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調査あれこれ 2023年06月16日 (金)

「放送法4条の政治的公平について考える」 ~「メディアと法」研究会 講演から#492

放送文化研究所 渡辺健策

 本稿では、昨今あらためて議論になっている放送法4条の政治的公平をテーマに、筆者が司会進行役をつとめたマスコミ倫理懇談会全国協議会「メディアと法」研究会(5月18日、日本プレスセンタービルで開催)の講演概要をお伝えします。講師は、BPO放送倫理検証委員会の委員長を長くつとめられた川端和治弁護士です。「放送法4条の政治的公平について考える」と題して、約2時間にわたって講演いただきました。
(講演内容から一部抜粋。章ごとのサブタイトルは、筆者が補足したものです)

川端和治弁護士

1970年 司法研修所修了とともに弁護士登録 2000年~2001年 日本弁護士連合会副会長
2005年~2007年 法制審議会委員   2007年~2018年 BPO放送倫理検証委員会委員長 
2011年~2014年 法務省政策評価懇談会座長 現職:BPO放送倫理検証委員会調査顧問

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<戦前の教訓と後悔が「放送法」の出発点>

 川端でございます。本日はお招きいただきましてありがとうございます。
私はBPO放送倫理検証委員会の委員長を11年やりましたけど、その間に考え、その後、『放送の自由――その公共性を問う』という本を書いたときに考えたことをお話ししていきたいと思います。
 放送法について考える時、私がいつも強調しているのは、この法律は非常に普通の法律とは違う成立の歴史背景を持っている、その歴史的背景をよく理解しないと、条文の目指したもの、真の意味を理解できないだろうということです。まず、この放送法の背後にある歴史について簡単にご説明します。
 重要なのは、戦前において日本の電波というのは軍(国)が使用するもので、放送はその余った部分について使用を許されていたに過ぎなかったということです。放送局は、政府によって予算、人事、実際の運営、実権を握られていました。政治上の講演議論、治安・風教上悪影響を及ぼす恐れのある事項、そういったものを禁止する。それを監視するため、リアルタイムで放送中に監視している人がいて、「これは駄目だ」ということになると、ただちに放送を遮断するという体制でしか放送は認められていなかった。それが戦前の放送です。しかも太平洋戦争が始まった時に放送の全機能をあげて大東亜戦争の完遂にまい進するということになりまして、放送はすべてのプログラムを国民の戦意を高揚するということに使われた。さらに悪いことに、戦争についての戦果は大本営発表しか認めないということになっていたんですけど、ミッドウエーで思いがけない大敗戦を喫し、大本営が負けを勝ちとねつ造するようになってしまった。だから相当あとになるまで、つまり本土の空襲が激しくなるまで多くの人は日本が勝っているんだと思っているという状況が生まれたんですね。戦っているうちに必勝の信念とか神風が吹くとか、そういう感情が国民の間にも起こってくる、マスコミはひたすらにそれをあおる、そういうことを続けていた。
 その結果、本来ならとっくにあきらめて降伏するべき状況だったにも関わらず、ぎりぎりまで戦争を続けて、原爆を2発落とされてようやく降伏を認めるというところまでいってしまったわけです。当時の放送を担当した人たち、放送行政、電波行政を担当した人たちにとっては、敗戦についての自分の責任とそれを悔いる気持ちを残しました。
 戦後、放送法を制定する国会で審議をした時に、担当した官僚が質疑応答の原稿を作っているんですけど、その中に「放送番組に政府が干渉すると、放送が政府の御用機関になって国民の思想の自由な発展を阻害して、戦争中のような恐るべき結果を生じる」と書いているんですね。そういうつもりで放送法をつくるということがはっきりと意識されていたということを記憶しておかなければならないと思います。

 一方でGHQ(連合国軍総司令部)は当然、日本を民主化する、軍国主義を徹底的に除去するという覚悟を持って日本に乗り込んできた。ファイスナーという人が放送関係の事項を担当したんですけどこの人は着任したときに逓信省の事務次官を呼びつけて、「私は軍国主義、封建主義、官僚主義の3つをつぶすためにきた」と宣言したということも、当時を回想した記録に残っています。
 新しい憲法ができるので、放送法制も完全にそれに合ったものにしなければならない。GHQと逓信省の官僚がやりとりしている中で「これが絶対に必要だ」ということでGHQが示した事項がありました。1つは放送の自由を確立するということ、不偏不党の放送にすること。放送の役割としては、公衆に対するサービスであるということ。技術的な水準は満足すること。もうひとつ重要なのは、その管理は政府から独立した機関によるべきだという大原則を示したんですね。その結果、放送法が作られていくんですけど、これが単純には作れなかった、何度か行ったり来たりをするということになります。

<「番組編集準則」と「停波処分」の制定経緯>
 1950年1月には、放送法を含む電波3法を制定する国会の審議が開始されました。ただ、これもそのまま素直にすんなりと成立したわけじゃなくて、4党の共同修正案が提出されてようやく1950年6月に成立するんですけど、この時の共同修正というのが非常に重要な修正で、今日にいたるまで問題となる、尾を引くような修正であったということになります。

shiryou1_2_W_edited.jpg(川端和治弁護士 講演資料より)

 もともとの放送法案では、NHKは公共放送として立案され、公共放送だからということで放送内容を規制する規定として2つ重要なものがあったんですね。1つめは「公衆に関係のある事項について事実を曲げないで報道すること」。2つめは「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」。修正案は、この2つにN H Kについての別の条項にあった「政治的に公平であること」を加え、さらに「公安を害しないこと」を加えた4項目を「番組編集の準則」とし、これを民間放送にも準用するということで、全ての放送局に適用するようにしたんです。

 もう一つ、これはほとんど当時の国会審議でも言及がなかった不思議な修正なんですけど、電波法76条(停波処分)は電波法にある技術的な条項、放送のハード面についての規定だったんですけど、そこに放送法を加え、放送法違反も電波法による停波処分の対象になると、論理的には読める規定に修正しているわけです。この4党共同提案の修正がどういう意味を持つかというと、それまでは実は民間放送についての規定はほとんど何もないに等しかったんですね、確か2か条しかなかったと思いますけど、民間の意見として「NHKの規定ばかりで民間を全く無視しているじゃないか、おかしい」という議論もあったんです。
 この修正によって番組編集準則が民間放送にも適用になるということになり、公共性をもつ放送として民間放送も位置づけられる、だから日本の放送法制は、NHKのようなピュアな公共放送に加えて本来は商業放送として考えられていた民間放送も公共性を持つ、2つの体制が二元的に並び立つという体制になったという意味では非常に大きな修正だったわけです。
 NHKはもともと公共放送として構想されていますから、とにかく受信設備を持っている人からは誰からでも受信料を取れるということのまさに裏側として、全ての受信契約者に対してサービスしなきゃいけない。政治的に一部の勢力側に付いて放送をしたのではそういうのは公共性がないということになりますから、どうしても政治的に公平であることを課す必要があった。
 しかも公共放送は民主主義の成立には必要だから、公共放送と名乗れるだけの最小限の制約を加えることは合理性がある、従って憲法上の問題はないというふうに一応考えられる。ですけど、民間放送の場合は、なぜ表現内容についての規制を受けなければならないのかという、憲法21条との間の整合性の問題を、実はこの時に生じさせているんです。ただ、国会審議を見ても、そういうことはほとんど意識されていなかった。
 電波法76条の規定に放送法違反を追加した点ですけど、なんで電波法に放送法違反を加えるという改正がなされたのかというのが、私が当時持っていた資料を読んでもさっぱり分からなかった。国会審議録、全部の審議経過を読んでも何の議論もされていなかったんですね。

pdf_3_W_edited.jpg (NHK放送文化研究所『放送研究と調査』2020年7月号 村上聖一「電波三法 成立直前に盛り込まれた規制強化」より)

 NHKの村上聖一さんが『放送研究と調査』2020年7月号に「電波三法 成立直前に盛り込まれた規制強化」という論文をお書きになっていて、それを読むと放送文化研究所の書庫に「荘宏文書」というのが残っている。荘宏というのは当時、電波庁の文書課長をしていた人で、つまり電波3法の修正の実務担当をしていた人です。その荘宏文書を見ると1月に国会審議が開始されたんですけど、その翌月に衆議院電気通信委員会と衆議院法制局と電波庁の担当者が箱根で合宿をしていて、電波法の原案がその合宿の資料として配られているんですけど、そこに手書きで「放送法」と、途中(76条)に加える修正がなされているというのが、その資料を見るとわかるんですね。これが2月なんです。翌3月の段階で参議院の電気通信委員会で「電波法の76条に放送も加えなくていいのか」という質問がなされたんですね。それに対して網島電波監理長官、この人は箱根の合宿の参加者名簿に載っている人ですけど、「放送法にもごく僅少ではございまするが、いろいろ施設者に義務づけられた事項もございまするので、ただいまのお説は私どもといたしましてもごもっともなお説ではないかと考える次第であります」と答弁している。要するに、もともと電波法はハードについての法律で、いろんな施設について書いていて放送局としてはこういうものをふまえなければいけない、それに違反したらそんな不十分な施設で放送してはいけないから停波処分という法律なんで、もっぱらそういう技術的事項の違反しか考えていなかった条文なんです。
 実はこの1月から3月で、放送法にも技術的規定があるから(電波法76条に)こういう修正をするということが国会で言われた後になってから、今の放送法4条の改正の議論が始まっているんです。そういう意味では電波法の改正というのは、そういう4条を民間放送にも適用する、政治的公平を民間放送にも課す、という議論の前にそれとは無関係に決まっていた、ということなる。そうすると、あれは放送法総則とは全然関係のない技術的事項についてだけ適用するということを考えた修正だったという説も根拠があるんだと初めて納得したんです。

<自主自律を尊重する「政府見解」>
 番組編集準則は倫理規範であることをはっきり示しているのが、1959年の放送法改正案が国会に提出された時、田中角栄郵政大臣(当時)が参議院本会議で行った法案の趣旨説明です。この時の改正案では、番組編集準則に「善良な風俗を害しない」という項目を付け加えたんですけど、その番組編集準則を守ってほしい、しかしそれを直接政府が強制したんでは表現の自由を侵害することになるからそれはできない。考えた結果、この番組編集準則を見て各放送局に自主的自律的に番組基準を作ってもらうことにした。各局はその番組基準に従って番組を作る。しかも各局に有識者からなる番組審議会をつくって、そこに必ず各局の番組基準は諮問しなきゃいけない。さらに番組基準自体全て公表するということにさせた。そうなると、見ている人は各局の番組基準を知っていますから、「これは番組基準に反するんじゃないか」と批判するだろう、審議会でも「こんな番組はわれわれが認めた番組基準に反するんじゃないか」というだろう。そういう形で批判させることによって番組基準が実行され、しかも番組基準は番組編集準則を1つの理想と放送の理念とみて作られるので結局それが実現されることになる。当時の答弁を見ても、放送事業者の自主性に任せて、番組の統制はしないと答弁しています。

 もう一つ重要なのは、国会の審議で、「極端に変な放送がされた時にどうするんだ」という質問があったんですけど、「例えば、わいせつ放送であれば電波法108条によって刑罰が課せられます、だからそういう心配はありません」という答弁をしているんです。一方、電波法76条は、当時すでにあったにもかかわらず、それについては全く述べていないんですね。だからそういう極端におかしい放送でも電波法76条の処分の対象になるというのは全然考えられていなかった、というのはこれからも明らかです。

 また、政府見解としては、1962年の臨時放送関係法制調査会という公の機関で当時の担当部局である郵政省が意見書を出しているんですけど、番組編集準則というのは1つの目標で、法的効果としては精神的規定の域を出ない、要は事業者の自律に待つほかないと答えています。さらに1977年には電波法76条の適用についての質問に対して、「検閲はできないことになっているから番組の内容に立ち入ることはできず、番組が放送法違反だという理由で行政処分をすることは事実上不可能です」とか、「放送事業者が自主的に放送法違反について判断する、あるいは番組審議会、世論というものの存在がその是非を判断する」という答弁をしているんです。
 電波法76条の停波処分の適用は論理的には可能だという意識は放送行政の担当者にはずっとあったと思うんですが、しかしそれはできない、という形でずっと守られ続けていた。それが椿発言問題でくるっとひっくり返っちゃった。そうすると番組編集準則が憲法21条違反じゃないかということが正面から問題にされるようになりまして、いろんな憲法学者がいろんな意見を述べるということになった。通説として、これは倫理規範なんだ、だからこの規定を政府が強制することはそもそもできないんだから憲法21条の問題にはならないというのが、学説として最も広く受け入れられた見解です。

shiryou2_4_W_edited.jpg(川端和治弁護士 講演資料より)

 最高裁判所も、これは女性戦犯法廷事件の判決の中にありますけれども、放送事業者がみずから定めた番組基準に従って番組の編集が行われるという番組編集の自律性について規定したものという書き方をしています。裁判所も放送法というのは自主自律の体制だというのを述べているんですね。
 しかもこれは前から言われていることですけど、総務省には強制力を持って調査する権限が法律上ない、という答弁も2022年の放送法改正時の国会審議でしています。ただ番組編集準則が法規範であって、その違反に対して電波法76条の処分ができるというこの1点は譲らなかった。たぶん「伝家の宝刀」というか、究極の脅しの手段として――それは、政府は放さないよ、という宣言だと思います。
 自主自律で編集ができるのだとすれば、これは明らかに、例えば政治的公平に反するかどうかという判断は、番組を制作する側にまず委ねられる、そこで番組編集の自由が発揮されるということになります。そういう自主自律による編集権をどこまで自由に実行しているのかという放送局側の問題が、今度は問われることにならざるを得ない。

<自主自律・報道の自由をいかせるか>
 ごく最近で言えばジャニー喜多川の(損害賠償)事件についてですね、放送に限ったことではないが、最高裁判決まであるにも関わらず、メディア全体がひたすら沈黙を守り続けてきたということがありますが、本当に放送は自分たちに与えられた自主自律による自由な編集権を行使しているのかということが問われざるを得ないと思います。
 ただ、政府見解であれは法規範で76条による処分ができるという、「伝家の宝刀」と申し上げましたけど、これがものすごい脅しの材料になっているんですね。椿発言の時に実際にテレビ朝日は、免許の更新を条件付きのものにされたということもあって、放送局の経営者にしてみれば、絶対にそういう事態は起こしたくないという意識がありますから、これが上から下までにいたる萎縮効果をもたらしているんです。そもそも政府が、何が政治的公平なのかということを判断できる体制のもとでは、政府権力はもともと権力の行使についてマスメディアによって監視されるべき立場なんですけど、監視される側が「これは政治的公平に反する、法律違反だから処分できる」ということが言えることになれば、政府批判の萎縮をもたらすような結果にならざるを得ない、そうなると一番重要なマスメディアの機能である権力監視機能が損なわれるんじゃないか、という問題があります。しかも何が政治的公平で、何が政治的公平でないのかというのは、非常に漠然としているわけですね。

 国論を二分する問題でいうと、最近の例でいえばイギリスがEU(欧州連合)を脱退するかどうかという問題の時、あのときも脱退すれば経済的にすごくイギリスが利益を受けるというキャンペーンを保守党の側がやったんですね。しかし、実際にはうそだったということが後で分かるんですが、そういう国論を二分する問題について今政府がこう言っている、憲法改正問題で言えば改正賛成の方がこう言っているけれども、それは事実に反するとか、あるいはそういう説明はでっち上げだフェイクだ、あるいは論理的にいってそういう議論は成立しないということが分かっている時に、「それはおかしい」ということを放送することは、何ら問題はない公正な放送であって、それを止めるということは、そもそも表現の自由を保障した趣旨に反するんですよね。なぜかというと、国民はそういう問題があるということを全然知らされないまま、ある候補に投票したり、あるいは選択したりすることになってしまうので、そういうことが許されるんであれば、そもそも民主主義が機能しなくなるという問題がある。もともとは民主主義をよく機能させるための基盤であるから、放送には憲法上その自由が保障されるという関係なのに、全然その機能を果たさないことになってしまう。

shiryou3_5_W_edited.jpg(川端和治弁護士 講演資料より)

 なぜそうなるかというのを考えたのが、BBCのガイドラインです。ずっとBBCが第一の絶対に守るべきものとして掲げてきたのがimpartialityなんです。このガイドラインを読むと、impartialというのは議論の全てのサイドを反映することで、そしてどのサイドもひいきにしないことである、とされています。もっと大事なのは単にimpartialであることを求めているのではなくて、due impartialityが求められている、つまり適正な、ふさわしいimpartiality。何かを報道するときの結果について考えるときには、その事柄の性質、内容において、またその報道が及ぼす結果についても、よく考えた上でやらなきゃいけないという適正な公平性でなければいけないというのがBBCの見解です。

<ジャーナリストたちへの期待>
 私が期待したいのは、ジャーナリストとしての矜持(きょうじ)、ジャーナリズムの力、それがもっと発揮できるようになれば、もっといい放送ができるんじゃないか。週刊文春は、ああいう問題を果敢に取り上げてしかも裁判で争うこともいとわない、あそこには腕っこきの弁護士がついていて、判決で勝つ。ある意味、裁判をしても闘うという、きちんと筋が通っている。日本の場合、どうも裁判沙汰になることをテレビ局の幹部は恐れているのかなという気がすることがありますが、いま文春には、とにかくいろんな情報がどんどん飛び込んでくる。「文春に駆け込めば報道してもらえる」ということで、そういう状態になっているということを文春の編集長が書いていましたけど、もっと勇気を持ってしかも文春のようにきちんとしたリーガルな備えも万全に整えた上で臨めば、重要な問題だけれど報道されないということが、少なくなっていくのかなと思います。

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 議論のある問題について、できるだけ全体を伝えるというのは、これはそもそも放送が公共性を持つ上で絶対の条件ですね。だからといって間違った意見も伝えなきゃいけないとか、事実じゃないフェイクの主張も伝えなきゃいけない、ということにはならないと思います。だからいろんな立場いろんな意見があるとして、その中でまともに取り扱うべき意見と、全然相手にならない意見があったとしたら、それを両方とも載せなきゃいけないというのは、これはおかしいですね。BBCが言うdue impartialityがというのはそういうことだと思います。impartialでなきゃいけないけど、しかしそれはdueでなきゃいけない。間違ったことなのか、うそなのか、これを判断するのは放送局の側ですから、ジャーナリストとして判断するということになります。

 「エコーチェンバー現象」というのがありますけど、それを打ち破るのは、本来の表現の自由の考え方で言えば、「モア・スピーチ」なんですね。言論の力でそれを打ち破っていかなければいけない。
 逆に言えば、放送が本当に真実を伝える場なんだ、放送というのはそういうものとしてそういう制度としてできあがっているんだ、だから信頼できる言論機関なんだということがきちんと確立できるようになれば、そちら側の方向でいろいろな事を推し進めていけば、インターネットに一方的に負けてしまうことはない、というのが私の希望的な観測です。でも、「本当にそういう意味で信頼できるような言論機関になっていますか」というのが、いま一番投げかけられている大きな疑問なのではないでしょうか。

【渡辺健策】
1989年NHK入局。報道局社会部、首都圏放送センターなどで記者として環境問題を中心に取材。
2011年から盛岡放送局ニュースデスクとして東日本大震災の被災地取材に関わり、その後、総務局法務部などを経て2022年から現所属。

おススメの1本 2023年06月14日 (水)

ロイター・デジタルニュースリポート2023 概要(Executive Summary)の日本語版を発行#491

メディア研究部(海外メディア)税所玲子

 イギリスのオックスフォード大学のロイタージャーナリズム研究所(Reuters Institute for the Study of Journalism)が、毎年、発行する「デジタルニュースリポート」。
2023年の報告書が6月14日に発表されました

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デジタル化が、人々のニュースに関する考え方や接し方にどのような影響を与えているのか、調査・分析をしているこのプロジェクトに、NHK放送文化研究所は2022年から参加しています。今回は、世界でのリリースと同時にその内容を日本語で読んでいただこうと、Executive Summary(概要)を準備しました。

今回のヘッドラインは、若者層を中心に、ソーシャルメディアを通じてニュースに触れる人がさらに増え、物価高騰の中で購読者数が伸び悩む既存のメディア組織は、さらに苦戦を強いられている、という点です。


オンラインでニュースに触れる主な方法とその割合(2018~2023) ― 全ての国と地域
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 調査をしている46の国と地域の平均をみると、ニュースを報道機関のホームページやアプリで見る人と、ソーシャルメディアを利用して見る人の割合は、2021年以降、逆転していますが、今回はそれが加速したばかりか、TikTokやYouTubeなど動画系のプラットフォームの勢いが増しているということです。

過去1週間にソーシャルネットワークをニュースのために使用した人の割合(2014~2023) ― 一部の国の平均
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 一方、前回のリポートで話題になった「ニュース回避」の傾向も続いていて、ウクライナでの戦争や物価高などの暗いニュースを避けることなどが浮き彫りになっています。今回は、ニュースそのものを避けるのか、特定のニュースを避けるのか、など具体的にどのようにしてニュースを避けるのかにも焦点をあてています。

頻繁にまたは時々ニュースを避けようとしている人の割合(2017~2023年) ― 全ての国と地域
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その他、今回のリポートでは
●メディア批判、●アルゴリズムの影響、●誤情報・偽情報、●ニュースについての議論への参加、●ポッドキャストの動向、●公共サービス放送のほか、毎年継続調査している「ニュースへの信頼」や「関心」などがカバーされています。

余談ですが、翻訳作業では、デジタル化の中で生まれた新しい用語の使い方にも頭を悩ませました。例えば原文で出てくるpublisherという言葉。従来の「出版」だけでなく、放送やオンライン、ゲームなど広くコンテンツを発信する主体を意味していますが、日本語に置き換えるにはどうしたらよいのか。また、ニュースを「見る・読む」だけでなく、「消費する」(consume) が多く用いられています。なるべく日本語で読みやすいように、文脈によって書き分けるなどしてみましたが、果たしてそれが正解だったのか。これからも必要に応じて改善を続けていきたいと思います。

Executive Summaryの日本語版は、こちら
本編のリポート(英語)は下記からご覧になれます。
https://reutersinstitute.politics.ox.ac.uk/digital-news-report/2023

また、日本の動向と分析は、去年と同様に夏以降、NHK放送文化研究所の「放送研究と調査」にシリーズで掲載する予定ですので、あわせてご覧いただけると幸いです。


ⅰ) 調査対象国は:地域ごとに原則としてアルファベット順に
(ヨーロッパ)イギリス,オーストリア,ベルギー、ブルガリア、クロアチア、チェコ、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、ギリシャ、ハンガリー、アイルランド、イタリア、オランダ、ノルウェー、ポーランド、ポルトガル、ルーマニア、スロバキア、スペイン、スウェーデン、スイス、トルコ(北米・中南米)アメリカ、アルゼンチン、 ブラジル、カナダ、チリ、コロンビア、メキシコ、ペルー (アジア太平洋)オーストラリア、香港、インド、インドネシア、日本、マレーシア、フィリピン、シンガポール、韓国  台湾、タイ (アフリカ大陸)ケニア、ナイジェリア、南アフリカ
調査対象は、合計93895人、調査は2023年1月下旬から2月上旬にかけて実施。

ⅱ) 調査のパートナー団体は、NHKのほか、
Google News Initiative、BBC News、イギリスOfcom、アイルランドBroadcasting Authority of Ireland (現Coimisiún na Meán)、オランダDutch Media Authority(CvdM)、フィンランドMedia Industry Research Foundation、ノルウェーFritt Ord Foundation、韓国言論振興財団(Press Foundation of Korea)、イギリスEdelman、ロイター通信のほか、学術支援団体のドイツLeibniz Institute for Media Research/Hans Bredow Institute、スペイン・ナバーラ大学(University of Navarra)、オーストラリア・キャンベラ大学(University of Canberra)、カナダCentre d’études sur les médias、デンマーク・ロスキレ大学(Roskilde University)

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【税所 玲子】
1994年入局、新潟局、国際部、ロンドン支局、国際放送局などを経て2020年7月から放送文化研究所。

ヨーロッパを中心にメディアやジャーナリズムの調査に従事。

おススメの1本 2023年06月05日 (月)

自然番組の源流となる「生態放送」 90年前の6月5日に日本初の生放送【研究員の視点】#486

世論調査部 (社会調査) 小林利行

6月5日が何の日か知っていますか?
あまり知られていないのですが、「ダーウィンが来た!」や「さわやか自然百景」などの自然番組の源流となる、野生動物の鳴き声をラジオで流す「生態放送」という番組が日本で初めて放送された日なのです。

90年前(1933年)の6月5日の早朝、今の長野市の戸隠山から、野鳥の鳴き声が全国に生放送で届けられました。
野生動物相手の生放送という難易度の高い取り組みに、開局2年目で人も機材も少なかった当時の日本放送協会の長野放送局が日本で初めて成功したのです。

naganokyoku_1_W_edited.png日本初の「生態放送」に成功した長野局の面々

この番組はリスナーからの評判もよく、その後各放送局が競うようにして同様の番組を放送しました。
(録音機が発達していなかったことから、1941年ごろまでは「生態放送」は全部生放送でした)
そしてそのノウハウはテレビの自然番組に受け継がれ、コアなファンを持つジャンルの1つとして今でも独特の存在感を示しています。
このブログでは、日本で初めての「生態放送」について簡単に紹介したいと思います。

○キーパーソン 猪川?
そもそもの発端は、長野局の猪川?初代局長のひらめきでした。
当時の職員の手記によりますと、局の慰安旅行で戸隠山に訪れた際に、野鳥が盛んに鳴くのを聞いて、これを番組にできないかと思い立ったそうです。
猪川局長は、日頃から長野の特色を生かした全国向けの番組制作を強く意識していて、いつも「何かないか」と探していたといいます。そのアンテナに引っかかったのが戸隠の野鳥の鳴き声だったというわけです。

さっそく猪川局長は、この計画を当時の日本放送協会の中山龍次理事に相談します。しかし中山理事は、▼放送中に鳥がうまく鳴いてくれるかということと、▼鳴いたとしてもそれをリスナーが興味を持って聞いてくれるかということを心配して、なかなか承認しなかったそうです。

○「生態放送」が承認されたひとつの偶然
ところが、ちょうどそのころ中山理事は、ある事実を知ることになります。
アメリカの放送局のNBCが、伊豆諸島にある大島の三原山の火山活動の様子をアメリカ全土に生放送したいと希望しているというのです。
このとっぴな話に中山理事も驚いて関係者に事情を聴いたところ、何年か前に、NBCがイタリアの火山の噴火の音をアメリカで生放送したら、本土に火山のないアメリカのリスナーに大好評だったらしいのです。
そしてその関係者は、「その土地に直接行かなければ聞けないようなものを、自分の家や街角で聞けるという番組が、アメリカではリスナーに特に好まれている」とも話しました。
これを聞いた中山理事は、猪川局長の提案を承認することに決めたそうです。

○さまざまな制約
アメリカの事例から、野鳥の鳴き声を届ける番組がリスナーに興味を持ってもらえそうだということはわかりましたが、長野局としては、中山理事のもう1つの心配の「放送中にうまく鳴いてくれるのか」をクリアしなければなりません。

そこで局の関係者は、地元の人に話を聞きながら、放送予定の早朝に戸隠山中で最も野鳥が鳴く場所を探し始めました。
そして最終的に、戸隠神社の近くの小さな森を中継現場としました。

ただし、さまざまな制約がありました。

まず場所ですが、当時の長野局が持っていた一番長い中継線が1キロメートルだったことから、電話線につなぐ拠点となる戸隠の郵便局を中心として半径1キロ以内という制限があったのです。
1キロというと広いように感じますが、鳥がよく鳴くうえに、そこまで放送機材を安全に運べてマイクなどもうまく設置できるような場所となると、探すのはなかなか難しかったようです。

それから、中継に使う郵便局の電話線についても、放送中に急病人が出るなどの緊急事態が発生して電話を使う必要が生じたら、直ちに放送をストップするという約束で借りていました。
病人などを優先するのは当然のことですが、うまく野鳥が鳴いてくれたとしても放送を中断する可能性もあったわけです。

○ガラス細工を積み上げるように
さて、場所も決まっていよいよ放送当日を迎えます。
当日はマイクを3つ用意しました。1つは基本的にアナウンサー用で、2つが野鳥用でした。
少しでも鳥の鳴き声を拾いやすいようにと、野鳥用のマイクは木につるしました。

mic_2_W_edited.png戸隠山の木につるされたマイク

このマイクも、おいそれと設置できたわけではありません。
当時のマイクはスタジオで使うことが前提だったので、早朝の山中の湿気が故障につながる可能性が高かったといいます。
その対策として、乾燥材を詰め込んだ箱にマイクをしまっておいて、中継直前に取り出すという方法で対応しました。

このように、1つ1つの作業に神経をとがらせながら、まるでガラス細工を積み上げていくように準備を進めたのです。

○現場の喜びを代弁した青と白のきれ
そして、午前5時40分から20分間の生放送が始まりました。
実際の放送の音源は残っていないのですが、実況を担当した岡部桂一アナウンサーが、その手記の中で現場の様子をドラマチックに再現しています。
「うぐいす、ホトトギス、かっこうがトリオとなって盛んに鳴きだしたときは本当に嬉しかった。ふと操作係の平井君と青木君を見ると、白と青のきれを盛に振るではないか。ホトトギスを感じたら白、かっこうを感じたら青いきれを振るように約束していたからである」

おそらく、青と白のきれを使って、鳴いた鳥の種類をアナウンサーに知らせるという体制だったのでしょう。
岡部アナウンサーも、うまく鳴いてくれるかどうか心配していたようですが、ふたを開けてみれば予想以上にうまくいったようです。
もちろん現場では、スタッフが歓声を上げるわけにはいきません。そのかわり、青と白のきれを力いっぱい振り上げて、その喜びを表していたのではないでしょうか。

○「生態放送」の “隠れテーマ”
実は、長野局をはじめとした各放送局の「生態放送」への挑戦には “隠れテーマ” がありました。
それは「地域から中央へ!」です。
当時のラジオ放送には、中央(大都市)の文化を地域に広げるという目的もあったといわれています。つまり「中央が送って地域が受け取る」という形です。そんな中で、地域から中央に打って出ることのできる貴重なコンテンツの1つが「生態放送」だったのです。
おそらく、地域局ならではのものを全国に届けたいという関係者の思いが、野生動物相手の生放送という冒険にも踏み切らせたのでしょう。

今回紹介した長野局の取り組みは成功しましたが、中には放送枠の30分間に鳥がまったく鳴かなかったという壮大な失敗談もあります。
それも含めて「放送研究と調査 2016年4月号」では、初期の「生態放送」について詳しく紹介しています。
興味のあるかたは、ぜひご覧ください。

おススメの1本 2023年06月02日 (金)

子ども向け造形番組の変遷~『NHK年鑑』からみた『できるかな』『つくってあそぼ』『ノージーのひらめき工房』~#485

計画管理部 久保なおみ

 NHKの幼稚園・保育所向け番組『できるかな』で「ノッポさん」として長く親しまれた俳優の高見のっぽさんが、昨年亡くなられました。相棒のキャラクター「ゴンタくん」との掛け合いも絶妙で、ひと言もしゃべらずにパントマイムでダイナミックな工作を造り出す姿が人気でした。
NHKではテレビ放送を開始して4年目の1956年から「幼稚園・保育所向け」の番組を制作しており、中でも子どもたちの表現意欲や創造力を高める“造形”がテーマの『できるかな』と『つくってあそぼ』は20年以上にわたって放送され、多くの子どもたちに親しまれました。私は『つくってあそぼ』『なかよくあそぼ』『うたってあそぼ』『かずとあそぼ』『お話でてこい』などの番組を担当していましたので、今回は幼稚園・保育所向けとして始まった造形番組が変遷していった背景を、みていきたいと思います。

 『できるかな』の前身である『なにしてあそぼう』は、1966年に“絵画制作番組”として新設されました。『NHK年鑑』1) には「幼稚園・保育所の時間」枠のひとつとして掲載されており、1970年『できるかな』に改定された際、以下のようにそのねらいが記されています。

 ―4年間継続した絵画制作関連番組『なにしてあそぼう』に終止符を打ち、新たに同じく絵画制作番組『できるかな』をスタートさせた。意図するところは前番組『なにしてあそぼう』が、あそびを通して創作意欲を育てることに主眼をおいたのに対し、制作過程そのものの興味に重点をおこうとしたものである。(『NHK年鑑』1971)

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 『できるかな』は最初、5人の男の子・女の子が「けんかしたり、失敗したりしているうちに、自然に絵画制作に必要なことをこどもの心の中にしみこませるように構成」(『NHK年鑑』1971)していました。しかしながら『なにしてあそぼう』に出演していたノッポさんの再登場を求める声が多かったため、翌年に出演者の改定を行います。

 ―番組のねらいは、こどもたちの絵画製作活動によい刺激になるよう構成。「ノッポさん」と呼ばれる工作のお兄さんと、こどもたちが共同製作で作り上げたロボットとも怪じゅうともつかない人形が、いろいろなものを作ったり、絵を描いたりする番組。(『NHK年鑑』1972)

 最初のゴンタくんは、箱の中にいて動かない“ロボットとも怪じゅうともつかない人形”で、おなじみの“動く”ゴンタくんがデビューしたのは1973年のことでした。パントマイムのノッポさんが作り役と遊び役を兼ねていて、子どもの代表ともいうべきゴンタくんが邪魔をしたり、失敗したりしながら絡んでくる名コンビで、1990年3月まで放送されました。

 『できるかな』が長く愛された要因を、当時ディレクターだった武井博さんは次のように分析しています。2)

  • ①「ハウ・ツー」の部分と、モティベーションの誘発部分とを両立させた
      作る過程も、作ったもので遊ぶ楽しさをも“ショー”として見せることに成功した
  • ②アイディアの変わらぬ新鮮さ
      造形教育研究科・枝常弘さんが現場のニーズに耳を傾けつつ、新鮮なアイディアを出し続けた
  • ③高見映さんという優れたエンターテナーを得た
      ノッポさんとゴンタくんの間に“愛情”があり、キャラクターがその“世界”の中で“生きて”いる
  • ④工作用具の進歩
      セロハンテープやフェルトペンの登場で、省略やテンポアップが可能となった
  • ⑤簡単に動かせる軽い素材を選んだ
      段ボールとプラスチック容器で、大きな切り出しが可能となり、作るのも遊ぶのも容易になった


gontatonoppo_2_W_edited.png『できるかな』 ゴンタくんとノッポさん

 武井さんと一緒に『できるかな』や『つくってあそぼ』を制作していた田村洋さんは、テレビ創成期のディレクターで、入局したばかりの私に番組づくりのいろはを教えてくださいました。私は田村さんの退職記念パーティーで初めて高見のっぽさんにお会いして、とても軽快に話されるお姿に驚いたことを覚えています。田村さんは「のっぽさんは動きがダイナミックで繊細でとてもすばらしいんだけれども、おしゃべりだから、逆に何も話さないでパントマイムにした方が面白いと思ったんだ」と、いたずらっぽく笑っていらっしゃいました。

 1990年、「幼稚園教育要領」と「保育所保育指針」の改訂に伴い、幼稚園・保育所向けの番組は大規模な改編を行いました。新しい指針では「幼児の発達に必要な体験を得るよう適切な教育環境」を創り出すことの重要性が指摘され、幼児教育の領域も6領域から5領域に変更されました。そこで、それまで領域ごとに別々に制作していた幼稚園・保育所向けの番組を『ともだちいっぱい』というシリーズに統合し、共通の舞台で、トータルに以下の5領域を演出することにしたのです。

  • ①表現~造形『つくってあそぼ』
  • ②人間関係 『なかよくあそぼ』
  • ③環境~自然『しぜんとあそぼ』
  • ④表現・音楽『うたってあそぼ』
  • ⑤ことば・数量の認識『かずとあそぼ』(1991年に新設)


 各領域の番組が『ともだちいっぱい』シリーズへと移行される中で、『できるかな』も『つくってあそぼ』へと改定されました。この改定の背景のひとつに、大量消費からリサイクルへと向かった社会的な事情もあると、田村さんに教わりました。1980年代後半は、清掃工場で焼却しきれなくなったごみが大きな問題となり、市民活動が盛んになり始めた時期でした。3)

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 そのため『つくってあそぼ』のねらいでは「身近にある素材を利用」することが強調され、実際の工作もリサイクル素材を多用するようになりました。当時はNHKの制作グループ内でも牛乳パックやトイレットペーパーの芯などを集めており、リハーサルや収録で使用していました。

 ―子どもたちの表現意欲や創造力を高める造形番組。牛乳パックやダンボール,紙コップなど, 子どもたちの身近にある素材を利用して, その素材の意外な特徴や性質を発見しながら造形活動をする。そして, 物を作る喜びや表現する楽しさを味わう。特に, 工作上手のお兄さんのワクワクさんと, 熊の人形のゴロリが, 「何ができるんだろう」「何だろう」と考えさせながら工作に挑戦する「間」を大切にする。テーマは, 「季節の風物」や「行事」「遊び」など, 子どもたちの生活の中に見つける。(『NHK年鑑』1991)

gororitowakuwaku_4_W_edited.png『つくってあそぼ』 ゴロリとワクワクさん

 『つくってあそぼ』も全国で「つくってあそぼショー」を展開するなど広く親しまれ、2013年3月まで、23年間放送されました。『できるかな』と同様、ワクワクさんとゴロリの間に“愛情”があり、キャラクターとして生き生きと存在する“世界”が確立していたからこそ、長く続いたのだと思います。

 しかしながら1990年の「幼稚園教育要領」「保育所保育指針」で幼児の直接体験の重要性が強調されたことや、2004年に日本小児科医会と日本小児科学会が「2歳までの子どものテレビ・ビデオ長時間視聴を控えること」を基調とした提言を出したことなどによって、幼稚園・保育所でのテレビ利用は漸減傾向が続きました。4)  番組の内容も、次第に家庭視聴向けとの境がなくなってきたことから、2011年には「幼稚園・保育所向け」という放送枠がなくなり、「幼児・子どもゾーン」に統合されました。

 そして2013年4月に『ノージーのひらめき工房』が始まりました。そのねらいは、以下のように記されています。

 ―4,5歳児から小学校低学年の子どもたちに向けた新しい工作番組。『つくってあそぼ』の後継番組として4月にスタートした。ひらめきの天才「ノージー」と仲間の妖精たちが遊びの国で工作に詳しいクラフトおじさんのアドバイスを受けながら, それぞれ独自の作品を作っていく。マニュアルに沿っていかに上手に作るかではなく, 自分自身の発想やひらめきを大切にしながら, 個性豊かな自分なりの工作を生み出すプロセスを大切にした番組。(『NHK年鑑』2014

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 開発を担当した大谷聡プロデューサー(当時)は、「『つくってあそぼ』が料理番組のように完成品を見せてその作り方を教える番組なら、次は素材や材料を好きに選んで自分だけの作品を作る“正解”のない番組」にしたいと考えたそうです。
「幼稚園教育要領」における「表現」領域でも、それまで「表現する意欲を養い、創造性を豊かにする」とされていたねらいが、1998年に「自分なりに表現することを通して、豊かな感性や表現する力を養い」と改訂されたように、他の多くの子ども番組も、個性の尊重や自己表現を認める方向に向かっていきました。

sinapotonosy_6_W_edited.png『ノージーのひらめき工房』 シナプーとノージー

 結果ではなく発想のプロセスを大事にして、作品の出来不出来、失敗という概念がない『ノージーのひらめき工房』の方針は、自己肯定感につながると、保育の現場からも好評を得ました。

 このように「幼稚園教育要領」や時代背景に合わせて、NHKの子ども向け造形番組は変遷してきました。
けれども、子どもたちに作ることの楽しさを伝えたいという根底は、変わりません。
『できるかな』と『つくってあそぼ』では、子どもたちが「自分でも作れそう、作りたい!」と思えるよう、子どもが作ったかのような純粋さで、大人の造形スタッフが絵や工作を製作していました。「ほんとうの子どものような絵を描ける人は、そう多くはない。子どもの絵が描けるスタッフを、大切にね」と、田村さんは教えてくださいました。
『できるかな』と『つくってあそぼ』の造形アイディアを担当されていたヒダオサムさんは、「どんなものにも形だけでなく、いのちをみつけるこころが育ってほしい」とおっしゃっていました。ちぎっただけの紙でも、そこに目や手足を描くと、今にも動きだしそうに感じます。ヒダさんは、ものにいのちを吹き込んで遊ぶ体験が、人への思いやりや、ものを大切にする心、いのちを慈しむ心へとつながっていくと考え、常にそのことを念頭に置いてアイディアを出してくださっていました。

 ノッポさんは、子どもたちに敬意をこめて「小さい人」と呼んでいらしたそうです。番組を制作する私たちも「小さい人」に敬意をこめて、その可能性を広げるお手伝いをしていきたいと思っています。


1)『NHK年鑑』は、NHKを中心に放送界の1年間の動きを記録したもの。1931年創刊。 NHKで放送している膨大な番組の解説を放送系統別に掲載している。NHK年鑑2022-NHK

2)「放送教育50年」第1章 番組制作の展開(1)幼稚園・保育所向け番組
 A造形番組「できるかな」武井博(日本放送教育協会)1986年

3)「ごみとリサイクル」寄本勝美(岩波新書)1990年

4) 幼稚園・保育所におけるメディア利用の現況と今後の展望 | 調査・研究結果 - 番組研究 | NHK放送文化研究所

 

 

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【久保なおみ】
子ども番組が作りたくて、NHKに入局。
企画・制作した番組:『いないいないばあっ!』『にほんごであそぼ』
担当した主な番組:『つくってあそぼ』『なかよくあそぼ』『お話でてこい』『こどもにんぎょう劇場』『おかあさんといっしょ』
2022年夏から現所属。
月刊誌『放送研究と調査』や、文研フォーラム、ウェブサイトなどを担当。文研の調査・研究の成果を発信している。
好きな言葉は「みんなちがって みんないい」「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」

☆こちらの記事もぜひお読みください
『いないいないばあっ!』が生まれるまで ~ワンワン誕生秘話~ | NHK文研
『にほんごであそぼ』コンサートのはじまり ~坂本龍一さんと作った福島コンサート~ #471 | NHK文研

おススメの1本 2023年05月01日 (月)

英ハリー王子VSメディア【研究員の視点】#476

メディア研究部(海外メディア研究)税所玲子

2022月9月に即位したイギリスのチャールズ国王の戴冠式が5月6日に行われます 。
イギリス王室の歴史と伝統を象徴する儀式のみどころなどについて、地元のメディアが連日、報じていますが、中でも注目を浴びたのは、王室を離脱しアメリカに渡った国王の次男、ハリー王子が出席するかどうかでした。

newspaper_1_W_edited.jpg ハリー王子の戴冠式出席を伝える新聞

結局、ハリー王子は夫人をアメリカに残し、戴冠式に1人で出席することになりましたが、黒人の母親を持つメーガン夫人が差別的な扱いを受けたなどと批判を繰り返してきた夫妻と、王室の冷え切った関係を象徴する一幕となりました。

spare_2_W_edited.jpg ハリー王子が出版した『スペア』

王子と家族の関係を決定的に壊したのは、2023年1月 にハリー王子が出した自伝『スペア(Spare)』1) です。発売されるやいなやミリオンセラーになったこの本で、ハリー王子は、メーガン妃をめぐって言い争いになった兄のウィリアム王子から暴力を振るわれたとか、父の再婚相手のカミラ王妃が自らのイメージアップをはかるためにハリー王子の情報をメディアに流したなど“王室の内幕”を赤裸々に語ります2) 。19世紀のイギリスのジャーナリスト、ウォルター・バジョットは「魔法に日の光をあててはいけない」と、王室は謎めいた部分を守ってこそ人々を魅了できると語りましたが、ハリー王子の“告白”は、その秘密のベールをはいでみせたかのような衝撃を与えました。

イギリスのメディアは、『スペア』の内容を“二人の王子の骨肉の争い”と描きますが、実はもう一つのテーマが貫かれています。それは、メディアに対するハリー王子の「戦い」です。

『スペア』の第1章の回想は、母親のダイアナ元皇太子妃をパリの交通事故で失った夏から始まります。当時、ハリー王子はまだ12歳。それでも王室の一員として感情を押し殺し、母の死に向きあわざるを得なかったことへの悲しみとともに、その様子を追いかけたメディアへの怒りが、本にはあふれでているのです。

例えば、避暑先のスコットランドで悲報に接したあと、初めての週末に教会に出かけた時のこと。城の門の前で、シャッターの音を絶え間なく浴び、思わず父の手を握った瞬間、カメラの音は 「爆発」。「感情、ドラマ、痛み」というメディアが望む格好の材料を与えてしまった幼い王子を、メディアはひたすら「撃って、撃って、撃ち続けた」と表現しています3)

ハリー王子は、母の交通事故死の主な原因は、運転手の飲酒だとした調査結果を受け入れず、彼女を追跡し続けたパパラッチにも責任の一端があると主張します。『スペア』には、母の死後も、言動を改めず、ハリー王子や交際相手の女性たちを追い続けたメディアへの批判があらゆる場面で展開されています。そして、ハリー王子は、王室からの離脱は、「母と同じ悲劇が妻の身に起きることを危惧した」ためだとし、本の刊行を前に英商業放送ITVのインタビューで、「自らのライフワークは、メディアのあり方を変革することだ」と宣言しました 4)

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harry_4_W_edited.jpgハリー王子の裁判所への出廷を伝えるニュース(BBCのホームページより)

そして、2022年の10月。
ハリー王子は、タブロイド紙を相手どって複数の訴訟を起こします。相手は、Daily Mail とMail on Sundayを発行するAssociated Newspaper(AN社)と”メディア王”と呼ばれるルパート・マードック氏が所有し、Sunを発行するNews Group Newspaper(NGN)です。3月に行われたAN社に対する審理について伝えた現地のメディアによると、弁護人は同社が、1993年から2011年にかけて、携帯電話の留守番メッセージにアクセスしたり、有線の電話を盗聴するなどして、王子をはじめ歌手などの有名人についての情報を得ていたと主張しています5)

イギリスでは、2011年、マードック氏が所有していたタブロイド紙News of  the World(NoW)6) が私立探偵を雇うなどして、政治家や俳優、王室ばかりか、犯罪被害者の携帯などを盗聴していた事件が発覚しました。これを受けて、元判事リバソン氏によるメディアの不正行為を調査する委員会が設けられましたが、当初は2回にわたってまとめられる予定だった調査は1回で終わり、メディア改革は道半ばと受け止められています。

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News of  the World紙の廃刊を伝える記事 (タイムズ紙のホームページより)

訴えについてAN社は、王子の主張は「ばかげた誹謗中傷だ」と否定し、NGNもSunの関わりはないとしています。また、両社とも訴えは法廷に持ち込むには古すぎるとしています。

 

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チャールズ国王とハリー王子(BBCホームページより)

では、ハリー王子が目指すという「メディアの改革」のゆくえはどうなるのでしょうか。

メディアのあり方を大きく変えるには訴訟だけでなく、世論の後押しが必要です。
たしかにNoW社の盗聴事件が発覚した2011年に比べると、プライバシーの保護を求める声は高まっており、例えば、2023年1月、40代の女性が行方不明になり、6週間後に遺体が見つかった事件の際には、女性のメンタルヘルスの情報などを詳しく報道したメディアに、批判の声があがりました。メディアに向けられる市民の視線は厳しくなっています。

一方で、父であるチャールズ国王や妻のカミラ王妃、兄のウィリアム王子のプライバシーを、いわば売り物にしているハリー王子に、プライバシーを語る資格はないという冷ややかな声も少なからず聞かれます。結婚前には80%を超えていたハリー王子への支持も、『スペア』発売後 は24%に落ち込み、本の出版も「金目当てだ」と考える人が41%となっています7)

ハリー王子が、タブロイドの不正な情報の入手について訴えた裁判の審理は、夏にかけて続く見通しです。戴冠式を終えたチャールズ国王にとっては、家族の絆の修復とともに、頭の痛い問題となりそうです。


1)「スペアパーツ」などで使われる「予備」を意味し、ハリー王子は王室内で“Heir and Spare” (跡継ぎとその予備)という呼ばれ方をしたとしている。

2)『スペア』はNew York Times、Los Angeles Times などで記者経験がある作家のモーリンガー氏がゴーストライターを務めたと言われている。ビューリッツアー賞受賞した作家らしく、短く切れのある文章で王子の目から見た半生を綴っているが、王子の「主観」に偏り、その他の関係者への確認に欠け、事実関係の間違いがあるという指摘も出ている。

3)Prince Harry, “Spare”(2023) p20

4)ITV interview, 2023年1月8日
https://www.itv.com/news/2023-01-08/harrys-first-interview-about-controversial-memoir-airs-on-itv

5)“Prince Harry in court for privacy case against Associated Newspapers” Times of London, March 28 2023

6)News of the Worldは盗聴事件後、廃刊に追い込まれている。

7)2023年1月12日 YouGov調査
https://yougov.co.uk/topics/politics/articles-reports/2023/01/12/prince-harrys-popularity-falls-further-spare-hits-

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【税所 玲子】
1994年入局、新潟局、国際部、ロンドン支局、国際放送局などを経て2020年7月から放送文化研究所。

ヨーロッパを中心にメディアやジャーナリズムの調査に従事。

おススメの1本 2023年04月28日 (金)

アナウンサーが探るジェンダーギャップ解消のヒント【研究員の視点】#475

メディア研究部 (メディア動向) 熊谷百合子

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 新年度が始まり、街なかでは新しいリクルートスーツに身を包んだ新社会人の姿を見かける機会も増えました。NHKでは新人研修を受けてから地方局などへ赴任することになります。私が新人ディレクターとして初任地の福岡放送局に赴任したのは17年前の春ですが、新米の私をゼロから育ててくれた先輩たちには今も頭が上がりません。先輩たちがしてくれたことと同じように私自身は若い世代に貢献できているのか。そして先輩たちに恩返しできているのか。自問自答するとかなりあやしいのですが、研究員の立場から放送文化の向上に貢献していきたいという思いを強くし、新たな春を迎えています。
 今回のブログでは、放送現場の中から考えるジェンダーギャップについて取り上げます。ジェンダーギャップとは男女の違いで生じる、社会的・文化的な格差のことです。Z世代を中心に関心が高まっているものの、シニア世代にはまだ浸透していない“新しい社会問題”と捉えることもできるかもしれません。2006年入局の私自身も正直なところジェンダーへの問題意識が高い方ではありませんでした。しかし2020年に出産を経て仕事に戻ってからは職場や社会に根強く残るジェンダー規範に違和感を覚えることが多くなり、ジェンダーギャップについて自然と関心が向くようになりました。文研の研究員となり1年がたちましたが、現在はメディア内のジェンダー問題やダイバーシティをテーマに調査研究をしています。

online_1_W_edited.jpgオンライン勉強会のようす

 その中で関心をもったのが、2月27日、東京・渋谷のNHK放送センターでアナウンス室が開催した勉強会です。「コメント コンテンツ 職場が変わる!ジェンダーギャップ解消のヒント」と題して開かれたこの勉強会は、日常業務で感じた問題意識を共有してジェンダーについて考えようと、若手・中堅アナウンサーが主催しました。NHKの全国のアナウンサーが対象ですが、ディレクターや記者など、他の職種も含めて約40名が参加しました。なぜアナウンサーがこうした勉強会を開いたのでしょうか?

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 「放送局の顔」としてのアナウンサーの仕事は一見華やかですが、画面に映らないところでは華やかさとはかけ離れた業務があふれています。たとえばニュース報道では、正確でわかりやすく伝えるために放送直前まで原稿の下読みが欠かせません。わかりづらい表現や時制の誤りがあれば直ちに制作者に確認し、正確な情報を求めます。また番組のキャスターや司会として、試写や打ち合わせで制作者と議論を重ねることも放送局では日常的な風景です。私はディレクターの立場で報道番組やニュースの制作に関わってきましたが、自分が担当したリポートやニュース原稿の事実関係や表現の誤りを、原稿を読むアナウンサーの指摘を受けて修正することが幾度もありました。試写では初見のキャスターに客観的な指摘をもらい軌道修正することなど日常茶飯事。振り返ってみるとアナウンサーの先輩がたに数えきれないほど支えてもらっていたことに気づかされます。
 ニュースやナレーションの読み手として、はたまたキャスターや司会として広く社会に発信する立場から放送コンテンツの“最終チェッカー”としての役割も求められるアナウンサー。価値観が多様化し、多様なニーズに応える番組が放送されるなか、最終表現者であるアナウンサーのジェンダー意識が放送での言動に出てしまうことで、視聴者を傷つけたり、無意識の偏見を社会に拡散してしまったりすることも懸念されます。アナウンサー自身が無自覚な偏見に気づき、放送でのふるまいを見直していくためには、日常のふるまいの延長線上に放送があると意識して、ふだんのコミュニケーションから見つめ直す必要があるのではないか。今回の勉強会ではこうした問題意識から、職場で実際に聞かれた気になる発言や、“らしさ”の押しつけ、思い込みについてスライドを用いながら意見が交わされました。
 たとえば“女性らしさ”を求められることについて、ジェンダーのイメージを押しつけるアドバイスに違和感を覚えるという声や、スタジオ番組の演出に対して「画面上、男性だけだと華がないから女性も・・・」といった発言もみられ、男女どちらにも失礼だという意見が紹介されました。また見た目や容姿で判断する「ルッキズム」についても、見た目について“助言”を受けることや、容姿の変化についての職場内でのネガティブなつぶやきにモヤモヤするという具体例が共有されました。こうしたルッキズムに基づく発言をする人に対しては「ふだんの相談もしづらくなる」、「結果的に業務にも悪影響になるし、そもそも容姿について言うのがよろしくない」といった意見が交わされました。

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 この勉強会はNHKの局内向けに開かれたものですが、ゲストにはこの春まで毎日新聞の労働組合の委員長を務めた川崎桂吾記者が招かれていました。川崎記者は東京オリンピック・パラリンピックの取材班キャップとして、当時の組織委員会の会長だった森喜朗氏の女性蔑視ととれるいわゆる“森発言”の取材をきっかけにジェンダーに関心をもつようになりました。森氏と同じ石川県出身、母校も同じだという川崎記者は入社以来、社会部の第一線で取材にあたってきました。“森発言”の取材に関わるまではジェンダーはさほど関心のあるテーマではなかったと言います。

(川崎記者)
「ジェンダーに背を向けていた方の人間、もしかしたら(ジェンダーをテーマにした取材の提案を女性記者から受けるときに)過剰な説明を求める側の人間だったかもしれないと正直思います。社会部の警視庁クラブというところに長くいて、男社会でずっと生きてきたものだから、全く興味がなかったというのが正直なところです。森発言をきっかけに(森発言の反対デモに参加する女性たちに)取材をして、そこでちょっと顧みたことがありました。話を聞いているうちに、僕はわきまえることを求めていた側の人間だったのかなぁとその取材を通じて思いまして、日々、マイクロアグレッション(先入観や無意識の偏見から相手を傷つけること)というか、“らしさ”を押しつけることや、もしかするとルッキズムみたいなことも言っていたし、日々、いろんなことを言ってきた側の人間が自分だったのだと気づいたんです」

 その後、組合の委員長として出向することになった川崎記者は、身近なところから見直そうと社内のジェンダーギャップに目を向けるようになりました。男性記者に対しては“男らしさ”の押しつけで長時間労働を強いられる一方で、子育て中の女性記者が現場を外されてマミートラックと呼ばれる閉ざされたキャリアコースに本人が移行させられるケースがあり、“らしさ”の押しつけによるマイナス面が目立ってきていると感じた川崎記者。まず行ったのが2022年2月に実施したジェンダーギャップに関する社内の意識調査でした。このアンケートの結果は翌月、3月8日の国際女性デーに合わせて開催したオンラインの公開シンポジウム(毎日新聞労働組合主催)でも紹介され、ジェンダー問題に詳しいジャーナリストの治部れんげさんやコラムニストの武田砂鉄さんをパネリストに招き、社員の意見を交えながら多角的な議論が繰り広げられました。私はこの公開シンポジウムをオンラインで視聴していましたが、ジェンダーギャップについてオープンな場で議論ができる毎日新聞の取り組みに大きな刺激を受けるとともに、社内の意識を、データをもとに可視化することの意味について考えさせられました。
 勉強会ではこの労組によるアンケートの一部も紹介されました。アンケートは組合員約1400人を対象とし、男性299人、女性181人、性別について無回答とした18人の合計498人から回答を得たものです。

annke-to_3.jpg毎日新聞労働組合によるアンケート①

 「あなたは毎日新聞で働いていてジェンダー間の公平性が保たれていると思いますか?」という問いに対し、「それほど思わない」+「全く思わない」と回答した人は、男性は46.2%に対し、女性は63%という回答結果でした。

(川崎記者)
「実際に社内にジェンダーギャップが存在していて、それを可視化したいと思ってこのアンケートをやりました。やっぱり男性のほうが、うちの会社は平等だと思う声があって、でも女性には全然違う風景が広がっているということが可視化されたのかなと思います。男性からは見えていないいろんな問題だとか、日々の小さな違和感やモヤモヤが女性には積み重なっているというのが言えるのかなと、この数字から思いました」

annke-to_4.jpg毎日新聞労働組合によるアンケート②

 また、「社内のジェンダーギャップは人生にどう影響?」という問いに対しては、男性は「影響はない」と回答した人が60.5%と最も多くなった一方で、女性は「将来を見通せず不安感や焦燥感がある」の回答者が53.6%となり対照的な結果となっています。また「会社を辞めたいと感じる」と回答したのは男性で10%、女性は28・7%にのぼりました。

(川崎記者)
「ジェンダーギャップは人生に影響があるかどうかというところで顕著な差が出ました。ひと言で言えば、毎日新聞社という会社が、男性でしかも専業主婦がいる家庭というものを前提にしたかたちでいろんな仕組みが設計されている結果なのかなと思います。男性は何もしなくても生きやすいということ。逆に女性は非常に生きづらさを抱えているというのがこのアンケートから読み取れます。会社を辞めたいと感じる項目で、約3割の女性がそう感じているというのはすごくショックでした。30代に限って数字をとると、これが4割に跳ね上がります。結婚して、子どもが生まれてという年代が多い30代は会社で生きづらさを感じているということがわかったと思います」

 これらのアンケート結果をもとに、毎日新聞の労働組合は経営層に女性が働きやすくするためのロードマップの策定などを働きかけてきました。ジェンダーに関する問題を社内の優先課題として浮かび上がらせることができたと、川崎記者は手応えを感じています。こうしたデータをとることが職場の意識変化につながる可能性があることに、勉強会に参加したNHKの職員も高い関心を示していました。

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 今回の勉強会では興味深い場面がありました。それは男性としてジェンダーについて語ることに、大きな葛藤があるという胸の内が垣間見えた対話です。Eテレの福祉番組「ハートネットTV」のキャスターをこの春まで務めてきた中野淳アナウンサーと川崎記者のやりとりを一部ご紹介します。

(川崎記者)
「(ジェンダーをテーマに社内でアクションを起こすことに)葛藤みたいなものはありました。ひと言で言うと恥ずかしかったですね。ジェンダーということを言葉にしたり、問題視したり、それをアクションに起こすというのは恥ずかしかったです。」

(中野アナウンサー)
「僕もです。男子高出身だし体育会にいましたし、ホモソーシャルなところにいて、会社に入っても競争意識を刷り込まれていて。家事分担で僕がやらないことにパートナーがショックを受けて口論を繰り返してきて、あとは取材先に、『こういうときに男性が声をあげてくれないと困るんです、女性が言っても聞き入れてもらえないんです』と直接言われて。言われたときはつらかったですが、そういう経験を経て今に至ります。でも優等生ぶっている自分がいるのかな、みたいな居心地の悪さもあって」

(川崎記者)
「わかります!なんか人気とりたいだけだろうとか、やっかみが聞こえてくるんですよね。あとは、それを言ってくるのはおじさん世代なんですけど、おじさんたちは多分、僕のやっていることが、自分たちが履いているガラスの下駄みたいなものを脱がすことだという危機感があるから、それもあってやゆしたり攻撃したりしてくるんですけど、そういうのはちょっと葛藤としてありましたね」

 男性としてジェンダーを語ることにはためらいがあることに互いに共感しながら語り合っていたこの対話は、私がこの勉強会で最も印象に残る場面となりました。私自身もジェンダーに関心を寄せる1人として、職場の中ではジェンダーについて語る男性が圧倒的に少数派であることがずっと引っかかっていました。たとえば育児と仕事の両立ひとつをとっても、翻弄されるのは女性だけではないはずです。しかし共働きで育児中の男性がその大変さを表立って話すことは日常の光景とはなっていません。それは毎日新聞のアンケートの結果が示すように、単に男性がジェンダーギャップの影響を受けていないと感じるケースが多いからなのかもしれません。しかし両立の悩みや長時間労働を強いられることへの違和感をもつ男性が、職場のジェンダー規範やアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)にさらされて声を出せずにいるのだとしたら、本人たちにとっても苦しいことではないでしょうか。川崎記者と中野アナウンサーの対話からは、男性としてジェンダーを語ることが、同じ男性、特に年配の男性から後ろ指を指されることにつながりかねないという残念な現実を突きつけられた気がしました。
 危惧するのは、ジェンダーを語ることが男女間や世代間の対立に陥ってしまうことの危うさです。ジェンダーギャップを解消することが女性だけでなく男性にとっても生きやすい社会につながることに、若い世代の男性たちは気づき始めています。一方で、長時間労働で社会を支えてきた男性たちはそれまでの働き方や価値観をも否定しかねないパラダイムシフトともとれる議論におよび腰であったり、疎外感を抱いたりしているようにも思います。今回の勉強会の案内は管理職にも広く周知されましたが、参加者はごく少数に限られました。
 管理職として参加した男性のベテランアナウンサーに感想を求めると、「自分のいたらなさを感じたのと同時に、生まれ変わらなければならないと感じました。ただ、具体的にどうすればいいのかわからないというのが本音です。個別の現場や日常、そして個人の感じ方は違うので…」と率直な意見を寄せてくれました。

 勉強会の2人の対話をもう少しだけ紹介しましょう。

(川崎記者)
「シンポジウムのアンケートに先立って、ジェンダーギャップについて考える社員の集まりがあって、そこに参加させてもらったら、女性が中心なんですけど、男性の社員も何人かいたときにそれで楽になったところがあるかもしれないです。自分1人じゃないんだと。恥ずかしさなりなんなりというのはそこでひとつ乗り越えられたかなと思いますね」

(中野アナウンサー)
「こういう話をすると特に男性側が責められている気持ちというか、つらい気持ちになるんだけど、それを抱え込んじゃうとけっこうしんどくて、そこも勇気がいるんだけど、葛藤しているんだよねと言うこと自体を言葉にしたりシェアしたりするといいのかもしれないです。だから僕は川崎さんに出会って、仲間が増えたと思ったし、そういうモヤモヤも言語化して、どう向き合えばいいんだろうという感じにもっていけるといいですよね」

(川崎記者)
「こういう場でモヤモヤをはきだし合うことがもしかしたら重要なのかもしれないですね」

 今回の勉強会を主催した中野淳アナウンサーは「問題に気づいた側の“モヤモヤ”も共有して対話につなげていくことが“変わる”ためには必要だと感じます。そのためにもこのテーマに不安や葛藤を抱える人たちの心理的なハードルも下げる工夫をしながら、オープンに学び合っていく場を作っていきたいです」と語っていました。

 勉強会が始まる直前、私はゲストとして招かれた川崎記者とアナウンス室の会場に向かっていました。しかしアナウンス室のフロアにはめったに行く機会がないために、勉強会の会場がどこなのか見当がつきませんでした。どうしたものかと困っているところにばったり遭遇したのが新人時代にお世話になったベテランアナウンサーでした。(先ほどの率直な感想を寄せてくれた人物です。)「どうしたの?」と声をかけてもらえたおかげで、「それが実は…」と説明すると、すぐに機転を利かせて案内してくれた先輩アナ。おかげで迷うことなく勉強会の会場にたどり着くことができました。新人のころから迷惑ばかりをかけていましたが、初任地を離れて15年近くたった今でもこの先輩には頭が上がりません。(先輩、ありがとうございました。)私は、まずはこの先輩と、ジェンダーについて語り合うところから始めてみたいと思います。

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【熊谷 百合子】
2006年NHKに入局。福岡局、報道局、札幌局、首都圏局を経て2021年11月から放送文化研究所。
メディア内部のダイバーシティやジェンダーをテーマに調査研究中。

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おススメの1本 2023年04月10日 (月)

『にほんごであそぼ』コンサートのはじまり ~坂本龍一さんと作った福島コンサート~ #471

計画 久保なおみ

『にほんごであそぼ』は、Eテレで放送中の子ども向け言語バラエティー番組です。2003年に放送を開始して、今年で21年目になりました。 『にほんごであそぼ』では放送開始から10年目を迎えた2012年に初めて公開収録を行い、それ以来毎年、全国各地でコンサートを開催しています。 このコンサートを始めるきっかけとなったのが、先日亡くなられた坂本龍一さんにご出演いただいた特番でした。私は番組の立ち上げから19年間、 制作を担当していましたので、坂本龍一さんに感謝を込めて、この最初のコンサートについてご紹介します。

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『にほんごであそぼ』は、日本語の豊かな表現に慣れ親しむことによって、子どもたちの心に日本語の宝石の原石を埋めたいと願って始めた番組でした。日本に古くから伝わる名文・名句を多く取り上げ、テレビ番組として初めてグッドデザイン大賞を受賞するなど、話題になったりもしたので、大人にも広くご覧いただいています。放送が始まった頃、坂本龍一さんが『にほんごであそぼ』のファンと言ってくださっているという話を、レコード会社の方から伺ったことがありました。 そこで10年目の特番を作るにあたって、ダメもとでご出演を依頼したところ、12月末の2日間だけなら日本での時間がとれるというお返事をいただきました。当初はスタジオでの収録を考えていましたが、『にほんごであそぼ』立ち上げ時のプロデューサーで当時はNHKエデュケーショナルの取締役だった中村哲志さんから「せっかく坂本さんに出ていただけるのならば、コンサートぐらい大きなことをやらなくちゃ!」とアドバイスされ、無謀にもコンサートを提案することにしました。それまで『にほんごであそぼ』は、NHKの玄関ホールでの小規模なコンサートは行ったことがありましたが、公開収録は経験がなく、全くゼロからのスタートでした。

まずは会場の確保です。現在の『にほんごであそぼ』コンサートは自治体との共催で、事業部が候補として取りまとめた自治体と調整を行うのですが、最初のコンサートは、自分で会場を探さなければなりませんでした。『にほんごであそぼ』10年目に、その場所でやる意味。真っ先に思いついたのが東日本大震災の“復興支援”でした。『にほんご』の力で、子どもたちに元気を届けたい。坂本さんもいち早く被災地に思いを寄せていらっしゃいましたし、『にほんごであそぼ』の関係者にも福島から通っている人がいたので、出演者・スタッフ一同、福島のことが常に念頭にありました。そこで事業部に相談し、福島県内でコンサートが可能な会場を紹介してもらいました。

次はスタッフ集めです。脚本はコンサートのプロに書いていただきたいと思い、憧れていた井出隆夫さんにお願いに行きました。井出さんは『おかあさんといっしょ』の数々の名曲を作詩され、人形劇『にこにこぷん』や、コンサートの脚本も手がけていらっしゃいました。私は『おかあさんといっしょ』の担当になったとき、倉庫に保管されていた『にこにこぷん』の脚本を初回から最終回まで読みあさったほど、井出さんの大ファンでした。井出さんは突然の依頼に目を丸くしていらっしゃいましたが、素人の無謀な挑戦を応援してやろうと思われたのか、快く引き受けてくださった上に、舞台監督まで紹介してくださいました。
コンサート会場のPA(音響)や、照明、制作進行も、昔『おかあさんといっしょ』コンサートを担当していたスタッフを中心に、信頼できる仲間を集めました。やや平均年齢が高めな現場で、抜群の安心感がありました。

出演にあたって坂本龍一さんが希望されたのは、次の2点でした。
① おにぎりでも何でもいいから、番組に出ているようなかぶり物をしたい。
② 番組のレギュラー出演者である、 野村萬斎さんとコラボレーションしたい。
『にほんごであそぼ』の衣装・セットデザインを担当しているひびのこづえさんのデザインは、 とても 自由で楽しいので、坂本さんはぜひ、自分も面白いかぶり物をしたいと希望されたのでした。 ひびのさんは、舞台上で大きな面積を占める黒いピアノに負けないぐらい大きなものを着せたいと考え、 福島の郷土玩具“赤べこ”をモチーフにしたかぶり物をデザインしてくれました。
坂本さんはとてもご満悦で、満面の笑みでかぶってくださいました。

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野村萬斎さんとのコラボレーションの題材は、お正月の放送にふさわしい「もちづくし」を考えました。 古典狂言の「業平餅(なりひらもち)」と、萬斎さんが舞台で演じた井上ひさし原作の「藪原検校(やぶはらけんぎょう)」の早物語、 そして『にほんごであそぼ』でたびたび取り扱っていた侭田亀治郎の「糯尽(もちづくし)」。この3作品を組み合わせて構成しました。
また、坂本さんのピアノと萬斎さんの狂言をつなぐ役割として、尺八奏者の藤原道山さんに出演を依頼しました。道山さんは、 坂本さんとも萬斎さんとも共演の経験があり、邦楽と洋楽を自在につなぐ希有な存在として活躍していらっしゃる方です。

「藪原検校」の著作権申請などを行い、材料だけをそろえて演出は白紙のまま、コンサート会場の福島県文化センターに向かいました。コンサート前日、会場で対面した坂本さんと萬斎さんは、すぐにいろいろなアイデアを出しあいながら「もちづくし」の方向性を決めていきました。少し煮詰まったときには道山さんがヒントを出し、異なる分野で活躍される皆さんが、楽しみながら即興のパフォーマンスを作っていく様は、まさに圧巻でした。坂本さんに「ややこしや?」と問いかける萬斎さん。おもむろに立ち上がってピアノの中に手を入れ、弦をはじきだす坂本さん。ドラムのようにピアノの脇をたたくなど、あらゆるパーツで音を奏でていらっしゃいました。合間に入る伸びやかな道山さんの尺八と合わせ、ぜいたくな時間があっという間に過ぎていきました。

本番前、「どこかに『戦場のメリークリスマス』を入れていただけますか?」と坂本さんにお願いしたところ、 「なんだかちょっと照れくさいなあ」とおっしゃっておられましたが、「業平餅」への導入に、ちゃんと入れてくださいました。 あの美しい旋律に会場はどよめき、「もちづくし」に魅了されていました。

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『にほんごであそぼ』から坂本さんに依頼したのは、名文への作曲でした。候補となる名文・名句をいくつかお持ちしたところ、コンサートで初めて聴く曲ばかりでは、観客が楽しめないだろう…ということで、『にほんごであそぼ』でおなじみの曲と、坂本さんが作曲する新曲を交互に演奏する「組曲」の形をご提案いただきました。そうしてできたのが、以下の組曲です。

    序曲
①「こころよ」 詩:八木重吉 作曲:うなりやベベン
②「すずめのこ」 俳句:小林一茶 作曲:坂本龍一
③「雲」 詩:山村暮鳥 作曲:うなりやベベン
④「やせがえる」 俳句:小林一茶 作曲:坂本龍一
⑤「でんでらりゅうば」    長崎のわらべうたより    編曲:おおたか静流
⑥「なせばなる」 和歌:上杉鷹山 作曲:坂本龍一
⑦「私と小鳥と鈴と」 詩:金子みすゞ 作曲:バナナアイス
⑧「道程」 詩:高村光太郎 作曲:坂本龍一
    終曲

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演奏は、NHK交響楽団のピックアップメンバーと、藤原道山さん。歌は、番組レギュラーのコニちゃん(小錦八十吉さん)、うなりやベベンさん、おおたか静流さん、子どもたち。全員で初めて合わせたのは本番前日の夕方という、かなり無謀なスケジュールでしたが、さすが皆さんそれぞれの道の第一人者。子どもたちも、とても頑張ってくれました。

他にも、オペレッタ『セロ弾きのゴーシュ』や、神田山陽さんの講談、「寿限無」早口リレー、おおたか静流さんと福島大学附属小学校合唱部の皆さんが歌う四季の童謡、全国の子どもたちから募集した俳句に曲をつけた「元気でいこう!ごもじもじ」など、盛りだくさんのコンサートでした。

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会場には祖父母と一緒に三世代で来てくださった方も多く、たくさんの笑顔や拍手をいただいて、ほんとうにやって良かったと思いました。

コンサートのあと、井出さんが坂本さんに声をかけておられました。「僕、山川啓介の名前で「時間よ止まれ」を書いたんですけど。素晴らしいアレンジを、ありがとうございました」と。井出さんは、子どもの歌は本名の井出隆夫、大人の歌は山川啓介と、ペンネームを使い分けていらっしゃいました。坂本さんはYMOを結成される前に、矢沢永吉さんの「時間よ止まれ」のレコーディングに参加していたそうなのです。「ずっと御礼を言いたいと思っていました」とおっしゃる井出さんに、坂本さんは「そうでしたか!僕も若い時で。こちらこそ、ありがとうございました」と微笑んでいらっしゃいました。

10年目特番への坂本龍一さんの出演が実現しなかったら、『にほんごであそぼ』がコンサートを行うことはありませんでした。コンサートを作るきっかけとなり、ライブで作る楽しさを教えてくださった坂本さんに、心から感謝しています。
その後、岩手・宮城でも復興支援のコンサートを行ったあと、『にほんごであそぼ』のコンサートは全国各地の魅力を発信する内容へと形を変え、今も続いています。コンサートは、お客さまの反応を生で感じることのできる特別な現場で、出演している子どもたちにも、番組スタッフにも、番組を作っているだけでは得られない貴重な経験をさせてくれました。

福島への移動を含め、過密なスケジュールの中でも、終始穏やかな笑顔で子どもたちを見つめてくださった坂本さん。リハーサルのあと、萬斎さんと一緒に「うちも!」と共感したのは、「子どもが寝るのに間に合いたくて急いで帰ったのに、『お父さんが帰ってくると子どもが興奮して起きちゃうから、寝るギリギリの時間には帰ってこないで』って言われちゃうんだよ」というお話でした。
坂本龍一さんのご冥福をお祈りするとともに、子どもたちのために作ってくださった曲が、これからも歌い継がれていくことを願っています。

文研では、番組に関する調査・研究を幅広く行っています。
こちらもぜひお読みください。
NHK幼児向けテレビ番組の変遷|NHK放送文化研究所
『いないいないばあっ!』が生まれるまで ~ワンワン誕生秘話~ | NHK文研

おススメの1本 2023年03月17日 (金)

#463 NHKの長寿番組 調べてみると意外なジジツが...

メディア研究部 (メディア史研究) 居駒千穂

 昨秋に刊行した『NHK年鑑2022』(NHK放送文化研究所編)の「第4部 番組解説」では番組ひとつひとつの詳細データをまとめています。今回、そこに記載されている、国内定時番組476番組のデータをもとにいろいろ調べてみました。

NHK年鑑2022

 さっそくですが、簡単なクイズをひとつ。NHKの総合テレビ、Eテレ、BS1、BSプレミアム、BS4K、BS8K、ラジオ第1、ラジオ第2、FMの全9波(国内)で放送する定時番組、476番組の中で、もっとも長く放送を続けている番組は下の3つのうち、どれでしょう。

1.のど自慢
2.ラジオ体操
3.日曜討論

 これは当たったかたも多いのでは? 正解は、2.ラジオ体操です。『ラジオ体操』は1928年11月に放送を開始し、1947年9月1日から3年8か月の間、放送を中断しましたが、1951年5月6日に放送を再開しました。通算89年8か月放送を続けています(『年鑑2022』に合わせ、2022年3月末を基準に放送期間を計算しています)
 『ラジオ体操』に続いて長いのは、1.のど自慢で、放送開始から76年2か月経過しました。ついで長いのは3.日曜討論(前身は『国会討論会』)です。『のど自慢』も『日曜討論』も、ともに終戦直後の1946年にラジオ第1で放送を開始しました。

こんなにもあった。50年以上続く番組

 ここで、もう一問。NHKの国内定時番組476番組のうち、50年以上続く番組はいくつぐらいあるでしょう。次の中から選んでください。

1.約10番組
2.約20番組
3.約30番組

 正解は、3.約30番組です。
 表1を見てください。これは『NHK年鑑2022』「第4部 番組解説」に記載されている初回放送日に基づいて放送期間を割り出し、放送期間の長い番組から順に並べたものです。50年以上続く番組は数えてみると29番組ありました。
(2022年3月末を基準に計算。2021年度内に放送終了した番組も含みます)

表1 放送開始から50年以上のNHK番組(国内) 表1 放送開始から50年以上のNHK番組(国内)

 上位10番組は、テレビ放送開始の1953年より前の、ラジオ時代に始まった番組です。

放送波によって異なる放送期間と傾向

 3月に発行した『放送研究と調査』(NHK放送文化研究所編)では、総合、Eテレ、ラジオ第1、ラジオ第2、FMの波別に、放送期間の長いものから順に並べたグラフを掲載しています。
 波別に興味深い特徴が出てきましたので、ぜひご覧ください。
放送史料 探訪:『NHK年鑑』で振り返る放送の歴史④】 

(注)今回、分析対象にしたのは『NHK年鑑2022』の「第4部 番組解説」に掲載した、NHKの国内向け定時番組、476 番組である。データは2022年3月現在のものである。

おススメの1本 2023年03月08日 (水)

#460 東日本大震災12年 「何が変わり、何が変わらないのか」~現地より~

 メディア研究部(メディア動向)中丸憲一

 東日本大震災の発生後、災害担当記者だった私も現地に入り、さまざまな取材をした。特に力を入れたのが、「消防団員の安全確保」の問題だった。

teikyogazou.jpg活動する消防団員(震災前) 提供:田中和七さん

 あれから12年。「何が変わり、何が変わらないのか」「メディアに何ができるのか」。今回は研究員になった私が現地を再び訪れ、感じたことを書いてゆく。

【始まりは“1本の電話”】
 まもなく新しい年に変わろうとしていた去年(2022年)暮れ。突然、携帯電話が鳴った。「今のままでは、消防団などの地域の守り手が危ない。あのとき(東日本大震災)の課題が今も残っている。『南海トラフ』や、『千島海溝・日本海溝』の巨大地震が切迫している。今課題を解決しないとまた犠牲者が出る。どうだ、また一緒にやらないか?」連絡をくれたのは、東京大学大学院情報学環総合防災情報研究センターの松尾一郎客員教授(67)。東日本大震災の直後、私は、松尾客員教授と一緒に被災地を駆け回り課題を探った。中でも最も力を入れたのが「消防団員の安全確保」だった。これを再度、検証しようという提案だった。

matsuo1.jpg東大 松尾一郎客員教授

 当時取材し放送したリポートを見返してみた。取材したのは、岩手県宮古市田老地区の男性。ふだんは食料品店を経営し、災害発生時にはすぐに消防団員として出動する。震災が起きたあの日、男性は防潮堤にある門に向かった。防潮堤には「水門」と「陸閘(りくこう)」(=漁港と市街地を車などが行き来するために防潮堤に設けられた門)がある。いずれも、津波が流れ込まないよう、到達前に閉めなければならない。このうち男性が向かったのは「陸閘」だった。

kakudaigazou.jpg男性と陸閘(震災直後)

到着すると、別の団員がすでに門を閉めていた。しかし、男性は近くにいた人から声をかけられる。「港に置いてきた車を取りに行きたいので、門を開けてくれないか」。男性は仕方なく再び門を開けた。すると、逃げ遅れて門の外側に取り残されていた車が次々と通り始めた。「もう早く通ってくれ、早く閉めたい」。最後の車が通過した後、急いで門を閉め、男性も車で急いで避難。そのおよそ5分後に田老地区に津波が襲来。男性は、すぐ後ろに津波が迫る中、ぎりぎりで高台にたどりつくことができた。しかし、男性の所属する分団では、一緒に門を閉めた団員など3人が犠牲になった。当時のインタビューで男性は絞り出すように語っている。「これほど危険な目にあってまで(門を)閉めに来なければならないという部分があるので、変えられるものであれば少しずつでも変えてほしい」。

【再び現地へ】
 このリポートの放送後の2011年11月、総務省消防庁は「東日本大震災を踏まえた大規模災害時における消防団活動のあり方等に関する検討会」を設置。その報告書によると、被災地では、田老地区以外でも消防団員の被災が相次ぎ、犠牲になった団員は254人にのぼった。その多くが水門等の閉鎖や住民の避難誘導、救助などにあたった人たちだった。検討会の委員には松尾客員教授(当時はNPO法人理事)が選出。ワーキングチームの構成員には、リポートで取材した男性の先輩消防団員の田中和七さん(68)が選ばれ、消防団員の安全をいかに確保するか議論を交わし対策案を示した。
 あれから何が変わり、何が変わらないのか。課題は残っているのか。
今年(2023年)2月初旬、松尾客員教授と再び田老地区を訪問。田中さんらと合流し現地をまわった。

matsuo2shot.jpg田中和七さん(左)と松尾客員教授(右)

 岩手県宮古市田老地区。私は初任地が盛岡放送局で、まだ3年目の駆け出しの頃、宮古報道室(現在は支局)の記者として何度も取材で足を運んだ。(当時は合併前で「田老町」だった)
地区中心部にあった高さ10m、総延長2,433mの巨大防潮堤。壊滅的な被害を受けた昭和8年(1933年)の「昭和三陸津波」を教訓に作られ、「万里の長城」と呼ばれた。これに加え、真剣な表情で避難訓練を繰り返す住民たち。まさに「津波防災の先進地」だった。そこを再び巨大津波が襲った。防潮堤は一定時間、津波を食い止めたものの、巨大津波は防潮堤を乗り越え、地区内に一気に流れ込んだ。立ち並んでいた住宅は流され、防潮堤もかなりの部分が破壊された。震災直後に取材に入り目にした、以前とは変わり果てたすさまじい光景は、今も脳裏に焼き付いて離れない。

banrino_edited.jpg津波で破壊され一部が残る「万里の長城」

【何が変わり、何が変わらないのか】
 震災後、新しい防潮堤が、かつての「万里の長城」よりもさらに海側に作られた。以前より高い14.7m。また防潮堤の裏側(陸側)を「災害危険区域」に指定し、住宅の建築を制限した。かつて防潮堤のすぐそばまであった住宅はなくなり、高台に移転。代わりに野球場や道の駅などが作られ、すぐに避難できるよう工夫がなされた。

fukkoupanel_edited.jpg新防潮堤や災害危険区域を示したパネル

 また、防潮堤の水門や陸閘は、津波注意報や津波警報、大津波警報が発表された場合、衛星回線を使って遠隔操作で自動的に閉まるように改善された。陸閘のゲートにはセンサーがついていて、もし車が通過中だった場合には、いったん開き、通過後に閉まるという動作も自動的に行う。リポートで取材した男性が、取り残された車が通過するまで門を開け続け、その後閉めたというような非常に危険な作業はしなくてよいことになった。

rikukou.jpg新しくつくられた陸閘

tsunamichui_edited.jpg陸閘の自動閉鎖を示すパネル

 また、松尾客員教授や田中さんが委員などとして参加した、総務省消防庁の検討会の報告書(2012年8月最終報告)では、市町村に津波発生が予想される場合の消防団の活動・安全管理マニュアルを整備するとともに「退避ルール」を確立するよう求めた。これを受けて宮古市も地域防災計画などに「退避ルール」を明記。「消防団は津波の到達予想時刻の10分前には高台に避難していなければならない(消防団の退避10分ルール)」を定めるとともに、避難を完了するために「20分前には防災行政無線により、消防団の避難を呼びかける(消防団退避指示)」とした。

shobodanshiji.png宮古市資料より

ここまで見てくると、大幅に改善されたと感じる。ただ、松尾客員教授とともに田中さんに聞き取りをしたところ、「まだ不安な点がある」ということだった。


talk2shot_edited.jpg調査する松尾客員教授(手前)と田中さん(奥)

例えば、「もしも門が閉まらなかったとしたら」。遠隔操作で自動閉鎖するとはいえ、機械なので「絶対」はないのではないか。その場合、近くにいる消防団員が閉めに行かざるを得ないのではないか。その不安はあるという。
さらに田中さんは、トンガの海底火山で発生した大規模な噴火により、去年1月16日、岩手県沿岸に津波警報が発表された際の出来事が忘れられないという。警報がまだ発表中だった16日朝、釣り客とみられる人が乗った車が港の方に入っていくのを、高台で警戒監視中の消防団員が発見。危険なのですぐに海から離れ避難するよう伝えに行った。結果的に、津波警報が出ているさなかに危険な海岸近くの低地で消防団員が活動せざるを得ない状況となったのだ。

【地域を守る責任感、使命感】
総務省消防庁の検討会の報告書の冒頭には、次のように書いてある。(一部中略)
「消防団は、自らも被災者であったにもかかわらず、だれよりも真っ先に災害現場へかけつけ、その活動は、住民の生命、安全を守るため、実に様々なものであった。東日本大震災における消防団の活動は地域住民に勇気を与え、改めて地域の絆・コミュニティの大切さ、そのために消防団が果たしている役割の大きさを教えてくれた。一方で、活動中の消防団員の安全をいかに確保するかという大きな課題を我々に突きつけた」
消防団員は、地域住民であり、被災者でもあった。地域住民ならば、本来はすぐに避難して、まずは自分や家族の命を守るはず。でも団員たちはあえて危険な任務を担った。田中さんは言う。


tanaka_edited.jpg田中和七さん

「消防団員は『見捨てられない、無視できない』という責任感や使命感を持っている人たちばかりなんです

「地域を守る」という責任感・使命感から、危険な任務にあたり、震災で多くの消防団員が命を落とした。しかし、今も多くの団員たちがその強い責任感・使命感を持ち続けている。だからこそ、また次の大災害で、消防団員が危険にさらされる可能性は残されていると思う。12年が経過しても変わっていない部分だと強く感じた。

松尾客員教授は、今後、田老地区と宮古市のもう一つの地区をモデル地区として消防団員や民生委員、町内会長など、地域の「守り手」の安全確保などについて調査することにしている。

matsuolast_edited.jpg松尾客員教授

「これ以上、『守り手』が犠牲になるのは防がなければならない。宮古市で調査した結果を、南海トラフや千島海溝・日本海溝沿いで発生する巨大地震で被災する可能性がある地域など、各地に広げていきたい」と話していた。
私も今回、田老地区を訪れ、さまざまな話を聞く中で、国の検討会が作成を求めた「消防団の退避ルール」などが全国各地でどのくらい徹底されているのか、また、防潮堤の門の自動閉鎖などのハード面の安全対策がどれだけ進み、機能しているのかなどを調べたいと思った。そのために、まずは松尾客員教授が行う調査に微力ながらできる限りお手伝いしたいと思っている。その上で、消防団を対象にした避難の呼びかけのあり方など、メディアにできることはないか、考えていきたいと思っている。

【もう一つの「変わっていないこと」】
今回の田老地区の訪問では、うれしい出来事があった。冒頭に紹介したリポートで取材した男性と再会したのだ。男性は経営していた食料品店が津波で流されたが、地区の別の場所に店を再建した。そして今も消防団員を続けているという。このとき思った。
「消防団員の安全は確保されなければならない。震災を生き延びて、その後の復興の担い手として活躍してもらうために」。
これは震災が起きたあのときから変わっていないし、今後も変わらない。
東日本大震災から12年。現地を訪れ、強く感じたことである。


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【中丸憲一】
1998年NHK入局。盛岡局、仙台局、高知局、報道局社会部、災害・気象センターで主に災害や環境の取材・デスク業務を担当。2022年から放送文化研究所で主任研究員として災害や環境をテーマに研究。

★筆者が書いたこちらの記事もあわせてお読みください
 #456「関東大震災100年」 震災の「警鐘」をいかに受け止めるか

 

おススメの1本 2023年02月06日 (月)

#448 『おかあさんといっしょ』と外部クリエーターたち~テレビ放送開始70年特別番組に関連して~ 

メディア研究部(番組研究) 高橋浩一郎

今年、テレビが放送開始して70年になります。その中で『おかあさんといっしょ』をはじめとするNHK子ども向け番組の歴史に焦点を当てた特集番組『「おかあさんといっしょ」から見るこども番組』が2月11日(土)午後8時~Eテレで放送されます。2月19日(日)には再放送が予定されています。
「テレビ70年」キャンペーンのNHKホームページ

文研ではこれまで幼児向け番組の変遷や初期『おかあさんといっしょ』についての論考を発表し、文研ブログでもさまざまなテーマを扱ってきました。今回の特集番組もその成果を参考にして制作されています。
『おかあさんといっしょ』をはじめとする幼児向け番組は、多くの外部クリエーターが関わっています。彼らがどのようなことを考えて番組制作に関わり、また当時のプロデューサー、ディレクターが彼らを起用した背景にはどのようなねらいがあったのか、特集番組では普段の番組からはうかがうことができない作り手たちの思いが掘り下げられています。

trimtakahashi.png 飯沢匡さん

small.png    「ブーフーウー」などの台本

取材の過程で、番組初期の人気コーナー「ブーフーウー」(1960~1967)を生み出した作家・飯沢匡さんのご遺族に資料提供などでご協力いただくことができました。ご自宅には貴重な資料が保管されていました。「ブーフーウー」以外にも「ダットくん」(1967~1969)、「とんちんこぼうず」(1969~1971)、「とんでけブッチー」(1971~1974)、「うごけぼくのえ」(1974~1976)、「ペリカンおばさん(1976~1978)、「おもちゃおじさん」(1978~1979)、「ミューミューニャーニャー」(1979~1983)など、飯沢さんが23年間にわたって『おかあさんといっしょ』のために執筆した730冊の台本です。

番組では、飯沢さんとコンビを組んで「ブーフーウー」などのキャラクターデザインを手がけた画家の土方重巳さんの資料も紹介しています。(人形の製作をしたのはアニメーション作家で人形作家の川本喜八郎さんです。)土方さんはキャラクターデザインの先駆け的存在で、製薬会社のゾウのキャラクター・サトちゃんのデザインが広く知られ、その画業を振り返る展覧会が横須賀美術館で開催されるなど改めて注目を浴びています。NHKアーカイブスのHPでは、お二人が関わった「ブーフーウー」「ダットくん」「うごけぼくのえ」「ミューミューニャーニャー」の映像が一部公開されていますので是非ご覧ください。 
NHKアーカイブス ホームページはこちらから

飯沢さんや土方さんがどのような思いで『おかあさんといっしょ』の人形劇を生み出し、20年以上かかわり続けたのか、またそれは時代の変化とともにどのように変わったのか、残された資料をひも解くことで今後明らかにすることができるかもしれません。特集番組をご覧になって『おかあさんといっしょ』の歴史に関心を持たれましたら、以下のリンクをのぞいてみてください。

【文研ブログ】
『おかあさんといっしょ』の60年① ~"婦人課"の女性職員たち~ | NHK文研
『おかあさんといっしょ』の60年② ~日本の人形アニメーション夜明け前~ | NHK文研
『おかあさんといっしょ』の60年③ ~"子どもの歌"の"おかあさん" 作曲家・福田和禾子~ | NHK文研

 【論考】
「NHK幼児向けテレビ番組の変遷」
「初期『おかあさんといっしょ』失われた映像を探る』」