文研ブログ

2021年1月29日

メディアの動き 2021年01月29日 (金)

#298 イギリス 公共テレビは生き残れるか

メディア研究部(海外メディア) 税所玲子


世界の公共放送のお手本ともいわれるイギリスBBC。
世界で週あたり4億6800万の人がそのサービスを利用し、王室とならびイギリスのソフトパワーの一翼を担うともいわれる組織ですが、現地では、いま、「創設以来の危機にある」との論が後を絶ちません。1)

その背景には、技術革新とともに台頭したNetflixなど、新しいビジネスモデルを持つグローバル企業の動画配信サービスにおされ、テレビの視聴時間の減少に歯止めがかからないことがあります。BBCのストリーミングサービスiPlayerも、2014年には40%を占めていたシェアが2019年には15%まで減少しています。

0121-11.PNG
また、EU=ヨーロッパ連合からの離脱を問う国民投票をきっかけに世論が真っ二つに割れてしまったことで、不偏不党を掲げるBBCは、離脱派、残留派のどちらからも不満の矛先を向けられるようになりました。離脱派のジョンソン首相は、BBCを“Brexit Bashing Corporation”(離脱叩き協会)と呼び、受信許可料制度の見直しも示唆しています。

こうした中で、放送通信の外部規制監督機関Ofcom(The Office of Communication)は、2020年、BBCを含む公共サービス放送2)の将来について、集中的な討議を行いました。

0121-22.PNG
市場調査や世論調査のほか、学識経験者による提言などが寄せられる中で、私が最もイギリスらしいと感じたのは、2020年7月から8月にかけて開催された「Citizen Assembly(市民会議)」という名の討論でした。ディベート大国らしく、市民46人が、公共テレビの役割と課題について専門家のレクチャーを聞いた後、論点を整理して、討論します。そして、4回目の会合で洗い出された課題について投票を行い、順位をつけていくというものです。

結果は次のようになりました。上位5つを記します。
①BBCの政府からの独立を守ること
②科学や教育番組を提供すること
③十分に多様な視点や見方を提示して、市民の判断材料を提供すること
④ニュースは、スピードよりも正確性とディテールを重視すること
⑤様々なプラットフォームを通じて番組が視聴できるようにし、最新の技術を使ってオンラインでも目につきやすいようにすること

また、10月には、3日間にわたる討論会が開かれ、その様子が配信されました。
BBC改革論者の前文化・メディア・スポーツ相やメディア界の重鎮などが自説を展開した後の最終セッションでは、BBC、ITV、Channel 4、Channel 5の会長やCEOが討論にのぞみました。アメリカ資本の衛星放送Skyの政治キャスターが、1時間にわたって「あなたたちの価値はなにか」と問い詰める様子は現在でもネット上で公開されています。

こうした一連の議論を経てOfcomがまとめた報告書は、「このままでは公共サービス放送が生き残ることは難しい」と結論づけました。そして、▼放送通信法の改正、▼長期に維持可能な財源制度の検討、▼コンテンツを届ける方法を放送に限らないこと、▼放送局どうしや、配信サービスとの連携強化の検討などを提言として示しました。

Ofcomは、ことし3月までこの報告書に対する意見を公募した後、最終提言として政府に提出し、それをふまえて政府の改革案がまとめられる予定です。

この議論は、「分断」「対立」という言葉が当たり前のように使われるようになってしまった今の社会で、市民ひとりひとりが、よりよい判断をし、豊かに暮らしていくために必要な情報を届けていくためにはどのような仕組みがよいのか?そんな問いかけに対するそれぞれの答えを探すプロセスに思えます。

来年の今頃には、その問いに対しイギリスなりの答えが出され、公共メディアのデッサンが完成しているのではないかと思います。輪郭を書いたり消したりしながら進められるその作業から目を離さずにいたいと思います。


1) Guardian 2020年9月30日”Andrew Marr: There is a drive to destroy the BBC”
    https://www.theguardian.com/media/2020/sep/30/andrew-marr-there-is-a-drive-on-to-destroy-the-bbc; Financial Times 2021年1月6日“The BBC, Fleet Street and the future of journalism" https://www.ft.com/content/74570d49-75c0-40a6-a9dd-dc246dc46c97
2) 正式には公共サービス放送(Public Service Broadcaster)と呼ばれ、BBC,ITV, Channel4, Channel5, S4Cが含まれる。財源は様々だが、不偏不党なニュースや社会情報番組などを制作する責務を負う。


メディアの動き 2021年01月29日 (金)

#297 「香港の報道の自由、瀬戸際に」-香港国家安全維持法の衝撃-

メディア研究部(海外メディア) 山田賢一


 ここ数年、香港は激動の中にありました。
 2014年に香港の行政長官選出をめぐって「真の直接選挙」を求める「雨傘民主化運動」が起き、香港の繁華街の道路を2か月半にわたって占拠しました。このこと自体、従来「ノンポリ」で知られてきた香港人の大きな変化を示すものでしたが、2019年にはさらに大きな事件が起きます。行政長官が進めようとした「容疑者送還条例」改定に対する反対運動で、6月9日には100万人、そして翌週の16日には200万人が参加する特大規模のデモが起きました。
 しかし、筆者がかつてインタビューした人物で、3月末の初期段階の反対デモ(参加者1万2000人)には顔を見せていた林栄基氏の姿は、6月にはすでに見られませんでした。林氏は中国に批判的な書籍を発刊する銅鑼湾書店の店長で、2015年10月に中国本土に入境した後、行方不明となります。そして林氏を含む同書店の幹部5人がほぼ同じ時期に次々と失踪していたことが分かりました。林氏は翌年2月、他の拘束された2人と共に香港のテレビに登場し、違法な書籍の販売に関わったと罪を認めます。
 ところが釈放後の6月、林氏は香港で記者会見を行い、自らの自白ビデオが中国当局に強制されたものだったことを暴露しました。釈放された他の幹部たちが沈黙を守る中、林氏の勇気ある行動は大変な反響を呼びました。しかし同時に、林氏はいつ中国政府から仕返しを受けるか分からない恐怖の中での生活を余儀なくされます。
 「容疑者送還条例」への反対運動は、条例改定そのものは阻止できたものの、その後中国政府から「香港国家安全維持法」の制定という、強烈な反撃を受けます。この法律では、第9条で「メディア・インターネットへの監督・管理強化」が明示された他、第43条では、国家安全に危害を及ぼす犯罪に関与した疑いのある人物に対し、通信を傍受し秘密裏に監視することができるとされるなど、報道の自由を窒息させかねない内容です。
 実際、2020年6月に同法が施行されたあと、8月には中国に批判的な論陣を張ってきた大手紙『りんご日報』の創業者である黎智英(Jimmy Lai)氏が同法違反の疑いで拘束され、りんご日報への家宅捜索も行われました。容疑者送還条例反対運動が盛り上がりを見せる中で、林氏が香港から台湾に移住したことは、今日の香港を当時すでに予見していたのかもしれません。
詳しくは、『放送研究と調査』1月号をご覧ください!