この記事は、明日をまもるナビ「大震災から11年 被災地のいまを伝え続ける」(2022年3月13日 NHK総合テレビ放送)の内容をもとに制作しています。
村復興のカギは“ヤギ”?
福島県東部にある、葛尾村(かつらおむら)。
震災前は人口1500ほどの村でしたが、原発事故で全村避難となりました。
その後、除染もすすみ、2016年6月に大部分の避難指示が解除されました。現在の居住人口は震災前の3分の1の450人ほどに回復。山奥ながら、若い人や家族連れも集まる村として注目されています。
なぜこの小さな村が注目されるのか。その秘密を探ろうと、NHK取材班は震災10年目を迎えようとしていた2020年秋から葛尾村に入り、取材を続けてきました。

周りを山に囲まれた葛尾村は、かつて畜産が盛んな地域でした。
震災前に養豚業を営んでいた鎌田毅(かまだ・つよし)さんは、原発事故による風評被害で30年続けた養豚を廃業しました。

「(畜舎が)壊されるのを見て、涙こぼしながら見てたけど。やっぱり涙でたな。あ~、これでホントに終わりだなっていう」(鎌田さん)
全村避難によって、村人たちは周辺の市町村へと散り散りになってしまいました。
避難指示がほぼ全域で解除されたのは2017年。村恒例の新春バレーボール大会が開かれた際、村にどう活気を取り戻すかが話題になりました。鎌田さんは、そこであるアイデアを思いつきます。ヤギを使った村の活性化です。

「葛尾に戻ってくる人はいねえんだし、何とかしなきゃなんないべと。いろいろ話あったけど、ヤギの話になったら、うん、そりゃおもしろいな、と」
葛尾村ではかつて、自家用のミルクを搾るため、一家に一頭のヤギを飼っていました。村の半数が65歳以上の高齢者になった今、畜産の経験を生かしてヤギの観光牧場を開けば、若い人が村に来てくれるかもしれないと考えたのです。

村人たちはさっそくヤギの勉強会を開始。すると、健康ブームでヤギのミルクも注目されていることがわかってきました。
発想から1年。ヤギ事業の可能性を感じた村人たちは、有志15人で株式会社を立ち上げます。

目指したのは、「ヤギとの触れあい」を売りにした観光牧場。家族連れや子どもたちに、ヤギの魅力を知ってもらい、何度も葛尾村を訪れてもらおうという狙いです。
ヤギ牧場オープン 出だしは好調
2020年10月、会社の設立から3年。牧場のオープンに向けて、ヤギは60頭に増えていました。

ヤギの世話をするのは、震災前に和牛の生産をしていた松本京子(きょうこ)さん。一頭一頭名前を付けてスキンシップをはかり、人になつきやすいヤギに育てています。

2021年5月、ヤギ牧場がオープンしました。初日は入場無料でお客さんを迎えます。


訪れた人たちが特に喜んだのが「ほ乳体験」です。

こうしてオープン初日は、村の人口に近い300ものお客さんでにぎわい、葛尾村に活気を戻す第一歩を踏み出しました。
「こんなにも今日、来てくれると思わなかった。今日はいっぱい来たなってヤギたちも思ってんでねえの」(鎌田さん)
次々と襲う困難にアイデアで対抗
しかし、出だしは好調だったものの、その勢いは長くは続きませんでした。
鎌田さんたちは用意していた対策を同時に進めます。
ヤギを車で運ぶことおよそ1時間。到着したのは、アルミ缶のリサイクル工場です。
観光牧場存続のための作戦、その1つ目は除草用の“レンタルヤギ”です。1か月1頭1万円でヤギを貸し出し、ヤギ小屋や配合飼料もセットで販売することで、牧場経営の足しにしようというものです。

お菓子店の駐車場にもヤギが貸し出されました。除草剤を使わず、環境にも優しいヤギによる草刈り。機械では刈り取りづらい場所も、雑草を食べ尽くしてくれます。

牧場存続のための作戦2つめは…子ヤギをペットとして販売することです。毎年生まれる子ヤギの一部を売りだし、経営を支えようというのです。
ヤギを買った男性
「最高ですよ。かわいい、あったかいから。最初は除草で飼おうと思ったんですけど、見学に来たらかわいくなっちゃって即日決めました」

しかし、オープンから3か月後、さらなる苦境に立たされました。新型コロナウィルスの急速な感染拡大によって、観光客が激減したのです。
「6月、7月はまあまあお客さん来てたけど、(新型コロナ感染者が)東京で5000人超えたらもうダメだね。なんとか、しのいでやっていくしかないね」(ヤギ牧場専務 会津勉さん)

そこで、さらに知恵をしぼった新企画が「ヤギのお散歩」です。訪れた子どもたちの心をガッチリつかむ作戦です。

こうしたさまざまな工夫の成果で、オープンから半年で5000人の集客を達成することができました。
ヤギ牧場の存続が見通せるようになり、村人たちにも笑顔が戻ってきました。

「和やかに、どこでもヤギが見られるような村にしていきたい。子どもたちが犬の散歩じゃなくて、子ヤギと散歩する、どこにもない風景が作るのが最高の目的」(鎌田さん)
みんなが戻ってくる場所を作りたい
葛尾村には、新しい村の形を生み出そうとしている場所もあります。
村の古民家をつかったゲストハウス「ZICCA」(じっか=実家)です。

この施設を開いた下枝浩徳(したえだ・ひろのり)さん。葛尾村の地域おこしがしたいという思いから、震災を機にUターンしてきました。
施設の名前には、下枝さんの特別な思いが込められています。
「みんなの戻ってくる場所にしてほしいなと、ZICCAという名前にしています」
これまで、課外授業や職業体験として3年間で延べ100人以上の若者がここに宿泊してきました。
村の活性化のためには、「村人と若者がつながる拠点が必要」だと下枝さんが考えるようになった背景には、ある苦い経験がありました。それは最初に企画したバスツアーで、首都圏から人を呼んで郷土料理をふるまった時のことです。
下枝さんはこう振り返ります。
「村の人からぽっと言われたのは『もう辞めたい、こんなこと』。『なんで、ただ、ご飯作って帰るだけなの?』『全然つまんない』って。よくよく考えると村の人って、お金も大事だけど、それ以上に人とのつながりが好きで、来た人としゃべりたかった。それができなかったのは、当時の反省として大きい」

米作りで広がる心の交流
村の外から訪れた人と村の人との心のつながりがなければ意味がない。そう思って下枝さんが新たに始めたのが、「若者が村人と一緒に米作りするイベント」です。村の人たちとの交流をきっかけに、葛尾村のファンになる若者が増えています。



この米作りイベントがきっかけで、葛尾村に長期滞在する若者も出てきました。
大学生の余田大輝さんです。
「大学の授業が全部オンラインということもあって、昔からお世話になっていた葛尾村に滞在して、畑を手伝ったり、床の塗装も手伝ったり。ここで暮らしながら、今も大学の授業受けているところです」

村人と若者との交流から、新しい特産品も生まれています。
イベントで収穫した米を原料に、村で初めて作った地酒「でれすけ」。名前の由来は、男子全員ふんどし姿で田植えをしたことでした。

「田植えをするのに昔のやり方でやろうと思って、村の人にヒアリングしていたら、『昔はふんどしでやってた』って言うから、これはおもしろいなと思って、やったんです。お母さんたちがキャアキャア言うんですよね。で、全員“ばかたれ”どもだから(福島の方言で)『でれすけ』って名前に」(下枝さん)
村人と若者の和気あいあいとしたつながりで生まれたこのお酒。ラベルのデザインも「ふんどし」にしました。

米作りイベントでできた新米は、村を訪れたことがある人々に「仕送り」として送られています。

「田植えとか稲刈りに来てくれた方とか、いつもウチを応援してくれている県外の方、あとウチに来たインターン生だとか、そういう人たちに行く予定になっています」(発送作業をする郡司さん)
離れていてもつながり続ける。こうした取り組みが葛尾村の「新しい形」につながっています。
「村に住んでいても、村に一時的に来てもいい。この村大好きだよ、だから大事にしたいという村の関係者、そんな人のネットワークというかコミュニティーをつくることが、新しい村の形じゃないかなって思っています」(下枝さん)

