明日をまもるナビ メニューへ移動 メインコンテンツへ移動

【君の声が聴きたい】「あの日」の子どもたちが、いま言葉にしたい気持ち

東日本大震災で、家族や自宅など大切なものを失った子どもたちがいます。「あの日」から11年がたった今、彼らは進学、就職など大人としての一歩を踏み出しています。いまだから言葉にできること、いま言葉にしたい気持ち、そしてこれから先の未来への思いを聞きました。

この記事は、明日をまもるナビ「“あの日”でつながる、子どもたち」(2022年5月1日 NHK総合テレビ放送)の内容をもとに制作しています。

NHK では、“君の声が聴きたい”と題して子どもや若者の幸せについて考えるプロジェクトに取り組んでいます。子どもや若者の声をもとに番組を作り、彼らのメッセージから未来へのヒントを探そうという試みです。「明日をまもるナビ」では、東日本大震災で大切な人やものを失った子どもたちの声に耳を傾けました。


【対話1】支えてくれた人に見せたい今の自分

久しぶりに再会した萩原彩葉さん(右)と森田望奈未さん(左)
久しぶりに再会した萩原彩葉さん(右)と森田望奈未さん(左)

仙台出身の萩原彩葉(はぎわら・さわは)さん。
神戸で暮らす森田望奈未(もりた・みなみ)さんとの再会は、中学校卒業以来、4年ぶりです。

ふたりの出会いは、東日本大震災が起きた3年後。彩葉さんは、震災で親を亡くした子どもたちを支援する「あしなが育英会」で、ボランティアをしていた望奈未さんと出会いました。

出会った頃の望奈未さんと彩葉さん
出会った頃の望奈未さんと彩葉さん

●バージンロード問題

久しぶりのふたりの対話は、こんな話題から始まりました。

望奈未さん
彩葉、彼氏できたん?

彩葉さん
できてない。どうすればいい?

望奈未さん
いちばん聞いたらあかん人に聞いてる。

彩葉さん
私、やばい。だって今年、二十歳になるの。早く結婚したいんだけどね…私、バージンロード誰と歩くんだろう。

望奈未さん
な、ほんまにそれ。

彩葉さん
“バージンロード問題”ね。

望奈未さん
うん、ほんまにでかい。

彩葉さん
お父さん亡くなった子とかは。

●初めて話したのは、死にたいという気持ち

東日本大震災でお父さんを津波で亡くした彩葉さん。当時、彩葉さんと同じ境遇の人は周囲におらず、小学5年生の時にはいじめを受けたこともあるといいます。

大好きだったお父さんを津波で亡くしてしまった悲しみ。彩葉さんにとって、その思いを初めて話した相手が望奈未さんでした。

対話の様子

彩葉さん
父ちゃんが死んだ以上の「つらい」はなかったけど、父ちゃんのことをばかにしてくるような言い方をされたときに、初めて死にたいって思った。

望奈未さん
その話、彩葉と最初にしゃべったとき、聞いたもんな。

当時の気持ちを話す彩葉さん
当時の気持ちを話す彩葉さん

そのとき望奈未さんも、父親を亡くしていました。

望奈未さん
遺族としてのつらさは、いちばん身にしみてるから、とりあえず生きててくれと。生きてることが幸せだから(と伝えた)。

大学生になり、将来を考え始めた彩葉さん。支えてくれた望奈未さんに見せたい姿があります。

大学に入学した彩葉さん
大学に入学した彩葉さん

彩葉さん
保健室の先生がいいかもと思って、いま勉強してるの。震災だけじゃなく、私はいじめにも遭ってたから、そういう子の力になれたり、居場所を作ってあげられたらいいなって。

望奈未さん
そうか、彩葉との共通点また増えたな。望奈未も子どもの教育がずっとしたいからさ。

彩葉さん
自分しかできないこと、あるんじゃないかなってめっちゃ思う。

望奈未さん
(親との)死別ってつらいことかもしれないけど、それがすべてじゃないし、そこから出てくる縁もある。ある意味、彩葉のお父ちゃん、ありがとうやな。彩葉に出会わせてくれて。

「成長したねって少しでも言ってもらえたら」と話していた彩葉さん。2時間以上話しても、まだまだ話はつきませんでした。

望奈未さんと彩葉さん

◎ふたりの対話をもっと読みたい方へ
《みんなでプラス》いま言葉にしたい気持ち
「出会わせてくれて、ありがとう」


【対話2】幼いふたりはかつての自分だった

岩手県大槌町出身の太田夢(ゆめ)さん。いま話したい相手は、北海道厚真町(あつまちょう)の日西楓(かえで)さんと佐藤遥(はるか)さんです。

太田夢さん・日西楓さん・佐藤遥さん・上道和恵さん
太田夢さん・日西楓さん・佐藤遥さん・上道和恵さん

●小さなふたりとの出会いが自分を振り返る時間に

夢さんは8歳の時に東日本大震災で被災し、大槌町の自宅を津波で流されました。

2019年、夢さんは学校の生徒会のボランティアとして北海道胆振東部地震で被災した厚真町の子どもたちと交流する活動に参加。それがふたりと出会うきっかけでした。

ボランティアに参加した夢さん
ボランティアに参加した夢さん

当時高校1年生だった夢さん。まだ小さかった楓さんと遥さんとの出会いは、自分を振り返る時間になったといいます。

夢さん
思っている以上にちっちゃいというか、幼いというか。悲惨なことが起きているのに、明るくて、遊びを楽しんでいる感じだった。自分も(被災した)当時そうだった。

夢さんは、ふたりがかつての自分のように、まだ目の前の悲惨な状況を受け止め切れていないのではないかと感じていました。

夢さん
自分が被災したという事実はちゃんと理解はしていたけど、それにうまく感情がついていけなくて。なので、涙も出ませんでした。

太田夢さん
太田夢さん

夢さんはいま、ふたりが成長するにつれ、つらさを抱えていないか心配になり、対話したいと考えました。

リモートの画面で対面
リモートの画面で対面

対話には楓さんと遥さんを支援してきた上道和恵(うえみち・かずえ)さんも参加しました。

楓さん
厚真はね、仮設がなくなった。

夢さん
じゃあ見に行った仮設とかも今はもうないんですか。

楓さん
はい。全部取り壊されて新しいおうちが建ちました。

夢さん
えー、早いですね。

上道さん
早いんですよ。場所とか、建物とか、そういうのもすこしずつ。神社もきれいになったしね。大槌のほうはだいぶ変わってきましたか。

夢さん
全然、昔の街並みとかもよく分からない感じになってますね。やっぱり昔よく行ってたところがないのは、寂しさはありますね。


●それぞれの「あの日」を語り合う

夢さん
地震が起きたときのことってふたりは覚えてる?

楓さん
覚えてます。窓から逃げて、キャンピングカーで2泊?1泊?

遥さん
朝ご飯に焼き肉しようって 近所の人呼びに行ったら、ヘリコプターが、手振ったら下りてきた。テレビ局かもしれねえっていって。

上道さん
違う違う(笑)。こっち側(市街地)の人たちはみんな心配してたんだから。

楓さん
え、そうなの?

実はふたりと出会ったとき、夢さんは震災の経験にあえて触れませんでした。

出会った頃の楓さん・遥さんと夢さん
出会った頃の楓さん・遥さんと夢さん

夢さん
元気づけるために行ったのに、思い出させるのはどうなんだろうって。

それは、夢さん自身が失ったものを見つめるつらさを感じていたからでもありました。

夢さん
どんどんつらくなっていきましたね。私は祖母と伯父を流されてしまっているので。

ふたりと出会って3年。夢さんは今、大切な家族を「語ること」で忘れないでいたいと感じるようになっています。

夢さん
(震災のことを)覚えてるって聞いたときに、そこでどうなるかなってちょっと不安だったんですけど、すごい笑い話にしていたので。自分の時と同じ感じなのか、前向きにとらえているかはまだよくわからないんですけど、明るく受け入れられていたのかな。

太田夢さん・日西楓さん・佐藤遥さん・上道和恵さん

◎夢さんの思い、4人の対話をもっと読みたい方は
《みんなでプラス》いま言葉にしたい気持ち
「あの2人は、かつての私だった」


【対話3】離れたままの「ふるさと」と向き合う

次にご紹介するのは、原発事故で避難生活を送ることになった福島県出身のふたりの対話です。

小野田恵佳(おのだ・あやか)さん(22歳)は浪江町出身の大学4年生。
齋藤真緒(さいとう・まお)さん(21歳)は大熊町出身の大学3年生。
会うのは、この日が初めてです。

小野田恵佳さんと齋藤真緒さん
小野田恵佳さんと齋藤真緒さん

●同じ悩みを持つ同世代と話したい

「同じ悩みを持つ同世代と話したい」というふたりの希望で今回の対話は実現しました。

ふたりが抱えている悩み。それは、ずっと離れたままの「ふるさと」についてです。

真緒さん
何につけても大熊と関連させちゃって、だんだん足かせになって。もっと大熊の外に飛び出したいなという気持ちがすごいあった。

齋藤真緒さん
齋藤真緒さん

真緒さんは、小学4年生まで大熊町で暮らしていました。町の大半は、今も立ち入りが制限されています。町に暮らしていた時間よりも、離れている時間の方が長くなってしまいました。

子どもの頃の思い出の場所を訪ね歩く真緒さん
子どもの頃の思い出の場所を訪ね歩く真緒さん

一方の恵佳さんも、長引く避難生活の中で、生まれた家が取り壊されてしまいました。

空き地になった自宅跡を歩く恵佳さん
空き地になった自宅跡を歩く恵佳さん

恵佳さんも、避難先では自分の経験を周りに隠し続けてきたといいます。しかし、県外の大学に進学した20歳の頃から、自分とふるさとについて考えるようになりました。

小野田恵佳さん
小野田恵佳さん

真緒さん
浪江に向き合いたい、語りたいと思ったきっかけは?

恵佳さん
大学で地元を離れたのがきっかけ。話してみると、あの時こういうこと考えていたんだとか、意外と口に出してみて分かることもある。

真緒さん
私はどうしても“大熊のために”と…。

恵佳さん
“浪江のために”もあるけど、どっちかというと“自分のため”が多いかもしれない。最初は。

真緒さんは、2015年ネパール大震災の被災地でボランティアを経験しました。ネパールの子どもたちの状況を見て、自分のふるさとに向き合いたいと思うようになり、語り部の活動などを始めました。

真緒さん
「自分もまだ帰れてないじゃん」って思って。自分の町が元に戻ってないのに、ほったらかしていいのかなと感じて。

語り部の活動をする真緒さん
語り部の活動をする真緒さん

●自分は、故郷の復興に利用されている?

真緒さん
高専4年生になって、汚染した土を除染すれば再生利用できると町民に伝えるイベントで『あなたは大熊出身で一番説得力あるんだから頑張ってね』と言われた。

恵佳さん
期待されてると同時に、プレッシャーが…。

真緒さん
「利用されてる?」って勝手に自分で思ってしまって。しかも、自分がどんなに頑張っても大熊町は元には戻らない。大熊だけどんどん前に進んでるのに、自分は過去にずっといて、「大熊だけズルい」みたいになっちゃって。そこから「大熊、好きだけど嫌い」みたいな…。

共感し合うふたり
共感し合うふたり

恵佳さん
わかる、自分もある。(大学の)ゼミでも一発目に浪江や震災のことをやろうと思うんだよね。そうしないと、自分が自分じゃないって。

真緒さん
本当に「何で出てくるんだろう、大熊」とか思っちゃう。

恵佳さん
忘れられない人みたいな印象になっちゃうよね、恋人みたいな。「浪江」っていう2文字が全てを物語ってる感じがするから、自分がどう向き合っていけば良いのか、難しいんだよね。

共感するところが多く見つかり、昔からの友だちのような感覚でふたりの対話は続きました。

恵佳さんと真緒さん
恵佳さんと真緒さん

◎ふたりの対話をもっと読みたい方は
《みんなでプラス》いま言葉にしたい気持ち
故郷は“忘れられない恋人”


「あの日」の子どもたちへの10の質問

「あの日」の子どもたちへの10の質問

東日本大震災を経験し、大切なものを失った子どもたちに、いまだから語れる気持ちを尋ねました。

【質問1】自分の中で、変わったこと、変わらなかったことは何ですか?

▼髙橋京佳さん(21)
宮城県南三陸町出身 震災当時10歳

髙橋京佳さん

変わったことは、震災の話を自分からできるようになったこと。変わらなかったことは、当時から、人に対する感謝の気持ちを忘れないで、日々を過ごしてきたことです。

→髙橋京佳さんが答えた10の質問はこちら
→京佳さんと、カウンセラー䰗目(くじめ)成美さんとの対話はこちら

【質問2】東日本大震災を思い出すのはどんな時ですか?

▼大槻綾香さん(25歳)
宮城県石巻市出身 震災当時14歳

大槻綾香さん

夜眠る前が多いかな。母親が生きていたら、どんなことを今言ってくれるかなとか、考えながら眠る日がたまにあります。

→大槻綾香さんと宍戸ひかりさんの対話はこちら

【質問3】最近、うれしかったことは何ですか?

▼齊藤和希さん(20歳)
岩手県大槌町出身 震災当時9歳

齊藤和希さん

彼女から成人祝いのプレゼントをもらったことです。帽子です。

→齊藤和希さんと恩師の新沼美恵先生との対話はこちら

【質問4】10年前の自分に声をかけるとしたら何て言ってあげますか?

▼菅家菜々子さん(16歳)
福島県浪江町出身 震災当時5歳

菅家菜々子さん

「今、何を考えているの?」って、聞いてみたい。震災を経験して「壁」を作ってしまって、母に思っていたことを言えないのは震災の影響もあったんじゃないかなと、最近やっと理解できたので。

→菅家菜々子さんが答えた10の質問はこちら

【質問5】この10年、長かったですか?短かったですか?

▼萩原颯太さん(23歳)
宮城県仙台市出身 震災当時11歳

萩原颯太さん

震災からの3、4年は、父親が亡くなった喪失感があって長く感じた。高校に上がってから大学の4年間までの7年は早く感じました。楽しいこともいっぱいあったので。

【質問6】今、いちばん会いたい人は誰ですか?

▼髙橋佑麻さん(22歳)
宮城県東松島市出身 震災当時11歳

髙橋佑麻さん

お母さんにもお姉ちゃんにも会いたい。おばあちゃんは夢で会うとは言ってたので、いいなと。自分のところにはなかなか来てくれないみたいで…。

→髙橋佑麻さんと祖母・功子さん、恩師・制野俊弘先生との対話はこちら

【質問7】あなたにとって、家族ってどんな存在ですか?

▼戸川華恵さん(18歳)
福島県浪江町出身 震災当時7歳

戸川華恵さん

震災が起きて、いじめられていた時は味方ではない、と思っていたんですけど。今は、いつでも自分の味方になってくれて、自分を大切に考えてくれる存在だと思います。

→戸川華恵さんが答えた10の質問はこちら

【質問8】あなたの宝物は何ですか?

▼太田夢さん(19歳)
岩手県大槌町出身 震災当時8歳

太田夢さん

私の宝物は、私が今まで蓄えてきたこの経験と、いろんな人とつながっているっていうところですね。

【質問9】10年後の自分は、どこで、何をしていますか?

▼萩原颯太さん(23歳)
宮城県仙台市出身 震災当時11歳

萩原颯太さん

家庭も持っていたらいいなと思います。父親を亡くして、いい父親像は11年ぐらいしか見れてなかったので、模索しながら、父親にもなれたらいいな。

【質問10】10年後の自分に聞きたいことは何ですか?

▼宍戸ひかりさん(19歳)
福島県相馬市出身 震災当時8歳

宍戸ひかりさん

面倒くさがり屋の私は、ちゃんと保健室の先生の仕事をできていますか。ちゃんと、いい旦那さんをつかまえていますか。ふふふ。

→宍戸ひかりさんと大槻綾香さんとの対話はこちら

▼関連記事はこちら
【君の声が聴きたい】20歳になった“震度7の町”の子どもたちのいま