この記事は、明日をまもるナビ「九州北部豪雨から5年 地域の復興を考える」(2022年5月29日 NHK総合テレビ放送)の内容をもとに制作しています。
これだけは知っておきたい、九州北部豪雨災害からの復興の課題
▼水害で住む場所や働く場所を失った住民は、なかなか元の場所に戻れない。
▼故郷を感じられる場所づくりやイベント・名産品が新たな人々を呼び入れるきっかけに。
▼行政による地域の復興には対話とコミュニケーションが大切。
九州北部豪雨とはどんな災害だったか?
九州北部豪雨とは、2017年7月5日から6日にかけて発生した線状降水帯による集中豪雨です。
主な被災地は、福岡県朝倉市(あさくらし)、東峰村(とうほうむら)、大分県日田市(ひたし)など。死者・行方不明者は42人、全半壊した住宅は1400棟以上に。堤防の決壊、土石流、山崩れ、特に流木による被害が甚大で、被害総額は農業と林業で700億円以上といわれ、地域経済にも大きなダメージを残しました。


●「線状降水帯」による記録的な豪雨
福岡県と大分県の県境の山間地域には、7月5日の朝11時から、発達した積乱雲が次々と連なって「線状降水帯」がかかり続けました。朝倉市黒川では9時間で774ミリという記録的な豪雨を観測し、東峰村では900ミリを超えました。日本の年間の平均降水量は1700ミリ、九州は2100ミリぐらいですが、その3分の1が9時間で降ってしまったのです。

土砂災害による防災や減災を研究する九州大学大学院(アジア防災研究センター)教授の三谷泰浩(みたに・やすひろ)さんは、災害発生直後から被災地に入り、この地域の復興支援に深く関わってきました。
「災害直後はよく報道されるが、それからあとの復旧から復興に向かう段階が大変」(三谷さん)

地域の絆を守る人々
復興を進める上で最も大切な「地域の絆を取り戻す」ために奮闘する、住民2人の取り組みを取材しました。
●鯉のぼりにこめた地域再生の願い/朝倉市 小嶋喜治さん
福岡県・朝倉市の石詰(いしづめ)集落は、16世帯のうち10世帯の住宅が流され、5人が犠牲となりました。

集落の元区長の小嶋喜治(こじま・よしはる)さんは、自宅の周囲の山が崩れ、二次災害の危険があるとして長期避難世帯に認定され、他の被災者とともに仮設住宅に移りました。

離れて暮らすようになった人々は、定期的に集まり、笑顔のひとときを分かち合う行事を開いていました。仮設住宅は、いわば第二の集落になっていました。
しかし仮設住宅の入居期限は2年。復旧工事がまだ終わらないため、住民は集落には戻れず、別々に暮らすことを余儀なくされたのです。

災害からまもなく5年となったいま、集落に戻ったのは16世帯中4世帯だけです。小島さんは元の自宅に戻れましたが、「毎年の行事を開こうにも、去ってしまった住民には声をかけづらくなってしまった」といいます。

それでも地域の絆を失いたくないと、小嶋さんが続けていることがあります。
それは「鯉のぼり」。
被災した地域を勇気づけ、さらに復旧工事の人たちに感謝の気持ちを伝えようと、九州各地から贈られたおよそ100匹の鯉のぼりを、被災した翌年からあげつづけています。
集落に明るい声が戻る日を。小嶋さんはそう願っています。

●伝統の祭りの復活めざす/東峰村・熊谷武夫さん
福岡県東峰村では、伝統の祭りを復活させようとしている人がいます。熊谷武夫(くまがえ・たけお)さんです。

熊谷さんは、地域のシンボルになっている約1500年の歴史をもつ岩屋神社の氏子総代を務めてきました。

歌が大好きで、30年間コーラスで歌声を披露していた妻のみな子さんは、自宅とともに土砂に流され、亡くなりました。
2年間の仮設住宅暮らしを経て、熊谷さんは元の自宅から近い場所に家を借りて暮らしています。
地域の絆を繋ぎ、人々の誇りだった祭り。いまはかつての規模では行えなくなっています。伝統の護摩焚き、山伏の火渡りなども中断したままです。
それでも、熊谷さんは伝統の祭りの復活を目指しています。
「昔のものは守っていかないと廃れる。それでなくても氏子が減っている」

熊谷さんは「若い人が東峰村に来て、住民と仲良くなって、子どもをもった人が住み着いてほしい」と願っています。
●復興で地域の絆を保つには?
九州大学大学院教授の三谷泰浩さんが、被災地で話を聞く中で感じているのは、「自分の子どもや孫が帰ってくる故郷として、地域のコミュニティを少しでも残しておきたいという気持ちを強く持っている人が多い」ということです。
朝倉市が長期避難世帯の帰還状況を調べたところ、豪雨災害から5年経った2022年現在、91世帯中4世帯しか戻っていません。

「住民の数が少なくなると、コミュニティが崩れてしまう」と危惧する三谷さん。
コミュニティを何らかの形でつなぎとめるには、リーダーの存在が大切だといいます。
「中心になって活動する人たちが地域にいたら、"ちょっと帰ろうか“という気持ちになり、つながりができて、うまく回っていく」(三谷さん)
復興をあきらめない
●特産品と故郷の景観の復活をめざす/朝倉市 日野洋さん
朝倉市の平榎(ひらえのき)集落でも、土砂崩れが発生し住宅が大きな被害を受けました。37戸あった世帯は19戸に減少、今も半数が戻っていません。

災害前、山肌には柿園が一面に広がっていました。しかし豪雨による土砂が柿園を押し流し、農道を埋め尽くしました。柿は朝倉市の特産品。特に富有柿は国内1位の生産量を誇ります。


柿園を営む日野洋(ひの・ひろし)さんは、住民の減少に加え、崩壊した柿園を何とかしたいという気持ちを募らせていました。
このときに相談を持ちかけたのが九州大学の三谷さんでした。
「地域から出て行った人が帰ってきて、ふるさとを感じられる場所が欲しいということになり、農学部や景観などを研究している先生や学生と一緒に検討しました」(三谷さん)
2021年、被害を受けた柿園に、集落を一望できる「見晴らし台」が作られました。

見晴台では子どもたちを集めたイベントを開催。また一年中、花が楽しめるように、桜や楓(かえで)、百日紅(さるすべり)などの木を植樹しました。
「後の世代に引き継ぐためにも、地域外からここに来てよかったと言える場所にしていきたい」(日野さん)
●棚田復活で地域を守る/東峰村 梶原寛暢さん
災害以前は美しい棚田が川沿いに広がり、ホタルも飛び交った東峰村。しかし豪雨であふれた川は住宅や農地を襲い、景色を一変させました。

東峰村の農家、梶原寛暢(かじわら・ひろのぶ)さんは、被災した年の秋に棚田を復活しようと動き始めました。地域の仲間と「東峰村棚田まもり隊」を結成したのです。
復旧作業は想像以上に困難でしたが、努力の末、翌年には棚田の一部に稲を植えることができました。

災害から5年。地域の人々の協力で、棚田は災害前の8割まで回復しました。河川工事が来年3月に終了すれば、残りの棚田も復旧させたいと考えています。
また、東峰村の新しい名物を作ろうという動きも2020年秋から始まっています。名水百選にも選ばれた岩屋湧水を利用したヤマメの養殖です。

去年はヤマメの塩焼きや缶詰を道の駅などで販売。今年も7月から養殖を行う予定です。

「ここに残って農地を守ると覚悟した僕らが、やれることを一生懸命やらないと、復旧復興の道はない。そのために特産品にもチャレンジして、東峰村を残していきたい」(梶原さん)

地元ボランティアの力
災害からの復興を目指す住民を支援しようと、ボランティアに取り組む人たちがいます。
●被災者の心に寄り添うことを大事に/朝倉市 望月文さん
朝倉市のボランティア団体Camp代表の望月文さんは、被災した地元の姿を目の当たりにして団体を立ち上げました。

望月さんが大事にしたのは被災者の心に寄り添うことでした。
「被災された方は土砂だけが問題なのではなく、土砂をかき出すという気持ちにまずなれないんです」(望月さん)
被災者にとって、明日の食事や子どもの学校、仕事、お金の心配がどうしても先にたってしまいます。そんな中、朝倉さんらが「いっしょにやりましょう」と呼びかけ、土砂を少しずつ取っていきました。埋まっていた家財道具などを見つけた喜びを分かち合いながら、被災者が次につながることを見つけていく手助けをしていきました。
「地域のためになっている手ごたえがありました」(望月さん)

望月さんは現在、担い手不足に悩む被災地で、地域ボランティアとして農作業を支援しています。
●カフェを開設 “村の魅力発信基地に”/森友嵐士さん
ロックグループT-BOLANのボーカリスト・森友嵐士さんは、東峰村の災害復興1年目のイベントに参加したのがきっかけで、復興親善大使を3年間務めました。

森友さんは「東峰村の魅力発信基地」として、村内にカフェを開設し、トークイベントやライブを開催しました。森友さんの音楽仲間だけでなく、地元の人たちも運営に加わりました。(カフェはコロナ禍で営業休止中)
「地元の人も一緒にやることで、新しいアイデアが生まれ、知らなかったことをお互いに知ることができました」(森友さん)

復興に向けて努力する地元の人々に心から拍手を送りたいという森友さん。
「復興は大変なんでしょうね、絶対。だけどやるっていう、彼らの『心の筋肉』みたいなものがカッコいい。希望や夢とかゴールがあるとみんなそこに向かってつながることができる。復興に向かって『子どもたちにつなげよう!もう一回やろう!』っていう勢い、アゲな感じがすごく重要だと思いました」(森友さん)
自治体が復興で大切にしたこと
●朝倉市の復興まちづくり協議会
1000世帯を超える住宅が被災した朝倉市では、被災した8つの地区で「復興まちづくり協議会」を設置して、対話を重ねてきました。

朝倉市復興推進室長の梅田功さんは、
「作った当初は『支援が足りない』『もっとなにかやってくれ』という声も多かった。とにかく対話を続け、お互いの面識を持ち、意見を取り入れていった」と振り返ります。

住民の心のケアも重要な課題だとして、市は、被災者が悩みを相談できる場として「支え合いセンター」を作りました。
支え合いセンターのスタッフには、外部の人でなく被災者と昔から面識がある人たちに依頼しました。スタッフは被災した全世帯をまわって話し相手になることで、被災者の生活の不安を解消していったといいます。

復興事業にも、住民の声が生かされました。赤谷川の新しい護岸には「殺風景なコンクリートよりも石垣にしてほしい」という住民の意見を取り入れ、今回の豪雨で流された石を使いました。
●東峰村の「災害伝承館」
災害の翌年、東峰村では、災害の教訓を伝える「災害伝承館」を作りました。

東峰村村長の眞田秀樹さんは、伝承館の目的をこう語ります。
「村で起きたことを“自分のところにもいつ起こるかわからない”と伝えていく中で、いろんな形で情報を共有していく」

豪雨災害に関心の高い自治体には、村長や東峰村の職員が出向いて講演も行っています。復興の経験を共有し、将来の災害に備えることの大切さを説いています。
「安全・安心は、日頃の共有と経験と意識を持ち続けることが大事。そういうことが少しでも他の自治体の手助けになればと、やっているところです」(眞田村長)

●復興するために自治体が大切にするべきこと
九州大学大学院教授の三谷さんは「地域の復興には対話とコミュニケーションが大切」と強調します。
「行政が住民の考えを理解し、聞くこと。そしてどう対処するのか、プロセスをきちんと説明することによって、地域のコミュニティが一体になれる」
対話を進めるためには、行政と住民だけではなく、第三者が入って合意形成する方法もあります。

復興のために自治体がやるべきポイントとは?
「特に過疎地域では自治体組織が小さいので、周囲の自治体との連携が欠かせません。地域防災マップや、避難のタイムラインをつくるなど、復興・復旧のノウハウの共有も必要だと思います」(三谷さん)
三谷さんは、「復興」の意味を再考すべきだといいます。
「復興とは、前よりももっと良くすること。地域の人たちが、地域をもっと良くしていこうと自立的に集まり、行政やボランティアの助けがまとまって一つの力になることで、『前よりも良くなる復興』が成し遂げられる」(三谷さん)