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【武田真一アナ・インタビュー③】"あの日"伝えた閖上へ

NHKの災害報道は、日々実践を重ね、常に更新されつづけています。これで最終回を迎える、武田真一アナウンサーへのインタビュー。

【前回までのあらすじ】

2011年
東日本大震災が発生した際、東京のスタジオでニュースを担当していた武田真一アナウンサー。宮城県名取市周辺からの中継映像を見ながら、津波からの避難を呼びかけました。
(→①震災の時に感じた「無力感」

2万人近い方々が犠牲となった災害に、「言葉や放送で何ができるのか」と無力感を感じながらも、5年間かけて災害報道の見直しに携わりました。
(→②「いのちを守る」ためには

NHKの災害報道は、日々実践を重ね、常に更新されつづけています。

これで最終回を迎える、武田真一アナウンサーへのインタビュー。

そもそもインタビューが実現したきっかけは、2018年6月に行われたイベント「NHK公開復興サポート明日へ in 名取」で「クローズアップ現代+」のトークショーが開催され、そこに武田アナが参加したことでした。

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宮城県名取市。
あの日、武田アナが中継映像を見ながら呼びかけ続けた場所です。

トークショーには、震災直後から番組の取材を通じてつながりのあった閖上出身の元・子どもたちと、中学時代の先生がゲストとして出演し、ジャーナリストの津田大介さんと共に「若者たちが描く未来、3.11から生まれたもの」をテーマに語りあいました。

震災発生から7年半。閖上への訪問で、武田アナはどんなことを考えたのでしょう。

花:名取での公開復興サポート、どうでしたでしょうか?

(笑)なかなかざっくりとした聞き方ですね。

とても良い、素晴らしい機会を頂いたなと思っています。

震災発生時、僕は東京のスタジオから、映像などを通して被災地のことをお伝えして…その後「ニュース7」でも、ずっと東京を拠点にお伝えしてきました。被災地で勤務している他の職員とは違って、被災地のみなさんがどういう暮らしをしているのかとか、どんな思いを抱きながら暮らしているのか、そういったことが、やっぱり実感としては、わかりかねていました。

何回か被災地に行く機会もあり、いろんな方にお話を聞く機会ももちろんありました。しかし、それでも、自分は被災地のこと、被災地の人の今の思いというのを、どれだけ受け止めて放送できているんだろうかということに迷うところがありました。それは、ずっと今もそうなんですけれども。

被災地にはどこにも思いがありますが、自分にとっては特に思いのある閖上で、そこの皆さんと直接お話しできて、何を考えていらっしゃるのか、どうやって今まで過ごしてこられたのかがわかって、とてもいい機会でした。

花:閖上へは今回が、初めてですか?

今年の春に初めて行き、今回で2度目です。

ずっと行きたいと思っていたんですが、なかなか行けなかったんですよ、やっぱり。自分の放送によって、救えなかった命がある場所ではないかとずっと考えていましたから。他もそうだと思うんですけど、特に閖上は。あの映像を目の当たりにしながら、自分が何かを言えたという実感がまったくなかったので。

そこへ、「クロ現+」の番組プロデューサーの大野くんに「一緒に行こう」と言われて行ったんです。彼は名取の隣町の袋原というところの出身で、震災からずっと被災地のドキュメンタリーを作ってきた人物です。今回のイベントにゲストとして呼んだ3人を取材したのも彼でした。彼は住民の方々と近所の人みたいな感じの付き合い方をしていて。2月、僕らが閖上に着いて歩いていると、向こうからおじいさんがやってきて「こんにちは」とかもなく、いきなり大野くんに「おぅ、〇〇見たきゃぁ?」って言うんです。「共通の知り合いを見なかったか」ということで、大野くんも「いやぁ、今日は見ねーなぁ」って答えてて(笑)。

花: 着いたばっかなのに、すごいな大野プロデューサー。…それで、閖上をいろいろと回られたんですね。

「閖上ウォーク」に参加しました。津波で中学1年生だった息子さんを亡くされた丹野祐子さんの案内で、かさ上げして復興住宅が建ったところや、旧消防出張所などを回りました。丹野さんは、公開復興サポートのトークショーにも来てくださいました。

ゲストに来ていた男の子、松浦圭佑さんも、丹野さんの息子さんと同じ学校、閖上中学校に通っていました。また藤村崇さんも中学で先生をしていらっしゃった。その閖上中学校では、生徒14名が津波の犠牲になりました。

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左から藤村さん、松浦くん。橋浦優香さんも震災後、閖上中学に通った。

いま、閖上地区には、「閖上の記憶」という小さな資料館が建てられているんですが、そこに入ると大きなテレビが置いてあって…お客さんが来ると、必ずあの時の映像を流すんですね。津波の映像です。

僕はビクッとして、「うわぁ」と思ったら…
それは国際放送で、英語のニュースで…

もちろん、地元の方々、僕の放送を聞いてる余裕なんかなかったと思います。テレビなんか映らないですし。…でも、やっぱり、そういう後ろめたさというか、そういったものがまだ僕の中にあって。だから、そういう意味もあって閖上の方がどんな思いをして過ごしてこられてきたのかっていうのに初めて向き合うことができて、よかったですね。


ここで、ちょっとだけ花が、トークショーに参加してくれた若者二人をご紹介しますね。

二人とも閖上出身。

一人は松浦圭佑くん。当時、閖上中学校の中学2年生で、新学期を前に被災して多くの学友を亡くし、その後中学を卒業するまでの1年を追ったドキュメンタリーに出演。今は大学4年生です。

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白いTシャツが松浦くん(画面は、中学時代の松浦くん)

そして、もう一人は大学2年生の橋浦優香さん。当時、小学6年生。2018年3月にクローズアップ現代+で放送された「大震災をつづった子どもたち それぞれの7年」で取材をお願いし、率直な思いを語ってくれました。

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松浦くんは、中学校のドキュメンタリーでは、何もしゃべらない子だったんですよ。実は大野プロデューサーと「大丈夫かな?」と心配していたんです。

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でも現れた松浦くんは、もう耳にピアスとかあけて…すっかり大きくなって…。そして自分の言葉でたくさん今の気持ちとか、あの時どうだったとかを語ってくれて…

特にその震災っていう厳しい環境の中において、いろいろ葛藤とかあったんでしょうけど、それでも、あれだけしっかりとですね。自分の信念をもってしっかりと生きられるようになっているということに、すごく感動しました。

やっぱり人って成長するんだな、と。

花:松浦くんも橋浦さんも、ふたりともしっかりと夢を持って前を見据えていて、私は「自分もがんばらなくちゃいけないなぁ」と感じました。本当に素敵な話が聞けたように思います。…武田さんにとって、閖上を訪れて一番よかったことってなんですか?

その時点、その時点での思いを共有することができたことでしょうか。

今、こんなことを考えているとか、あの時こうだったっていう話ができた。

「あの時こうだった」っていう“とらえ方”も、多分、時の流れによって変わってくると思うんですよ。だから、震災の記憶みたいなものを、僕らが1回採集してアーカイブにして「終わり」ではなくて、ああいう機会にみんな話し合うことが大切なんだと思いました。

トークショーの最初に「あの時、どうしてた?」という話をしたんですが、僕は「これって盛り上がるのかなぁ?」と心配していたんです。だって、みなさん同じようなところにいて、同じ経験をしているわけだから。そうしたら大野プロデューサーがこう言ったんです。「いいんですよ。いまだにタクシーとかに乗ると、タクシーの運転手さんと『あの時はこうだった』ってあいさつ代わりにするんですよ。同じ閖上っていう狭い地区にいても、みんなそれぞれ見てきたものとか経験してきたことが違うわけですしね。」

なるほどそうか、と。

それで、被災地の人はそうだし、僕らは東京でどうだったかを話をしました。ゲストの津田大介さんはどこでどういうふうに津波を知ったのかとかを話してくれました。

こういう話を、1回だけじゃなくて、7年経って、10年経って、話し合う。

これって多分記録に残らないんですよね。何があったかとか、数字とかデータとかそれは積み重なっていくんですけど。あそこで、あの時点で思っていた“思い”っていうのは記録に残らないし。

松浦くんに「いま一番大事だと思うことは何ですか?」と聞いたら「死なないこと」って言ったんですよ。それって、すごく微妙な言葉だなと思ったんです。トークショーの会場には「閖上ウォーク」で案内をしてくれた丹野さんもいらしてくれていて、丹野さんは息子さんを亡くされている。「死なないこと」というのは、肉親を亡くした人にとっては厳しい言葉だなと思ったんです。

丹野さんはどう受け止めるだろうと思ったら、「私もそうだと思います。だから私はあの子のことを伝えていきたい」とおっしゃった。多分、丹野さんは息子さんを亡くされた直後に「大事なことは死なないこと」と誰かから言われたら、多分違ったと思うんです。

丹野さんに聞いてみないと実際のところはわかりませんが、松浦くんがああ言った時に「私もそう思う」って思うようになれたのは、今だから、7年経ったからなのかもしれません。

松浦くんもたくさんの友達が亡くなっていて、親友も亡くなっている中で、「死なないことが大事」と思えるようになったのも、もしかしたら7年という時が経っているからかもしれないですよね。

その時々に、大切な思いがあると思うんです。
だから語り続けること、日々共有し合うことが大切だな、と。

何があったかとか、数字とかデータとかは記録されて積み重なっていくんですけど。そういう思いは記録に残らない。だからこそ「あの時こうだったよね」といったことを何年たってもずっと語り合ってほしい。

花:わかります。わかります…けどメディアだと取り上げづらい日々の積み重ねですよね。

そうですね。みんながわかっていると思っているようなことでも、語り合っていくっていうのが大事だと思うんですよね。だから、あのイベントに参加できて、すごくよかったなと思うんですよ。

花:何か他に言い残したことはありますか?

今の話が一番僕、言いたかったのです、実は。思いっていうのは消えてしまうものなので。確認し続けるっていうことが大事だなと思いました。そして僕はそういう仕事をやっていきたいと思います。そういうみなさんの思いを、共有し合えるような番組にしたいですね。

花:これで終わると思っている武田アナに、もう一つ。今、はまっているものはありますか?

え?

花:なんでもいいんです。かき氷が好きで、いろんな味を試してるとかでもなんでも。

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……ロカボダイエット。

花:ロカボ?!パンとか米とか、なんにも炭水化物を食べないやつですか?

「なんにも」じゃないですね。1日にごはん200g。制限しています。僕の場合は効果ありますよ。

花:なにか目標があるんですか?

そうですね。もうちょい減らしたいなぁって。見た目はどうでもいいんですけど、血圧がすごく高くなっちゃって。なのでがんばります。

あとはギター弾くのにハマってますね。

花:あ、そうだ。武田アナといえばギターですよね。

いや、そんなにまじめに練習したことは実はあんまりないんですよ。

でも知ってますか?最近は、曲の弾き方のチュートリアル動画がインターネットに掲載されていて、世界中の人がすごく丁寧にギターを教えてくれるんですよ。最初はこのコードで、こうやって、こうやって、こうやります、みたいな。なんででしょうね、なんで人は教えたくなるんでしょうね。不思議ですね(笑)

脱線した質問にも丁寧に答えて下さった武田アナウンサー、どうもありがとうございました!

この記事は、2018年10月25日に公開した内容をもとに制作しています。

NHK防災・命と暮らしを守るポータルサイト
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