立教大学 本村穂夏さん
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『吉里吉里国憲法前文』
この吉里吉里国憲法前文は、
制定当時国に住んでいる人全員で話し合ってできた憲法です。
吉里吉里国に何か大変なことが起きて、
吉里吉里国民がバラバラになってしまったときでも、
吉里吉里の人たちは一人一人が常に最善の道を考えて、
周りの人と協力しながらためらわず行動したいと願っています。
この吉里吉里国民の決意として、
また吉里吉里国民が迷ったときの道標となるように、この憲法を制定しました。
もちろん決してこうあるべきとおしつけるわけではなく、
自由を前提としたうえでの憲法です。
私たち吉里吉里国民は、
一人一人が常に自身の「理想の国」について考え、
政治に参加し、自分の国と生活をどうしたいのか、
小さな子供もよれよれの高齢者も自由に意見を述べます。
子供だから親の言うとおりにしなければならないとか、
大人だからしっかりしていないといけないといったことはなく、
それぞれの個性を受け入れます。
そして自分と違う人・もの、
また新しい人・ものを受け入れる勇気を持ちます。
異なるものを蔑まず、対等に話をします。
私たち吉里吉里国民は、
自分たちの安全で幸せな暮らしと、大切な人は自分たちで守ります。
危険なことも沢山あるから、
本当に危ないときは危害を加えてきたものに対して自衛行為を行います。
誰かに守ってもらおうという他人任せな考えはせず、
自分たちのことは自分たちで守ります。
そのためにも、吉里吉里国民は自分自身ができること、
得意なことを考え適材適所でそれぞれが活躍できる場所を探し求めます。
私たち吉里吉里国民は、
常に自分の理想とは何かを考え、
それをしっかりと述べます。
そして自分と違うもの・新しいものがあっても受け入れ、
より良いものを考えていきます。
吉里吉里国民は自分と吉里吉里の人たちが幸せであるよう
自分にできる最大限の努力をします。
そしてすべての吉里吉里国民が、吉里吉里国と、
そこに住む人々を愛せる国をみんなでつくっていきます。
立教大学 菊池知行さん
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『吉里吉里国憲法前文』
我輩は憲法である。名前は吉里吉里国憲法。
どこで生まれたか大体の見当はついている。穏やかな波打ち際で、
歩くと足元の砂が小さくきしんだ事を覚えている。
我輩はここで始めて人間というものを見た。
彼らの多くは俯いていて疲れ切った表情をしており、中にはすすり泣いているものもいた。
あとで聞くと、この地で数年前に津波という災害が発生し、多くの命が失われたのだという。
しかし我輩は人間たちの中に困難から立ち直る強い意志と、他人を思いやる優しさを見た。
その時、この美しい国に生きる全てのものが幸福であってほしいと心の底から思った。
そこで我輩はあなた方にいくつかお願いをしたい。
あなた方とは吉里吉里国の国民であり、国民とは文化や言語を共有し、
互いに支え合いながら生きていく人間のことをいう。
あなた方の愛する人の命を奪った自然を恨まないでほしい。
海や山はあなた方に恵みをもたらしてくれるが、時には恐ろしい脅威に転じる事もある。
非常に悲しい事だが、それが常だ。あなた方は生かされているのだ。
あなた方も自然の一部だという事を忘れないでほしい。
我輩は生命が失われることが嫌いだ。
人間、獣や虫、草木に至るまで全ての生命は愛おしい。
それらをいたずらに脅かす事を我輩は許せない。
人間同士で殺し合う道具である兵器や軍隊を持たず、
和平の実現を模索してみてはくれないだろうか。
政治の場においては、国民全員で大いに悩み議論してくれ。
ただし、相手を貶したり暴力をふるってはいけない。
まずは相手の言葉に耳を傾けることが必要だ。
その言葉の意味をよく考えてから、自分の考えを語るといい。
きっと相手もあなたの考えを理解する努力をしてくれるはずだ。
国の代表者を一人にすると、その人が失敗した時に大きな損失が生まれてしまう。
年に一度、選挙で代表者を二人選んで見てはどうか。きっと上手くいく。
これらは我輩の私的な願いだ。
もし、あなた方が我輩のお願いに共感して楽しい日々を生きてくれたら我輩は嬉しく思う。
ありがたいありがたい。
東北芸術工科大学 小松結衣さん
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『吉里吉里国憲法前文』
第一に、吉里吉里国憲法は吉里吉里国民の総意とする。
そして未来の吉里吉里国の指導者 を育む教科書とする。
吉里吉里国民とは吉里吉里国領土に在住する何があってもへこたれない国民を指す。
国民は決して俯かず、遠くて近い太平洋の水平線を望む。
振り返ればその眼には雄大な山山が映る事だろう。
見上げれば吉里吉里の青空がある。
海は庭、山は塀、空は屋根。
血の繋がりは無くとも吉里吉里国民はみな家族である。
吉里吉里国民は団結して困難に立ち向かう。
吉里吉里国は海と山と空と共存してゆく。
それが出来るなら地球外生命体でも吉里吉里国民と認める。
吉里吉里国は老若男女地球内外生命体問わず住みやすい国づくりを行っていく。
又、個々の個性を尊重する。
得意・不得意を認知し差別をせず、適材適所を見つけて共存していく。
再び吉里吉里国を震災が襲った際は、
吉里吉里国民は全員で助かる道を模索することを義務付ける。
その為にも常日頃から隣人への挨拶を心掛ける。
最後に、 憲法とは銘打っているけんども、
わすら吉里吉里国民全員が前向いて生きていける国になれば
それで幸せと思うんだず。
明治学院大学 石澤野乃実さん
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『吉里吉里国憲法前文』
「国」とは、そこにいようと決めた人の集まりであり、
その人々によって大切に整理されている場所であり、
その場所を守り残していこうとする思いの表現である。
吉里吉里国を、こうしてはじめるのも、育てるのも、変えるのも、
実は終わらせるのだって、それは国民次第である。
すべての国民は、おなじだけ価値のある声をもっていて、
だれかが何も言えなかったり、声をかき消されたり、
小さくされたりしないような国を
国民はみんなで守っていかなければならない。
国はやっぱり人だから、
国が元気でいるためには、まずは人を大切にすること。
吉里吉里国民は、
ここにいる一人ひとりの存在を根本から誠実に肯定し、
その心と体の自由と健康を全力で支援しあう。
だれもが自分らしく人生を全うし、自分を大切にできるために、
貧困や差別などそれを妨げるあらゆるものを
すこしも許さない国でいよう。
自由を愛する吉里吉里国民は、
他のどの国の人々の自由をも奪わない。
きっと本当に自由なやつは、
他のだれかの自由だって大切にするものだ。
それでは、
これから立ち上がる人たちへ、めいっぱいのエールを込めて、
吉里吉里国は、一足先に独立しようと思います。
この国に心の国籍を置くすべての人たちの「声」を、
ぎゅっと両腕にかかえながら。