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分断の果てに "原発事故避難者"は問いかける

福島原発事故の避難者は今どう暮らしているのか?9年に渡る調査報告です。

2020年4月、新型コロナウイルス感染症拡大を受けて緊急事態宣言が出された後、全国一斉に電話相談会が開かれました。

収入の減少や雇い止めなどで生活に困窮した人たちから寄せられた相談は、2日間で5,000件以上。相談会を主催した弁護士の猪股正(いのまた・ただし)さんはこの状況について、「社会保障がぜい弱で、日本の社会保障制度が人を支える力を持たないところが見えている」と言います。

猪股さんはこの9年間、「人間らしい生活を保障できない社会」の問題を痛感してきました。

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電話相談会を主催した弁護士・猪股正さん

2011年、東日本大震災の津波で起きた福島第一原発の事故で、16万5千人の人々がふるさとを追われました。

9年たった今も、およそ3万人が福島県外で避難生活を続けています。猪股さんが代表を務める「震災支援ネットワーク埼玉(通称SSN)」は、原発事故避難者を対象としたアンケートを毎年行ってきました。8回目となる今回の調査では、今もなおさまざまな困難に苦しむ人々の姿が見えてきました。

福島原発事故の避難者は今どう暮らしているのか?9年に渡る調査報告です。

※この記事は、番組「分断の果てに “原発事故避難者”は問いかける」(2020年7月12日 NHK総合テレビ放送)をもとに作成したものです。


分断の果てに “原発事故避難者”は問いかける

  • 8回目の避難者アンケート
  • 追い詰められる生活困窮者
  • 奪われた幸せな家族生活
  • 仕事と行き場を失って
  • ふるさとを失った痛み
  • 分断の果てに深まる孤立
  • コロナ危機で顕在化した“ぜい弱なセーフティネット”

8回目の避難者アンケート

8回目のアンケートでSSNが調査用紙を送ったのは、福島県の8市町村から避難しているおよそ5000世帯。

質問内容は、経済状況や補償問題、心身の健康状態まで多岐にわたります。以下は、400人の回答を分析したデータです。

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  • 経済的に困窮している:43.8%
  • 世帯年収200万円未満:36.5%
  • 避難先で頼る人がいないなど社会的に孤立している:50.5%
  • 「心身がぼろぼろ」「病気で仕事ができない」など、健康状態が悪化した:およそ40%
  • PTSD(心的外傷後ストレス障害)が疑われる:41.1%

アンケートの最後の自由記述には、多くの人が切実な思いをつづっていました。以下はその一部です。

「お金がない」
子どもがいじめにあっていた」
「私たちが何をしたと言うんだ」
「自宅の解体を昨年12月に終わり、今故郷の喪失感に襲われています」
「原発事故で何もかもがくるってしまいました。つらいです」


追い詰められる生活困窮者

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今回の調査でとりわけ深刻だったのは「経済的困窮」です。
3人に1人は年収が200万円未満でした。SSNでは、相談を希望する人には、まず電話で丁寧に聞き取りを行った上で、次の支援につないでいます。

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SSNメンバーの司法書士が訪ねたのは、都内で避難生活をしている工藤恵美(くどう・えみ)さん。夫と離婚し、現在は通信制の高校に通う娘と2人で暮らしています。震災前は福島県富岡町で夫の経営する建設会社を手伝いながら、4人の子供を育てていましたが、原発事故でそれまでの暮らしを全て失いました。

工藤さんの月収は、2つのパートを掛け持ちして得る15万円。元夫からの仕送りを加えても、娘の学費や生活費を差し引くと、貯金することもできません。

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中でも生活を困窮させていたのが住居費の問題です。

工藤さんは本来受け取ることができる福島県からの月6万円の家賃支援を、2年間もらえていませんでした。申請には家賃を支払った記録が必要ですが、転居を繰り返す内に通帳を紛失し困っていたのです。司法書士がすぐに銀行に問い合わせ、通帳の再発行を依頼。昨年度分の家賃支援を申請できることになりました。

「本当にお会いできて良かったです。こういう話、県外に来たらまったく情報が無いんです。でも本当にほっとしました。この先どうしようって思っていたので。」(工藤さん)

情報が十分に届いていない、支援制度が複雑で当事者が理解できていないなど、“情報格差”の問題はさまざまな場面でみられると、SSNメンバーは指摘します。


奪われた幸せな家族生活

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千葉県で避難生活を送る田中宏美さん(仮名)は、数年前から不眠症に苦しんでいます。

「やはり、子どもの一生が台なしになったことが、一番つらいですね」(田中さん)

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震災当時10歳だった息子は、避難先の学校に転校して間もなく「お前は福島から来たんだよな」「放射能がうつる」などと言われて傷ついたといいます。その後、息子はうつ病を発症。学校に行けなくなり、19歳の今も引きこもりが続いています。息子はある日、福島にいた時の写真の整理をしている田中さんに「この時の記憶ってないんだよね」「福島にいた時の自分ではない。福島にいた時の記憶はもう消し去った」と話したそうです。

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さらに、損害賠償をめぐる負担が田中さんを苦しめました。息子の病気に関する損害賠償を求めるには、避難生活との因果関係を証明する診断書を3か月ごとに書いてもらう必要があります。加えて、さまざまな必要書類を準備し、国や東京電力の基準を満たさなければなりません。交渉を繰り返し、現在までに支払われた賠償金はおよそ400万円。

「一生を台無しにされた息子」への謝罪はなかったと言います。自身も体調を崩している田中さんは、自分が働けなくなったら息子はどうなるのかと不安を抱えています。


仕事と行き場を失って

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SSNで分析を担当する早稲田大学教授の辻内琢也(つじうち・たくや)さんは、東北の被災者5万人以上を対象に心的ストレスと社会的要因について調査、「福島型PTSD」を提唱しています。

原発事故による死の恐怖に加えて、偏見や社会的孤立など、繰り返し高いストレスにされされることで、心の回復が難しくなるというのです。今回のアンケートで注目したのはPTSDが疑われる人の割合です。

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2016年に37%まで減少した数値が2017年を境に増加し、今回も4割を超えました。辻内さんは、政府の復興政策が大きく影響していると考えています。

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2017年、政府は放射線量の高い一部区域を除いて各町村の避難指示を解除。その後、第一原発が立地する市町村の一部でも解除しました。それに伴い、精神的賠償や家賃支援が次々と打ち切られていったのです。

「帰還しなければ全て打ち切りとなり、自己責任で生活しなければいけなくなる。国の政策が打撃を与えていると僕は確信しています。」(辻内さん)

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原発事故によって受け続けてきた心の傷によって、仕事を失い、行き場をなくした人もいます。福島の会社で通訳として20年働いていた青木貞治(仮名)さん。

留学生として中国からいわき市に移住した青木さんは、中国と福島を結ぶ仕事を誇りにしてきました。原発事故後、避難先の首都圏で再就職しましたが会社は半年余りで倒産。次の職場を探しているうちに体調を崩して倒れ、働けなくなりました。診断結果は、避難生活のストレスに起因する「持続不安恐怖症」でした。

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今住んでいるのは、福島県による「みなし仮設」として紹介された公務員宿舎です。

しかし3年前に県の住宅支援が打ち切られてしまいます。病気が悪化し障害者手帳を交付された青木さんは、都営住宅へ繰り返し応募しましたが、ずっと落選が続きました。そうした中、福島県が青木さんなど5世帯を提訴すると決めたのです。

住居の無償提供期間が過ぎても退去せず、その後の賃料も払っていないことが訴えの理由でした。

青木さんは、住居を明け渡すだけではなく損害賠償としておよそ165万円を支払うよう求められています。しかし病気で働けないため、家賃を払いたくても払えなかったといいます。

「避難者にもう一回調査をして、本当に困っている人に国が支援してほしい。」(青木さん)


ふるさとを失った痛み

「帰りたいけど帰れない 庭木や花や山、川などいつも思う」

「海の幸山の幸に恵まれ気候はよかったし もう一度あの暮らしに戻ってみたい」

「私たちの地域は中間貯蔵の中。ふるさとが奪われた」

アンケートには、戻れないふるさとへの悲痛な思いもつづられています。

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「都会に住んで近所づきあいもなく家族だけが頼り、これで良いのか。いまさら何を言っても聞く耳をもたない国、県。俺はおこっている」

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強い怒りの言葉を寄せたのは、福島県浪江町津島地区から神奈川県に避難している今野斉(こんの・ひとし)さんです。人々の結びつきが強く、豊かだったふるさとを奪われた痛みを抱えながら、都会での生活を受け入れようとする中で、新たな苦しみを味わいました。同じ浪江町から神奈川県に避難している人たちの集まりに参加した時のことです。避難解除された地区の住民から、厳しい言葉をかけられたといいます。

「金の問題ですね。なんで津島地区は俺たちと(賠償金が)違うんだ?と声を荒げて言われて・・・」(今野さん)

いまも避難指示区域となっている津島地区の住民は、避難解除された地区よりも多く賠償金を受け取りました。国が決めた賠償の格差が、避難者同士にも深い溝を作っているのです。

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今野さんにとって、最も無念だったのは母・ノリ子さんの死です。避難先でのノリ子さんは家にこもりがちになっていったと言います。今野さんは、母の最期の言葉が忘れられません。

「亡くなる1時間半くらい前かな、『津島に帰りてえ』って言ったんです。やっぱり帰りたかったんだろうな。田舎に帰りてえとは一回も言ったことないんですが、最期にそう言ったね。」(今野さん)


分断の果てに深まる孤立

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今回の調査で、約半数の人が地元福島の人との付き合いが滅多にない、または全くないと回答。9年間の調査を通じて見えてきたのは、家族の幸せや生きがい、ふるさとを失い、分断の果てに孤立を深めていく人々の姿でした。

さらに、SSNメンバーが最も重く受け止めているのは、福島からの避難者であることを言えず、隠して生きている人が多くいるという実態です。

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「福島から避難してきていると言ったら、何をされるかわからないという恐怖。そして実際にそういう目に遭ってしまっている。その疎外の経験が10年間蓄積されていて、もう自分の出自を閉ざさざるを得ない。」(辻内さん)


コロナ危機で顕在化した“ぜい弱なセーフティネット”

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新型コロナウイルスの感染拡大で日本中が閉塞感に包まれた4月。雇い止めや収入の減少など、生活に困窮する人からの相談を受けていたSSN代表の猪股さんは「また同じことが繰り返されている」と感じていました。

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「こういうことって、原発事故の避難者の人達が経験したこととかなり共通すると思うんですよね。支えのない社会のあり方を変えて、平時からみんなが安心して生活できるような国にしていく。今、コロナの問題が重なっているからこそ、ここで大きな枠組みでみんなで考えていかなければいけない。」(猪股さん)

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SSNのメンバーは、今回のアンケート調査をもとに、政府に要望書を提出。住宅や雇用の支援をはじめ、医療や介護、教育など、誰もが安心できる社会保障制度の構築を提言しました。

「国は、避難による苦難がなお続いているのはどうしてかという反省に立って、当事者の方が参加する独立機関を設置し、そこで過去10年の検証をしたうえで、今後の支援プログラムを策定していただきたい。」(猪股さん)

災害や危機に強い社会を作るために。これからも人々の声に耳を傾け、支援を続ける地道な活動が続きます。


震災支援ネットワーク埼玉(SSN)
2011年3月、「さいたまスーパーアリーナ」に福島から多くの人々が避難してきたことをきっかけに結成。法律家をはじめ、医療や福祉、IT系など、さまざまな分野の専門家がボランティアで活動する被災者支援団体。住宅、仕事、育児、介護など、多岐にわたる相談に応じて、被災者をサポートしている。