東側にも到達。東西から津波に挟みうちされるような状態になり、逃げ場を失った人も多かったのです。

【類似災害から読み取る教訓を伝えることの大切さ】
災害担当記者だった筆者も、これとよく似た津波災害を取材したことがあります。それはタイ南部の離島、ピピ島でのことです。ピピ島は、2004年12月26日に発生し、30万人以上が犠牲になったインド洋大津波の被災地の1つです(※5)。レオナルド・ディカプリオ主演で2000年に公開された映画「ザ・ビーチ」の舞台となったこともある人気の観光地で、当時も年末年始の休暇で多くの観光客が訪れていました。インド洋大津波が発生したとき、筆者は、仙台放送局で災害担当の記者をしていました。この大津波による被害を受けて、津波の研究者たちは調査団を結成し、筆者はその調査に同行しました。
津波発生から数日後にタイに入り、大きな被害のあった観光地のプーケットなどを取材。そのまま年が明け、2005年1月2日にピピ島に到着しました。調査の結果、ピピ島には島の北側から高さ6m、南側から高さ4mの津波がほぼ同時に押し寄せ、ホテルや土産物店などが建ち並ぶ島の中心部を襲ったことがわかりました。観光で訪れた場所で、いきなり津波が挟みうちのように襲ってきたのでは、逃げようがなかっただろうと、現場に身を置いて強く感じました。
今回のブログを書くにあたり、奥尻島を襲った津波について調べるうちに、「島が挟みうちされるように津波に襲われた」という点で、極めて類似していることに気づかされました。北海道南西沖地震の2年後、1995年に起きた阪神・淡路大震災や2011年の東日本大震災をきっかけに、メディアの災害報道は、減災を重視する伝え方に変わってきています。こうした過去の災害から類似点や教訓をくみ取り、伝えていくことの重要性を改めて感じました。

【過去の教訓の継承には課題も】
一方、北海道南西沖地震では、過去の災害の教訓を生かすことの難しさも明らかになりました。実は、奥尻島には、1983年の日本海中部地震でも津波が押し寄せていました。このとき、津波が到達したのは30分後で、2人が犠牲になりました。このため地震のあとに津波が来る危険性は住民たちも共有していました(※6)。しかし、当時、今村教授らの研究グループが行った聞き取り調査の結果からは、過去の津波の経験が裏目に出てしまったことも浮かび上がりました。「日本海中部地震のときは地震発生から30分後に津波が来たので、今回もそのくらいの時間があるだろう」と考え、避難の遅れにつながったと指摘しています。一方、この経験を生かし、すぐに逃げた人は難を逃れたということです。最短4分から5分という速さで到達した津波から逃げ切るには、一刻の猶予も許されない状況でした。今村教授によると、すぐに逃げて助かった複数の人が「揺れ方が違っていた」と答えました。具体的には、日本海中部地震のときは「縦揺れから始まり、その後横揺れが来た」が、北海道南西沖地震のときは「下からドンという強い揺れがいきなり来た」と話していたといいます。今村教授は、前者は震源から比較的離れた場合の地震、後者は「すぐ近くで起きた地震」の特徴を示していると指摘しています。
津波は毎回、形を変えて襲ってくる。発生条件が変われば、到達時間や来襲する方向、さらには災害の形態も変化する。過去の経験を生かすことは重要だが、以前と同じように来るとは限らない。気象庁の津波警報を待っていたら間に合わない場合もある。とにかく『強い揺れを感じたらすぐに逃げる』を徹底するしかない。
 過去の経験を生かすとともに、場合によってはそれにとらわれず臨機応変に行動することの大切さ。こうした知識は、平時から備えておかなければなりません。メディアとして日頃から伝えるべき重要なメッセージだと思います。

【2つの大津波の教訓をどう生かす】
 先にも触れましたが、日本海中部地震と北海道南西沖地震では、気象庁が津波警報を発表したのと、それをメディアがテレビ・ラジオで速報したのはいずれも津波到達のあとでした。結果的に多くの犠牲者が出る事態となりました。これをきっかけに気象庁は津波警報の発表方法を改善。現在では、地震発生から約3分(一部の地震については約2分)を目標に津波警報が発表され(※7)、その後、すぐにメディアが伝えるという体制になっています。
 しかし、それでも日本海中部地震は地震発生から約7分、北海道南西沖地震は4分から5分で津波が到達しており、現在の技術を用いたとしても、津波警報の発表を待ってから行動したのでは助からないおそれがあります。さらに地理に不慣れな観光地にいたとすれば、条件はさらに厳しくなります。
 この難しい課題を解決しようと、同じ日本海側である試みが行われています。山形県酒田市の沖合にある飛島です。海水浴や釣り、シュノーケリングなどを楽しむため、多くの観光客が訪れます。
飛島付近の海底には、複数の活断層が確認されており、これらの断層がずれて動いた場合、津波は最短2分で到達すると想定されています。津波警報の発表を待っていたのではとても間に合いません。2022年4月、酒田市が用いることにしたのは、最先端のテクノロジーではなく、古くからあるメディアの1つ、リーフレットです。

leaflet_5_W_edited.jpg飛島津波避難リーフレット表面 (酒田市ホームページより)

「飛島津波防災」と名付けられた縦約18cm、横約13cmのリーフレットの表面には「津波は最短2分で来襲!揺れが収まったら、すぐに高台へ避難を!!」と書かれ、避難場所やそこに通じる避難ルートも複数紹介されています。さらに、これをわかりやすく解説するため、新しいメディアであるネット動画も作成しました(※8)。

tsunamiopening.png飛島津波避難啓発映像 (酒田市ホームページより)

この動画の中では「飛島に上陸しました。港の景色もとてもきれいなんですけど、それを楽しみながらも『ひなん路』と書かれた看板をしっかり探しておきましょう」などと念押しし、島に到着したら、まず避難場所や避難ルートを確認するよう呼びかけています。津波が発生すれば、到達するまでに時間の余裕はありません。でもあらかじめ避難場所を把握しておけば、もともと土地勘のない場所でもすぐにたどり着けるという発想です。しかも“オールドメディア”であるリーフレットと、“ニューメディア”のネット動画を組み合わせることで理解を深めてもらおうとしています。

lesflet_back2.jpg飛島津波避難リーフレット裏面 (酒田市ホームページより 写真:コマツ・コーポレーション)

一方、リーフレットの裏面には、島の魅力が美しい写真とともに書かれています。通常、観光客向けに作られるリーフレットは、こうした観光スポットの紹介が主ですが、これは防災面での注意喚起を優先しているのです。今村教授は、このリーフレットと動画の作成を監修しました。その際には、日本海中部地震と北海道南西沖地震の教訓を念頭に置いていたといいます。

imamura_6_W_edited.jpg今村教授

地震や津波の防災教育は、どうしても地元の住民のみが対象になりがちだが、観光地ではその土地に不慣れな人たちが多く訪れる。特に島や岬は、津波の到達が早く、挟みうちも発生して逃げ場を失ってしまうことがある。安心して観光を楽しんでもらうためには、その地域の危険性を知り、避難場所と避難ルートを確認してもらうことで素早い避難をするための準備を整えてもらうことが重要だ。
 日本海中部地震津波から40年、北海道南西沖地震津波から30年。
多くの犠牲者が出た2つの大津波から、警報を伝えるための技術も進みました。また、インターネットやSNSで瞬時に情報が伝わる時代になりました。しかし、大規模な災害が起きれば、それらが使えなくなるおそれは常に付きまといます。そうした事態に陥っても、素早く避難して命を守ってもらわなければなりません。そのために今、メディアが貢献できることは、迅速な情報伝達とともに防災教育を進化させることだと思います。2つの津波を教訓に、飛島で作られた“オールドメディア”のリーフレットを手に取るたびに、それを強く感じます。

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(※1、3、5)日本海中部地震、北海道南西沖地震、インド洋大津波の各データについては、「気象庁ホームページ」「内閣府ホームページ」「20世紀日本 大災害の記録 監修・藤吉洋一郎」「TSUNAMI 津波から生き延びるために 財団法人沿岸技術研究センター編」などを参照した。
(※2、4)日本海中部地震、北海道南西沖地震ともに「オオツナミ」が発表されているが、「1993年北海道南西沖地震における住民の対応と災害情報の伝達-巨大津波と避難行動- 東京大学社会情報研究所『災害と情報』研究会」および「TSUNAMI 津波から生き延びるために 財団法人沿岸技術研究センター編」などは、いずれも「津波警報」と表記しているので、本稿もそれに合わせた。なお、日本海中部地震の津波警報発表とNHKの伝達については、日本海中部地震に関する報告書(第二管区海上保安本部作成)を参照した。
(※6)「1993年北海道南西沖地震における住民の対応と災害情報の伝達-巨大津波と避難行動- 東京大学社会情報研究所『災害と情報』研究会」には下記のような記述がある。
「奥尻町では、地震直後に津波を予想した人が少なくない。その大きな理由は、10年前の日本海中部地震における津波体験であろう。筆者らは、津波から辛くも逃れた人たちから、今回の災害では、日本海中部地震にくらべて地震の揺れが格段に大きかったことから、10年前よりも大きな津波がもっと早く襲ってくると直感して懸命に避難したという話をしばしば聞いたが、調査対象になった多くの人々が、大津波の急襲を直感的に予想したことを示唆している。しかし、10年前の津波経験が必ずしも有効に働いたとはいえないケースもある。というのは、10年前には地震の約30分後に津波が襲ってきていることから、地震直後に津波の到来を予想しながら、「日本海中部地震の経験から、津波が来るまでかなり余裕があると思った」人、また、津波経験が今回の避難にどう影響したかという質問でも、「日本海中部地震の経験がかえってわざわいして、津波が来るのにまだ余裕があると思い避難が遅れてしまったと思う」という人がいたからである。全体的にみれば、津波経験が被害の減少に大きく寄与したことは間違いないけれども、部分的には経験がマイナスに作用したケースもあった。」
(※7)気象庁ホームページ
(※8)https://youtu.be/5KxDdrWYMqA

nakamaru2.jpg

【中丸憲一】
1998年NHK入局。
盛岡局、仙台局、高知局、報道局社会部、災害・気象センターで主に災害や環境の取材・デスク業務を担当。
2022年から放送文化研究所で主任研究員として災害や環境をテーマに研究。

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#473「災害復興法学」が教えてくれたこと
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#456「関東大震災100年」震災の「警鐘」をいかに受け止めるか

調査あれこれ 2023年06月20日 (火)

「復帰」50年以降のメディアの役割を考える ~『放送メディア研究』16号刊行後の動き~【研究員の視点】#493

メディア研究部 (番組研究) 高橋浩一郎

51年が経過した5月15日、メディアは「復帰」とどう向き合ったのか
 2023年5月15日、沖縄の日本「復帰」から51年が経過しました。
 今春文研が発行した研究誌『放送メディア研究』16号「特集 沖縄『復帰』50年」掲載の論考で指摘したように、「復帰」から50年の節目だった2022年は、テレビ報道量に関して、沖縄ローカル(NHK沖縄局と民放3局)との間で量と質に大きな差が見られたものの、全国向け放送でも一時的には報道が集中して行われました。それでは51年が経過した今年、「復帰」に関してどの程度の報道がなされたのでしょうか。「沖縄」をキーワードに全国向け地上波のテレビメタデータを収集し、5月15日の「復帰、返還」の報道量を確認したところ、今年は昨年の1.4%、総計で5分足らずでした。50年の節目を越え、沖縄の「復帰」とは日本にとって何だったのか振り返る機運は全国向けテレビには見られませんでした。
 その一方、「復帰」を終わった話として済ませた在京メディアとは違い、沖縄では新聞や雑誌、シンポジウムなどさまざまな形で、1年前の「復帰」50年を振り返る企画が行われ、『放送メディア研究』16号が取り上げられる例もありました。5月16日には、沖縄タイムスの文化欄に立教大学の砂川浩慶教授による書評が掲載され、また27日には那覇市で、掲載論考の執筆者などが登壇し、「復帰」50年をメディアがどう伝えたかを検証するシンポジウムが開催されました。
 刊行をきっかけに新たな対話や交流が始まることは『放送メディア研究』のねらいであり、またその後の動向を継続して取材し、報告することも研究の一環であると考え、シンポジウムでの議論を本ブログでは紹介させていただきます。

「復帰」50年報道からメディアのあり方を考える
 シンポジウムを企画したのは沖縄対外問題研究会(以下、「対外研」)です。対外研は、24年前に県内外の研究者やジャーナリスト、メディア関係者が参加して発足し、最近では「現代日本外交の文脈」「沖縄の人々の自己決定権」など沖縄と日本、国際関係をめぐる今日的なテーマについて月一回程度研究会を行っています。今年初めには雑誌『世界』2月号(岩波書店)に論文を寄稿し、台湾危機を背景として急速にかじを切った国の安全保障政策に対し、軍事衝突を回避し、安定と平和に寄与するために地域秩序の設計を追究することなどを提言しました。
 シンポジウムは5人のパネリストを含めおよそ30名が参加し、対面、オンラインのハイブリッド形式で行われました。冒頭で『放送メディア研究』に寄稿した諸見里道浩さん(元沖縄タイムス編集局長)が「『復帰』50年沖縄 新聞報道について」と題する基調報告を行い、続いて『放送メディア研究』16号を企画したジャーナリストの七沢潔さんが特集のねらいとテレビ報道分析の概要について述べました。それに応える形でそのほかの3人(朝日新聞・前那覇総局長の木村司さん、沖縄タイムス論説委員長の森田美奈子さん、琉球新報編集局長の島洋子さん)がそれぞれの「復帰」報道の取り組みを伝え、後半では会場の参加者を含めた議論が行われました。

toudansha_1_W_edited.jpgシンポジウムの様子(2023年5月27日・那覇市) 画像提供:沖縄対外問題研究会

 5人のパネリストからは多岐にわたる論点が提示されましたが、共通して感じた点があります。それは、本来であれば昨年は沖縄の日本「復帰」とは何だったのかを振り返るべき節目だったにもかかわらず、急速に変化する現実に圧倒され十分な掘り下げができなかったことへの戸惑い、そして沖縄の人々の思いとは裏腹に島々の基地化が進められ、軍事衝突への緊張が高まっていく理不尽さに対する違和感と危機感でした。
 昨年の5月15日周辺の全国紙と各県紙、沖縄県紙の「復帰」報道を検証する中で、諸見里さんは全国紙と各県紙の多くが沖縄問題の理解促進に取り組む一方で、本土と沖縄相互のまなざしに微妙なすれ違いがあることを指摘しました。そして各紙の論調を分析して、中国脅威論が沖縄の基地の重要性と結びつき、南西諸島の自衛力強化や日米一体化を肯定し、結果として新しい日米安保体制の構築を了承する流れができている可能性があることに懸念を示しました。(詳細については、本ブログの最後に関連論考のリンクを貼りましたのでご覧ください。)
 それを受け、沖縄タイムス論説委員長の森田美奈子さんは自らが担当した昨年と今年の社説を比較しながら、この1年間の変化について語りました。昨年5月15日の社説では、県内の世代間の溝の存在に触れ「基地をめぐる構造的差別は高齢世代に屈辱感をもたらしており、“尊厳”の回復が必要。現役世代や子育て世代には“希望”が持てるかが何より重要」と「復帰」50年の時点での沖縄社会の課題を提示したのですが、今年の社説では、ポスト「復帰」50年の現状を「進む要塞化」と、より踏み込んだ表現にせざるをえなかったと述べました。
 琉球新報編集局長の島洋子さんは、「復帰」50年当日と1972年当時の記事を並列し、「変わらぬ基地 続く苦悩」と全く同じ見出しをつけた、昨年5月15日の紙面展開について説明しました。そして個人的な体感として、10年前ではそうではなかった辺野古の新基地建設や、オスプレイ配備が粛々と進められるなど、「復帰」40年と比べて事態は好転しておらず、「復帰」50年は決して晴れがましいものではなかったと振り返りました。
 また朝日新聞の前・那覇総局長の木村司さんは紙面や特設ホームページなどで沖縄と日本本土の共通の土台作りを心がけたものの、節目を越えた途端に“基地の負担”から“基地の重要性”に軸足が置かれるようになったことに対して具体的な問題提起ができなかったと述べました。さらに、本来であれば「復帰」を迎える主体的な責任がある日本本土の「無自覚な無関心」に訴えかける難しさを語りました。
 節目を超えて「復帰」から「軍事」へ軸足が移ったという、パネリストたちの実感はデータからも裏付けられます。4,5月の地上波テレビで「沖縄」に言及したメタデータの中からいくつかのキーワードを抽出して昨年の数値と比較してみると、昨年「復帰、返還」が全体に占めた割合は16%、「自衛隊」は2%だったのに対し、今年は「復帰」が1%と減り、「自衛隊」は33%と大幅に増加していました。その中で4月に起きた宮古島周辺でのヘリコプター墜落関連のものが19%と大半を占めているものの、一方で「基地」を含むものが6%、「ミサイル、PAC3」が3%と、全国向けテレビの沖縄へのまなざしが「軍事」に傾斜していました。

歴史の反復への懸念
 会場で議論を聞いていた参加者からは、軍備増強の前線として巻き込まれていく沖縄の姿がかつての歴史に重なるという指摘がありました。対外研代表の我部政明さん(国際政治学者)は、日本の近代史を振り返り「沖縄県が設置された1879年から52年後に満州事変が起きたことを考えると、あと2年ほどしたら日本は再び戦争に巻き込まれるのではないか」と歴史が繰り返されることを憂慮しつつ、その一方で「有事」に関しては日本だけが浮き足だっている印象で「エコーチェンバーのような感じがする」と、メディアが一方的に伝える社会や世界の姿に対して冷静になる必要があると語りました。
 ジャーナリストの七沢潔さんは日本が戦争のできる国に変わる中で沖縄がどこへ向かっているのか、100年単位の歴史を繰り返しているような感覚があると述べ、朝日新聞の木村さんもメディアが戦前にたどった同じ道を歩んでいるのではないかと語りました。
 その中で沖縄タイムスの森田さんは「戦争が起こる可能性を摘み取ることを最優先すべき。メディアは二度と戦争の旗振り役になってはいけない」と述べ、琉球新報の島さんは「台湾有事の危険性が盛んに言われる中でも、沖縄戦の教訓である“軍隊は住民を守らない”ことを訴え、外交の重要性を主張していくことが沖縄の新聞社としての役目」と語りました。20万人もの人が亡くなり、県民の4人に1人が命を落とした沖縄戦の歴史を知るジャーナリストや研究者たちから、こういった切迫した意見が出ることを重く受け止める必要があると感じました。

kaijyo_2_W_edited.jpgシンポジウムの様子(2023年5月27日・那覇市) 画像提供:沖縄対外問題研究会

メディアの役割とは
 上記のような懸念があがる背景に「安全保障のリアリズム」を指摘する声がありました。「安全保障のリアリズム」とは国家間の力の均衡を図るために結果として防衛力強化が正当化されてしまうことを意味しています。中央大学教授の宮城大蔵さん(専門 戦後日本外交)はタレントのタモリさんの「新しい戦前」発言を引用しつつ「安全保障の論理が他を圧する『安全保障リアリズム』が肥大化した時代の到来。肥大化を相対化する必要がある」と発言しました。
 基調報告をした諸見里さんは、メディアは軍事的側面だけで「安全保障のリアリズム」を語るのではなく、自国の安全を高めようとする意図が他国にも同じような行動をとらせ、結果的に双方とも望まない衝突につながる緊張を高めてしまう「安全保障のジレンマ」の視点からの報道も必要だと述べました。また、単純な正義と悪の戦いとして国際政治を捉えるのではなく、中国や台湾、米国の理解を深めることで自由な判断を促す提言をするのも研究者やジャーナリストの役割だと語りました。
 さらに、こういう状況だからこそメディアの役割が大きいと指摘する声もありました。国際基督教大学教授の新垣修さん(専門 国際法学、国際関係論)は「安全保障の中で何がリアルで何がリアルでないかはファジーな部分がある」としたうえで「安全保障という領域は言語によって作られ、その後に行為が作られる。対話によって安全保障の内容がリアルなものになる」と語り、メディアによって伝えられる言葉の重要性を述べました。
 本ブログを書いている5月31日の朝、北朝鮮が沖縄県の方向に弾道ミサイルの可能性のあるものを発射したと報じられ、「ミサイル発射、建物の中に避難してください」と呼びかける防災行政無線が町に響き渡りました。このような事態を伝える際にシンポジウムでの議論をふまえ、メディアがどういう立場から、何を、どのような言葉で、どの程度伝えているのか注視する必要があると感じました。
 3時間半と長時間に及んだシンポジウムは決して明るい見通しが持てる内容だったわけではありませんが、パネリストと参加者が応答し合うことで議論が深まり、集合的な思考がなされる貴重な場になっていたように思います。『放送メディア研究』16号の刊行という文研からの情報発信を起点として、地方のメディアや研究者が少しずつ連携を図り、さらにその反応を共有することで、次の展開につなげていきたいと考えています。

kiji_3_W_edited.jpgシンポジウムの様子を伝えた沖縄タイムスと琉球新報の記事(2023年5月28日)

関連論考
諸見里道浩「『沖縄の眼差し』と『沖縄への眼差し』」
https://www.nhk.or.jp/bunken/book/media/pdf/202303_2_1.pdf
インタビュー木村司「『沖縄が』ではなく『日本社会が』 当事者意識を持って書き続ける」
https://www.nhk.or.jp/bunken/book/media/pdf/202303_2_2.pdf


ⅰ) 対象番組はニュース、情報番組、ワイドショー、ドキュメンタリーに限定した。

ⅱ) 砂川浩慶「沖縄と全国すれ違う目線」『沖縄タイムス』(2023.5.16)

ⅲ) 沖縄対外問題研究会「『沖縄返還』五〇年を超えて」『世界』(2023.2)

調査あれこれ 2023年06月16日 (金)

「放送法4条の政治的公平について考える」 ~「メディアと法」研究会 講演から#492

放送文化研究所 渡辺健策

 本稿では、昨今あらためて議論になっている放送法4条の政治的公平をテーマに、筆者が司会進行役をつとめたマスコミ倫理懇談会全国協議会「メディアと法」研究会(5月18日、日本プレスセンタービルで開催)の講演概要をお伝えします。講師は、BPO放送倫理検証委員会の委員長を長くつとめられた川端和治弁護士です。「放送法4条の政治的公平について考える」と題して、約2時間にわたって講演いただきました。
(講演内容から一部抜粋。章ごとのサブタイトルは、筆者が補足したものです)

川端和治弁護士

1970年 司法研修所修了とともに弁護士登録 2000年~2001年 日本弁護士連合会副会長
2005年~2007年 法制審議会委員   2007年~2018年 BPO放送倫理検証委員会委員長 
2011年~2014年 法務省政策評価懇談会座長 現職:BPO放送倫理検証委員会調査顧問

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<戦前の教訓と後悔が「放送法」の出発点>

 川端でございます。本日はお招きいただきましてありがとうございます。
私はBPO放送倫理検証委員会の委員長を11年やりましたけど、その間に考え、その後、『放送の自由――その公共性を問う』という本を書いたときに考えたことをお話ししていきたいと思います。
 放送法について考える時、私がいつも強調しているのは、この法律は非常に普通の法律とは違う成立の歴史背景を持っている、その歴史的背景をよく理解しないと、条文の目指したもの、真の意味を理解できないだろうということです。まず、この放送法の背後にある歴史について簡単にご説明します。
 重要なのは、戦前において日本の電波というのは軍(国)が使用するもので、放送はその余った部分について使用を許されていたに過ぎなかったということです。放送局は、政府によって予算、人事、実際の運営、実権を握られていました。政治上の講演議論、治安・風教上悪影響を及ぼす恐れのある事項、そういったものを禁止する。それを監視するため、リアルタイムで放送中に監視している人がいて、「これは駄目だ」ということになると、ただちに放送を遮断するという体制でしか放送は認められていなかった。それが戦前の放送です。しかも太平洋戦争が始まった時に放送の全機能をあげて大東亜戦争の完遂にまい進するということになりまして、放送はすべてのプログラムを国民の戦意を高揚するということに使われた。さらに悪いことに、戦争についての戦果は大本営発表しか認めないということになっていたんですけど、ミッドウエーで思いがけない大敗戦を喫し、大本営が負けを勝ちとねつ造するようになってしまった。だから相当あとになるまで、つまり本土の空襲が激しくなるまで多くの人は日本が勝っているんだと思っているという状況が生まれたんですね。戦っているうちに必勝の信念とか神風が吹くとか、そういう感情が国民の間にも起こってくる、マスコミはひたすらにそれをあおる、そういうことを続けていた。
 その結果、本来ならとっくにあきらめて降伏するべき状況だったにも関わらず、ぎりぎりまで戦争を続けて、原爆を2発落とされてようやく降伏を認めるというところまでいってしまったわけです。当時の放送を担当した人たち、放送行政、電波行政を担当した人たちにとっては、敗戦についての自分の責任とそれを悔いる気持ちを残しました。
 戦後、放送法を制定する国会で審議をした時に、担当した官僚が質疑応答の原稿を作っているんですけど、その中に「放送番組に政府が干渉すると、放送が政府の御用機関になって国民の思想の自由な発展を阻害して、戦争中のような恐るべき結果を生じる」と書いているんですね。そういうつもりで放送法をつくるということがはっきりと意識されていたということを記憶しておかなければならないと思います。

 一方でGHQ(連合国軍総司令部)は当然、日本を民主化する、軍国主義を徹底的に除去するという覚悟を持って日本に乗り込んできた。ファイスナーという人が放送関係の事項を担当したんですけどこの人は着任したときに逓信省の事務次官を呼びつけて、「私は軍国主義、封建主義、官僚主義の3つをつぶすためにきた」と宣言したということも、当時を回想した記録に残っています。
 新しい憲法ができるので、放送法制も完全にそれに合ったものにしなければならない。GHQと逓信省の官僚がやりとりしている中で「これが絶対に必要だ」ということでGHQが示した事項がありました。1つは放送の自由を確立するということ、不偏不党の放送にすること。放送の役割としては、公衆に対するサービスであるということ。技術的な水準は満足すること。もうひとつ重要なのは、その管理は政府から独立した機関によるべきだという大原則を示したんですね。その結果、放送法が作られていくんですけど、これが単純には作れなかった、何度か行ったり来たりをするということになります。

<「番組編集準則」と「停波処分」の制定経緯>
 1950年1月には、放送法を含む電波3法を制定する国会の審議が開始されました。ただ、これもそのまま素直にすんなりと成立したわけじゃなくて、4党の共同修正案が提出されてようやく1950年6月に成立するんですけど、この時の共同修正というのが非常に重要な修正で、今日にいたるまで問題となる、尾を引くような修正であったということになります。

shiryou1_2_W_edited.jpg(川端和治弁護士 講演資料より)

 もともとの放送法案では、NHKは公共放送として立案され、公共放送だからということで放送内容を規制する規定として2つ重要なものがあったんですね。1つめは「公衆に関係のある事項について事実を曲げないで報道すること」。2つめは「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」。修正案は、この2つにN H Kについての別の条項にあった「政治的に公平であること」を加え、さらに「公安を害しないこと」を加えた4項目を「番組編集の準則」とし、これを民間放送にも準用するということで、全ての放送局に適用するようにしたんです。

 もう一つ、これはほとんど当時の国会審議でも言及がなかった不思議な修正なんですけど、電波法76条(停波処分)は電波法にある技術的な条項、放送のハード面についての規定だったんですけど、そこに放送法を加え、放送法違反も電波法による停波処分の対象になると、論理的には読める規定に修正しているわけです。この4党共同提案の修正がどういう意味を持つかというと、それまでは実は民間放送についての規定はほとんど何もないに等しかったんですね、確か2か条しかなかったと思いますけど、民間の意見として「NHKの規定ばかりで民間を全く無視しているじゃないか、おかしい」という議論もあったんです。
 この修正によって番組編集準則が民間放送にも適用になるということになり、公共性をもつ放送として民間放送も位置づけられる、だから日本の放送法制は、NHKのようなピュアな公共放送に加えて本来は商業放送として考えられていた民間放送も公共性を持つ、2つの体制が二元的に並び立つという体制になったという意味では非常に大きな修正だったわけです。
 NHKはもともと公共放送として構想されていますから、とにかく受信設備を持っている人からは誰からでも受信料を取れるということのまさに裏側として、全ての受信契約者に対してサービスしなきゃいけない。政治的に一部の勢力側に付いて放送をしたのではそういうのは公共性がないということになりますから、どうしても政治的に公平であることを課す必要があった。
 しかも公共放送は民主主義の成立には必要だから、公共放送と名乗れるだけの最小限の制約を加えることは合理性がある、従って憲法上の問題はないというふうに一応考えられる。ですけど、民間放送の場合は、なぜ表現内容についての規制を受けなければならないのかという、憲法21条との間の整合性の問題を、実はこの時に生じさせているんです。ただ、国会審議を見ても、そういうことはほとんど意識されていなかった。
 電波法76条の規定に放送法違反を追加した点ですけど、なんで電波法に放送法違反を加えるという改正がなされたのかというのが、私が当時持っていた資料を読んでもさっぱり分からなかった。国会審議録、全部の審議経過を読んでも何の議論もされていなかったんですね。

pdf_3_W_edited.jpg (NHK放送文化研究所『放送研究と調査』2020年7月号 村上聖一「電波三法 成立直前に盛り込まれた規制強化」より)

 NHKの村上聖一さんが『放送研究と調査』2020年7月号に「電波三法 成立直前に盛り込まれた規制強化」という論文をお書きになっていて、それを読むと放送文化研究所の書庫に「荘宏文書」というのが残っている。荘宏というのは当時、電波庁の文書課長をしていた人で、つまり電波3法の修正の実務担当をしていた人です。その荘宏文書を見ると1月に国会審議が開始されたんですけど、その翌月に衆議院電気通信委員会と衆議院法制局と電波庁の担当者が箱根で合宿をしていて、電波法の原案がその合宿の資料として配られているんですけど、そこに手書きで「放送法」と、途中(76条)に加える修正がなされているというのが、その資料を見るとわかるんですね。これが2月なんです。翌3月の段階で参議院の電気通信委員会で「電波法の76条に放送も加えなくていいのか」という質問がなされたんですね。それに対して網島電波監理長官、この人は箱根の合宿の参加者名簿に載っている人ですけど、「放送法にもごく僅少ではございまするが、いろいろ施設者に義務づけられた事項もございまするので、ただいまのお説は私どもといたしましてもごもっともなお説ではないかと考える次第であります」と答弁している。要するに、もともと電波法はハードについての法律で、いろんな施設について書いていて放送局としてはこういうものをふまえなければいけない、それに違反したらそんな不十分な施設で放送してはいけないから停波処分という法律なんで、もっぱらそういう技術的事項の違反しか考えていなかった条文なんです。
 実はこの1月から3月で、放送法にも技術的規定があるから(電波法76条に)こういう修正をするということが国会で言われた後になってから、今の放送法4条の改正の議論が始まっているんです。そういう意味では電波法の改正というのは、そういう4条を民間放送にも適用する、政治的公平を民間放送にも課す、という議論の前にそれとは無関係に決まっていた、ということなる。そうすると、あれは放送法総則とは全然関係のない技術的事項についてだけ適用するということを考えた修正だったという説も根拠があるんだと初めて納得したんです。

<自主自律を尊重する「政府見解」>
 番組編集準則は倫理規範であることをはっきり示しているのが、1959年の放送法改正案が国会に提出された時、田中角栄郵政大臣(当時)が参議院本会議で行った法案の趣旨説明です。この時の改正案では、番組編集準則に「善良な風俗を害しない」という項目を付け加えたんですけど、その番組編集準則を守ってほしい、しかしそれを直接政府が強制したんでは表現の自由を侵害することになるからそれはできない。考えた結果、この番組編集準則を見て各放送局に自主的自律的に番組基準を作ってもらうことにした。各局はその番組基準に従って番組を作る。しかも各局に有識者からなる番組審議会をつくって、そこに必ず各局の番組基準は諮問しなきゃいけない。さらに番組基準自体全て公表するということにさせた。そうなると、見ている人は各局の番組基準を知っていますから、「これは番組基準に反するんじゃないか」と批判するだろう、審議会でも「こんな番組はわれわれが認めた番組基準に反するんじゃないか」というだろう。そういう形で批判させることによって番組基準が実行され、しかも番組基準は番組編集準則を1つの理想と放送の理念とみて作られるので結局それが実現されることになる。当時の答弁を見ても、放送事業者の自主性に任せて、番組の統制はしないと答弁しています。

 もう一つ重要なのは、国会の審議で、「極端に変な放送がされた時にどうするんだ」という質問があったんですけど、「例えば、わいせつ放送であれば電波法108条によって刑罰が課せられます、だからそういう心配はありません」という答弁をしているんです。一方、電波法76条は、当時すでにあったにもかかわらず、それについては全く述べていないんですね。だからそういう極端におかしい放送でも電波法76条の処分の対象になるというのは全然考えられていなかった、というのはこれからも明らかです。

 また、政府見解としては、1962年の臨時放送関係法制調査会という公の機関で当時の担当部局である郵政省が意見書を出しているんですけど、番組編集準則というのは1つの目標で、法的効果としては精神的規定の域を出ない、要は事業者の自律に待つほかないと答えています。さらに1977年には電波法76条の適用についての質問に対して、「検閲はできないことになっているから番組の内容に立ち入ることはできず、番組が放送法違反だという理由で行政処分をすることは事実上不可能です」とか、「放送事業者が自主的に放送法違反について判断する、あるいは番組審議会、世論というものの存在がその是非を判断する」という答弁をしているんです。
 電波法76条の停波処分の適用は論理的には可能だという意識は放送行政の担当者にはずっとあったと思うんですが、しかしそれはできない、という形でずっと守られ続けていた。それが椿発言問題でくるっとひっくり返っちゃった。そうすると番組編集準則が憲法21条違反じゃないかということが正面から問題にされるようになりまして、いろんな憲法学者がいろんな意見を述べるということになった。通説として、これは倫理規範なんだ、だからこの規定を政府が強制することはそもそもできないんだから憲法21条の問題にはならないというのが、学説として最も広く受け入れられた見解です。

shiryou2_4_W_edited.jpg(川端和治弁護士 講演資料より)

 最高裁判所も、これは女性戦犯法廷事件の判決の中にありますけれども、放送事業者がみずから定めた番組基準に従って番組の編集が行われるという番組編集の自律性について規定したものという書き方をしています。裁判所も放送法というのは自主自律の体制だというのを述べているんですね。
 しかもこれは前から言われていることですけど、総務省には強制力を持って調査する権限が法律上ない、という答弁も2022年の放送法改正時の国会審議でしています。ただ番組編集準則が法規範であって、その違反に対して電波法76条の処分ができるというこの1点は譲らなかった。たぶん「伝家の宝刀」というか、究極の脅しの手段として――それは、政府は放さないよ、という宣言だと思います。
 自主自律で編集ができるのだとすれば、これは明らかに、例えば政治的公平に反するかどうかという判断は、番組を制作する側にまず委ねられる、そこで番組編集の自由が発揮されるということになります。そういう自主自律による編集権をどこまで自由に実行しているのかという放送局側の問題が、今度は問われることにならざるを得ない。

<自主自律・報道の自由をいかせるか>
 ごく最近で言えばジャニー喜多川の(損害賠償)事件についてですね、放送に限ったことではないが、最高裁判決まであるにも関わらず、メディア全体がひたすら沈黙を守り続けてきたということがありますが、本当に放送は自分たちに与えられた自主自律による自由な編集権を行使しているのかということが問われざるを得ないと思います。
 ただ、政府見解であれは法規範で76条による処分ができるという、「伝家の宝刀」と申し上げましたけど、これがものすごい脅しの材料になっているんですね。椿発言の時に実際にテレビ朝日は、免許の更新を条件付きのものにされたということもあって、放送局の経営者にしてみれば、絶対にそういう事態は起こしたくないという意識がありますから、これが上から下までにいたる萎縮効果をもたらしているんです。そもそも政府が、何が政治的公平なのかということを判断できる体制のもとでは、政府権力はもともと権力の行使についてマスメディアによって監視されるべき立場なんですけど、監視される側が「これは政治的公平に反する、法律違反だから処分できる」ということが言えることになれば、政府批判の萎縮をもたらすような結果にならざるを得ない、そうなると一番重要なマスメディアの機能である権力監視機能が損なわれるんじゃないか、という問題があります。しかも何が政治的公平で、何が政治的公平でないのかというのは、非常に漠然としているわけですね。

 国論を二分する問題でいうと、最近の例でいえばイギリスがEU(欧州連合)を脱退するかどうかという問題の時、あのときも脱退すれば経済的にすごくイギリスが利益を受けるというキャンペーンを保守党の側がやったんですね。しかし、実際にはうそだったということが後で分かるんですが、そういう国論を二分する問題について今政府がこう言っている、憲法改正問題で言えば改正賛成の方がこう言っているけれども、それは事実に反するとか、あるいはそういう説明はでっち上げだフェイクだ、あるいは論理的にいってそういう議論は成立しないということが分かっている時に、「それはおかしい」ということを放送することは、何ら問題はない公正な放送であって、それを止めるということは、そもそも表現の自由を保障した趣旨に反するんですよね。なぜかというと、国民はそういう問題があるということを全然知らされないまま、ある候補に投票したり、あるいは選択したりすることになってしまうので、そういうことが許されるんであれば、そもそも民主主義が機能しなくなるという問題がある。もともとは民主主義をよく機能させるための基盤であるから、放送には憲法上その自由が保障されるという関係なのに、全然その機能を果たさないことになってしまう。

shiryou3_5_W_edited.jpg(川端和治弁護士 講演資料より)

 なぜそうなるかというのを考えたのが、BBCのガイドラインです。ずっとBBCが第一の絶対に守るべきものとして掲げてきたのがimpartialityなんです。このガイドラインを読むと、impartialというのは議論の全てのサイドを反映することで、そしてどのサイドもひいきにしないことである、とされています。もっと大事なのは単にimpartialであることを求めているのではなくて、due impartialityが求められている、つまり適正な、ふさわしいimpartiality。何かを報道するときの結果について考えるときには、その事柄の性質、内容において、またその報道が及ぼす結果についても、よく考えた上でやらなきゃいけないという適正な公平性でなければいけないというのがBBCの見解です。

<ジャーナリストたちへの期待>
 私が期待したいのは、ジャーナリストとしての矜持(きょうじ)、ジャーナリズムの力、それがもっと発揮できるようになれば、もっといい放送ができるんじゃないか。週刊文春は、ああいう問題を果敢に取り上げてしかも裁判で争うこともいとわない、あそこには腕っこきの弁護士がついていて、判決で勝つ。ある意味、裁判をしても闘うという、きちんと筋が通っている。日本の場合、どうも裁判沙汰になることをテレビ局の幹部は恐れているのかなという気がすることがありますが、いま文春には、とにかくいろんな情報がどんどん飛び込んでくる。「文春に駆け込めば報道してもらえる」ということで、そういう状態になっているということを文春の編集長が書いていましたけど、もっと勇気を持ってしかも文春のようにきちんとしたリーガルな備えも万全に整えた上で臨めば、重要な問題だけれど報道されないということが、少なくなっていくのかなと思います。

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 議論のある問題について、できるだけ全体を伝えるというのは、これはそもそも放送が公共性を持つ上で絶対の条件ですね。だからといって間違った意見も伝えなきゃいけないとか、事実じゃないフェイクの主張も伝えなきゃいけない、ということにはならないと思います。だからいろんな立場いろんな意見があるとして、その中でまともに取り扱うべき意見と、全然相手にならない意見があったとしたら、それを両方とも載せなきゃいけないというのは、これはおかしいですね。BBCが言うdue impartialityがというのはそういうことだと思います。impartialでなきゃいけないけど、しかしそれはdueでなきゃいけない。間違ったことなのか、うそなのか、これを判断するのは放送局の側ですから、ジャーナリストとして判断するということになります。

 「エコーチェンバー現象」というのがありますけど、それを打ち破るのは、本来の表現の自由の考え方で言えば、「モア・スピーチ」なんですね。言論の力でそれを打ち破っていかなければいけない。
 逆に言えば、放送が本当に真実を伝える場なんだ、放送というのはそういうものとしてそういう制度としてできあがっているんだ、だから信頼できる言論機関なんだということがきちんと確立できるようになれば、そちら側の方向でいろいろな事を推し進めていけば、インターネットに一方的に負けてしまうことはない、というのが私の希望的な観測です。でも、「本当にそういう意味で信頼できるような言論機関になっていますか」というのが、いま一番投げかけられている大きな疑問なのではないでしょうか。

【渡辺健策】
1989年NHK入局。報道局社会部、首都圏放送センターなどで記者として環境問題を中心に取材。
2011年から盛岡放送局ニュースデスクとして東日本大震災の被災地取材に関わり、その後、総務局法務部などを経て2022年から現所属。

調査あれこれ 2023年06月13日 (火)

G7サミット終えて内閣支持率足踏み ~財源問題先送りはどう影響?~【研究員の視点】#490

NHK放送文化研究所 研究主幹 島田敏男

 岸田総理大臣はG7広島サミットの議長を務め、ウクライナ支援で足並みをそろえつつ、核兵器のない世界実現の機運を盛り上げようというメッセージを発信。ゼレンスキー大統領が急きょ広島に駆けつけたことも大きなインパクトをもたらしました。外務省幹部は「このところ影が薄くなっていたG7サミットだが、今回は世界に向けた強い発信に成功した」と胸を張りました。

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 ただ岸田総理自身は「それなりの成果はあった」とやや控えめの評価に終始していました。被爆者団体の人たちから「核兵器の廃絶に向けて一歩前進したとはとても言えない」と厳しい評価が発せられたこともあるでしょう。そしてロシアのプーチン大統領がG7に反発するかのように、ウクライナと国境を接するベラルーシに核兵器の配備を打ち出したのも暗い現実です。

 サミット閉幕直後には支持率が急上昇した新聞社の世論調査もありました。しかしその直後に総理秘書官を務めていた長男が公邸の公的スペースで親族による忘年会の記念写真を撮っていた問題が発覚し、更迭されました。「はしゃぎ過ぎの岸田一族」とも評され、その後の各種世論調査には支持率低下のものが目立ちました。

 サミットからちょうど3週間後の6月9日(金)から11日(日)にかけて行われた6月のNHK月例電話世論調査も、岸田総理にとって少々厳しい結果になりました。

☆あなたは岸田内閣を支持しますか。それとも支持しませんか。

 支持する  43%(-3ポイント)
 支持しない  37%(+6ポイント)

 2月から5月にかけて4か月連続で上向いていたNHK世論調査の内閣支持率が、ここで足踏み状態になったように見えます。この数字を年代別に見ると、40歳以上では「支持する>支持しない」なのですが、18歳から39歳の若い世代では「支持する<支持しない」となっているのが目立ちます。

 もろもろの出来事に対する反応が絡み合って出てくるのが内閣支持率ですが、今回は6月1日に政府の「こども未来戦略会議」が少子化対策の方針を発表した動きも一つの要素になっていそうです。

child_2_W_edited.jpgこども未来戦略会議(6月1日)

☆少子化対策について、政府は今後3年をかけて年間3兆円台半ばの予算を確保し、児童手当の拡充策などに集中的に取り組む方針です。あなたは、この少子化対策に期待していますか。期待していませんか。

 期待している  39%
 期待していない  56%

こちらはすべての年代で「期待している<期待していない」となっています。政府が手当てをばらまくだけでは少子化に歯止めはかからないと冷静に受け止めている人が結構多いことがうかがえます。

☆政府は、少子化対策の財源を社会保障費の歳出改革や新たな支援金制度で確保するとしていますが、具体的な内容は今後検討を進めるとしています。あなたは財源確保をめぐる政府の対応についてどう考えますか。

 すみやかに全体像を示すべきだ  44%
 時間をかけて検討すべきだ  48%

これはちょっと分かりにくい数字です。与党支持者では「すみやかに<時間をかけて」ですが、野党支持者では「すみやかに>時間をかけて」となっていて逆の傾向が出ています。無党派層は相半ばです。

 「少子化対策の財源確保の方法まですみやかに示すべきだ」と考える人たちには、国民に新たな負担を求めるのかどうかを誠実に示してくれないと、いくら良い話でも賛否を判断できないという気持ちがあるのでしょう。

 この新たな国民負担のありなしに向けられる厳しいまなざしは、終盤国会で大詰めの論戦が続いている防衛費大幅増額の財源問題とつながっているように思います。

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 終盤国会の与野党対決法案として参議院財政金融委員会で審議が続く防衛力強化財源確保法案は、国の無駄な歳出を減らして防衛費増額の財源にするというものですが、結論が先送りされている増税の中身と一体のものです。

 この防衛費増額のための増税について、財務省や自民党税制調査会は東日本大震災の復興財源に充てている復興特別所得税(基準所得税額に2・1%相当を上乗せ)の仕組みを部分的に転用する案を示し、結論が先送りされているという問題があります。
 
 12日に福島市で開かれた参議院財政金融委員会の地方公聴会では、「復興の財源を国防の財源に充てるというのは筋違いだ」といった反発が相次ぎました。

fukusima_4_W_edited.jpg参院財政金融委 地方公聴会(福島市 6月12日)

 このところ足並みがそろわない野党各党ですが、この問題では「先に防衛費を対GDP2%にするという目標ありきで、後から国民負担の中身がついてくるというのでは不誠実だ」「取りやすい方法で取るというのは姑息(こそく)だ」という批判は共通です。

 通常国会の会期末21日が近づくにつれ、与党側からは衆議院の解散・総選挙もありうるという発信が相次いでいます。

 ただ、少子化対策でも防衛費増額でも、必要な財源のよりどころとなる国民負担の中身を示すことなく、『つけの先送り』が次々と国民の目に見えてくると岸田政権の先行きに対する不信感は増してくるでしょう。
こういう状況を背負ってでも、岸田総理が会期末の衆議院解散・7月総選挙を選択するのかどうか。

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 自民党内には、財源問題を先送りし続けて時間を作れば選挙に影響はないという楽観論もあります。一方で、サミット後に表面化した東京都での自民党と公明党の与党内選挙協力を巡る行き違いの影響を懸念する声もあります。

 岸田総理の自民党総裁としての任期は来年9月まで。政権の先行きをどう考え、どういう判断を示すか。注目の会期末1週間になりそうです。

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島田敏男
1981年NHKに入局。政治部記者として中曽根総理番を手始めに政治取材に入り、法務省、外務省、防衛省、与野党などを担当する。
小渕内閣当時に首相官邸キャップを務め、政治部デスクを経て解説委員。
2006年より12年間にわたって「日曜討論」キャスターを担当。
2020年7月から放送文化研究所・研究主幹に。長年の政治取材をベースにした記事を執筆。

調査あれこれ 2023年06月09日 (金)

3年に及んだコロナ禍は、人々に何をもたらしたのか? ~「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査(第3回)」の結果から~#489

世論調査部(社会調査)中川和明

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新型コロナウイルスの法律上の扱いが5月8日から変更されました。
法律上の扱いが変わったことによって、国が法律に基づいた行動制限を求めることができなくなったほか、医療費の扱いについても見直しが行われました。
また、新型コロナの感染者数は、医療機関などが毎日すべての感染者数を報告する「全数把握」から、指定された医療機関が1週間分の感染者数をまとめて報告する「定点把握」に変更され、3年以上続いたコロナ対策は、大きな転換点を迎えたことになります。

こうしたことを受けて、社会のさまざまな分野で、感染拡大以前の日常に戻そうという動きが加速していますが、3年に及んだコロナ禍は、人々に何をもたらしたのでしょうか。
今回は、これについて、NHK放送文化研究所(以下、文研)が行った世論調査をもとに、少し考えてみたいと思います。

コロナの感染拡大によって、さまざまな社会経済活動が制約を受け、多くの人がこれまでとは違った生活を営まざるを得ず、大きな影響を受けました。

 文研が2022年11月から12月にかけて行った「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査(第3回)」で、感染拡大をきっかけにした生活の変化は、自分にとって、プラスの影響とマイナスの影響のどちらが大きかったと思うかを尋ねました。
『マイナスの影響が大きかった(どちらかといえば、を含む)』と答えた人が74%で、『プラスの影響が大きかった(どちらかといえば、を含む)』と答えた人の23%を大きく上回りました。これを前回(2021年)、前々回(2020年)の調査と比べてみると、『マイナスの影響』、『プラスの影響』ともに、大きな変化はありませんでした(図①)。

図① プラスとマイナスどちらの影響が大きかったか

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文研 「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査 (第3回)」

2022年の調査結果を男女年層別にみますと、各年代とも『マイナスの影響』と答えた人が多くなりましたが、特に、男性の70歳以上と女性の60代で8割を超え、全体の回答値(74%)を上回りました。一方、『プラスの影響が大きかった』は、男性の30代から50代、女性の30代と40代で30%ほどとなって、全体(23%)よりも高くなりました。中でも、男性の30代は『プラスの影響』が大きかったと答えた人が37%で、4割近くの人がコロナ禍での生活の変化を肯定的にとらえていました(図②)。

図② プラスとマイナスどちらの影響が大きかったか
       (男女、男女年層別)

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文研 「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査 (第3回)」

この結果をみて、コロナ禍をプラスだと思う人がいるんだ。その理由は何だろうと思われる方も多いと思います。
そこで、『プラスの影響が大きかった』と回答した人に最もあてはまる理由をひとつだけ選んでもらった結果をみてみます。
最も多いのは、「手洗いなどの衛生意識が向上したから」の42%で、次いで、「家族と過ごす時間が増えたから」が21%、「在宅勤務など柔軟な働き方ができるようになったから」が12%、「家でできる趣味など今までとは違う楽しみを見つけられたから」が8%などとなりました(図③)。

図③ 感染拡大による生活の変化『プラスの影響』の理由
(該当者:『プラスの影響が』大きいと答えた人=524人)

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文研 「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査 (第3回)」

 回答の多かった「手洗いなどの衛生意識が向上したから」や「家族と過ごす時間が増えたから」など4つの回答について、年層別に詳しくみてみると、「手洗いなどの衛生意識が向上した」は、60歳以上で7割近くに達したのに対し、18歳から39歳では23%と若年層ほど低くなっていて、高齢層など年齢の高い人たちで多く感じられた理由であることがわかります。
一方、「家族と過ごす時間が増えた」は、40代・50代で26%と、全体(21%)を上回ったほか、「在宅勤務など柔軟な働き方ができるようになったから」と「家でできる趣味など今までとは違う楽しみを見つけられたから」は18~39歳でそれぞれ全体を上回っていて、若年層や中年層を中心に、働き方や時間の使い方の変化を肯定的にとらえている人たちが一定程度いることがわかります(図④)。

図④ 感染拡大による生活の変化『プラスの影響』の理由
(「手洗いなどの衛生意識が向上」「家で過ごす時間が増えた」
「柔軟な働き方」「今までと違う楽しみ」:年層別)
(該当者:『プラスの影響が』大きいと答えた人=524人)

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文研 「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査 (第3回)」

 さらに新型コロナウイルスの感染拡大による人と人との関係への影響などを考えるため、次の調査結果も紹介したいと思います。
新型コロナの感染拡大の影響に関して、「人と実際に会うことの大切さがあらためてわかった」や「人とつながることに関してインターネットのありがたさがあらためてわかった」など4つの項目を挙げて、自分の考えがあてはまると思うかどうかを尋ねました。
『あてはまる(かなり+ある程度)』と答えた人が最も多かったのは、「人と実際に会うことの大切さがあらためてわかった」の76%で、次いで「人とつながることに関してインターネットのありがたさがあらためてわかった」が48%、「義理で会っていた人に会わなくなってよかった」が45%、「人と会うのがおっくうになった」が36%となりました(図⑤)。


図⑤ 感染拡大の影響に関して『あてはまる』もの

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文研 「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査 (第3回)」

 『あてはまる』と答えた項目のうち、「人と実際に会うことの大切さがあらためてわかった」と「義理で会っていた人と会わなくなってよかった」、「人と会うのがおっくうになった」の3つについて、男女年層別にみると、「人と実際に会うことの大切さがあらためてわかった」は、女性の60代で全体を上回っていますが、おおむね、どの年代でも7割から8割ほどに達していて、年層ごとに大きな差はありませんでした。
 一方、「義理で会っていた人と会わなくなってよかった」は、男性の40代、50代、女性の50代以下の年代で、全体を上回って半数を超えていて、これまでの職場や近所、親戚、さらに、子どもを介した親同士のつきあいなどが減ったことで、どちらかといえば、義理で会っていた人たちと会うことがなくなり、かえって、よかったと答えた人が多くなったと考えることもできます。
他方、「人と会うのがおっくうになった」は、女性の30代から50代で全体より高くなっています。この要因について、明確に判断できる材料はありませんが、特に女性で高い傾向が出ていることから、例えば、女性では、コロナ禍で家にいることが多くなった影響で、外出するために化粧をしたり、服装を選んだりすることが面倒になったと感じている人がこうした回答をした可能性も考えられます(図⑥)。

図⑥ 感染拡大の影響に関して『あてはまる』もの
(「人と実際に会うことの大切さがわかった」「義理で会っていた人と会わなくなってよかった」
「人に会うのがおっくうになった」:男女年層別)

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文研 「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査 (第3回)」

 新型コロナの感染拡大は、人と人との接触が制限され、多くの人が今までと違った生活を余儀なくされたことで、マイナスの影響が大きかったと感じている人が多くなりました。
ただ、そうした中にあっても、若年層や中年層の人たちを中心に、家族と過ごせる時間が増えたことや、在宅勤務など柔軟な働き方ができるようになったこと。さらに今までと違う楽しみを見つけられたことなど、コロナ禍を前向きにとらえる人たちがいることも、調査結果は示してくれています。

また、社会の分断が指摘されたコロナ禍ではありましたが、人と実際に会うことの大切さがあらためてわかったなど、多くの人が人と人のつながりを大切だと思い、同じ価値観を共有した点も、コロナ禍がもたらしものと考えることができると思います。
さらに、今までの生活を変えざるを得なくなったことで、義理で会っていた人と会わなくなってよかった、かえって面倒なことをしなくてよくなったと前向きにとらえる向きもみられました。

新型コロナの感染拡大の影響について、さまざまな受け止めがあると思いますが、3年に及んだコロナ禍とは何だったのか。
その答えが出るにはもう少し時間が必要なのかもしれませんが、これからも関心をもってみていきたいと思います。

「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査(第3回)」のその他の結果については、「コロナ禍3年 社会にもたらした影響-NHK」で公開しています。ぜひご覧になってみてください。
また、「放送研究と調査 2023年5月号」では、3年にわたるコロナ禍によって、人々の意識や暮らしがどう変わったかなどについて詳しく紹介しているほか、本ブログでも、「マスクの着用『個人の判断』になってから2か月 その後、どうなった?」などで取り上げていますので、ぜひご覧ください。

調査あれこれ 2023年06月06日 (火)

中高生の悩みの相談相手は... ~第6回「中学生・高校生の生活と意識調査」から~【研究員の視点】#487

世論調査部 (社会調査) 中山準之助

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 今月6月には「父の日」、先月5月には「母の日」と、親との関係性について考える機会が多くなるのではないでしょうか。そこで、今回、中高生とその親との意識に迫る調査結果をご紹介します。
 文研世論調査部では、昨夏「中学生・高校生の生活と意識調査2022」(以下、「中高生調査」)を実施し、中高生に、「悩みごとや心配ごとを相談するとしたら、主に誰に相談するか」を尋ねました。結果は、中学生では、「お母さん(グラフのオレンジ色)」と「友だち(グラフの薄紫色)」が3割台で同程度。高校生では、「友だち」が4割で最も多いものの、次いで「お母さん」が3割となりました。「お母さん」は、「友だち」と同様、悩みごとなどの相談相手としても重要な位置を占めているのが確認できます。

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 男女中高別にみると、女子中学生と女子高校生では、「お母さん」と「友だち」がそれぞれ4割程度で、有意な差がなく、同性の親が、悩みや心配ごとの相談相手としても、友だちと並んでとても重要な存在であるのが分かります。また、男子中学生でも「お母さん」が28%、男子高校生では「お母さん」が25%で、男子の中高生も、4人に1人が「お母さん」を選び、男子からしても、「お母さん」が頼りになる存在であると言えそうです。

悩みごとや心配ごとの相談相手<男女中高別>graph2.png

 では、親から見たらどうなのか。昨夏2022年に実施した世論調査「中高生調査」では、中高生の親に、「子どもが悩みごとや心配ごとがあるときに、主に誰に相談すると思うか」を尋ねました。結果は、父親の回答では、「母親」が64%で最も多く、次いで「友だち」が16%、「父親(自分)」は6%でした。一方の母親では、「母親(自分)」が44%で最も多く、次いで「友だち」が30%、「父親」は5%でした。いずれもグラフのオレンジ色で表した「お母さん」にあたる部分が最多で、父親と母親ともに「母親の存在は大事である」と考えている傾向がみてとれます。特に父親で「母親」の傾向が強いようです。

父母への調査 子どもが悩みごとや心配ごとを誰に相談すると思うかgraph3.png

 なお、「中高生調査」は、これまでに1982年、1987年、1992年、2002年、2012年と5回実施し、中高生の親に「子どもが悩みごとや心配ごとがあるときに、主に誰に相談すると思うか」を尋ねてきました。
 郵送法で行った2022年の調査とそれ以前の調査は、調査手法が異なるため、単純に比較はできませんが、過去5回の変化を見ても、オレンジ色の「お母さん」にあたる部分が、父親では過半数で推移、母親も3割台で推移してきたことが分かります。

<参考・過去調査> 父母への調査 子どもが悩みごとや心配ごとを誰に相談すると思うかgraph4.png

 今回は、母親が比較的大きな割合を占めた設問を紹介しましたが、「中学生・高校生の生活と意識調査2022」では、親と子の関係や、親と子の意識の違いなど、さまざまな分野で迫っています。
 ・ 一生懸命勉強すれば将来よい暮らしができるようになると思うか。
 ・ 夫婦の子育て分担
 ・ コロナ禍のストレスは?
 ・ 将来、海外で力を発揮したいか。 将来、海外で力を発揮してほしいか。
 ・ 18歳で大人として扱われることについて などなど
ぜひ、その他の結果や論考もご覧ください!

中学生・高校生の生活と意識調査2022の結果は、こちらから!↓↓↓
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/20221216_1.html

コロナ禍の不安やストレス,ネット社会の中高生
~「中学生・高校生の生活と意識調査2022 」から①~
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/20230501_5.html

ジェンダーをめぐる中高生と親の意識
~「中学生・高校生の生活と意識調査2022 」から②~
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/20230601_5.html

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【中山準之助】
2018年からNHK放送文化研究所で、視聴者調査や社会調査の企画や分析に従事。
これまで「視聴率調査」「接触動向調査」、「東京五輪・パラ調査」「復帰50年沖縄調査」「中高生調査」などを担当。
特に、アナウンサーとして盛岡局で勤務していたとき、東日本大震災が発生し、被災各地の取材を重ねた経験から「震災10年調査」はじめ、『災害・防災に関する調査』を実施し、ライフワークとして研究中。

執筆した記事
文研ブログ
#250 何が避難行動を後押しするのか!? ~「災害に関する意識調査」結果から~
https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/500/429627.html
#341 被災地の人々が求めている復興とは? ~「東日本大震災から10年 復興に関する意識調査」結果から~
https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/500/453673.html
#422 いまの沖縄の人たちの思いとは? ~「復帰50年の沖縄に関する意識調査」結果から~
https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/500/473346.html