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2022年8月 5日

調査あれこれ 2022年08月05日 (金)

#411 「沖縄局以外のNHK地域放送局が伝えた 沖縄本土復帰50年」

メディア研究部(番組研究)東山浩太

はじめに
 2022年5月15日、沖縄県が本土に復帰して半世紀を迎えた。NHK沖縄放送局ではドキュメンタリーや紀行、ドラマなどさまざまなジャンルの番組で、沖縄の歴史や文化、風土、抱える課題や未来像を描く発信を集中して行ってきた。東京からも精力的に本土復帰を伝えてきた。
 一方で本稿では、沖縄局と東京を除く日本各地のNHKの地域放送局が、沖縄の本土復帰を巡り伝えたことに注目する。わけても日本本土の沖縄に対する理解を、より促すと考えられるニュース報道について意義を考察する。

1. 基地問題を巡る沖縄と本土の意識の差
 沖縄の本土復帰に関しては、上で述べたようにさまざまな側面から語りうる。本稿は、戦後日本の重要な社会問題の一つとして位置づけられてきた基地問題と絡めて取り上げるものである。
 基地問題について、ごく簡潔に整理する。
 戦中、沖縄は地上戦(沖縄戦)を経てアメリカ軍に占領され、戦後、日本本土から分断された。東西冷戦の時代、アメリカの統治下で、住民の土地は強制的に接収され、広大なアメリカ軍基地が建設された。1972年に本土復帰を果たすが、基地は存続することになる。現在、基地は県の総面積の約8%を占める。
 こうした基地負担などを巡り、身近に基地がある沖縄の人たちと、本土の人たちとの間には、意識の差が生じている。これもまた日本の課題として認知されている。
 NHK放送文化研究所が2022年に実施した「復帰50年の沖縄に関する意識調査」によれば、沖縄が本土に復帰した日が5月15日であることを知っていたかを尋ねたところ、「知っていた」と答えた人は、沖縄では73%、全国では20%だった1)
 また、在日アメリカ軍の専用施設のうち、およそ70%が沖縄にあることについて、どう思うかを尋ねたところ2)、沖縄では、①「おかしいと思う」と②「どちらかといえば、おかしいと思う」と答えた人を合わせた『おかしいと思う』3)が85%だった。これに対して、全国では、①と②を合わせた『おかしいと思う』は79%だった。①と②を合わせた回答では、沖縄と全国の間で、あまり差はないように思えるが、内訳をみると、①の「おかしいと思う」が沖縄では56%、全国では24%と、沖縄の人たちのほうが全国の人たちより、「おかしさ」をはっきりと認識しているのである。
 日本社会は現状を放置してよいのか。これまで、本土と沖縄の意識の差を埋めることの必要性が、さまざまな立場から語られている。その場合、差を埋める、つまり本土が沖縄を他者とせず、“われわれ”として受容するための一つの社会的手段が、マスメディアのニュース報道である。ニュース報道は人々の物事の見方を反映し表象するが、多くの場合、多数派のそれを反映してしまいがちである。しかし、報道の送り手がそのことを自覚し、争点の設定など工夫すれば、少数派の意見(=沖縄を他者としない)が焦点化され、人々の物事の見方に影響を及ぼすことも不可能ではない。こうした、「沖縄理解」のために期待される報道の役割を確認したうえで、以下、NHKの地域放送局が伝えた報道の内容をみていく。

2. 地域で提起した「沖縄の痛み」
 本稿では、本土の沖縄理解を促すためには、沖縄、または東京からの報道は重要であるが、身近な放送局のアプローチも重要である、との立場をとる。報道の受け手に、沖縄の本土復帰を主体的に意識してもらう一つの方法は、自らが住む地域の中で、沖縄の話題を伝えることだと考えるからである。
 こうした立場から本土復帰を扱ったと考えられる報道はどのくらいあるのだろう。次の条件で探した。▼沖縄局と東京以外のNHKの地域放送局が制作し、自局のニュース番組内で放送した特集で4)、▼なんらかの形で本土復帰に関連させたもの、である。▼期間は2022年の1月1日から、「復帰の日」である5月15日に1週間の幅を持たせた、5月22日までとした。特集を条件としたのは、普段のニュース番組の中で、受け手にストレートニュースより深掘り感覚を覚えてもらえると考えたためである。
 筆者が、NHK各局のウェブサイトほか公開情報で確認したところ、対象期間内で条件に該当する特集は、少なくとも全国の13局で、合わせて21本あった。この本数に関して、過去の本土復帰30年や40年のときと比べての増減はわからない。
 13局は、鹿児島、宮崎、長崎、熊本、佐賀、福岡、松山、徳島、神戸、大阪、横浜、仙台、室蘭。それぞれ、放送やウェブ記事から内容を確認すると、▼沖縄の旧コザ市に、日本各地から若手起業家が集まる拠点が増えつつある近況を報告したり(福岡)、▼沖縄の学生たちを積極的に引き受け、学び育てる環境づくりに尽力する地元の大学を取材したり(徳島)と、さまざまな話題が扱われている。
 その中でも、本稿では冒頭で示したように、本土の沖縄への理解をより促すと考えられるものに注目し、紹介する。それらの特徴は、沖縄戦の記憶とそれに連なる基地問題を前面に押し出し、いわば沖縄の痛みを伝えることに力点を置いている、と規定した。沖縄の基底にある過去及び現在進行形の痛みを分かち合わずして、本土の沖縄理解は深まらないであろうと考えた。
 さらに、今回紹介する特集は、放送を踏まえたウェブ記事が公開され、閲覧できるものに限った(8月1日現在)。受け手の皆さんにも、ともに考えていただきたいからである。中から鹿児島局と室蘭局の特集の2つを選んだ。

2 –(1)近いのに語られぬ歴史:鹿児島局
 この特集は鹿児島県域で3月30日に放送され、現在はNHKのウェブサイトで「沖縄復帰50年 アメリカ軍基地と奄美出身者 語られぬ歴史」というタイトルのウェブ記事を読むことができる5) 。取材は、鹿児島局記者の庭本小季。沖縄の基地建設に鹿児島県奄美群島の出身者が関わっていたという、あまり語られない歴史を巡り、その歴史を知る78歳の男性の複雑な胸中を描いている。

sasikae3.png   奄美群島は与論島を含む8つの島で構成され、鹿児島市の南西、沖縄本島寄りに位置している。戦後、沖縄とともにアメリカ統治下にあった奄美は、1953年に日本に復帰した。男性は父親が与論島、母親が沖縄県の出身であり、いわば「2つのルーツ」を持つ。4歳のときに父の行方がわからなくなった男性は、戦後の混乱下、生活が困窮したため与論島から母と沖縄へ移住した。1950年代、アメリカ軍は住民の土地を強制的に接収して基地建設を進めており、住民は激しく抵抗していた。一方、軍は基地建設のための労働力を求めており、そこで困窮から出稼ぎに来た奄美の人たちが大勢働くことになった。その中には男性の親戚も多くいたという。
 この取材では、当時、建設作業にあたった1万2,000人余りの労働者のうち、4割にあたる約5,000人を奄美出身者が占めていた可能性があることがわかった、としている。琉球大学の研究所の研究者が、アメリカの行政機関の資料を調査して判明したもので、研究者は「想像以上に多い」と指摘する。先の男性は、生活のためとはいえ、基地建設に奄美出身者が携わっていたことなど、語ることが「タブーのような扱い」であるため、子孫に伝えていくのは難しいと語る。  
  本土復帰から50年経つが、その間、海兵隊の兵士らによる少女暴行事件(1995年)や、大学へのアメリカ軍ヘリコプター墜落事故(2004年)などがあり、現在も沖縄が重い基地負担を強いられている現実を前にして、男性は「基地があることで生活できたという自らの過去と、沖縄にこれ以上基地は必要ないという思いを重ね合わせながら」、今の沖縄を見つめているという。結びの言葉はこうだ。
 「辺野古で働いている人たちは悩みながらやっているのではないでしょうか。やりたくないけど、そうしないと飯は食えませんからね。基地のない沖縄、核も基地もない平和な沖縄というのを目指して沖縄県民が島ぐるみの戦いをやってきて、結局沖縄を置いたまま復帰したんですよね。この50年間はなんだったのかと思いますね」

  この特集のウェブ記事は、2,200字余り。かつて、沖縄と奄美は琉球王国として一つだった。そのはざまに立つ男性が、住民に多大な負担をかけ続ける基地の建設に、奄美の人々が携わったという過去を巡って、深く悩むさまを浮き彫りにしている。男性はやましさに近い感覚を覚え、悔やんでいるように見てとれる。基地建設に関わった奄美の人たちの具体的な数も示し、事の深刻さを強調している点が見逃せない。基地建設の陰には単純には割り切れない事情がある。沖縄戦に起因して分断された沖縄と、本土の奄美は、地理的に近いにもかかわらず、その事情について広く継承し理解を求めることの難しさを提起している。


2 –(2)変貌する与那国島:室蘭局
 この特集は北海道内で5月12日に放送され、現在はNHKのウェブサイトで「北海道から与那国島へ 『援農隊』で生まれた絆」というタイトルで、記事と映像ともに閲覧できる6)

 本土復帰後に始まった、若者が農作業を手助けする「援農隊」事業をきっかけに、北海道と沖縄・与那国島の住民は40年以上交流を続けてきた。ところが現在の島は昔と違い、中国を念頭に自衛隊が駐屯するなど、安全保障の最前線として変貌を遂げていた――といった内容で、室蘭局記者・篁慶一が取材した。
 日本最西端の与那国島は、北海道から2,400キロ以上離れている。沖縄の本土復帰以前、島では、サトウキビの収穫や製糖作業を手伝ってもらうため、台湾から季節労働者を受け入れていた。
 しかし、1972年、本土復帰に伴い、島の施政権が日本に戻ったあとは、日本と中国が国交を正常化させた影響で、外交関係が途絶した台湾から労働者が来ることができなくなった。そこで島は、人手不足を解消しようと1976年から全国に「援農隊」を呼びかけたが、しばらくすると募集の重点は北海道に置かれるようになった。道民のまじめで熱心な働きぶりが評価されたという。当時、北海道から与那国島へ赴いた人たちは歓待された。現在、北海道赤井川村で農業を営む75歳の男性も、1980年に援農隊に参加して以来、その温かさが忘れられず、何回も参加して島の人たちと家族のような関係を築いていった。新型コロナウイルスの感染が拡大する前までは数年に一度は島を訪れ、旧交を温めてきた。このほか、援農隊の参加者がそのまま与那国島に移住したケースもある。
 援農隊の集団募集は2015年に終了したが、特集では、農作業の支援に端を発した北海道と与那国島の交流について双方の人たちの声を伝えており、距離も生活文化の違いも越え、親愛の情が生まれたことが理解できる。
 ここで、島に駐屯する陸上自衛隊とその関連施設の存在に関するエピソードが挿入される。与那国島を含む南西諸島では近年、海洋進出などの活動を強める中国を念頭に、防衛体制の強化が進んでいる。配備計画を巡っては、島は二分され、是非を問う住民投票で、配備に賛成する票が反対票を上回った経緯があった。
 かつて援農隊を受け入れた島のサトウキビ農家の男性は、「ロシアはウクライナの軍事施設を攻撃している。もし中国と有事が起きた時には、真っ先にこの島が狙われるのではないか」と語る。また、先述の、かつて援農隊に参加していた北海道の農家の男性は、急速に変化する与那国島の姿に複雑な思いを抱えているという。こう結ばれる。
 「私が生まれたのは北海道ですが、交流を長年続けてきた与那国島はふるさとのように感じています。自衛隊の駐屯地やレーダー施設ができたことは、国際的な流れから見れば仕方ないのかもしれません。この基地を活用せずに済み、みんなが平和に暮らせる日がこれからも続いてほしい」

 国際情勢が緊迫する中、与那国島への防衛体制の強化という新たな不安について提起している。その不安を島の人のみならず、沖縄に心を寄せる北海道の人が口にしている点が肝である。
 先の「復帰50年の沖縄に関する意識調査」では、政府が中国の海洋進出に備えて、新たに宮古島や石垣島などの南西諸島に、自衛隊の配備を進めていることについてどう思うか、尋ねている。その結果、沖縄では、「日本の安全にとって、必要だ」「日本の安全にとって、やむを得ない」と答えた人が合わせて75%、全国では90%だった7)。ここでも沖縄と全国の間で、意識に差が見られる。
 そもそも、沖縄では自衛隊に対して、独特のまなざしで見る人もいる。沖縄タイムスの与那嶺一枝は、復帰前後、県民の間では自衛隊に対して、旧日本軍を想起させることから忌避感が少なくなかったという。現在、自衛隊は住民にかなり浸透してきているが、「一方で、住民を巻き込んだ唯一の地上戦があった沖縄戦の経験者が今も『軍隊は住民を守らない』という教訓を語り続けている」と指摘している8)。沖縄戦の記憶が拭い去れないのである。

 この特集は北海道と与那国島でロケ取材が行われ、ウェブ記事は4,000字余り。執筆した記者の篁慶一は2013年から2017年まで沖縄局に勤務していた。なぜ室蘭から沖縄の本土復帰を取り上げたのか、筆者が篁に聞き取りをしたところ、彼は、あくまで個人の思いだと強調したうえで次のように述べた。

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 そもそも国土面積の0.6%しかない沖縄に全国のアメリカ軍専用施設の約7割が存在していますし、離島への自衛隊の配備も進んでいます。ということは、日本の安全保障に伴う負担が一地域に集中しているという見方ができます。本土側がその不均衡に関心を寄せなければ、沖縄への過度な負担は今後も続いていきます。基地問題は沖縄だけではなく、全国で考えるべき問題のはずなのに、そうなっていない現状に違和感を覚えます。
   今の私ができることは、沖縄とは関係が薄いと思われがちな地域で、その地域との具体的な関わりの中で、沖縄の置かれた状況を伝えることだと思いました。沖縄や東京発の報道に加え、各地域からも発信することで、わずかかもしれませんが、本土全体として沖縄への関心を持続させることに役立ちたいです。

3. “私たちの地域の沖縄”を伝えていく
 2つの放送局でウェブ記事化された特集をみてきた。ちなみに、同様に沖縄の痛みを地域で掘り起こし、本土理解へつなげようとした特集は神戸局や仙台局などでもみられた。

 本稿冒頭でも言及したが、本土から見た沖縄を他者とせず、“われわれ”の一員だと意識することが、相互理解のための鍵となる。そして“われわれ”意識を育むためにはいわゆる「集合的記憶」が形成されることが重要となる。集合的記憶という概念は「複数の個人に集合的に持たれている記憶」と定義される9)。ある事柄に関する記憶や思い返しといった現象が個人のみにとどまらず、集団の内部で生じるものとなる現象で、すなわち、沖縄社会の個人の記憶や思い返しが、同様に自然に本土社会の個人にも記憶され、思い返されるということである。
 この集合的記憶を形成するうえで、大きく作用するのもまたマスメディアのニュース報道である。マスメディアが発展・普及した社会で、ニュース報道で伝えられ、記録された出来事は、社会の構成員どうし、イメージとして共有される可能性が大いにある。集合的記憶を共有し、沖縄の痛みを自らの記憶として思い返すような状況となってこそ、本土の沖縄理解は進んだと言えるだろう。
 今回、紹介したNHKの地域放送局の特集は、沖縄の痛みを巡る個人の記憶を、沖縄ではない場所で、集合的記憶として再生産させることに挑んでいると言える。沖縄発、または東京発の報道だけに頼らず、“私たちの地域の沖縄”を伝え続けることが、沖縄の過去から続く課題への理解を確かなものとするためにマスメディアに求められるのである。

 結びに。地域の放送局の沖縄本土復帰50年に関する報道の全体像をつかむには、当然ながら、調査の対象に民放も含めることが欠かせない。本稿はNHKしか取り扱っておらず、あくまで一側面の素描として執筆した次第である。

〈注・引用〉

1)「復帰50年の沖縄に関する意識調査(沖縄・全国調査)単純集計結果」 
       https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/pdf/20220516_1.pdf 第2問より
2)同上 第19問より
3)選択肢を囲む『 』は複数の選択肢を合算している場合、「 」は単独の場合を示している。なお、『 』の%は単独の選択肢の%を単純に足し合わせたものではなく、各選択肢の実数を足し合わせて再計算したものである。
4)北海道各局であれば、自局の放送枠が短い局もあるため、札幌局が道内向けに送出しているニュース番組内で放送されたものもある。また、九州・沖縄各局であれば、金曜日夜の九州・沖縄地方向けのドキュメンタリー番組の中から、ある部分を取り上げて自局のニュース番組で特集として放送されたものなども含まれる。
5) https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220412/k10013577611000.html
6) https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20220512/7000046409.html
7)前掲 注1)第12問より
8)与那嶺一枝(2022)「地元紙に映る在京メディアの風景 互いに補完し合う関係を望む」『Journalism』2022年5月号(朝日新聞出版)

9)石田雄(2000)『記憶と忘却の政治学』(明石書店)p200

〈参考〉
山腰修三(2012)「沖縄の『苦難の歴史』をめぐるテレビニュースの言説分析」『メディア・コミュニケーション№62』
山腰修三編著(2017)「沖縄問題とジャーナリズム」『入門メディア・コミュニケーション』(慶應義塾大学出版会)