この記事は、明日をまもるナビ「災害の記憶を伝える」(2021年6月27日 NHK総合テレビ放送)の内容をもとに制作しています。
これだけは知っておきたい、災害の記憶を風化させないためのポイント
▼震災を知らない世代には、言葉や景色・体感で災害の追体験を
▼過去に起きた自然災害の教訓を伝える「自然災害伝承碑」
▼失われた街を復元した模型や動画で、人々の暮らしの記憶も継承
災害の記憶を風化させないために

今年3月のNHK世論調査(RDD 全国1237人回答)では、東日本大震災の風化が進んでいると思うかたずねたところ、「そう思う」が29%、「ややそう思う」が42%。合わせると約7割になりました。

京都大学防災研究所教授の矢守克也さんは、風化を防ぐ難しさ、そして大事さを次のように語ります。
「被災地と遠く離れて暮らしている人にとって、災害はどんどん遠のいてしまう。そういう人に災害の記憶を伝えるのは非常に難しい。また、伝える大切さもありますが、一方で被災した方の中には、とてもつらいことを思い出したくないという方々もいらっしゃいます。しかし、災害の経験と教訓をつないでいくことは、次の被害を防ぐためにとても大事なことです。」(矢守さん)
●娘に伝える大津波の経験
災害の記憶をいかに伝え、防災にいかすべきか。
岩手県陸前高田市で日用品などの店を営んでいる米沢祐一さんは、東日本大震災、九死に一生を得た壮絶な体験をしていました。あの日、津波に襲われた祐一さんは、所有するビルの高さ15メートルの場所にある屋上の煙突まで駆け上がり、助かりました。このとき津波はあと50センチにまで迫っていました。

震災後、周囲のかさ上げ工事が進むなか、祐一さんはビルを解体せず、保存してきました。それは、震災の1か月前に生まれた娘の多恵さんに津波の体験を伝えるためです。
「自分が生き残った状況とか、どうやって津波を逃れたとか、ここまで津波が来たとか、すべて娘に教えてあげたい、伝えたい」(祐一さん)
成長するにつれ、震災や防災について学ぶ機会が増えてきた多恵さん。震災から9年がたったある日、お父さんの命を救った「煙突にのぼってみたい」とお願いします。

祐一さんは多恵さんの願いを実現するために、2人で煙突にのぼりました。
初めて目にする高さ15メートルからの景色。
「屋上より何十倍も高い気がして、ここまで津波が来たんだと実感できた。この経験を友達に教えたい」(多恵さん)

忘れてはいけないあの日の出来事。9年の歳月をかけて、親から子へ語り継がれました。
「米沢さんのケースは究極の事例です。お父さんのリアルな言葉、それを同じ場所で同じ風景を見ながら追体験している。言葉と体感がセットになっているから、臨場感あふれる究極の語り継ぎができている。災害のリアルさをどうやって伝えていくのか。どうやって防災を“自分事”にするのかを考えていくことが大事です」(矢守さん)
米沢さんは今も東日本大震災の語り部として活動しています。
先人の教えを伝える「自然災害伝承碑」
2年前から新たに使われるようになった地図記号に「自然災害伝承碑」があります。過去に起きた自然災害の情報を伝える石碑やモニュメントの場所を示しています。

国土地理院は全国949基(2021年6月2日現在)の自然災害伝承碑に関する情報をインターネットで公開しており、いつどうして建てたのか由来を知ることができます。

左下/沖縄県石垣市「明和大津波遭難者慰霊之塔」1771年 津波
右上/東京都狛江市「多摩川決壊の碑」1974年 洪水
右下/静岡県焼津市「激甚災害対策特別緊急事業完成記念碑」1982年 洪水
【国土地理院】
この地図記号を作るきっかけのひとつになった災害があります。
広島県坂町の小屋浦地区は、海の近くまで山が迫る川沿いの地域です。
3年前、この町を襲った西日本豪雨で上流のダムが決壊し、集落を流れる川が氾濫。土石流が発生して16人が犠牲になりました。
実は、この川のすぐ近くに先ほどの石碑が建っています。刻まれているのは「水害碑」。100年以上前にも大雨で土石流が発生して44人が犠牲になっていたのです。

石碑には、大雨で川の水が氾濫したことや、逃げる暇がないほど突然だったことなど、当時の状況が克明に記されています。しかし、先人たちの警告は、現代の住民にほとんど伝わっておらず、避難勧告が出た2時間後まで、地区の住民の避難率はわずか1.9パーセントに過ぎませんでした。
一方、石碑の教えを守り、災害の被害を抑えることができた集落が岩手県宮古市にあります。
東日本大震災で津波が襲った姉吉地区は、港で船や加工場などが流されました。津波の高さは40メートル以上で、マンションに例えると13階の高さです。しかし、この地区11世帯の住宅は高台にあり、被害にあわずに済みました。
住民を救ったのが、海抜60メートルに建てられた石碑。この地区は、かつて1896年の明治三陸大津波と1933年の昭和三陸津波という2度にわたる大津波に襲われ、いずれも壊滅的な被害を受けていました。石碑には「ここより下に家を建てるな」と先人の強い警告が刻まれています。この教えを守ったことが功を奏したのです。
「小さいときから津波が来たらこれより上に逃げればいいと教えられ、今回も逃げました」と地区の自治会長は語っています。

矢守さんは「広島県坂町は都市部の住宅地で、新しく移住してきた方々も多い地域。一方、岩手県宮古市の姉吉地区はごく小さな集落で、おそらく親から子、子から孫へと『石碑に書かれているのはこういう意味だ』と伝わりやすかったのでは」と違いを分析。「教訓は世代をまたいで伝えなければならない」と強調しています。
【参考】
国土地理院「自然災害伝承碑」のホームページ
※NHKサイトを離れます
「物語」で語り継ぐ
矢守さんが注目している場所に、和歌山県広川町の広村堤防があります。高さが5m、長さが600mにもわたる防波堤防です。
この堤防は江戸時代の末期の1854年、大地震による津波をきっかけに作られました。そして、1946年の昭和南海地震でもう1度津波が襲ってきましたが、この江戸末期に作られた堤防が、その町の市街地に津波が入ってくるのを防ぎました。
そして大事なことは、この堤防が作られた先人の取り組みをこの地域の人たちは江戸時代からずっと語り継いできているという点なのです。

広川町の人々が江戸時代から語り継ぐのが、濱口梧陵(はまぐち・ごりょう)の物語です。
時は幕末、海辺の村を襲った突然の大地震。梧陵は「まもなく津波がおしよせて来る!急いでみんなに知らせなければ!」と、取った行動はなんと高台にあった稲むらに火をつけること。実は、火を消しに集まった村人たちを高台に逃げるよう誘導すべく、あえて火をつけたのです。このおかげで、多くの村人が救われました。
その後、梧陵は私財を投じて堤防を建設。こうした行動は「稲むらの火」という物語となり、今も紙芝居や絵本になり、語り継がれています。

この広川町では、毎年11月5日に「津浪祭(つなみまつり)」を開催。広村堤防の上に土を盛ったり、避難訓練などを行い、世代を超えて昔の津波災害の記憶を伝え続けています。
模型や映像で「記憶」を伝える
災害の記憶を伝える取り組みとして、「失われた街」模型復元プロジェクトがあります。東日本大震災で失われた街を模型で復元しようという取り組みです。津波によって破壊された町並みを1/500の模型で復元し、そこで営まれていた人々の暮らしの記憶を保存、継承しています。

このプロジェクトは震災のあった2011年に、建築を学ぶ神戸大学の学生たちが中心となって始めました。以来、全国の建築科の学生や地元の人たちの協力を得て、進めています。
これまで模型が作られたのは、東北3県で70か所以上。震災から10年を迎え、再び各地で展示が行われています。2020年11月には、津波で壊滅的な被害を受けた志津川地区の模型が役場庁舎に展示されました。
模型で再現された野球場を特別な思いで見つめているのが、野球が大好きだった夫を津波で亡くした髙橋吏佳さんです。息子と娘が夫と一緒にボールを追いかけていた姿が目に焼き付いているといいます。

「(子どもが)少年団で野球をしていました。朝から日が暮れるまで、親子で。そこは思い出の場所ですね」(髙橋さん)
あの日、海沿いのビルの屋上に逃れ助かった髙橋さんですが、役場職員だった夫は多くの犠牲者を出した防災庁舎にいました。その後、2人の息子は父への思いを胸に甲子園を目指し、娘はソフトボールで全国大会出場を果たします。

「子どもたちも『野球をやめてしまうと、パパとのつながりが切れてしまう気がした』って。きっと『途中でやめられない』と、奮い立たせてやっていたんじゃないかな」(髙橋さん)
かつての町並みが、より鮮明にふるさとの記憶を呼び起こすのです。
「地震や津波の恐ろしさを伝えるだけではなく、被災地となる前の土地や、被災者と呼ばれている方々の以前の暮らしに目を向けるのも大事。ただの町並みとか、ありふれた光景とか言いますけど、それぞれの場所に暮らしていた方の宝物のような思い出があるのだと思います」(矢守さん)
●VR震災の記憶
震災の遺構をVR(バーチャル・リアリティ=仮想現実)で再現しようとする取り組みがNHKのサイトで行われています。パソコンやタブレット、スマートフォンで体験することができます。
VR震災の記憶
https://www.nhk.or.jp/vr/shinsaivr/
その中のひとつ、南三陸町の結婚式・宴会場だった「高野会館」は5階建てのビル。震災当日は高齢者の方々のイベントが行われていました。津波は4階まで襲ってきましたが、会館スタッフの迅速な判断で屋上に避難。327人と2匹の犬が助かりました。このビルは津波の被害を後世に伝える民間の震災遺構として保存されています。
VRでは、当時の経験者の方が登場し、どこまで水が上がってきたかや、その場でどんなに焦って、不安だったかといった気持ちや体験を生々しく伝えています。岩手県陸前高田市の米沢さんのビルもこちらで見学することができます。

あなたならどうする?「防災クロスロード」
矢守さんが災害を伝える取り組みを行うなかで生まれたのが、さまざまな災害の場面で究極の選択を迫る「防災クロスロード」です。

映像では、災害に直面し、判断に迷う場面が出てきます。そこで二つの選択肢から、どちらかを選んでいきます。

これは正解を競うものではありません。ふだんからこのような問題を家族と話し合っておくことが大事です。
「このような問いかけをされないと、いざというときに自分ならどうするか考えないもの。考えることで気づくことがあります。自宅が川からどれくらい遠いのか、水害があったときにどれくらい浸水するのか。ハザードマップを見て調べておかないといけない。また、ふだんから近所の人と、いざというときにどうするか、声をかけておくと良いでしょう」(矢守さん)
防災クロスロードは、今後各地のイベントや「明日をまもるナビ」の番組ホームページでも体験できるようになります。答えを集計して、パーセンテージで表示し、どちらの意見が多かったかも参考にできるようにする予定です。
【参考】
明日をまもるナビ あなたの命をまもる「ハザードマップ」 知っておきたい活用法