文研ブログ

2020年2月18日

メディアの動き 2020年02月18日 (火)

#237 一枚の写真が、執筆のエンジンになった

メディア研究部(メディア動向) 谷 卓生

東京-横浜間で電話交換業務が始まり、帝国ホテルや浅草凌雲閣(十二階)が開業した、明治23年(1890)。明治国家が欧米諸国に追いつこうと、“坂の上の雲”を目指していたころに撮影された、“一枚の写真”が残されている。
写っているのは、現在の東京大学理学部が、「帝国大学理科大学」という名称だった時代の教員たちだ。

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 洋装が11人、和装が3人(但し、一人は靴を履いていることが確認できる)。ひげを生やしている人が半分など、当時の学者の風俗がわかるという点でも興味深い写真だ。

私がこの写真の存在を知ったのは、VR(バーチャルリアリティー)の訳語が、「仮想現実」になっている理由を調べていた去年の秋。専門家などから、「仮想現実」という訳語は、“あまり適切ではない”とされてきたのに、どうしていまだに使われているのだろうかと疑問を抱いたからだ。そして、調査で分かってきたのが、明治21年(1888)発行の『物理学術語和英仏独対訳字書』が、Virtualを「假リ(ノ)」「虚-」と訳したことに、その遠因があったのではないかということだった。この『対訳字書』を作ったのは「物理学訳語会」。約30人の物理学の研究者たちが、西洋由来の物理学の学術用語を翻訳・統一しようと、明治16年(1883)に発足させた。

この写真には、訳語会設立の発起人のひとり、日本人初の物理学教授となった山川健次郎(後列の右から2番目。1854-1931)をはじめ、訳語会のメンバーが9人写っているのだ。それまでに見ていた山川の写真は、もっと高齢のときに撮影されたもので、きっちりとしたスーツ姿。彼が会津藩の“白虎隊の生き残り”であったことをほうふつとさせる古武士然としたもので、こんなに若いころの写真は見たことがなかっただけに、とても新鮮だった。しかも、彼が着ているのは、実験で使う“白衣”ではないだろうか!他の人は正装のように見えるが、山川はどうしたのだろう。実験を好んだとされる山川ならではの姿なのか。
このような現役感バリバリの、『対訳字書』の発行時期に近い、山川らメンバーの姿に触れて、私の中で、何かが動き始めた。古ぼけた資料を調査しているときにも、それを書き記した先人の姿が思い浮かぶようになってきたのだ。単にテキストの解読ではなくて、明治という激動の時代を生きた、彼らの夢や不安、使命感のようなものを感じながらの研究となり、私のモチベーションは上がった。
研究結果は、『放送研究と調査』(2020年1月号)掲載の論稿にまとめたので、読んでいただければありがたい(リンク先で、全文公開中)。この写真ももちろん同誌に掲載しているが、モノクロで写真のサイズも小さい。ぜひ本当の色で、しっかりと見てもらいたいと思い、ここで、改めて紹介した次第だ。

この写真は、2006年に山川の親族が東大理学部に寄贈したものだが、どういう状況で撮影されたのかなど詳しいことはわかっていない。しかし、写真と一緒に手書きのメモが残されていた。

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このメモのおかげで撮影時期が推定でき、私は、この写真において、『対訳字書』の作成に携わった9人(寺尾、山川、山口、三輪、酒井、藤沢、隈本、菊池、難波)を特定し、130年の時を超えて彼らに会うことができた。会則や議事録によると、彼らは毎月、第二・第四水曜日の午後3時に大学に集まって、約1700の訳語を決めていったのだ。この写真(とメモ)の存在は、科学史の専門家たちにもほとんど知られていないものだったので、これを“発掘”できたことは、本当にラッキーだった。しかも、ここで公開し、多くの人に見てもらえるようになったことで、今後の科学史の研究に何らかの助けになれば幸いだ。
それにしても、当時の教員たちは、若い。現在と単純に比べられないとは思うが、(明治23年の撮影として)最年長は、教授の山川で36歳。最年少の平山は23歳。後に、「土星型原子模型」の理論で世界的に知られることになる長岡半太郎は、このとき25歳だ。写真に写った全員の平均年令は、30歳(生没年が不明の、実吉は除く)。明治23年は、先進各国の帝国主義が本格化する中、日本では、憲法が施行され、帝国議会ができるなど、ようやく国家の体制が整い始めたころ。そういう時代状況のもと、ここで教え、学んだ若き俊英たちがその後、各地に赴き、日本の物理学や数学の礎を築き、「殖産興業・富国強兵」の担い手となっていったのだ。そんなことを思いながら、この写真を見ると、くめども尽きぬインスピレーションを得ることができる。こうしたことがわかるのも、資料が残されていたからだ。現在、原本が行方不明になっている「物理学訳語会記事」(「訳語会」の議事録)もどこかに残っていないだろうか。全国の大学図書館、資料館、古書店のみなさん、情報があれば、ぜひお寄せください!!!

最後に一つ、妄想を。なんとかタイムスリップをして、現代のVR機器を明治時代に持っていきたい。訳語会のメンバーがVRを体験すれば、Virtualにどんな訳語をつけるだろうか。彼らの議論を聞いてみたい。


(注)
手書きメモにある「藤沢利器太郎」は、「藤沢利喜太郎」が正しい。
また、「平山順」は、「平山信」ではないだろうか。

(おもな参考文献)
『日本の物理学史』(日本物理学会編、東海大学出版会、1978年)
『増補 情報の歴史』(松岡正剛監修、編集工学研究所構成、NTT出版、1996年)
『明治を生きた会津人 山川健次郎の生涯』(星亮一著、筑摩書房、2007年)
『近代日本一五〇年』(山本義隆著、岩波書店、2018年)