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メディアの動き 2021年07月14日 (水)

#332 オリンピックに向けられる複雑な視線 ~禁欲的五輪に意義を見出す~

放送文化研究所 島田敏男


 7月4日に投開票が行われた東京都議選の結果をどう評するか。見方は様々でしょうが「自民党支持者の一部が無党派に流れ出し、行き場に迷った無党派の塊は都民ファーストを崖っぷちで支えた」と見ることもできます。

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 問題は、菅総理大臣がオリンピック・パラリンピック後に先送りした衆議院の解散・総選挙に、こうした都議選に現れた傾向が繋がっていくのかです。
菅総理はコロナウイルスと戦いながら真夏のオリパラを成功させ、長期政権の可能性を手繰り寄せたいという思いで賭けに出たのに他なりません。

 しかし菅総理の目論見は、どうも思うようには進んでいないようで、むしろ国民の間に複雑で多様な視線を生み出しているように感じます。

 自民党と公明党を合わせても過半数に届かなかった都議選の結果に加えて、その1週間後に行われた7月のNHK電話世論調査(9日~11日実施)でも厳しい数字が並びました。

☆7月調査の菅内閣支持の項目を見ますと「支持する」33%、「支持しない」46%となっていて、3か月連続で支持<不支持が続いています。しかも、去年9月の内閣発足以降、支持率は最低を更新(安倍前総理の退陣表明直前が34%)。支持<不支持の差も先月の8ポイント差から13ポイント差に拡がりました。

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☆新型コロナを巡る政府のこれまでの対応を評価するか評価しないか聞いた結果は、「評価する」39%、「評価しない」58%で内閣支持と同様に厳しい数字になっています。去年の暮れにGoToトラベルキャンペーンの継続にこだわりすぎて国民の反発を招いて以来、政府の対応への評価は厳しいままです。

☆では、観客を入れての開催にこだわるのをやめて、1都3県の会場には観客を入れないで行う無観客開催の決定についてはどうでしょう?

「無観客は適切だ」39%、「観客を制限して入れるべき」22%、「観客を制限せずに入れるべき」4%、「大会は中止すべき」30%と割れています。

 菅総理がオリンピック期間をスッポリ覆うように設定した4回目の東京・緊急事態宣言。これを受けてオリンピック組織委員会の橋本聖子会長らが、清水の舞台から飛び降りる覚悟で決断した無観客開催。

 競技会場を抱える北海道や福島県は、この決断に同調して無観客開催を求めて認められました。こだわりを捨てた次善の策が、評価を得た現れと見ることができるでしょう。

 しかし、それでも世論調査では、30%の人が依然として中止を求め続けています。コロナウイルスの感染収束に至らない中での2度目の東京オリンピックの開催に対する国民の視線が、実に複雑で多様なことを読み取らずにはいられません。

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☆さらにもう1つ、重要なポイントについて世論調査の数字を見てみます。東京大会を開催する意義や感染対策についての政府や組織委員会などの説明に対する受け止めです。

「納得している」31%、「納得していない」65%で、ダブルスコアで納得せずが多数を占めています。ほぼ3分の2が腹に落ちていない、中途半端な気分のままだというのは気がかりです。

 これを政治的な態度の違いで見ると、与党支持者では「納得している」45%、「納得していない」54%で比較的接近しています。ところが野党支持者では「納得している」22%、「納得していない」76%。無党派層でも「納得している」22%、「納得していない」75%と圧倒的に懐疑的な様相が浮かび上がっています。

 野党支持者と無党派層には、菅内閣のコロナ対策は安倍内閣当時からのワクチン確保の出遅れを取り戻せていない、場当たり的な自治体への指示が多く接種の計画性に欠けているといった批判が根強く存在しています。

 また、コロナ対策と経済再生の両輪を担う西村康稔大臣が、酒類販売事業者に対し、酒の提供停止の要請に従わない飲食店に酒を売らないよう求めるとともに、金融機関にも働きかけをしてもらうなどと発言し、猛反発を招きました。

 「いかにも上から目線だ」という批判に慌てて撤回して釈明に追われましたが、根っこにあるのは政府が示す対策の有効性と見通しに国民が納得していない残念な状況です。

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 こういう状況の中で行われる東京オリンピックですが、少なくとも組織委員会がIOCを説得しながら禁欲的なスポーツの祭典として歴史に先例を残そうと努力しているのは正しい姿だと思います。

 全世界の人々がテレビの前でアスリートの一挙一動に目を凝らし、競技場には届かなくても思い思いに応援する。

 そして競技場には届かない応援を受けるアスリートの男女には、静けさの中で祈りを捧げる修道士、修道女のような清々しい振る舞いを期待します。そこには、近年のオリンピックを支えながら蝕んでもきた商業主義とは対極のものが見えてくるかもしれません。

 私が今回の東京オリンピックに願うこと。それは日本国民の多くが「オリンピックの開催が、結局、政権の延命装置にしかならなかった」と不快感だけを記憶に残すような総括に終わって欲しくないということです。

 もちろん延命装置になるかどうか自体も、ワクチン接種の拡大と、感染者の抑え込みの成果にかかっています。ただ、それだけでなく、近年では世界に例を見ない禁欲的なオリンピックの姿を示すことができたかどうかも総括の大きな要素になって欲しいと考えます。

 日本の戦後復興と高度経済成長を謳いあげた1964年の東京オリンピックとは異なる総括を、2020(2021年)では歴史に刻みたいものです。

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