この記事は、明日をまもるナビ「大都市水没!?海抜ゼロメートルを体感」(2022年5月22日 NHK総合テレビ放送)の内容をもとに制作しています。
これだけは知っておきたい、海抜ゼロメートル地帯の水害対策
▼河川の水位を保つ水門と排水機場が海抜ゼロメートル地帯を守っている
▼水没危機の東京を救った岩淵水門と荒川第一調節池
▼ゼロメートル地帯の水害は「垂直避難」ではなく「広域避難」が必要
三大都市圏に広がる海抜ゼロメートル地帯
「海抜ゼロメートル地帯」とは、「満潮時の海の高さよりも低い土地」のこと。文字通り海抜が0メートルと思いがちですが、海面からマイナス5~10メートルのところもあります。
三大都市圏の標高図で、濃い青で塗られた地域が海抜ゼロメートル地帯です。

名古屋圏は、ゼロメートル地帯の面積が336平方キロメートルで、日本一の広さです。1959年の伊勢湾台風で大きな被害を出した地域です。
大阪圏では、大阪湾を中心に兵庫県の甲子園球場あたりまでゼロメートル地帯が広がっています。
東京では23区の約2割がゼロメートル地帯。およそ176万人が住んでいます。
東京大学大学院 特任教授の片田敏孝さんは、「ゼロメートル地帯には共通するリスクがある」といいます。それは「人口と資産の集中がケタ違い」なこと。
住みやすい平地には、多くの人が住んでいます。大企業の本社や金融システムなど、産業や資産も集中しているため、いざ災害が起こるとケタ違いの被害が出てしまうのです。

●シミュレーション もし荒川が決壊したら
もし、荒川上流に3日間で500ミリの雨が降り、東京北部で堤防が決壊した場合、どうなるか。国土交通省が作成したシミュレーション映像があります。被害総額は65兆円に上ると試算されています。
ゼロメートル地帯は、いわば「洗面器の底」のような場所。自然には水が抜けず、浸水の期間は、長ければ1か月、少なくとも2~3週間続き、54万人の人が孤立するとのシミュレーション結果もあります。
水路の旅から見た江東デルタ地帯
そもそも、なぜ海抜ゼロメートル地帯で生活ができているのか。それは、地域を守るさまざまな仕組みがあるからです。
その仕組みを確かめるため、船で水路を巡ります。東京スカイツリーから東京湾に流れ込む荒川までの「江東デルタ地帯」およそ6キロです。案内してくれるのは、元・江戸川区土木部長の土屋信行(つちや・のぶゆき)さんです。


船は、江戸時代に掘られた水路、北十間川(きたじゅっけんがわ)を進みます。この川の水面は、海抜マイナス2メートルです。

次にやってきたのは、もう一つの水路、横十間川(よこじゅっけんがわ)との分岐点です。

170年ほど前にこの場所を描いた浮世絵と、川や橋の位置は今も変わりません。

かつての江戸の町には1400キロメートルにも及ぶ水路があり、全国から船で物資が運びこまれていました。
「江戸時代の日本の大きな都市は、ほとんどが水辺に出来ています。船がなければ都市が形成されなかった。水害のない高台では多くの荷物を運ぶのに非常に不便。江戸の町は、水の中に浮かんだ都市と言っても過言ではない」(土屋さん)

船は墨田区を抜け、旧中川へ。現れたのは巨大な2つの門です。
荒川と旧中川をつなぐ「荒川ロックゲート」です。海より2メートル水位が低い旧中川から、海とほぼ同じ高さの荒川に出るため、締め切ったゲートの間に水を注ぎこみ、水面ごと船を持ち上げる。いわば「水のエレベーター」です。

わずか3分で、1,000トンもの水が注ぎこまれ、船を荒川の水位まで上昇させます。扉が開くと、東京湾へと注ぐ荒川につながります。
しかしいったいなぜ、海より2メートルも低い川が存在できるのか?
そのカギを握るのが、ロックゲートの隣にある「小名木川(おなぎがわ)排水機場」です。365日ポンプを稼働し続けることで、江東内部の河川の水位を一定の高さに保っているのです。

江東デルタ地帯を流れる川は、水門によって海と仕切られています。いくつものポンプが溜まった水を外へくみ出すことで、川があふれださないようにしています。

●海抜ゼロメートル地帯はなぜできた?
100年前、この地域の地表面は海面より高い位置にありました。それがこの100年間で大きく沈んだ原因は、大正時代から始まった「地下水のくみ上げ」です。
東京の河川沿いにある多くの工場で、工業用水として地下から水を大量にくみ上げました。地下水が抜けることで、水を含んだ地層が徐々に収縮し、地面が沈んでいったのです。昭和40年代に地下水のくみ上げが規制されるまで、海より低い土地は広がり続けました。

そんな地盤沈下のすさまじさを体感できる場所があります。堤防から6メートル下にある車道は、荒川が開削されたときのかつての堤防の名残です。地盤沈下によって、堤防が川より低くなってしまったために、より高い堤防を、新たに造り足したのです。

●海抜ゼロメートル地帯の3つの水害リスク
【大雨と河川氾濫】
広い範囲に大雨が降ると、川の上流部で降った雨が下流部のゼロメートル地帯に集まり、氾濫のリスクが高まります。
【台風と高潮】
台風で気圧が低くなると、海面が上昇して強風であおられ、高波となって堤防を超えます。これが台風による高潮で、伊勢湾台風はこの被害の典型例でした。
【地震による堤防崩壊】
地震で堤防が崩れたり、液状化現象で沈んだりすると、そこから川や海の水が流れ込みます。
海抜ゼロメートル地帯はあらゆる水害リスクにさらされているのです。
東京を守った”隅田川の番人” 岩淵水門
2019年に日本列島を襲った台風19号。東北と関東甲信越を中心に記録的な大雨となり、70を超える河川で堤防が決壊しました。
10月12日、東京23区など7都県に初めて「大雨特別警報」が出され、多摩川とその支流で浸水被害が発生しました。
東京のゼロメートル地帯を貫く荒川の上流でも、200年に1度の大雨を観測。ついに氾濫危険水位に達しました。

荒川と下流部で分岐している隅田川は、荒川よりも堤防が5メートル以上低く、川幅も狭いため、水が流れ込み続ければ、氾濫する恐れが高まっていました。

洪水の危機が迫る中、注目されたのが荒川と隅田川を隔てる岩淵水門(いわぶちすいもん)です。

午後9時19分、荒川下流河川事務所は、隅田川の水位上昇を防ぐために、重さ642トンの巨大な水門を12年ぶりに閉じました。
翌朝、荒川の水位は戦後3番目に高い7.17メートルを記録。これは隅田川の堤防のわずか27センチ上でした。岩淵水門が閉じていなかったら、都心のゼロメートル地帯は確実に浸水していたのです。

10月15日に水位が低下し、岩淵水門は56時間ぶりに開放されました。SNS上では岩淵水門への感謝のエールが相次ぎました。
ゼロメートル地帯を救った“カマキリ”!?
岩淵水門とともに、台風19号から「東京を救った」と話題になったものが、もう一つあります。
荒川の中流部、岩淵水門から12キロほど上流にさかのぼったところにある荒川彩湖公園。カマキリの形の大きな遊具があり、「カマキリ公園」と呼ばれ、地域の人に親しまれています。
このカマキリ公園は、「荒川第一調節池(ちょうせつち)」の一部。川が増水すると、他より低く作られた堤防から水が流れ込む、全長およそ8キロに及ぶ貯水池です。
台風19号の際は、東京ドームおよそ30個分の水を貯め、下流部の氾濫を防ぎました。


「上流で降った雨はダムで止める」
「中流域の水は遊水池、調整池で貯める」
「下流部は河川の堤防で流す」
流域全体で洪水を防ぐ「流域治水」というシステムです。
「近年の激しい豪雨を考えると、流域全体で“どうしのぐのか”という考え方が重要になっています」(片田さん)

「逃げ場がない!」ゼロメートル地帯の水害
●垂直避難から広域避難へ
2021年、国土交通省荒川下流河川事務所では「荒川3D洪水ハザードマップ」を公開しました。
荒川が氾濫したときにどこまで浸水するのかを、建物単位まで3D画像でリアルに表示しパソコンやスマホで見ることができます。
この地図には、安全な避難ルートや避難場所を確認できるメリットもあります。
●荒川3D洪水浸水想定区域図(下流域)~3D洪水ハザードマップ
●スマホ版
※NHKサイトを離れます
この地図で見ると、避難所になりそうな小学校は校舎も体育館も2階まで水没しているところも…。では、近くの高層マンションや商業ビルなど、より高い建物に逃げ込む「垂直避難」すれば、大丈夫でしょうか?
片田さんは「垂直避難はあくまで最終手段」と指摘します。
江東5区(江東区・墨田区・足立区・葛飾区・江戸川区)のゼロメートル地帯の浸水は2週間以上続くと想定されています。
人口250万人の1割、25万人が建物に残ったと仮定しても、全員を救出することは困難です。高い建物に逃げ込むことが安全だと一概に言うことはできません。
そこで江東5区のハザードマップでは、浸水の恐れのない「区外への広域避難」を訴えています。

ゼロメートル地帯で生きる
荒川と中川に取り囲まれる葛飾区・東新小岩。ゼロメートル地帯に多くの住宅が密集しています。
水害時には3メートル以上の浸水被害が想定され、10数キロ離れた千葉県の市川市や松戸市への広域避難が指示されています。
要介護者が多く暮らすこの地区では、広域避難の訓練を10年以上前から繰り返し行ってきました。

この地区の人々が熱心に避難訓練に取り組む背景には、75年前の苦い体験がありました。
それは、関東を中心に1,930人の死者・行方不明者を出した1947年のカスリーン台風です。利根川や中川の堤防が決壊し、葛飾区や江戸川区のほぼ全域が水没しました。

長年、地区の防災活動に取り組んできた中川榮久(なかがわ・えいきゅう)さんもカスリーン台風を体験しています。
当時11歳(小学6年生)の中川さんは、家の屋根に登って難を逃れました。小学校の2階に届いた食パンや水をイカダに乗せ、近所に配って回ったといいます。

こうした体験を踏まえ、町内会では、10年前に救命用ボートを購入。水害で逃げ遅れた人の救出を想定した訓練を定期的に行っています。

中川さんは、今も小学校に出向いて、自分が体験した時と同じ年齢の子どもたちにカスリーン台風の体験を語り継いでいます。

広域避難の3つのポイント
片田さんが大学の研究室でシミュレーションしたところ、江東5区に暮らす250万人全員が他の地域に避難するには、3日かかるといいます。
「人や車が橋などに集中し、渋滞で動けなくなったときに洪水が押し寄せたら大変な被害が想定されてしまう」(片田さん)
そこで片田さんが提唱する広域避難のモットーが「より早く 自主的に バラバラに」です。
【より早く】
広域避難の最大の問題は、避難が集中し渋滞するとパニックが起きること。渋滞に巻き込まれないように早いタイミングで逃げる人が増えれば、避難のピークを分散できます。
【自主的に/バラバラに】
近年注目されているのが「分散避難」という方法です。
行政が指定する避難所に集まるのではなく、親戚や知人宅(縁故避難)や、ホテルへ行くなど、避難先を分散させることです。
密になると感染症のリスクも高まります。多くの人が同じ空間に集まると、プライバシーのない、慣れない場所での快適性の問題も出てきます。

東京・江戸川区では、昨年から区外のホテルなどに避難した際の宿泊費を1人1泊3,000円まで(最大3日分)補助する制度を始めています。
片田さんは、避難をあまり堅苦しく考えないようにすることが重要だといいます。
「どうせ実家に行くなら早めに孫の顔を見せに帰ろうか、といった考え方でもいいのです。いざという時に、混雑を緩和するようにそれぞれが努力することが自分のためであり、みんなで助かることにもつながります」(片田さん)