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【武田真一アナ・インタビュー①】震災の時に感じた「無力感」

特別展「東日本大震災を伝え続けるために」で紹介された映像を見かけてから、ずっと気になる人がいました。武田真一アナウンサー「クローズアップ現代+」のキャスターです。

Web担当・花です。

去年、NHK放送博物館での特別展「東日本大震災を伝え続けるために」で紹介された映像を見かけてから、ずっと気になる人がいました。

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この方です↑↑

写真ではわかりにくいかもしれませんが…

武田真一アナウンサー、「クローズアップ現代+」のキャスターです。

2011年3月11日
東日本大震災、発生時、
武田アナは東京のスタジオで、被災地からの中継映像を見ながら避難を呼びかけていたそうです。

そして、その後、東日本大震災の経験と教訓をもとに、5年をかけてNHKの災害報道の見直しに携わってきたと、特別展に同行していた「明日へ つなげよう」のキャスター・畠山智之アナウンサーからお聞きしました。

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畠山アナ

実は、私、震災直後のニュース映像を見たことがありませんでした。あの日、外出をしていて帰宅に時間がかかり、その間テレビやラジオを視聴できなかったのです。

今回、武田アナに全3回のインタビューを行うにあたり、初めて発生当時のニュース映像を見ることにしました。

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NHK東日本大震災アーカイブス 発生から72時間
(リンク先からご覧になれます)

一連の映像を見て、私は圧倒されてしまい、ここになんと表現していいのかもわからないほど。これを目の前にして武田アナはあの時、どのようなことを感じながら伝えていたのでしょうか。

そして、どのような思いで災害報道の見直しを進めてきたのか、
震災当時の思いなども含めてお聞きしました。

 

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震災発生の当初、僕は東京のスタジオで、アナウンサーの横に座って、「こんな映像が来たよ」とサポートしたり、呼びかけ文を書いて差し込んだりする、いわゆる「サイド」という仕事をしていました。

すると、しばらくして畠山さんがスタジオに入ってきて「武田、お前、着がえろ!」と言うんです。

一瞬、何を言われているのかわからなかったんですが、「あ、そうか僕もやるんだ」と、急いで10分くらいで着がえをして、スタジオに入りました。地震発生から、1時間くらい経った頃ですね。

花:それから津波が押し寄せてきて?

津波が最初に来た時には、今は静岡局にいる横尾アナウンサーが担当していました。

釜石(岩手県)にワーッと水があがってくる様子や、気仙沼(宮城県)の映像が流れて…僕がスタジオに入ったのは午後3時45分くらいだったと思います。それから10分も経たないうちに、閖上(宮城県名取市)に津波が来たんです。ヘリコプターの映像が入ってきて、あの津波を見たのです。

もちろん、東日本大震災以前にも、我々は地震に対しての訓練を重ねていました。

気象庁の情報データを表示するシステムがあるんですが、それを自由自在に使いこなすのが難しい。マニュアルを読み込み、訓練ソフトを使って日々練習を重ねていましたし、僕は訓練ソフトの作成に関わった経験がありました。東日本大震災の時は横尾アナウンサーが初動してくれていましたし、僕もある程度「できた」と思っていたんです。

しかし、後からわかることですけれど、2万人近い犠牲が出ました。放送で命を守りたいと思ってやってきましたが、それが届かなかったということに、とても大きなショックを受けました。

どの津波の映像も衝撃的でした。とりわけ名取、閖上周辺に津波がワーッときて家とか畑とか飲み込まれていく様子を目の当たりにして、そこにいる人たちになにを言えばいいのか、もう津波がすぐそこまで来ているという状況で、本当に言葉や放送で何ができるのかと、それまでの考えが打ち砕かれたというか、全身から力が抜けるという感じになりました。

その間も、ずっとしゃべってはいたんですけど、本当に言うべきことが見当たらないんですよね。すごく無力感を感じました。

花:震災後に災害報道の見直しに携わった“きっかけ”は、そういった経験からなのでしょうか?

大きなきっかけは、1か月くらいしてからですね。

その後も僕は東京でニュースを伝え続けて、地元の人の声というのは直接聞くことはできませんでした。ずっと現場に行くことはできなかったんですが、やっと新幹線が通って、初めて行ったんです。プライベートで2日間、宮古出身の友人と岩手県の沿岸を回りました。

大槌町の役場や、大船渡の街中などで、いっぱい時計を見つけたんですが、その時計がだいたい3時25分とか、それくらいを指して止まっていました。地震が起きたのが2時46分。つまり、地震から津波まで約40分くらいあった。

でも、40分って微妙な時間で。警察などが誘導して、人々を避難させるには十分じゃない。

けれど、もしも…
人々に備えがあって、我々がちゃんと情報を伝えることができて「避難する」というスイッチが入れば、十分に逃げ切れる時間だったんじゃないかなという気もして。

もちろん、みんながみんなそうじゃなかったかもしれませんが、やっぱり情報っていうのが人を助けるっていうことになるんじゃないかな、と思ったのがきっかけです。それまで本当に脱力していたんですが、短時間ながらも被災地を実際に訪れて、初めてまた自分のやるべきことみたいなものがみえてきたように感じました。

そして、ちょうど東京の報道のニュースを制作している部署で、「やっぱり見直さなくては」という話があがったんです。東京でニュースを伝え続ける僕にできることは、次の災害の時に命が救えるような放送を出すってことだろうと思ったんです。

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【武田真一アナ・インタビュー②】「いのちを守る」ためには

NHK防災・命と暮らしを守るポータルサイト
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この記事は、2018年10月11日 に公開した内容をもとに制作しています。