文研ブログ

2020年6月26日

メディアの動き 2020年06月26日 (金)

#257 感染者や医療従事者等が追いつめられない社会を~放送は何を心がけるべきか~?「速報性に寄らない報じ方を模索する」

メディア研究部(メディア動向) 村上圭子


*6月19日を過ぎても……

 6月19日は、新型コロナ対策にとって節目の日となりました。1つは、緊急事態宣言の終了を受けて、県をまたぐ移動の自粛が解除されたこと。週末にはにぎわいが戻ってきた全国の観光地の様子がメディアで報じられました。もう1つは、感染拡大を防止する「新型コロナウイルス接触確認アプリ」が厚生労働省からリリースされたこと。このアプリは、「スマートフォンの近接通信機能(ブルートゥース)を利用して、お互いに分からないようプライバシーを確保して、新型コロナウイルス感染症の陽性者と接触した可能性について、通知を受けることができる」というものです。ただし、都市封鎖などの対策を行わずに第2波を抑えるためには、全人口の約56%がアプリを利用する必要があるとの報告(英オックスフォード大学の研究)もあります。
 週末は、私が住んでいる東京はお天気がとてもよかったので、久しぶりにゆっくりと外出を楽しみました。ただ、県境を越えて観光に出かける気分になれるのはもう少し先かな、と思っています。接触確認アプリについては、自分や自分の大切な人たちのため、そして社会を守るためにも重要であると思い、早速インストールしました。スマホにアプリが入りこれで一安心と思ったのですが、陽性者と濃厚接触した通知が来たらどうしようと却って不安になってきてしまいました。新型コロナウイルスと共存する社会とはどのようなものなのか、その中で自分らしい生き方をどう見つけていけばいいのか。“新しい生活様式”と言われても、どこかまだしっくりきておらず、揺れ動いている自分がいます。皆さんはいかがでしょうか。

*厳しい現実を直視する

 さて、先日のブログで私は、“withコロナ時代”は「誰もが安心して感染できる社会」でなければならない、と書きました。感染した人が差別を受けたり、いわれなき噂に翻弄されたりする社会であってはならない、という意味です。そうした社会にしていくために放送局は何を心がけるべきか、最近視聴したローカル民放制作の2つの番組から学ばせてもらうことが色々とあったので、このブログで皆さんとも共有したいと思いました。
 前回は、放送局で感染者が出た場合にどのような対応をとるべきか、実際に2人の感染が確認されたOBS大分放送の検証ドキュメンタリー番組を取り上げました。OBSを取材する前には、私は、放送局は組織として感染した社員を守る姿勢を貫き、その姿勢を視聴者に示すことこそが、全ての感染者を好奇の目や差別・偏見に晒されない社会を作ることにつながるのではないかと考えていました。多くの視聴者を持ち影響力の大きなマスメディアだからこそ、毅然としてその役割を果たさなければならないとも思っていました。この考えは今も基本的には変わりません。しかし、取材を通じて認識したのは、そのことを許さない、新型コロナウイルスの感染者や感染者を出した組織に対する「社会のまなざし」の厳しさです。放送局は情報を提供する報道機関であり、公益性の高い企業であることから、詳細な情報を提供することは使命であり、その行為こそ公益性にかなうものであるのではないかという、強いプレッシャーを受けていました。これは私が想像していた以上に厳しいものでした。

 今回取り上げるのは、そうした「社会のまなざし」を真正面から取り上げたラジオドキュメンタリーです。タイトルは『『感染』―正義とは何か』。制作したのは愛媛県のRNB南海放送です。番組を告知するTwitterには、「正直、「不快」な番組です」と書かれていたので、一体どんな番組なんだろうとリアルタイムで聞いてみました。なるほど確かに、偏見や差別、いわれのない噂が生まれてくる、その現場にマイクが深く入り込んでいて、番組で紹介される心無い一言一言には、いいようのない哀しさを覚えました。でも同時に、一人の人間として、また一人のメディア人として、この番組は最後まで聞かないといけない、決して他人事として済ますことはできない、そんな義務感のようなものも感じました。自分の心の中にも存在するだろう醜悪な部分がえぐり出されて目の前に突き付けられ、息苦しく身動きすらできない45分間……。こんな感覚は久しぶりでした。
 早速、どんな思いでこの番組を制作したのかを知りたくて、制作に携わったRNBの植田竜一ディレクターと連絡を取りました。残念ながら、番組はradikoのタイムフリーの期間を過ぎてしまっているため皆さんにお聞きいただく事はできないのですが、今回はRNBの許可を得て、音源も一部交えながら番組を紹介し、植田ディレクターのインタビューと共に、この番組が社会に訴えたかった意味について考えたいと思います。なおご紹介する音源は、植田ディレクターと相談の上で、当事者取材の部分については控えることとしました。また、番組では実名で取り上げていた当事者の名前も伏せています。

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*<ディレクターインタビュー>番組を制作したきっかけ

Q(村上)まず、この番組を制作しようと思ったきっかけを教えてくださいますか。

A(植田)
0626002-1.jpg 県内で初の感染者が出た際、ネットや口コミで広まっていた「感染者は自殺した」という噂を私も信じていました。しかし、のちに実際は全くのデマであったことが分かります。情報を鵜呑みにしていたことを自省するとともに、「もしかしたら、本当に怖いのは、本当に蔓延しているのは、ウイルスではなくもっと別のものなのではないか」と思い取材をはじめました。
 一方で、連日ニュースなどで報道されるのが新規感染者数をはじめとする統計的なものばかりで「人の心」について取り上げられていなかったこと、また、徐々に感染者数が減少していき、様々な人権侵害について総括されることもなく、新型コロナが過去の出来事のように扱われはじめる危機感があったことから、番組の方向性を定めていきました。

 

*<番組紹介①>デマと偏見が飛び交う町

 番組は2つのパートで構成されています。前半は今回の新型コロナウイルスを巡る現場の取材、後半は愛媛県におけるハンセン病患者やエイズ患者の歴史の教訓に学ぶパートです。前半の新型コロナウイルスに関しては4つの現場を取材しています。

0626003-2.png 1つ目の現場は、愛媛県最南端、高知県に隣接する人口2万人ほどの漁業の町、愛南町。先ほど植田ディレクターが言っていた県内最初の感染者が出た町です。感染者の女性はクラスターとなった大阪のライブハウスに行っており、ネット上では「松山市に引っ越しを余儀なくされたらしい」「迫害されて自殺したんだって」というデマが2か月にわたり飛び交いました。

 番組では、この町で2人目に確認された感染者とその周辺の住民への直接取材を行っています。県からはこの2人目の情報は「60代女性自営業」とだけ発表されていましたが、発表から半日たたないうちに多くの住民がどこの誰なのかを特定していました。番組では住民達の生々しいインタビューが肉声で紹介されます。


「感染した人の情報ってのは、もうその日に出ますね。(中略)その日のうちに連絡網みたいな感じで、あれ、どこどこの誰誰よって感じで」
「狭い町やけん。噂が立つのも早いし」
「悪気があって言うんじゃないけどな」

  2つ目の現場は県内では3番目に人口の多い新居浜市。市内の小学校でした。その小学校では、トラックドライバーの父親を持つ子供3人に対し、登校を自粛してほしいとの要請が行われていました。学校は、その父親が感染拡大地域を行き来していたため、その家族も含めて感染リスクが高いと判断したとのことでした。3人の子供のうち1人は新一年生。結局その子供は入学式に参加できませんでした。番組では教育長に直撃しています。

「感染拡大地域に行かれて戻ったという事象のみで気持ちがいって、子どもが新型コロナウイルスにならないことを一番に考えておりましたので、そうした配慮が足りなかったということです」

父親が勤務する運送会社の社長は、父親の憤りを代弁すると共に、自身も無念さとやるせなさを吐露しました。

「実際は感染していないんですけども、突然そういうことを言われると、職業差別にあたると思いますし、子供達の学習権を奪うという行為じゃないかと疑問を感じました」
「ウイルスのおかげで人の心が分断された。それが一番怖い」

県内ではこの他、南部の2校でも同様の事例が起きていたといいます。

 

*<ディレクターインタビュー>「正義」について

Q(村上)番組内では「子供を守るという「学校の正義」が、結果的に子どもから“学ぶ権利”をはく奪したのです」とコメントされていました。自身の信じる正義のために人を傷つけてしまう言動をとった人々に直接向き合って取材し、どのようなことを感じましたか?

A(植田)この番組を企画したきっかけ(噂を鵜呑みにしていたこと)を考えると、私はだれも責める資格はないですし、1人1人の信じる正義や感情は理解できます。そして、街中の通行人を含めて今回取材した方の全員が、悪意をまったく持っていませんでした。1人1人の「正義」が悪意を揉み消している装置なのだとしたら、やはり厄介で深い問題なのであると再認識させられました。「誰も悪くはないけれど、誰もが責任を負う」と感じています。

Q かなり踏み込んで取材をしていると感じました。当事者を取材することについての苦労や葛藤などはありませんでしたか?

A 取材を受けていただいた方以外にも、「番組にされるとまた誹謗中傷を受けるから…」と何件もの当事者に断られました。私たちが番組にすることで、被害者の方が二次、三次…とまた誹謗中傷が連鎖するのではないかという葛藤は常につきまといました。それでも、「1か月後でも1か月前でもなく、“今”こそ負の事実を伝えないといけない」という熱意一本で取材対象者を説得し、インタビューを重ねて放送に踏み切りました。
 しかし、正直なところ、まだメディアが誹謗中傷を悪化させるのではないかという葛藤は払拭できていません。いずれにせよ、改めて、差別や誹謗中傷の前にメディアの使命というのはあくまでも自己都合・自己満足に過ぎないということについて自覚的になるべきだと痛感しています。

 

*<番組紹介②>励ましが一転、誹謗中傷に

 3つ目の現場は、松山市で8人の感染が確認された高齢者向け介護施設。ここでは、県知事及び市長の会見を契機に、施設に向けられる「社会のまなざし」が180度変化しました。番組のこのパートを抜き出して再編集した音源がこちらです。

  感染者が出ていたにも関わらず、濃厚接触した職員に自宅待機をさせず、そのことによって感染が広がってしまったこの施設の対応に対し、県知事は「由々しき事態である」と施設側の対応を厳しく批判。市長も同様の姿勢で批判しました。

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この日までは、施設には支援の声や励ましが寄せられていましたが、それが一転して誹謗中傷に変わっていきます。ただし、取材をしていくと、施設側はすぐに職員を自宅待機させることはできない、と市役所に訴えていたこともわかってきました。しかし今も施設側と市側の見解は相違したままです。

*<ディレクターインタビュー>報じるメディアの課題

Q 新型コロナウイルスに関しては、放送局では連日、知事や首長の会見を中継しています。ニュースや情報番組でもトップで扱われることが多く、知事や首長が番組に出演する機会も増えています。そのため、どこまでが行政の“広報”で、どこからが局が取材した認識に基づいた“報道”なのか、その境目が曖昧になっていることがメディアとしての大きな課題だと私は感じています。今回の松山市の高齢者向け介護施設の事例は、その課題が実際に現場で被害を生んでしまったケースだと思います。植田ディレクターは、かつて報道セクションに所属しており、そして現在は異なる部署でこの番組を制作しましたが、このあたりのことはどう捉えていますか。

A 私たちメディアが様々な出来事に対して善悪の価値観を決めつけて報道している限り、差別を助長・誘発してしまうことを痛感しました。実際に今回取り上げた、自治体のトップの発言がきっかけで高齢者施設に批判が集中した事案では、マスコミも一斉に「施設の不行き届き」として報道しました。こちらで一方的に価値を判断してニュースにしましたが、取材を進めるとそうとも言えない一面が見えてきたのです。事実が明らかになっていくにつれて、メディアの報道姿勢はしれっと変えることができますが、一度傷ついた人の心は元には戻りません。取材の中でも、私を含めてメディアへの批判は数えきれないほど受けました。

Q 知事会見後にわかってきた、高齢者向け介護施設側と市役所とのやりとりについて番組では紹介していましたが、御社のニュースもしくは情報番組の中では伝えたのでしょうか。

A 知事会見については民放4局とも報じましたが、このやりとりについて後日詳しく報じたのは、確認できる限りでは1局のみでした。弊社も継続的に報道していません。自分も報道セクションに身を置いていたので実感していますが、やはりニュースや情報番組は「タイムリーさがポイント」で、過ぎ去ったニュースの後追いを報じることは難しい、その体質はなかなか変わらないのではないかと思っています。

Q 番組制作を通じて学んだことや、得た教訓などがあれば教えてください。

A 感染が拡大している際に報道において最も重きを置くべきことは、「この情報を伝えることで少しでも人の命を守ることに役立つか」どうかではないかと教えてくれました。そうすると、どこの誰が感染者かをより詳細に報道することが、果たして上記の「人の命を守る」ことにつながるか疑問を感じます。感染拡大を防ぐためにも感染者本人を深く掘り下げるのではなく、もっと他の方法があったのではないかと思います。
 人の口に戸はたてられません。でも、SNSのボタンを押す前に、また、お隣の人に「ねえねえ知っとる?」という前に、ちょっとだけ思いとどまってもらえるか、メディアにできることはそのくらいしかないかもしれませんが、でもそれができればとても大きい。そういう番組制作をこれからも目指していきたいと思います。

Q ローカル局でこうした骨太のドキュメンタリー番組を制作する意義についてはどう考えていますか?

A どの番組でも地方局の人間として普遍性と特殊性は常に意識しています。
 愛媛や地方だからこそ持つ魅力や愛媛や地方だからこその見えてくる課題をまずは徹底的に掘り下げる。そのうえで、「これは首都圏や全国の人たちには関係のないことなのか」「後世の人たちには関係ないことなのか」を考える。今回に関しては、県内の個別事例を掘り下げると見えてきたのが「人として」の問題だったので、明らかに普遍性があると思い、全国の方が聞いていただいても意味のある内容にしようと心掛けました。
 一方で、人口減少が進む中、わたしたち地域のメディアが向き合っている課題は、将来の日本全体が向き合うことになる課題であると感じています。狭い町だから感染者を特定した事案や、県民・市民に人気のある自治体のトップの発言は大本営発表のように疑わざる事実としてとらえてしまう事案など…。地域のメディアこそ声を上げないといけない。そこに意義があると思います。

*<番組紹介③>歴史から学ぶことの重要性

 番組の後半は、愛媛県にちなんだ2つの歴史から、コロナ禍の社会が抱える課題をどう考えていけばいいのかを探っています。1つは、四国八十八か所のお寺を巡るお遍路の歴史から、もう1つは日本で初めて実名を公表し薬害エイズ訴訟を闘った、愛媛県在住だった赤瀬範保さんの言葉から。ここでは、赤瀬さんのパートの音源を紹介しておきます。

 

 最後に、番組のエンディングのコメントをそのまま紹介します。

「いつか来る新型コロナを乗り越えた後の世界、
“未来の教科書”にはこの感染症はいったいどのように描かれるのでしょうか。
忘れてはいけないはずです。
私たちの「正義」は、根も葉もない噂を作り出すこと。
私たちの「正義」は、簡単に偏見を生み出すこと。
私たちの「正義」は、感染した人を特定しようとすること。
私たちの「正義」は、一生消えない傷を負わせること。
私たちの「正義」は、“感染する”ということを…。」

*取材を終えて

 植田ディレクターは、入社5年目。3年間、報道のセクションを経験し、ラジオの制作に携わって2年目です。SNSの持つ危うさも、人間関係の濃密な地域社会の厄介さも、報道機関の持つ速報性重視という課題も、それぞれを自身の問題として体感しながら、それらを相対化して普遍的な問題に挑もうとする姿勢に、同じメディア人として多くのことを学ばせていただきました。快く取材に応じていただいたこと、また音源まで提供してくれたRNBに改めて感謝します。
 今回改めて、全国各地の放送局には学ぶべき番組が数多くあるということを実感しました。こうした番組がアーカイブ化され、全国の多くの人達に見たり聞いたりしてもらえる機会が増えることを願いますが、このブログでも時々こうして、皆さんに共有していければと思っています。