この記事は、明日をまもるナビ「障害のある人も みんなで助かるために」(2022年7月17日 NHK総合テレビ放送)の内容をもとに制作しています。
これだけは知っておきたい、障害者の避難を助ける方法
▼災害時には、サポートへの不安から避難をためらう障害者が多い。
▼「障害者差別解消法」で、障害者の権利利益を侵害することにならないよう、「不当な差別的取り扱いを禁止」し、「合理的配慮の提供」が全ての自治体に義務付けられている。
▼縦割りの組織を“越境”して、「防災」と「福祉」の担当者が一体となった避難計画づくりが始まっている。
障害者の避難を阻む“壁”
東日本大震災のとき、NHKが岩手・宮城・福島県で10人以上の方が亡くなった自治体を対象に、障害者手帳を持った方々の死亡率を調べたところ、住民全体の約2倍に上ることがわかりました。(2012年調査)

なぜ障害者に被害が集中するのでしょうか。
NHKが実施したアンケートで、「この数年で災害で被害を受けたり怖い思いをしたことがある」と答えた障害者に「そのとき、避難できましたか?」とたずねたところ、「避難しなかった/できなかった」との答えが3分の2近くもありました。
【参考】
NHK福祉情報サイトハートネット
「障害者と防災」アンケート結果(2021年3月)
「そこには避難を阻む“壁”があるのではないか」と同志社大学教授(福祉防災学)の立木茂雄さんは指摘します。

では障害者にとって、何が“壁”になっているのでしょうか。
●台風で避難できなかった人たち 東京都江戸川区の事例
東京・江戸川区で障害者の訪問介護などを行う団体を取材しました。
2019年10月、関東を直撃した台風19号。荒川が記録的な水位となり、海抜ゼロメートル地帯が広がる江戸川区では浸水の危険が迫っていました。

このとき避難できなかった人たちがいます。
27歳でALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した酒井(さかい)ひとみさんもその一人です。

酒井さんは、夫と二人の子どもと4人で暮らしていますが、家族は専門的なケアができません。1日3交代で入るヘルパーから24時間介助を受けるほか、看護士や理学療法士のケアを必要としています。

台風が迫る中、24時間介助の態勢を作れるのか、また、医療機器を動かすための電源を確保できるのか見通せず、避難所には行けなかったのです。
16年前、糖尿病が原因で失明した小椋正三さんも避難しませんでした。団地でのひとり暮らしで、家のなかでは不自由なく移動できますが、自宅から一歩外にでるとガイドヘルパーが欠かせなくなります。

台風19号のとき、歩いて3分ほどの場所に区の避難所ができましたが、その避難のためだけにヘルパーを呼ぶことはできませんでした。
「だって家族いるでしょう、向こうも。それは言えませんよ」(小椋さん)

江戸川区内で障害者の自立支援を行っているNPO「STEPえどがわ」は、台風上陸の3日前から、利用者を区の外へ避難させようと模索。江戸川区は災害時に「区の外への避難」を推奨しているからです。当時、スタッフはバリアフリー設備のある区外の宿泊施設に電話をかけ続けましたが、どこも確保できませんでした。

そして、台風上陸当日。
「STEPえどがわ」の利用者たちは、江戸川区が開設した避難所で過ごすことをためらい、50人中3人だけが、スタッフの家などに避難するにとどまりました。
社会が作り出している障害
ここで、改めて考えたいのは「障害」とはいったい何かということです。
番組では、次のような事例で分かりやすく示してみました。
避難所の玄関につながる通路に広がるたくさんの靴。避難所ではよく起こりがちです。あとから来た車いすに乗った人はこの箇所をひとりでは通れなくなってしまう。この靴の散乱こそが「障害」です。

つまり「障害」とは、心身の機能に障害があるという個人的な話ではなく、社会が作り出しているものでもあるのです。
災害時に障害のある人の避難を阻む壁にはさまざまなものがあります。
「一人では状況判断できない」「移動手段がない」「薬や福祉サービスがない」・・・。
東日本大震災のときには、車いすユーザーが避難所に行った際、「ここは一般の避難所。車いすの方は段差があって無理だ」と追い返されてしまったケースもありました。これは明らかな差別・偏見です。そういったことも“社会が作っている壁”だと考えることができます。

みんなを受け入れた避難所 熊本地震の事例から
2016年の熊本地震のとき、障害のある人も高齢の方も含め、みんなを受け入れた場所がありました。

震度7の揺れが2度にわたって襲った2016年4月の熊本地震。
市の中心部にある熊本学園大学は、発生直後から独自に避難所を開設。最も多い時で750人が身を寄せ、そのうち、障害のある人はおよそ70人いました。

大学では地震発生直後、避難してきた人で廊下が埋まり、なかには車いすに座ったままの人もいました。
それを見た社会福祉学部の東俊裕(ひがし・としひろ)教授は、障害のある人のため、大学内のホールを提供しようと提案しました。開放されたホールは、客席の前半分のいすをしまうと平らな大きな空間ができます。
実は、もともとこの建物は障害のある人も共に学べるよう設計されていて、車いす対応のトイレを3か所に設置。段差のない幅をとった廊下に、点字ブロックやスロープも各所にあります。
当時、熊本学園大学に避難した植田洋平さんに話を聞きました。植田さんは、全身の筋力が低下する難病を患い、ヘルパーの支援を受けながら、1人で暮らしています。

1回目の揺れの際は、植田さんは友人と小学校の避難所へ。しかし人であふれかえる廊下を見て引き返し、2回目は行き場を失いました。
その後、熊本学園大学に避難所ができたと知り、障害のある仲間と向かいます。

車いすでも動きやすい、広いスペースが確保されていて、さらに介助者もいたことに安堵したそうです。

植田さんは、障害者が地域で自立して暮らせるよう支援する団体で働いています。避難所では、仲間とともに、障害のある人の相談に乗るなどしました。
「“そこにいても迷惑な存在じゃない”ということ。『すみません、ごめんなさい』と言いながら過ごさなくてよい、僕たちが避難しやすい環境がしっかり保たれていた」(植田さん)
「合理的配慮の提供」とは?
「障害者が避難場所で肩身の狭い思いをしなくて済むように配慮をすることが、特別であってはならない」と福祉防災学の専門家・立木教授は考えています。
熊本地震が起こった2016年4月から「障害者差別解消法」が施行され、全ての自治体で「合理的配慮を提供」することが義務付けられました。
この「合理的配慮」とは、いったいどのようなことなのでしょうか。
例えば、野球を観戦しに来た子どもたちが3人並んでいるとします。このうち背の低い2人は壁がじゃまになって見ることができません。3人が楽しく観戦できるようにするためにはどうしたらいいのでしょう。
台を用意しましたが、左の子はまだ見ることができません。
そこで、一番背の高い子の台を一番背の低い子に渡すとみんなが野球を見ることができました。
より多くのものを必要とする人には、より多くその場にある資源の配分を調節する。これが「合理的配慮の提供」です。
実際の避難所での事例から、「合理的配慮」のあり方を考えてみます。
西日本豪雨の時、小学校に作られた避難所の様子です。
通常、避難所は早く着いた人で壁際から埋まっていきます。移動に時間がかかる障害のある人には真ん中のスペースしか空いていません。しかし、障害者にとって真ん中のスペースは、そこまで行くにも、そこから出るにも、すでに避難している人に声をかけて動線を確保せねばならず、気をつかうことになります。

それを未然に防ぐ方法があります。
避難所を開設する時に、入り口に近く、スタッフの目の届きやすい場所に、あらかじめブルーシートで「合理的配慮スペース」を確保し、後から来られた人でも入りやすいようにするのです。
そして、レッドテープなどで動線を確保して、ここには靴や物を置かないように空間づくりも決めておけば、それが合理的配慮の提供になります。

こうしておけば、たとえ障害者が来なくても、高齢者や妊産婦など、周りからの配慮が必要な人に使ってもらうこともできます。
障害者の避難 課題を洗い出す
国や自治体は、障害のある方や高齢者など、災害時に自分で避難することが難しい人に対して、個別避難計画の作成を進めています。
このような中、前述の障害者支援団体「STEPえどがわ」は、独自に避難訓練をすることで課題の洗い出しを試みました。

参加したのは、障害のある人15人とその介助者たち。山梨まで移動し、1泊2日の訓練です。
台風19号の時には避難しなかったALS患者の酒井さんも、ヘルパー2人と参加しました。
●課題…荷物の量
まず課題となったのが、避難先まで何をどれだけ持っていくか。かさばる機械などは事前に送ったものの、2人がかりでやっと持てる大量の荷物になりました。

●課題…移動手段の確保
今回はリフト付きバス2台で移動しました。しかし、実際の災害時に移動手段をどう確保するかは、課題として残りました。

●課題…設営作業や人員
避難場所として借りたのは、廃校となった小学校の体育館です。運営にかかわる作業には、想定以上の時間と手間がかかりました。今回はボランティアの助けも借りましたが、それでも設営作業に追われます。

呼吸器などを使うALS患者の酒井さんには、ステージ横の電源口のある場所が割り当てられました。

夜、酒井さんの体位を変えるヘルパー。ふだんは、もう一人夜勤の担当者がいますが、この避難訓練では、東京から付き添った2人が交互に起きて行います。酒井さんのヘルパーは、2人だけで介助を続けることは難しいと実感していました。

一方、「ヘルパーの応援や、ボランティアなどさまざまな助けがあれば、避難の壁を乗り越えられるかもしれない」という意見も出ました。
●課題…周りへの気持ち
「周りに迷惑をかけるからその点が一番不安」と、障害のある息子と参加した母親は「諦めの気持ち」を漏らしました。
息子は、8年前、交通事故で脳を損傷しました。目が見えず身体が動きません。
この日の最大の課題は、息子を布団に寝かせることでした。ふだんはリフトを使ってベッドに移します。ヘルパーが声をかけて人を集め、なんとか移すことができました。

息子を布団へ移す際、皆が声をかけあい手伝ってくれたことをきっかけに、母親の気持ちが変わっていました。

「こうやって皆で一緒に避難訓練をして、困っている時には助けてもらって、向こうが困っていれば助け合いもできるし、やはり来たい(避難したい)と思いました」(母親)

実際の避難訓練を通して、多くの課題が出ました。
これらの課題に対して、福祉防災学の専門家・立木さんは、関係者が「スクラムを組もう」と提案しています。
「この課題は全て、<問題の解決は自分だけしかできない前提>になっている。ひとつの事業所だけで解決するのは困難なら、もっとたくさんの関係者にかかわってもらったらいい」(立木さん)
【参考】
明日をまもるナビ「個別避難計画 高齢者・障害者を助けるために」
(2022年6月16日公開)
「越境」してスクラムを組む
滋賀県高島市では、2021年5月から障害者の避難を進めるため、「防災」と「福祉」の担当者が一体となって、一人一人に合わせた避難方法などを考える協議会を設置しました。

市は、重い脳性まひで体を自由に動かせない林英行さんの避難訓練を実施。災害時に支援に駆けつける地域の民生委員、福祉関係者、市の担当者らが計画を共有し、避難の流れを確認しました。
「ふだんおつきあいのあるケアマネージャーさんや相談支援員の力を借りながら、災害時と平時がシームレスにつながるような取り組みを目指しています」(高島市社会福祉課 梅村淳さん)
立木さんは、この取り組みを「越境」と呼んでいます。
「今までは、“福祉たこつぼ”の中でだけ仕事をしていた。でも、いろいろなところに越境すると、交流が始まり、初めて当事者の参画が可能になります」
「やはり一人じゃ生きていけないから、できれば、あいだを取り持ってくれる方がもっと増えたらいい」と、たくさんの関係者が関わることを立木さんは呼びかけています。