文研ブログ

2024年6月

調査あれこれ 2024年06月24日 (月)

能登半島地震 被災地にどこまで情報は届いていたのか?~文研ネット調査の結果から読み解く~【研究員の視点】#545

メディア研究部(メディア情勢)村上圭子

*はじめに

 2024年5月、文研では能登半島地震で被災した人たちを対象に、被災地の情報伝達などについてインターネット調査を実施しましたⅰ)。本ブログでは、調査の結果について、これまで私が取材で感じてきた認識と共にまとめておきたいと思います。
 なお、調査の概要については、同月23日に実施した「NHK文研フォーラム2024」のシンポジウム、「能登半島地震から5か月~地域メディアによる課題共有と今後について考える~」で報告しています。シンポジウムでは、報告をきっかけに、北國新聞、石川テレビ、NHK金沢放送局の3者と災害報道や災害情報伝達について議論しました。文研のウェブサイトで8月末までアーカイブ配信ⅱ)しています。ご関心がある方はぜひご視聴ください。


*調査のねらい

 能登半島地震後、私は被災者に必要な生活関連情報(ライフライン関連、行政の手続きに関する情報、避難生活に関する情報など)はどう届けられたのか、どんな点が課題だったのかについて調べてきました。能登半島の自治体を取材すると、住民への情報伝達を体系立てて行えるようになるまでに、1週間から10日くらいかかったという声が多く聞かれました。また、新聞、テレビ、ラジオなどの地域メディアも、被災者向けの情報伝達には力を入れていましたが、最大の情報源は自治体が発信する情報にならざるを得ません。そのため、発災後しばらくの間は、必要な情報が被災者に届きにくい状況があったのではないかと考えました。課題を検証して今後に生かすためには、自治体やメディアといった情報の"伝達側"だけではなく、"入手側"の実態も把握する必要があると思い、今回の調査を企画しました。
 調査対象は、地震が発生した1月1日に、石川県で被害が甚大だった7市町(輪島市、珠洲市、七尾市、志賀町、能登町、穴水町、内灘町)ⅲ)に居住または滞在していた、20歳から79歳までの200人です。
 今回の調査で明らかにしたかったのは、被災地におけるメディアに対する意識と、被災者の災害情報(主として生活関連情報)入手の実態の2点です。このうちメディアに対する意識については、シンポジウムの議論と共に改めて論考としてまとめる予定です。本ブログでは、被災者の情報入手の実態について、①情報ニーズ、②入手ルート、③インターネット系由のコンテンツ接触、④情報入手とメディアへの評価といった調査項目別に、それぞれ回答結果をみていきます。


*調査結果① 情報ニーズ

Q.どんな情報が必要だったか?
 発災から約1か月間、被災地ではどのような情報が必要とされていたのでしょうか。過去の災害を参考に25個の項目を挙げ、その中から複数の項目を選択する形で回答してもらいました。回答の上位10位を示したのが図1です。

<図1>240624_graph1.jpg

 1位が「給水情報」、2位が「ライフラインの復旧見通し」、3位が「入浴できる場所」となりました。能登半島地震においては下水道の復旧の遅れが大きな課題となっていたため、そのことが被災者の情報のニーズの高さとして表れたのだと思われます。

Q.どんな情報が入手しにくかったか?
 では、発災から1か月間、入手しにくかった情報はどのようなものだったのでしょうか。こちらも、必要だった情報と同じ25項目を示して、複数の項目を選択してもらいました。
 上位10位の回答が図2です。図1の「必要だった情報」と重なっているものも多いですが、「入手しにくかった情報」のみで上位にあがっていたのが、「自宅の修理・解体に関する情報」、「店舗復旧・開店情報」、そして「がれきやゴミの処理」でした。

<図2>240624_graph2.jpg

 このうち「自宅の修理・解体に関する情報」と「がれきやゴミの処理」については、情報をどう"伝達"するか、という課題というよりも、復旧に向けた"政策"の課題であると思われます。前者については、公費解体の時期が見えない中、いつになったら自宅を修理していいのか分からないという被災者の声をよく耳にしました。また、後者については、能登半島で複数の産業廃棄物焼却場が被害を受けたことに加えて、道路事情が悪くて周辺地域への運搬も遅れていたという事情があると思われます。そのため、本ブログでこれ以上論じることはしませんが、被災地の復旧・復興については、引き続き関心を持って取材していきたいと思います。
 「店舗復旧・開店情報」については、それぞれの自治体がホームページで掲載していましたⅳ)。しかし、調査回答から推察されるのは、その情報が被災者に十分に届いていなかったのではないか、もしくは情報の内容が不十分だったのではないか、ということです。
 自治体の職員に伺うと、民間の店舗の情報をどこまで伝えるべきかについては明確な判断基準がなく、ガソリンスタンド、ドラッグストア、コンビニ、大手スーパーやホームセンターくらいまでは公共的な施設だと思うものの、個人商店になるとどこまで掲載すべきか難しいし確認もとりにくい、と悩みながら対応していたことが分かりました。
 一方で、今回の能登半島地震では、LINEのオープンチャット機能やFacebookのグループ機能を活用した、民間による地域限定の情報共有の場が複数立ち上がりましたⅴ)。そのうちの1つ、Facebookの「珠洲市の災害情報共有ⅵ)」という公開グループ(図3)では、参加者が個人商店も含めた細かい店舗の開店状況を調べてExcelシートにまとめて公開しており、その情報は今も更新され続けています。私も珠洲市に取材に行った際、とても参考になりました。
 こうした民間によるSNSを通じた情報発信は、今後の災害においても自然発生的に出てくると思われます。今回の災害では、民間と自治体との連携はみられませんでしたが、今後、早い段階から役割分担と緩やかな連携を探っていくことができれば、より被災者に役立つ情報が届けられる可能性があると感じました。

<図3>240624_graph3_suzushi.jpgFacebookグループ(公開)「珠洲市の災害情報共有」


*調査結果② 入手ルート

Q.どのサービスで情報を入手したか?

 次に、情報の入手ルートについて見ていきます。被災した人たちは、どのサービスから、さまざまな生活関連情報を入手していたのでしょうか。30項目の中から複数を選択してもらった結果、上位15位までの回答を示したのが図4です。1位が「NHKテレビ(総合)」、2位が「民放テレビ」、そして3位が「家族や友人、近所の人等から聞いた」、4位が「市町村のホームページ」、5位が「新聞」という順位になっています。

<図4>240624_graph4.jpg

 上位15位の全体を見てみると、③を除く入手ルートは、マスメディア、自治体発信、SNS・アプリの3つに分類できることがわかります。また、年層別に回答を分析してみましたが、NHK、民放と新聞は60歳以上の割合が高く、SNSは39歳以下の割合が高いという、日頃のメディア利用と同じ傾向が見られました(図5)。なお、39歳以下については、民放のL字放送を入手ルートとしてあげた人が多かったです。

<図5>240624_graph5.jpg

Q.どの機器で情報を入手したか?
 調査では、どんな機器で情報を入手したのかについても聞きました。こちらも複数の項目を選択してもらったのですが、群を抜いていたのが1位の「スマートフォン」と2位の「テレビ」でした(図6)。前項目で、どのサービスで情報を入手したかという設問の1位と2位がいずれもテレビだったため、なぜテレビではなくスマートフォンが1位なのか、違和感を覚えた方もいると思います。しかし、スマートフォンはメディアや自治体からの情報の入手だけでなく、メッセージやメールなどのやりとり、SNSや検索サイトの活用など、多様な用途に活用されることから、放送局の番組から情報を入手する機器であるテレビを抜いて1位になったということだと思います。

<図6>240624_graph6.jpg

 ただ、この設問は、被災者が置かれていた状況によって回答が大きく異なっていました。能登半島地震では、道路の亀裂や液状化で自宅や集落から動くことができず、孤立状態に陥った人たちも少なくありませんでしたⅶ)。本調査でも、対象者200人の4分の1にあたる50人は、発災から3日以上、物資や情報が届かない状態に置かれていました。
 調査では、この50人を「孤立者」と定義して、分析を進めました。図7は、情報を入手した機器についての回答を、全体と比較したものです。「孤立者」は全体と比べて、ラジオを利用して情報を入手したという割合が高かったことがわかりました。

<図7>240624_graph7.jpg

 災害時におけるラジオの有用性は、これまでの災害でも繰り返し指摘されてきました。今回の能登半島地震でも、スマートフォンがなくてはならない存在となる一方で、孤立状態におかれ、テレビが視聴できる環境になかったり、停電でスマートフォンの充電ができなかったりする中で、持ち運びしやすく、電池で動くラジオはやはり頼りにされていたのです。この回答結果を見て、ラジオ事業者は、孤立状態にある被災者の存在を、より意識して放送を出していく必要があると感じました。

Q.インターネットは利用できたか?
 スマートフォンの利用と密接に関わるのが、インターネットが利用できる状態だったかどうかです。能登半島地震の被災地ではどうだったのでしょうか。インターネットがどのくらい不通だったか、図7と同様、全体と「孤立者」の回答を併記したのが図8です。
 まず全体の回答からみていきます。3日以上ネットが不通だったと回答したのは22%でした。この結果を見て最初に私が感じたのは、被災地では想像していたよりインターネットが利用できる状態にあった、もしくは早期に回復していた、ということでした。
 調査後、特に被害が甚大だった珠洲市と輪島市に話を聞いてみましたが、両市役所がある地域周辺では、被災後も継続してインターネットが利用できる状態にあったということです。ただし、輪島市については、インターネットは利用できたものの、市による被災者への情報発信が遅れました。これは、地方公共団体専用の情報ネットワーク「LGWANⅷ)」の市庁舎内の設備が損傷したことが原因でしたⅸ)
 先に紹介したFacebook上の「珠洲市の災害情報共有」グループにも話を聞いてみました。発起人で珠洲市民の坂井理笑さんは、避難所からインターネットを利用して情報を発信したり要望を伝えたりして、それを被災地の外にいる人たちがサポートしながら、グループ運営が行われていったとのことでしたⅹ)

<図8>240624_graph8.jpg

 調査結果に戻ります。3日以上孤立状態にあった人たちのインターネット環境はどうだったのでしょうか。利用できない状態が3日以上だったと回答したのは40%、3週間以上使えない状態が続いたと回答したのが14%となっていました。


*調査結果③ インターネット経由のコンテンツ接触

Q.インターネットで接したコンテンツは?

 前項目でも触れたとおり、被災地では、孤立状態の地域を中心に、ブロードバンドインフラの復旧工事が大幅に遅れました。ただ、市街地などでは比較的早くからインターネット経由で情報を入手できる状況にあったようです。また、通信事業者から各自治体に対しては、人工衛星を通じてブロードバンド接続ができるインターネットサービスxi)の機器が無償提供され、避難所などで活用されました。
 では、被災した人たちはインターネット経由でどのようなコンテンツに接していたのでしょうか。図9がその回答結果です(複数選択)。1位が「メッセンジャーやメールでの家族・知人とのやりとり」、2位が「市町村など行政が発信する情報」、以下、「SNSの情報」「検索プラットフォームでの検索」となりました。一方、マスメディアが発信する記事や情報、放送局による同時・見逃し配信に接したと回答した人は15%程度でした。
 ②の入手ルートでも触れたように、インターネット経由で提供される情報の多くはスマートフォンで視聴されています。ちなみに、東日本大震災が起きた2011年にはスマートフォンの普及率はわずか10%程度でしたが、2023年には90%以上xii)の人たちが所持する状況となっています。こうした中、マスメディアは災害時に役割を果たし続けていくためにも、放送や新聞といった既存サービスの場にとどまらず、日頃からスマートフォンを通じて最適な情報を届ける体制をいかに整えていくかが重要だということを、この調査結果から改めて感じさせられました。 

<図9>240624_graph9.jpg


*調査結果④ 情報入手とメディアへの評価

Q.情報は十分入手できたか?

 最後に、総括的な設問の回答結果を2つご紹介します。
 まず、被災した人たちはどの程度、情報を入手できたと感じていたのでしょうか(図10)。全体では、「十分情報を手に入れる事ができた」「大体の知りたい情報は手に入れる事ができた」が合わせて半数を超えていました。一方で、「孤立者」については、「少し手に入れられない情報があった」「知りたい情報がほとんど/まったく手に入らなかった」が合わせて34%でした。

<図10>240624_graph10.jpg

Q.メディアの情報は役に立ったか?
 被災した人たちにとって、メディアの情報がどの程度、役に立ったのかについても聞きました(図11)。全体では、「十分に役に立った」「まあまあ役に立った」が合わせて65%で、ある程度、役割を果たせたと評価できるのではないかと思います。ただ、「孤立者」については、「あまり役に立たなかった」「ほとんど/まったく役に立たなかった」が合わせて20%でした。

<図11>240624_graph11.jpg


*おわりに
 今回のインターネット調査は、調査会社のウェブモニターを対象としたため人数が限られたこと、また、能登半島の自治体はいずれも高齢化率が高く、インターネットサービスを十分に活用できない人も少なくないことから、本調査だけで被災地の情報伝達の実態を十分に把握することには限界がありました。今後、今回の調査では十分に把握できなかった高齢の被災者たちの実態についても、調査や取材で明らかにしていきたいと思います。
 また、今回の調査では「孤立者」についての分析を試みました。首都直下地震や南海トラフ地震が発生した場合、孤立した状態に置かれる人たちは、今回の能登半島地震の時よりもはるかに多いと思われます。今回の調査で得られた知見を生かしながら、自治体やメディアはどのような準備と心構えが必要なのか、引き続き考えていきたいと思います。


ⅰ) 実施時期 2024年5月2日~7日
実施対象 調査会社に登録しているウェブモニターから募集

ⅱ) https://www.nhk.or.jp/bunken/forum/2024/program.html#programB

ⅲ) 仮設住宅を建設している7市町を選択

ⅳ) 石川県輪島市のウェブサイトでは、6月14日現在の「市内店舗等の営業状況」が掲載されている https://www.city.wajima.ishikawa.jp/article/2024021700020/

ⅴ) こうした新たな動きを報じたものとして・・・
朝日新聞デジタル「LINEのオープンチャット、新しい情報インフラに 能登半島地震で」(2024年2月26日)
https://www.asahi.com/articles/ASS2S4GK5S2SUTIL00C.html

ⅵ) https://www.facebook.com/groups/1534685393298269/?hoisted_section_header_type=recently_seen&multi_permalinks=6860074430759312

ⅶ) 石川県によれば、最大24の地区で3345人が孤立状態に陥っていた

ⅷ) https://www.j-lis.go.jp/lgwan/about/cms_15039.html

ⅸ) 今回の能登半島地震では、輪島市の他、穴水町でもLGWANの設備が損傷した

ⅹ) 坂井さんの他、被災地外でグループの運営に携わった三塚新司さん、才賀美奈さんにヒアリングした

xi) SpaceX社が開発した「スターリンク」

xii) 総務省「令和5年通信利用動向調査」
https://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01tsushin02_02000169.html

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村上圭子
報道局、ラジオセンターを経て2010年から現職。放送政策やネット時代の放送のあり方、地域メディアの今後について調査研究を進めている。阪神淡路大震災以降、災害情報伝達について取材を行い、東日本大震災では臨時災害放送局の全局訪問調査を実施した。

調査あれこれ 2024年06月11日 (火)

「日本人の意識」調査 "誰もがデータを利用できる"ページを目指して #544

世論調査部 (社会調査) 中山準之助

日本人の意識 1973−2018

「日本人の意識」調査のデータを紹介するページ、もう、ご覧いただけましたでしょうか?
変わった意識・変わらない意識」の特集ほかに、データのダウンロードなど、ぜひ活用していただきたい仕組みも作っています。
今回のページ、誰もがはっきり、わかりやすく結果を読み取れるように。
工夫して作成しました。

まず、工夫の1つは、
①グラフの色使いです。
色覚障害のある方にとって、グラフの色使いによっては、回答の違いを識別しにくい場合があります。
例えば、

fig1-2018seikatsu-2406.png

上のグラフは、赤と緑を見分けにくいという方には下のように見えるといわれています。

fig2-2018seikatsu-2406.png (検証時にシミュレーターで再現・色の見え方には個人差があるのであくまでも一例)

これでは、グラフの回答項目が同じに見えてしまい、識別しにくいと思います。

そこで、「日本人の意識」調査のページでは、このようなグラフにしました。

fig3-q26-2406.png[第26問 理想の人間像]より

濃くて暗い色とうすくて明るい色を交互に並べて、色の境界をわかりやすくしています。

次の工夫は、
②グラフの模様です
色の違いだけでなく、模様をつけて、項目の境もハッキリさせるようにしました。

赤と緑が見分けにくいという方には、下のように見える想定です。

fig4-kodomo-2406.jpg (検証時にシミュレーターで再現・色の見え方には個人差があるのであくまでも一例)


全51問、ぜひ見比べてみてください!→例[第7問 生活充実手段(豊かな趣味)]

日本眼科医会によると、例えば、「赤と緑」「だいだいと黄緑」「茶と緑」など、「先天色覚異常」とされる人は、全国でおよそ300万人。割合にすると、男性の20人に1人、女性では500人に1人といわれます。
少しでも見やすくなっていれば幸いです。

「日本人の意識」調査のページのグラフ、
もう1つ工夫したのが、
③グラフの読み上げ機能です。
目が見えない、見えにくい方の場合、文字を読み上げるソフトウエアでページ内容を確認することがありますが、
多くのソフトで、原則、画面の左上から横方向に順番に読み上げていくようです。

先ほどのグラフで言うと、
「2018」「26%」「16%」「19%」・・・となりますが、これでは、何の項目が、何%なのか理解できません。

そこで、ソフトがグラフを読み上げる際、
項目と数字を一緒に読み上げるよう、画面では見えないところに、読み上げ専用の文字を用意しています。
下の吹き出しのような感じです。

fig5-kodomo-2406.jpg

この仕組みによって、「規律型26%」「権利型16%」「実用型19%」・・・と、項目と数字をセットで読み上げます。
これで、耳で聞いたときにグラフの内容を把握しやすくなります。

今回は、グラフのデザインと、読み上げ機能についてご紹介しましたが、
ほかにも、マウス操作が難しい場合は、キーボードで操作できるようにするなど
"誰もが利用しやすい"ページを目指しています。

こうした、誰もが利用しやすい、"ウェブアクセシビリティー"に配慮したホームページがいま増えてきています。

文研ブログ「#243 放送のアクセシビリティー高めるには 方法を探る」などでも取り上げていますが、ウェブアクセシビリティーについて、総務省のガイドラインにはこう書かれています。
「高齢者や障害者を含め、誰もがホームページ等で提供される情報や機能を支障なく利用できることを意味します。」
 (総務省「みんなの公共サイト運用ガイドライン(2016年版)」より)

日本人の意識」調査のページも、これまでご紹介したようなウェブアクセシビリティーを高める取り組みを行っていますが、とはいえ、このページには膨大なデータが掲載されており、すべてを読み上げソフトで聞くのは大変かもしれません。
今後の課題といえます。
よりよいページ作りをしていけるよう、引き続き考えていきます。

nakayama.jpg

【中山準之助】
2018年からNHK放送文化研究所で、視聴者調査や社会調査の企画や分析に従事。 これまで「視聴率調査」「接触動向調査」、「東京五輪・パラ調査」「復帰50年沖縄調査」「中高生調査」などを担当。
アナウンサーとして盛岡局で勤務していたとき、東日本大震災が発生し、被災各地の取材を重ねた経験から災害・防災に関する調査を実施し、ライフワークとして研究中。

執筆した記事
文研ブログ
中高生の悩みの相談相手は... ~第6回「中学生・高校生の生活と意識調査」から~【研究員の視点】#487
#422 いまの沖縄の人たちの思いとは? ~「復帰50年の沖縄に関する意識調査」結果から~
#341 被災地の人々が求めている復興とは? ~「東日本大震災から10年 復興に関する意識調査」結果から~
#250 何が避難行動を後押しするのか!? ~「災害に関する意識調査」結果から~
など

放送ヒストリー 2024年06月03日 (月)

劇作家・飯沢匡と戦後日本 その1 ~『放送研究と調査』6月号・調査研究ノートに関連して~【研究員の視点】#543

メディア研究部 高橋浩一郎

 『放送研究と調査』6月号では、劇作家の飯沢匡(ただす)さん(1909~1994)が執筆した『おかあさんといっしょ』の人形劇台本を分析し、そこから明らかになったことを調査研究ノートにまとめています。ブログではNHKアーカイブスに保管されている資料などを通し、飯沢匡さんと戦後のラジオドラマを振り返ります。

"飯沢匡"を生み出したラジオドラマ
 戦前、戦後にかけ新聞社に勤めていた飯沢さんが放送にかかわるようになったのはラジオドラマがきっかけでした。飯沢さんの本名は「伊澤紀(いざわただす)」で、「飯沢匡」はペンネームですが、この名前も実は放送をめぐって生まれました。
 自伝『権力と笑のはざ間で』によれば、1941年に太平洋戦争が始まると新聞に対する言論統制はますます厳しくなり、飯沢さんの勤務先の朝日新聞社では、個人の考えが社の方針だと思われることを懸念して、社外で文章を発表する際、当時の編集局長から「発表する前に原稿に目を通させてほしい」と言われます。それに対し放送劇の脚本執筆を依頼された飯沢さんは「自分の書く生活スケッチのようなものをわざわざ見てもらう必要はあるまい」と判断しますが、本名だとばれてしまうため、筆名を考える必要に迫られました。いい筆名が思い浮かばずそのままにしていると、NHKから放送に際して名前をどうするか尋ねられます。そこで「印刷しては別人に見え、アナウンサーが発音すると本名のように聞こえる名を考えて下さい」と伝えたところ、放送当日の新聞に「飯沢匡」という名が印刷されていました。ペンネーム「飯沢匡」は、当時のNHKによって生まれたのです。
 NHK、民放含め、飯沢さんが手がけたラジオドラマの正確な作品数は明らかになっていませんが、戦前に少なくとも7本、戦後は1950年代だけで最低21本の作品(『ヤン坊・ニン坊・トン坊』など幼児・子ども向け番組を除く)を残しています。当時の作品をまとめた脚本集を確認すると、実にバラエティーに富んでおり、中には桃太郎を占領軍に、日本人を鬼に置き換え、GIベビーの問題を暗に批判した『昔話桃太郎』(1952)や、突如、日本列島が沈んでしまう仮想の世界を描き、核兵器の開発競争が激化した不穏な世相を反映させた『日本陥没』(1953)など、政治的な寓話(ぐうわ)やSFといえるような作品もあります。
 テレビが登場する以前、飯沢さんは聴覚に訴えることで受け手の想像力を刺激するラジオドラマに可能性を見いだし、映像を必要としないメディアの特性を生かして、時代を鋭く描いた作品を数多く世に送り出しました。そのことが評価され、1958年に放送文化賞を受賞しています。

放送文化賞授賞式での飯沢匡さん(1958年)放送文化賞授賞式での飯沢匡さん(1958年)

『数寄屋橋の蜃気楼(しんきろう)』
 放送は多くの人に同時に届けられる一方、送り手側にその反応が届きにくく、また記録として残されることも少ないため、飯沢さんのドラマが当時の視聴者にどのように受け止められたか十分わかっていません。その中で、1949年に放送された飯沢さんのラジオドラマを聞いて、後年、次のようなコメントを寄せた人がいます。連続人形劇『ひょっこりひょうたん島』の生みの親の一人、作家の井上ひさしさんです。

―― 僕はこの放送を仙台の孤児院で聞き、仲間と顔を見合わせてぼろぼろ涙を澪したことがある。飯沢さんのドラマとは最初の遭遇であった。

  井上ひさしさんが涙したラジオドラマは『数寄屋橋の蜃気楼(しんきろう)』という作品です。物語の舞台は今も有楽町の地名として残り、首都高速ができる前に実際に外堀にかかっていた数寄屋橋。そこにたむろする浮浪児と、彼らが見るという不思議な蜃気楼のうわさに関心を寄せる、アニメーション作家志望の若者との交流を描いた作品で、誰もが心の中に持つ夢の切実さを描いています。
 演出面でこの作品がユニークなのは、『話の泉』『社会探訪』『のど自慢』など、当時人気だったラジオ番組と出演者を物語の中に取り入れることで、現実とドラマの世界を地続きにしている点です。そのことによって、生き別れた母親が子守歌を口ずさむ姿を蜃気楼に見てしまう浮浪児や、彼を支援する若者も実在する人物のように感じられます。戦後の混乱が続いていた1949年当時の状況からすれば、ラジオドラマ自体が夢物語であり、蜃気楼そのものだったのかもしれません。しかし、だからこそ物語にリアリティーを持たせることで、はかない夢を信じることの切実さを、現実の問題として聞き手に感じ取ってもらいたいと飯沢さんは考えたのではないでしょうか。
 当時飯沢さんが勤めていた朝日新聞社は数寄屋橋のほとりにありました。また後年実現することになるのですが、ご本人がアニメーション制作を夢見ていたことも作品に反映されていると思われます。1949年当時の『数寄屋橋の蜃気楼』の音源は保管されていないものの、1965年に再制作された音源がNHKアーカイブスに残されており、そこには執筆のきっかけを振り返る飯沢さんのインタビューが収録されています。

――やっぱり占領中のわれわれの目からすると、ちょっと不愉快な象徴が数寄屋橋だったわけです。クリスマスの時に進駐軍が酒飲んで、いわゆるポン引きというやつを川の中に放り込んで溺死させちゃったり、嫌な事件がありましてね。 数寄屋橋ってのはあんまり感じがよくなかったんですね。だけどその時、僕がいつも見下ろしている数寄屋橋公園に、よく浮浪児が来てね、ベンチに昼寝なんかしたり、かわいそうな姿が見えてました。何かもう少し数寄屋橋を詩的に扱ってみたらどんなものかと思ったりしてたんです。

飯沢匡ラジオ・ドラマ選集『数寄屋橋の蜃気楼』を収録した『飯沢匡ラジオ・ドラマ選集』(1951)宝文館

戦争孤児たちの戦後
 「全国孤児一斉調査」(厚生省児童局企画課、1948年)によると、空襲によって親や家族が死亡した戦災孤児だけでも28,248人、ほかにも親と離ればなれになったり、親が行方不明になったり、戦争の影響で孤児になった子どもたちは数多くいます。少なくともこれだけの数の子どもが社会から手を差し伸べられることなく、過酷な戦後を生きることを強いられました。『戦争孤児たちの戦後史1』(2020・吉川弘文館)の編者の一人である浅井春夫さん(立教大学名誉教授)は「兵士や看護などに従事したなどの戦場体験だけではなく、空襲被害体験、さらに"戦中・戦後の生活体験に付随するトラウマ"を戦争孤児が抱えている」ことを指摘しています。戦争孤児だった過去を明かしにくいということも含めて、当事者にとって戦争の被害はさまざまな形で今も続いています。
 戦争に関わる施策や方針の決定に子どもは関与することができません。しかし、そこからもたらされる結果と無関係でいることもできません。当人の意思にかかわらず巻き込まれ、生涯にわたってその影響を被ります。長年、沖縄の戦争体験などを研究してきた石原昌家さん(沖縄国際大学名誉教授)は「戦争孤児は人間のみにくさの極限をみてきている可能性が高い。したがって、心の傷を負っているであろうと相手をおもんぱかりがちだが、「人間とはなにか」という問いの深淵(しんえん)をのぞいてきた体験者で貴重な存在だと評すべきだろう」と指摘します。
 飯沢さんは『数寄屋橋の蜃気楼』において、現実ではありえない戦争孤児たちの夢を蜃気楼に託しました。それは親や家族を失い、国からも社会からも救ってもらえない戦争孤児たちの姿を目にしながら、多くの場合、何もすることができない大人の後ろめたさの表れなのかもしれません。他方で、少年時代の井上ひさしさんが涙を流したのは、物語の中で蜃気楼を見た孤児が、生き別れた母親と再会できた結末だけによるのではなく、現実では望みながらも叶(かな)えることができない夢を、それでも子どもたちに向けて語ろうとする飯沢匡という大人が、この世の中にいるのを知ったことにもよるように思えます。

現在の数寄屋橋交差点現在の数寄屋橋交差点
首都高速の下には、1950年代後半まで外堀にかかる橋があり、
菊田一夫氏のラジオドラマ『君の名は』の舞台ともなった

参考文献
浅井春夫・川満彰編(2020)『戦争孤児たちの戦後史1』吉川弘文館
井上ひさし(1979)「枠、あるいは制約について」『悲劇喜劇』早川書房
ジョン・ダワー(2004)『敗北を抱きしめて』(三浦陽一・高杉忠明 訳)岩波書店

【高橋浩一郎】
1997年、番組制作ディレクターとして入局。
2017年より文研に在籍。