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熊本地震から5年 再建の日々と備えを考える

震度7の揺れが連続して起きた熊本地震から5年。復興の過程で、被災した方々はさまざまな問題に直面しました。自宅が全壊しても残った住宅ローン。再び大地震が起きる不安を抱えながら同じ土地に住み続けるのかどうかの選択。地震を引き起こした活断層は全国各地にあり、決して対岸の火事ではありません。住宅の再建に奔走した人たちの5年間を見つめ、大地震の後に出てくる問題について考えます。

この記事は、明日をまもるナビ「熊本地震から5年 考えよう!大地震への備え」(2021年4月25日 NHK総合テレビ放送)の内容をもとに制作しています。

これだけは知っておきたい、熊本地震からの教訓
▼地震を引き起こした活断層から10キロ前後離れた断層も動き、広い範囲でリスクがある。
▼地震や水害など災害で自宅が倒壊して住めなくなっても、住宅ローンはなくならない。
▼大きな災害のたびに支援制度は拡充。行政や弁護士などに相談してサポートをうけましょう。


地震後に直面する数々の問題

熊本県西原村は阿蘇外輪山のふもとの豊かな自然に囲まれ、コメや果物などの生産が盛んな人口およそ7千の村です。その村を2016年、震度7を記録した熊本地震が襲います。特に大きな被害を受けた大切畑(おおぎりはた)地区では9割の家が全壊しましたが、犠牲者は1人も出ませんでした。住民たちが力を合わせて、家屋の下敷きになった人を助け出したからです。

大きな揺れが何度も発生した熊本地震

山本恵一郎さんもその1人。この地区で生まれ育った山本さんは大学卒業後、隣町の精密機械工場で働きはじめて28歳で結婚。ふるさとで子どもを育てたいと、34歳のときに両親が暮らす大切畑の敷地内に家を建てました。

しかし、3年後に地震で大きな被害を受けます。祖母と両親、そして自分の家族、6人全員の命は無事でしたが、家の土台を深い地割れがえぐり、基礎の杭がすべて外れてしまいました。

地震で被害を受けた山本さんの自宅
地震で被害を受けた山本さんの自宅

「もう危ないって言われましたね。住まないでくださいって。(住宅)ローンたっぷりです。何も思いつかない。片づけして、それからだから。どうなるんでしょうね、本当に」(山本さん)

熊本地震を引き起こした活断層の真上に西原村はあります。54の集落のうち、被害は活断層の近くにある大切畑地区など、6つの集落に集中。これらの集落では地震への恐怖が拭えず、集団移転を望む声がではじめていました。

そうした要望を受け、村は説明会を開催。もといた場所での再建が困難な場合、集団移転という選択肢もあると提示します。大切畑では、再び起こるかもしれない大地震のことがあるのでほとんどの住民が集団移転に賛成でした。

再び大切畑で暮らすのか、それとも離れた場所で生活を再建するのか。山本さんは妻の美香さんと何度も話し合いました。家族の安全を考えれば、同じ場所に暮らし続けることはできません。一方で生まれ育った大切畑への愛着は拭いきれずにいます。

山本恵一郎さん
山本恵一郎さん

「家というのは、安全安心というのが前提にないと厳しいのかな。できれば、離れたくないですよね」(山本さん)


ようやく始まった新生活

地震から2年がたち、大切畑地区では山本さんのようにふるさとを離れたくないという意見が増えてきました。集団移転の話はなくなり、住民は村に掛け合い、地盤を強化した造成地を集落の中につくってもらうことになります。こうした住民主導での再建の動きは、県内の被災地でもっとも早いものでした。

集落に戻ることをいち早く決めた山本さんですが、家の建設費は自己負担のため給付金を活用。さらに銀行と掛け合って新たに35年ローンを組み、造成地に家を新築することにしました。しかし、急斜面にある宅地の地滑り対策などに時間がかかり、造成工事は予定から大幅に遅れます。

造成工事の様子
造成工事の様子

山本さんは3年以上続く仮設住宅での生活に疲弊し、いらだちを隠し切れません。

「『今頃は(大切畑に)住んでいるはず』って、去年は思っていたからでしょうね。大切畑を一番に(工事を)始めたのに、なんで今も(家を)建てられないのって話ですよね」(山本さん)

そして地震から4年、大切畑地区では徐々に家が再建されはじめ、山本さんの家もようやく完成しました。悩んだ末にたどり着いたふるさとでの再出発。地震の1か月後に生まれた次男の陽翔君は4歳になり、庭で三輪車に乗って遊べるまで成長しました。その姿を見て、山本さんに笑顔が戻ります。

三輪車に乗って遊ぶ陽翔君を見守る山本さん

「こんなのを見ると、よかったと思います。帰ってきてよかった」(山本さん)


自宅再建に利用できる救済措置

熊本地震では、地震を引き起こした活断層から10キロ前後離れた場所でも断層が動き、およそ230か所の地表に段差やずれが確認されました。誘発されて動くことから、この現象は「おつきあい断層」とも呼ばれます。主要な活断層では、真上に限らず広い範囲で建物被害などのリスクがあるのです。

「おつきあい断層」は、熊本地震の2年後に発生した大阪府北部の地震や北海道胆振東部地震でも確認されており、決して対岸の火事ではありません。

大阪府北部の地震(2018年)
大阪府北部の地震(2018年)

また、地震や水害、そのほかの災害で自宅が倒壊しても、住宅ローンはなくなりません。自宅を再建する場合は二重ローンになってしまいますが、阪神淡路大震災以降、救済措置が増えています。災害のたびに支援制度はかわります。行政や無償で受けられる弁護士などに相談し、確認しながら生活再建を進めましょう。

仮設住宅の申し込み、病院の受診、義援金の申請時などに必要なのが「り災証明書」です。これは被災者であることや、被災がどの程度かを証明するもの。損壊した壁や屋根などを修復する前に写真に撮っておくと、証明書の手続きがスムーズにできます。

<支援制度・保険の一例>

災害義援金
日本赤十字社を通じて被災者に配られます。金額は、そのときに集まった義援金と被災した人の数、被災の度合いによって変わってきます。熊本地震の場合、第1次の義援金は全壊が20万円、半壊が10万円でした。

被災者生活再建支援制度
地震で家屋の被害が出た場合の救済措置。支給金額には上限があり、全壊の場合でも300万円までとなります。

地震保険
助けになるのが火災保険とセットで加入できる地震保険です。損傷の程度によって、受け取れる金額が変わり、例えば、2000万円の火災保険に加入した場合、地震保険の上限は火災保険の50%の1000万円です。地震保険の判定は、り災証明書とは別に保険会社が独自に行います。

地震保険で支払われる保険金の例


再建か移転か 住民の揺れる思い

地震被害からの復旧工事が終わった大切畑地区の一角に小屋があります。被災直後に無人となった集落を見回るために建てられたものです。地震当時の区長を務めていた大谷幸一さんは、5年たった今も仮設住宅に入らず、6畳一間の小屋で生活を続けています。復旧工事は終わったものの、大切畑の復興はこれからだと大谷さんは言います。

小屋で生活を続ける大谷さん

「普通にまた昔の生活に戻れるかなって。まだいろいろとすることがいっぱいだから、それが終わって落ち着くときはいつぐらいかな」(大谷さん)

あの日、88人が暮らしていた大切畑では9人が倒壊した家の下敷きになりました。道路が寸断されて緊急車両もこられず、救助活動にあたったのは住民たちです。住民総出の救出活動によって、大切畑では1人の犠牲者も出ませんでした。余震が続くなか、行政が動くよりも早く、寸断された道を切り開いてライフラインの復旧を進めたのも住民たちです。

大谷さんは不眠不休で暮らしを取り戻そうとしていました。しかし、住民の間には、大切畑に住み続けることへの不安が広がります。地震から4か月たった夏、大谷さんは全23世帯にアンケートを実施。大切畑で生活を続けたいかを問いましたが、結果はほとんどが移転を希望し、残りたいと答えたのは2軒だけでした。

住民に実施したアンケート

集団移転に舵を切れば復興工事はされず、人が住めなくなります。住民の意見をまとめるために一日のほとんどを費やしていた大谷さんにとって、それは耐えがたいことです。

大切畑に残って再建するのか、集団移転するのか意見は割れ、口論が絶えませんでした。大谷さんは地震から半年後、任期途中で区長を辞めました。


再生へ 地域のきずなと共助

集落の話し合いは1年で60回を超えました。地震から10か月後、住民のヒアリングの結果は、現地に残るという人が10軒、集団移転を希望したのが3軒でした。集団移転は土地の確保や交渉などの負担が多いため希望者は大幅に減りました。大切畑の現地での再建が決まりました。

大切畑の再建を住民に発表

集団移転を思いとどまる人が増えた背景には、大切畑の住民たちの間にあった強い結びつきがありました。村の暮らしを営むため仲間同士で家族のように支え合ってきました。大地震でも犠牲者を1人も出さなかった消防団活動もそのひとつです。

そして地震から3年後。現地での再建を決めた大切畑で一軒目となる棟上げが行われました。家主は大谷さんで、仮設住宅で暮らす脳梗塞を患った母親のため、早めに家を建てました。

大谷さんが新しく建てる家

棟上げを手伝ったのは大工の西本豊さんです。地震の日、西本さんの2階建ての自宅は全壊し、下敷きになって助けも呼ぶこともできない状況で、真っ先に駆けつけたのが大谷さんでした。避難場所に西本さんの姿がなかったことから探しに来たのです。西本さんは当初移転を希望していましたが、現地で再建することを決めました。

地震から5年がたった2021年。復旧の工事が終わり、大切畑地区に建てられた竣工の記念碑には「奇跡の集落」と刻まれています。復興は安全面を重視して宅地に擁壁を作り、緊急車両が通れるよう道幅を広げました。景観はすっかり様変わりして集落の人口は半分ほどになりましたが、地域の絆や助け合いの心は変わりません。大切畑ではこれからの姿を模索しています。

大切畑地区に建てられた竣工記念碑