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【君の声が聴きたい】20歳になった“震度7の町”の子どもたちのいま

6年前、震度7の地震に2度見舞われた熊本県益城町。NHKでは、地震直後からこの町で暮らす当時中学3年生の子どもたちの姿を記録していました。そんな彼らも今年で20歳。一人ひとりの声に耳を傾けてみると、被災した経験を人生の糧にしようと試行錯誤するひたむきな姿がありました。

この記事は、明日をまもるナビ「震度7の町の“子どもたち”」(2022年5月8日 NHK総合テレビ放送)の内容をもとに制作しています。


“希望”となったピアノ

ことし成人式を迎えた原田もえさんは、熊本市内の音楽大学でピアノを専攻している大学生です。

成人式に出席する原田もえさん
成人式に出席する原田もえさん

NHKが当時中学3年のもえさんに初めて出会ったのは、地震が起きてから1か月後のこと。自宅の脇にある、崩れずに残った小屋の中で、毎日ピアノの練習に励んでいました。

当時のもえさん
当時のもえさん

5歳でピアノを始めたもえさん。将来は音楽の道に進みたいと思い始めていた矢先の地震でした。ピアノは地震で自宅の下敷きになりましたが、奇跡的に大きな傷はありませんでした。

地震で多くのものを失ったもえさんにとって、以前と変わらぬまま残された、数少ない物の一つがピアノでした。

倒壊した自宅横の小屋で練習するもえさん
倒壊した自宅横の小屋で練習するもえさん

益城町を離れ、熊本市内に引っ越したもえさんは、母と兄、祖父母の5人で新しい生活を始めました。
暮らしが落ち着いていく中でも、もえさんにはさまざまな不安が募っていました。

「元の生活が戻る日は来るのか。音楽の道に進むと、家族にさらなる負担をかけてしまうのではないか」。
もえさんは、ピアノをあきらめようとしていました。

母・加代子さんは、もえさんの性格をこう見ていました。
「気をつかうんですよ、ちっちゃいころから。金曜の夜から熱を出して、月曜日には保育園に行くような。親が忙しくないときに病気をする子だった」

母の加代子さん
母の加代子さん

そんなもえさんに、ピアノを続ける力を与えたのは、ピアノの先生の言葉でした。
「ピアノが、あなたの“希望”になると思う。地震に遭ったいまだからこそ、続けたほうがいい」

ピアノ発表会で演奏するもえさん
ピアノ発表会で演奏するもえさん

あれから6年。もえさんは中学を卒業後、音楽を専門に学ぶ公立の高校に進学。今は、音楽大学でピアノを専攻しています。

もえさんを大学で指導するのは、ピアノ講師の竹下千晴(たけした・ちはる)さん。あの時、言葉をかけてくれた先生です。
竹下先生は、地震直後のもえさんの様子を、今もよく覚えています。

「やっぱり子どもながらに、家族に対しても泣き言が言えなかったと思うんですよね。でもピアノに向かったときだけは自分の世界。ピアノに向かって泣くこともできる。もえちゃんの感情をコントロールするのに、ピアノと向き合う時間が必要だったのかな」

当時のもえさんの様子を語る竹下千晴先生
当時のもえさんの様子を語る竹下千晴先生

今だからわかる、15歳の自分にとってのピアノの存在。

もえさん
自分にとってピアノが毎日を過ごす理由の一つになった。自分は頑張っているものがあるんだ、だから大丈夫。そういう気持ちだったと思います。

もえさんの将来の夢は、子どもたちにピアノを教える仕事に就くことです。15歳のころの自分のような、つらい思いを抱えた子どもたちを支えてあげることができる先生になるのが目標です。

レッスンに励むもえさん
レッスンに励むもえさん

●15歳の自分に言葉をかけるなら

原田もえさん
一生懸命決めたことや夢に向かって、頑張ってほしいです。
音楽をやっていなかったら、人に元気をもらうこともなかったんじゃないかなと思う。それは地震があってからの自分の人生で良かったこと。これからは、自分が誰かにそういう気持ちになってもらえる人になりたいと思います。

原田もえさん
原田もえさん

地震の経験で得た将来の羅針盤

吉山昇汰(よしやま・しょうた)さん、当時15歳。地震で傷ついたこの町を元気づけたいと、もがいていました。
学校の休み時間、彼はひとり頭を抱えていました。

教室でひとり頭を抱える昇汰さん
教室でひとり頭を抱える昇汰さん

この日、運動会の団長を決める選挙に立候補しましたが、選ばれなかったのです。

本来、リーダータイプではないという昇汰さん。にもかかわらず立候補したのには理由がありました。

当時の吉山昇汰さん
当時の吉山昇汰さん

地震直後の電気も水もない時期、昇汰さんの家族は近所の人たちが食べ物などを持ち寄ってくれたおかげで、避難生活を乗り切ることができました。

地域の人に励まされた昇汰さんは、「運動会を盛り上げることで、今度は自分が町の人たちを元気づけたい」と考えていたのです。

運動会団長にはなれませんでしたが、昇汰さんはいつか災害ボランティアとして活動する日に備えて、筋トレも始めました。

あれから6年が経った、今年の成人式。昇汰さんと久しぶりに再会すると、坊主頭だった15歳のころからは様変わり。

お祝いにかけつけていた中学時代の先生たちも驚いています。
先生「吉山くん、ちょっと何か、筋肉がすごくない?」
昇汰「マジですか?」

成人式に出席した昇汰さん
成人式に出席した昇汰さん

昇汰さんの筋トレは、今も続いています。ダンベルの重さは当時の2倍。まだ、災害ボランティアには参加してはいませんが…。

いまも筋トレを続ける
いまも筋トレを続ける

昇汰さんには、はっきりとした目標があります。それは、社会福祉士として益城町で働くことです。現在、熊本市内の大学で学んでいます。

大学のゼミで学ぶ昇汰さん(正面・真ん中)
大学のゼミで学ぶ昇汰さん(正面・真ん中)

昇汰さんが社会福祉士の道に進もうと決めたのは、熊本地震でのある出来事がきっかけでした。地震が起きた翌日、昇汰さんが避難所でお弁当を配る仕事をしていた時のことです。

お弁当を受け取ったお年寄りが言ってくれた、「ありがとう」のひと言。この言葉が、昇汰さんの心に刻まれていたのです。

昇汰さん
「ありがとう」って言われて、「あっ何かこんな気持ちいい」というか、「うれしいことなんだ」みたいな。
人のために何かすることのうれしさ、大切さみたいな感じが記憶に残って、そういう仕事をやりたいなと。

昇汰さんの心に刻まれた「ありがとう」
昇汰さんの心に刻まれた「ありがとう」

地震の時に、一瞬死を意識したという昇汰さん。

昇汰さん
そういう経験があったけん、身近な家族は絶対大切にしようと思った。人を助ける達成感、うれしさも自分の中で大切なものになったと思います。

かつて教室で涙していた15歳は、一歩ずつ自分の目標に向かっています。

●15歳の自分に言葉をかけるなら

吉山昇汰さん
そんな深く考えんでも、いいよって(笑)。なんか、普通に成長できてるよって言いたいです。
被災したときは、絶望しちゃうかもしれないけど、時間が経てば何とかなるから。とりあえず、人と話すことが大事かなと思います。そうすることでふだんの自分を保てる。

吉山昇汰さん
吉山昇汰さん

絶望の中から受け継いだ父の思い

岡村夢(おかむら・ゆめ)さんは中国の出身です。8歳のとき、母が日本人の父と再婚し、益城町にやってきました。

成人式に出席した岡村夢さん
成人式に出席した岡村夢さん

言葉も文化も違う生活が落ち着き、日本での将来を考え始めた15歳のとき、地震で自宅を奪われました。
「自分の“居場所”がなくなった感じがしました」(夢さん)

被災した自宅の前で話す夢さん
被災した自宅の前で話す夢さん

地震から4か月が経ち、仮設住宅には入れたものの、夢さんの心は不安でいっぱいでした。
母の紅云(こううん)さんは、弁当店で週に6日パートをして、家計を支えていました。

仮設住宅で過ごす夢さん一家
仮設住宅で過ごす夢さん一家

父の健一(けんいち)さんは、持病に加えて避難生活の影響で体調を悪化させていました。
「糖尿病で透析して、足が1本なくて。そしてエコノミー症候群になって、MRIで検査したら、すい臓にガンが見つかって」(健一さん)

父の健一さん(2016年当時)
父の健一さん(2016年当時)

しかし、そんな父の健一さんは常に笑顔を絶やさず、夢さんの精神的な支えでした。地震後の不安が募る中で、どうしてもネガティブな言葉が出てしまっていた夢さん。そんな時、健一さんは夢さんをドライブに誘い、何時間もかけて阿蘇の山や、天草の海へと出かけました。そのたびに夢さんの不安は和らいでいったといいます。

常に前向きな健一さんの口ぐせは、
「なるようにしかならんばってん、『なるごつなれ』(なるようになれ)ですね」(夢さん)

父・健一さんは夢さんをドライブに連れ出して励ましてくれた
父・健一さんは夢さんをドライブに連れ出して励ましてくれた

あれから6年。今、夢さんは母と2人で町の災害公営住宅で暮らしています。家で日本語を話すことは、ほとんどありません。父の健一さんはこの新しい家で暮らすことなく、2年前に亡くなりました。

夢さん
今までお父さんが支えだったから、どうやって生活していくのかもわからなくて。大学も行ってもいいのかな。お母さんが一人で家族を支えていくことになるから。それが一番不安でした。

地震、そして父を失ったこと。人生の大きな変化に直面しながらも、夢さんは前に進んできました。現在、アルバイトを掛け持ちして家計を支え、奨学金を受けて大学に通っています。

アルバイトをする夢さん
アルバイトをする夢さん

こうして前に歩むことができているのも、あの震災の時期を支えてくれた父の存在があったからだと、夢さんはいいます。

夢さん
今でも涙が止まらなくて、夜眠れなくなったりとかもする。でも、お父さんが生きてたときに、私が泣いたりすると「泣かんでええたい。そぎゃんなことで」って言うんですよ。「すぐ泣くと幸せが逃げるよ」とか。何年も悲しんでたら、お父さんの方が悲しくなるかなって思って。

夢さんには、大切にしているものがあります。日本に来てすぐ、お父さんが初めて動植物園の土産屋で買ってくれた、犬のぬいぐるみです。

夢さん
地震のときもこれ持って逃げて(笑)。一番大事でした。お父さんが亡くなってからは、なんかこれ見ると安心します

大切にしているぬいぐるみ
大切にしているぬいぐるみ

大学卒業後は、語学力を生かして国際関係の仕事に就くことを目指している夢さん。
20歳になった今、自らの意思で人生を切り開こうとしています。

夢さん
今は、就職に対して不安が大きいんですけど、何とかなるなって思ってます(笑)。がんばればどうにかなる。その根拠は、お父さんから来てるから、なんか謎の自信があるんですよね。「なんとかなるど!」って思います。

●15歳の自分に言葉をかけるなら

岡村夢さん
そのとき、私はあまり笑えてなかったと思うんですよね。笑ったほうが不安も飛ぶし、結局どうにかなったから。笑っていれば、どうにかなる!と言いたいですね。

岡野夢さん
岡野夢さん

三人三様 それぞれの熊本地震

15歳のころ被災した益城町の新成人は311人。さまざまな思いで当時を振り返ります。

沼野佳蓮さんは、住んでいた地域が大きな被害を受け、しばらくの間、熊本市の学校に転校しました。転校先では周囲と違う制服の佳蓮さんでしたが、誰もが温かく迎えてくれました。

中学生のときの佳蓮さん
中学生のときの佳蓮さん

沼野佳蓮さん
友だちがいない状況のところに行って、慣れない土地で不安もあったんですけど、いろんな人に支えていただいたので、私も支えられる人になれたらいいなと思います。

沼野佳蓮さん
沼野佳蓮さん

澤田健太さんは、両親が営んでいたレストランが被災。店を再開させるため前に進もうとする両親の姿を目の当たりにしてきました。町で弁当店を営み、健太さんを東京の大学に進ませてくれました。

店の片付けを手伝う中学生の健太さん
店の片付けを手伝う中学生の健太さん

澤田健太さん
自分のやりたいことをやらせてもらって、すごく感謝してます。自分が将来就職したときに、次は親を自由にさせてあげたい。熊本に戻ってきて、こっちで仕事を探せればなと思ってます。

澤田健太さん
澤田健太さん

中瀨愛優さんは、15歳のころ、ひとりつらい思いを抱えていたといいます。被災後、急に涙が出たり体調を崩したりすることがありました。しかし、そのことは家族にも隠し続けていました。

中学生のときの愛優さん
中学生のときの愛優さん

中瀨愛優さん
大人は、自分の考えていることをわかってくれないと感じていた。でも今考えたら、15歳ってまだまだ子どもじゃないですか。あの頃、頼って話を聞いておけば、不安な気持ちもなくなりはしないかもしれないけど、弱く、小さくなったのかなと思います。

中瀨愛優さん
中瀨愛優さん

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