#431 戦後のNHKと児童文学作家・筒井敬介 その1 ~「初期『おかあさんといっしょ』失われた映像を探る」に関連して~
メディア研究部(番組研究) 高橋浩一郎
「放送研究と調査」11月号では、『ぐるんぱのようちえん』などで知られるグラフィックデザイナーで絵本作家の堀内誠一さん(1932~1987)と児童文学作家の筒井敬介さん(1917~2005)が関わった初期の『おかあさんといっしょ』のコーナー「こんな絵もらった」について調査研究ノートとしてまとめました。ここでは、11月号で十分触れることができなかった筒井敬介さんとNHKとのかかわりについて、3回に分けて紹介します。
(*本ブログに掲載される写真のコピーは禁止されています。)
「字の書いてあるものを捨ててはいけない」
筒井敬介さん
筒井敬介さんは1948年から1966年まで18年間、NHKの契約作家として、『おかあさんといっしょ』以外にも、幼児向けラジオ番組『お話出てこい』や連続テレビドラマ『バス通り裏』など数多くの放送台本を手がけ、また児童文学作家、戯曲家としても幅広く活動しました。当時のラジオやテレビに接した世代にはよく知られた存在で、戦後の放送文化や児童文化の発展に貢献した作家の一人です。
長女・小西理加さんによると、「字の書いてあるものを捨ててはいけない」が筒井さんの信条でした。自分が関わった番組台本や原稿だけでなく、台本を入れた封筒や卓上のメモ帳なども筒井さんは捨てずに残しており、ご家族はその整理と管理に大変な苦労をされたといいます。今回、初期『おかあさんといっしょ』の内容を検証できたのもご自宅に台本が保管されていたおかげです。
筒井さんが戦後NHKの契約作家になり、「字の書いてあるものを捨ててはいけない」という信条を持つに至った背景には、当時の時代状況が深くかかわっているように思えます。
戦争の時代に生まれて
第一次世界大戦が終わる前年の1917年、筒井さんは東京・神田に生まれました。十代の頃から文学書を読んだり、親に隠れて映画を見たりする中で、次第に物書きを志すようになったといいます。日中戦争が始まった1937年、大学生だった筒井さんは劇団東童の文芸演出部に入団、脚色・演出を担当するようになります。太平洋戦争が始まった1941年には、徴兵検査に合格、翌年、近衛兵として入隊しますが、病気のためまもなく除隊。1945年の東京大空襲では自宅を失い、食糧難から一時期北海道に開拓民として入植したものの5か月ほどで帰郷。その後は人民新聞に記者として勤めながら作品執筆を行うなど、日々の暮らしと作家活動を成り立たせるために苦しい時期が続きました。(このころ、「原爆の図」で知られる画家の丸木位里・俊夫妻や、黒澤明監督のスクリプターとして活躍した野上照代、画家・絵本作家のいわさきちひろとも交流があり、いわさきちひろとは1969年に絵本「ふたりのぶとうかい」を共作しています。)
そんな折、1947年に知り合いから勧められNHKの契約作家になったのです。放送を通じて自分が書いた文章によって生計が立てられるようになったことは、三十路を迎えた筒井さんにとって大きな変化をもたらす出来事だったに違いありません。
残された資料から
筒井さんの資料には、戦後まもない時期のNHKやラジオ放送の実態を伺うことができる資料が数多く残されています。ご遺族に許可をいただいていくつか紹介させていただきます。
この写真は、筒井さんが契約作家になるに当たって、NHKで行われた「放送台本の書き方の講習会」で使用されたテキストです。英語交じりの文章で、音楽や音響効果の用語の解説や具体例が書かれてあります。戦後の日本を民主化するために、ラジオが重要な役割を果たすと考えられた時代、放送台本を執筆する人材を育成するために、このようなテキストが作られていたのです。
そのほか、印刷されたものではなく、カーボン紙で書かれたラジオ台本も複数残されていました。上の写真は、1951年に放送された『幼児の時間』という番組の台本で、「お母さんといっしょ」と題されています。テレビの『おかあさんといっしょ』の放送開始は1959年ですから、それに先立つこと8年前に、サブタイトルとはいえ同名タイトルの番組が作られていたのです。内容は、タッチャンという男の子の目を通して家族の日常を描いた一種の朗読劇で、14話分の台本が残されていました。(なお筒井さんは1953年に『おねえさんといっしょ』というラジオ番組も手がけていて、1957年には映画化されています。『おねえさんといっしょ』にもタッチャンという男の子が登場することから、2作の舞台は同じ家庭なのかもしれません。)
あらゆるものがデジタル情報として記録・保管される現在とは異なり、当時はラジオにせよ、テレビにせよ1回放送されれば影も形も残らない時代でした。心血を注いで作り上げた作品が1回きりで消えてなくなってしまうことは、自分の考えを自由に表現することが困難だった時代を生き抜きながら、空襲によってすべてを失う経験をした筒井さんにとって耐えがたいことだったのかもしれません。筒井さんがこれだけさまざまな番組の関連資料を長年保管されていたのは、自分が生きていたことを「なかったことにされない」ための必死の抗いのように思えます。
「字の書いてあるものを捨ててはいけない」。
私たちは果たしてこのような思いを込めて字を書いたり、言葉を使ったりしているでしょうか。言葉とは本来どのように使われるべきなのか。人にものを伝えるとはどういうことなのか。メディアを介したコミュニケーションが急速に発達し、それを当たり前のこととして受け入れ、ともすると言葉を雑に使いがちな私たちに、筒井さんはシンプルな言葉で大切なことを気付かせてくれます。
*2回目は12月7日(水)に掲載予定です。