文研ブログ

2021年4月22日

調査あれこれ 2021年04月22日 (木)

#316 「エヴァとラジオと私の25年」

世論調査部(視聴者調査) 保髙隆之


1996年3月27日の夕方。入社式を数日後に控えた私は大学の同級生の部屋にいました。
友人は地元の会社に就職して実家に戻ることになっており、ちょっと感傷的な気分だったのを覚えています。
その友人から、パソコン通信(!)で話題になっているアニメの最終回の放送があるので見よう、と誘われて戸惑いました。ツイッターもLINEもない時代、子ども向け以外のアニメは一部のマニアだけが盛り上がるもの。私は全く知らない作品だったからです。しかしながら、その後の30分にわたる放送時間は、学生時代の最後の思い出として、強烈に胸に刻まれました。
そのアニメのタイトルは「新世紀エヴァンゲリオン」です。(最終回がどんな内容だったかご存じでない方は、検索をしてみてください。リアルタイムで、しかも、人生のあの時期に見ることができたのは幸運でした。)

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あれから25年目の春。
現在公開中の映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版」は、(これはネタバレにならないと思いますが)観客が現実の世界で過ごした25年間という時間の経過さえ取り込んだ、孤高のエンターテインメントになっており、また、強く「卒業」を意識させる作品でした。見終わった後、すっかり忘れていた学生時代の自分の姿が思い出され、あれから「変わったこと」と「変わらなかったこと」を改めて考えさせられました。
自分語りが長くなって申し訳ありません。もう少しだけ、お付き合いください。
25年前から「変わったこと」。その1つが「ラジオ」です。
私の学生時代、受験勉強の友といえば、深夜のラジオでした。音楽の流行も、好きな有名人の日常も、情報源はラジオ。家族そろってお茶の間でみるテレビとは違い、自由でとんがった話や、ほかのリスナーやパーソナリティーとの「共犯感覚」は、まだまだ青く、自意識過剰だった当時の私にとって、もっとも身近に感じられるメディアでした。
しかしながら、社会人生活が続く中で、ラジオはいつのまにか遠い存在になってしまいました。それは私だけではないようで、文研の「全国個人視聴率調査」の結果をみると、25年前、1996年のラジオの週間接触者率は43%。直近の2019年調査では30%まで落ち込んでいます(NHKと民放、AMとFMを含む)。代わって、SNSやYouTubeが日々の暮らしの中に入り込むようになってきました。
ところが、2020年。コロナ禍の日本でラジオが再び脚光を集めたのをご存じでしょうか。雑誌で次々に特集が組まれ、ネットラジオ「radiko」ユーザーの急増がニュースになりました。文研が7月に実施したグループインタビュー調査でも、「ジムに行けなくなり、代わりに始めたジョギングのお供に聴き始めてハマった」とか「在宅勤務中、音がないと寂しくてラジオをつけるようになったが、暗いニュースやリモート演出ばかりのテレビと違って、以前の日常が続いている感覚がして落ち着く」など、ラジオを再評価する声が相次ぎました。いったい、ラジオは今、どのように聞かれているのでしょうか。(やっと本題です。)
次のグラフは2020年7月に文研が郵送法で実施した世論調査の結果です。(図1)

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上の棒グラフは全国の7歳以上の人が、伝統的な「放送」と「インターネットラジオ」をどう組み合わせてNHKと民放のラジオを聞いているか(週間接触者率)を示しています。

「放送のみ」が3割近くを占め、まだまだネットラジオの比重を大きく上回ることがわかります。
ただ、年層別に分けてみてみると、20代では「ネットラジオのみ」で聞いている人が「放送のみ」で聞いている人と同程度に迫っています。また、図2のとおり、「radiko」は近年、利用経験率が順調に伸びていて、今回の調査では11%に達しました。

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少ないと感じられるかもしれませんが、この調査の1%は総務省の人口統計で換算すると100万人超に相当するので、おおまかにいっても1,000万を超えるユニークユーザーが利用したことになります。日本でこれだけのメディアパワーを持つインターネットサービスはそう多くないはずです。
25年という時間は、1人の大学生をくたびれた中年サラリーマン(私のことです。)にし、「エヴァンゲリオン」を完結させただけでなく、「ラジオ」というメディアが新しく生まれ変わるのに必要な時間だったのかもしれません。
コロナ禍に揺れた2020年の日本のメディア環境の動向について、「放送研究と調査」3月号の「人々は放送局のコンテンツ,サービスにどのように接しているのか」では他にも詳しく報告しています。ぜひ、ご一読ください。