志野さん・相澤さんの思い出
仙台市内の小学校の体育館に避難しました。電気もガスも止まる中、初日は先生が用意してくださった冷たいアルファ化米を食べ、100人を超える住民と夜を過ごしました。
避難3日目から支援物資が徐々に届き始め、被災した主婦や学生たちが集まり、避難した人たちのために食事を作ることに。体育館の舞台袖の倉庫にカセットコンロや鍋を持ち込み、即席の台所を設置しました。避難所に届く支援物資で100人分の食料にするには、毎回いろんな工夫が必要で、みんなの知恵が出されました。
あるとき、ランチョンミート、焼きそばの麺、ハヤシライスのレトルトソースなど、避難者全員に行き渡らない支援物資と、そのとき手に入った野菜をフル活用して、具沢山のミネストローネを作りました。やきそば麺は多くの人に行き渡るように短くカット。まな板をよごさないよう、袋ごと包丁で切りました。数の足りない材料を一緒に煮込むことで、多くの避難者にあたたかい食事を提供することができました。
いただいた物資をいかに無駄にしないでおいしく作れるかと、主婦ならではのアイデアいっぱいのメニューが他にもたくさんできました。