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浅間山の噴火に学ぶ 240年前の火山災害から今につながる防災のヒント

火山列島・日本。大規模噴火はいつどこで起きてもおかしくありません。江戸時代の大きな噴火が、浅間山で起きた「天明の噴火」です。被害は驚くほど広範囲に広がり、犠牲者は1500人以上にのぼりました。240年前に起きた浅間山の噴火を知ることで、今につながる防災のヒントを見つけます。

この記事は、明日をまもるナビ「浅間山噴火 過去の災害に学ぶ旅」(2022年4月17日 NHK総合テレビ放送)の内容をもとに制作しています。

これだけは知っておきたい、浅間山の噴火の歴史
▼浅間山の最新の大規模噴火はおよそ240年前の1783年に起きた「天明の噴火」。
▼広範囲に被害を及ぼしたのは溶岩流や火砕流ではなく大量の土石流だった。
▼過去の地層の分析では、北側だけではなくて、南側にも火砕流や火砕サージが流れるので要注意。


天明の噴火 そのとき何が起きたのか?

浅間山の場所
浅間山の場所

●押し寄せた大量の溶岩流

浅間山は群馬県と長野県の県境に位置する火山です。軽井沢や草津などの観光地が近く、多くの人が訪れる場所です。20世紀前半まで、浅間山は活発に活動していました。

浅間山の直近の大規模な噴火は、およそ240年前の江戸時代。天明3年(1783年)に起きた「天明の噴火」です。

浅間山の山頂から北に4キロメートルほどのところに、天明の噴火で形成された「鬼押出し」という場所があります。
「溶岩を押し流すその光景を、『鬼が暴れて押し出したようだ』と村人が名付けました」(鬼押出し園ガイドの五十嵐亘考さん)

5月から始まった噴火は、およそ90日間続きました。その最後の大噴火によって、大量の溶岩流が押し寄せてできたのが、この「鬼押出し」です。東京ドームおよそ150個分の面積に、厚さ最大70メートルの溶岩が広がっています。10トントラックで4500万台分の量です。

浅間山の鬼押出し
浅間山の鬼押出し

当時このあたりは人の住まない荒野だったため、この溶岩流による犠牲者はありませんでした。

●鎌原村を襲ったものは何か?

多くの犠牲者が出たのは、浅間山の山頂から12キロメートル離れた鎌原(かんばら)村、現在の嬬恋村鎌原地区です。

現地の小さな観音堂に噴火被害の痕跡が隠されています。お堂の前の橋の下、地中へ続く階段があります。噴火によって、村全体が6メートル近く埋まってしまった、その痕跡です。

観音堂前の橋の下に地中へと続く階段が

当時、村には570人ほどが暮らしていましたが、そのうち477人が亡くなったと言われています。噴火のとき村にいなかった人と、このお堂に避難した人だけが生き残りました。

昭和54年(1979年)、鎌原村の発掘調査が行われ、お堂の階段の下からは2人の女性の遺骨が見つかりました。中年の女性が高齢の女性を背負い、お堂に避難する途中で命を落としたと推測されています。

発掘調査で見つかった2人の女性の遺骨
発掘調査で見つかった2人の女性の遺骨

鎌原地区では、生き残った村人の子孫が今もこのお堂を大切に守り、参拝客に当時のことを語り継ぐ活動を行っています。

「(浅間山から)12キロメートルもあるので、普通の溶岩だったら3、4日経たないと到達しないだろうと思っていたら、一気に5分か10分で来てしまった」(鎌原観音堂奉仕会の宮崎さん)

溶岩流ではない「鎌原村を襲ったもの」とは何だったのでしょうか?
以前は高温の火砕流だと考えられていました。ところが、発掘調査で見つかった品々には、焼け痕も焦げ跡もありません。

焼け跡も焦げ跡もない埋設物
焼け跡も焦げ跡もない埋設物

鎌原村を襲ったのは大量の土砂でした。火山の噴火によって発生した「土石なだれ」ではないかと推測されています。


噴火の推移と災害の原因を読み解く

●最初の噴火から3か月続いた末に大噴火

噴火の推移を、火山地質学が専門の日本大学教授の安井真也(まや)さんが、当時の絵図をもとに解説します。

浅間山を専門に研究する日本大学教授の安井真也さん
浅間山を専門に研究する日本大学教授の安井真也さん

噴火が始まったのは、現在の暦で1783年5月9日。噴火は次第に大きくなり、火山灰が降るようになりました。

噴火する浅間山を南の佐久方面から描いた絵図
噴火する浅間山を南の佐久方面から描いた絵図

7月の終わりには、連日激しい噴火を繰り返すようになります。絵図には、噴出物の摩擦による「火山雷」も描かれています。草津の温泉客は、これを「江戸の花火だ」と言って見物をしていたという記録もあります。

噴煙の中に火山雷も描かれている
噴煙の中に火山雷も描かれている

そして、8月4日の夕方から未明にかけて、それまで最大級の激しい噴火が起きました。絵図には噴煙が高く上がり、軽石が降っている様子が描かれています。

火口近くにシャワーのように溶岩のしぶきが落ちてそのまま固まり、北側にも溶岩が流れ、「鬼押出し」になっていきました。火砕流も発生しています。

溶岩のしぶきを噴き上げる大噴火の様子
溶岩のしぶきを噴き上げる大噴火の様子

●土石流の発生原因は不明

しかし、なぜ鎌原村を襲う土石流が起きたのかは、答えが出ていません。研究者の間でもいろいろな説があるといいます。

浅間山の北側斜面に広がる噴火の痕跡
浅間山の北側斜面に広がる噴火の痕跡

安井さんは「山腹での水蒸気爆発」をひとつの説としてあげています。
古い記録によると、①北のふもとに柳井沼という池がありました。
②ここが溶岩流で埋まって、③大きな水蒸気爆発を起こし、溶岩流の先端が巨大な岩塊になって散らばるとともに、④地面が地滑り状に崩壊して、北側のふもとに流れたという説です。

(イメージ図)山腹で起きた水蒸気爆発で地滑りが発生
(イメージ図)山腹で起きた水蒸気爆発で地滑りが発生

地形がよくわかる赤色図で確かめると、鬼押出しの先の地形が窪地になり、えぐれています。削れた場所には巨大な溶岩の塊が大量に散らばり、ここから北側に向かって土石なだれが流れている状況がわかります。

浅間山北側斜面の赤色図
浅間山北側斜面の赤色図

しかし、まだまだ謎の部分が多く、鎌原村では発掘調査が昨年から再開されています。

●歌を通じて噴火を伝える

旧鎌原村の子孫は、毎年春のお彼岸になると先祖を弔うため、団子を作りお供えします。そして、犠牲者477人の名前が記された掛け軸をかけ、祈りを捧げます。

そのときに唱えられるのが、天明の噴火の様子をうたった「浅間山噴火大和讃」という歌(念仏)です。

和讃を唱えながら先祖を供養する住民たち
和讃を唱えながら先祖を供養する住民たち

「以前は“廻り念仏”といって、各家をぜんぶまわっていたんです。だから、子どものころからみんな耳で覚えている」(奉仕会の会長)
歌を通じて、噴火の被害や復興の歴史が現代に伝えられています。


下流を襲った泥流で死者1500人の大惨事に

●各地に残る被害の痕跡や言い伝え

鎌原村を襲った土砂は、さらに先へ、浅間山から十数キロメートルにある吾妻川にまで流れ込みました。土砂は川の水によって「泥流」となり、高速で流れ下って行きました。

土砂が流れ込んだ吾妻川
土砂が流れ込んだ吾妻川

12キロメートル下流の群馬県長野原町には、その被害の痕跡が残されています。
吾妻川中流部にある八ッ場(やんば)ダムでは、28年前に始まった建設工事に伴って発掘調査が行われ、噴火の被害を物語る品々が掘り起こされました。

ダム工事に伴って行われた発掘調査
ダム工事に伴って行われた発掘調査

2021年に開設された「やんば天明泥流ミュージアム」には、調査で掘った地層の断面が展示されています。

噴火以前の地面に降り積もった火山灰。さらにその上に3メートルもの厚さの泥流の土砂が堆積していました。

厚さ約3メートルの泥流の層
厚さ約3メートルの泥流の層

泥流は、さらに遠くまで被害を拡げていきました。

利根川沿いに広がった泥流被害
利根川沿いに広がった泥流被害

浅間山から44キロメートル離れた群馬県渋川市に残る当時の絵図には、襲いかかる泥流が描かれています。流される家や、人、牛。慌てて逃げる旅人の姿もあります。

絵図に書かれた泥流の様子
絵図に書かれた泥流の様子

さらに、浅間山から114キロメートル離れた旧・幸手宿(現・埼玉県幸手市)の絵図では、遺体が流れてきたと記されていて、千葉県の銚子や東京湾にまで流れついたと伝えられています。

絵図に描かれた泥流に流される遺体
絵図に描かれた泥流に流される遺体

このように、浅間山の噴火の際に発生した大量の土砂は、川へ入り泥流となり、下流に住む人々を襲ったのです。その結果、1500人以上の人が犠牲となる大惨事となりました。

●世界の火山泥流

噴火による泥流は珍しいものではありません。過去100年間をさかのぼってみても、世界各地で起きています。

1980年5月18日。アメリカのセントへレンズ山では、大噴火で山体崩壊が発生し、大量の土砂が泥流となって大きな被害を及ぼしました。

山体崩壊を起こしたセントへレンズ山
山体崩壊を起こしたセントへレンズ山

日本では、1926年5月24日に十勝岳(北海道)噴火で、雪がとけ泥流が発生する「融雪型火山泥流」が発生。発生から25分でふもとの富良野地区を襲い、144名が犠牲になりました。

十勝岳の泥流被害
十勝岳の泥流被害

浅間山の噴火対策はどうなっているのか?

●24時間体制で火山活動を監視

浅間山の山頂からおよそ8キロメートルの場所に、気象庁の軽井沢特別地域気象観測所が設けられています。ここでは24時間体制で浅間山の火山活動を監視しています。

その観測機器のひとつが「光波距離計」。浅間山の山頂付近にレーザーを照射して、山に設置された鏡にレーザーを当て、戻るまでの時間を測ることで距離を割り出します。マグマが上昇してくると、山がわずかに膨張して距離が短くなります。その変化を捉えることで、噴火の予測に役立てています。

光波距離計でわずかな山体膨張をキャッチ
光波距離計でわずかな山体膨張をキャッチ

他にも、地震計、空振計、監視カメラ、地殻変動を観測する機器などが設置されています。集めたデータを元に、火山活動が活発化した際に噴火警戒レベルの引き上げや入山規制などを行います。

備えられた観測機器
備えられた観測機器

「地下からマグマが大量に上がってくれば、数か月単位で何かしらの異常がキャッチできると思います」(安井さん)

実は日本で初めて作られた火山観測施設が、ここ浅間山でした。明治44年の観測開始から110年。長きにわたる成果が、全国の火山観測にも生かされています。

日本初の火山観測所

また、気象庁では浅間山の火口にドローンを飛ばして、火口の様子をチェックしています。

気象庁が撮影した浅間山火口

この火口は天明の噴火によるもので直径400メートル。中の小さな穴は2009年の小規模噴火のもので、そのときも東京まで火山灰が飛んできました。

●さらに進む泥流対策

泥流などへの対策の要となっているのが「砂防ダム」です。岩や石などをせき止め、下流の被害を軽減することができます。

砂防ダムありなしで実験 ダムありのほうが被害を軽減
砂防ダムありなしで実験 ダムありのほうが被害を軽減

特に浅間山では、冬に噴火が起きた場合、雪がとけて泥流となる恐れがあります。現在、33か所に砂防ダムなどの設置が進められています。

33か所に砂防ダムを設置
33か所に砂防ダムを設置

●ハザードマップを確かめよう

浅間山の周辺では地下を掘削して、地層の火山灰から過去の噴火の時期や規模を調べています。

浅間山の過去3度の大噴火で積もった火山灰
浅間山の過去3度の大噴火で積もった火山灰

そうした調査の結果とシミュレーションを基に作られているのがハザードマップです。
「平安時代の火砕流の分布を基に出したシミュレーションでは、北側(群馬県)だけではなくて、南側(長野県)にも火砕流火砕サージが流れるので要注意です」(安井さん)

火砕流と火砕サージの到達範囲予想(一度の噴火で示された範囲全てに火砕流の危険があるわけではありません)
火砕流と火砕サージの到達範囲予想(一度の噴火で示された範囲全てに火砕流の危険があるわけではありません)

近隣の市町村では各家庭に「火山防災マップ」が配布されています。ハザードマップには噴火のときにどんなことが起こりうるのが書かれています。

火山の防災マップは、各市町村のホームページでも閲覧可能ですので、特に観光で行かれる方はチェックすることをお勧めします。

火山の防災マップ
火山の防災マップ

●習性をよく知って正しく恐れる

火山の防災で私たちが気をつけることは何でしょうか?
まず「火山災害の危険性や習性をよく知っておくことが大事」と安井さんは言います。
火山に登山する場合には、気象庁などが公開している火山情報を確認すること。特に火口近くは注意が必要です。

ナビゲーター 安井真也さん

浅間山調査の時には必ず熊よけの鈴を持ち歩くという安井さん。
「火山は絶えず噴火しているわけではなく、お休みしている時間も多い。その時には火山の恵みをぜひ享受していただきたい。野生動物に対するのと同じように、習性をよく知って正しく恐れましょう」と呼びかけています。