あしたブログ | あの日、そして明日へ

2020年12月25日 (金)

教えてください あの日のことを〜気仙沼 中学生の語り部たち〜

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宮城県気仙沼市階上地区。

東日本大震災の津波で住まいのおよそ6割が被害に遭い、200人以上が亡くなりました。この町には、津波に襲われた校舎が、あの日の記憶と教訓を伝える「震災遺構」としてそのままの姿で残されています。建物を案内するのは、地元の「語り部」たちです。

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しかし、震災からまもなく10年が経とうといういま、「語り部」たちも歳を重ね、引退を考え始めた人たちもいます。そこで、震災遺構の館長・佐藤克美さんは、震災の記憶がおぼろげに残る中学生に協力を呼びかけました。

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今年は、1年生から3年生まで、39人の生徒が手を挙げ、「語り部」の練習を開始。本番では、他県から訪れる中学生たちに、「あの日」起きたことを伝えます。

本番まであと1か月という頃、佐藤さんは、「家族から震災についていろいろな話を聞いてみる」という宿題を出しました。家族と一緒に「あの日、何があったのか」をたどり、伝えたい「言葉」を探す中学生たち。それぞれ異なる葛藤を抱えながら、震災の記憶と向き合いました。

*   *   *   *   *

1. しゅんすけ「あの日、何が起きていたの?」
2. まさや「当事者ではないぼくは…」
3. ゆい「ずっと思い続けた人形」
4. しま「“言葉にならない思い”を、言葉にする」
5. そして迎えた「語り部」本番
6. まだ語られていない「あの日の言葉」

※この記事は、番組「明日へつなげよう『教えてください あの日のことを〜気仙沼 中学生の語り部たち〜』」(20201122日 NHK総合テレビ放送)をもとに作成したものです。

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1. しゅんすけ「あの日、何が起きていたの?」

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震災当時はまだ3歳だったしゅんすけ。実は、おばあさんのかをるさんと避難する時に津波に流される経験をしていました。その時の記憶がぼんやりと残っていますが、これまで、家族で震災のことを話すのは何となく避けてきました。

(しゅんすけ)
「おばあちゃんが手をずっとつないでいてくれたんですけど、俺が物とかにぶつかっちゃって、それで一回離れちゃって…。そして流された時に、なんか竹につかまって、必死に生きよう、生きようっていうか、呼吸をして、そしたら、おばあちゃんが保育所のところで助けてくれて…。」

「あの日」、何があったのか…。しゅんすけはかをるさんから話を聞きたいと思いましたが、かをるさんは、孫たちに怖い思いをさせてしまったという悔いがあり、どうしても口が重くなってしまいます。母親の美枝子さんも、震災当日は隣町の保育所で働いていたため、自分の子供たちとは一緒にいられませんでした。家族の命は助かりましたが、震災の話をする気持ちになれずにいました。

(母・美枝子さん)
「うちも、自宅を流されたという被害はありましたけど、もっとつらい思いをしている方がたくさんいる中で、自分の感情に蓋をしてしまったという感じですね。自分がそうであるように、もしかしたらしゅんすけも、幼かったなりに残っている記憶がよみがえるかもしれないし…。」

しゅんすけが「語り部」になろうと思ったのは、“誰かの役に立ちたい”、“自分の思いをみんなに伝えたい”という気持ちからです。美枝子さんがその気持ちを受け止め、しゅんすけと震災について話すことに心の整理がついたのは、宿題が出されてから2週間後のことでした。

(美枝子さん)
「震災の話をすることでちょっと蓋が開くと、その時の感情を思い出してしまう。そうするとつらかったり、悲しかったり、憤ったりするので、しゅんすけがやりたいって言ったことに対して、自分の震災の思いをぶつけてしまい、せっかくやろうとしているしゅんすけの気持ちを潰してしまうんじゃないかと思いました。でもそれよりも、本人がやってみたいという気持ちを応援したい。」

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そして、美枝子さん、かをるさん、しゅんすけの3人で、初めて「あの日」のことを話し合いました。かをるさんが語った津波に流された時の状況は、とても鮮明なものでした。

(祖母・かをるさん)
「ぐるんぐるん巻かれながら流されていたの。しゅんすけはそんな覚えはない?ぐるんぐるんなってる。」

(しゅんすけ)
「覚えてないな。なんか竹みたいなのがあったからさ、何かにつかまったんだよ。それでぎりぎり呼吸していたような気がした。苦いっていうか、しょっぱい、土の味がして。」

(かをるさん)
「流されながら飲んだんだよね。やっぱりね。」

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あの時、すぐに逃げていれば怖い思いをさせずに済んだのにと謝るかをるさんに、しゅんすけは、「何とも思ってないよ。大丈夫だよ」と伝えることができました。

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しゅんすけは美枝子さんにも、隣町の保育所で働いていた「あの日」、どんな気持ちでいたのか尋ねました。すると、美枝子さんは、保育所の子どもたちを必死で守ったこと、突然、しゅんすけと姉の真衣さんのことが頭の中に飛び込んできたこと、避難所へ歩きながら、しゅんすけと真衣さんの名前を叫びたい衝動にかられたことを打ち明けてくれました。

(美枝子さん)
「大切にしなさいよ。命ももちろん、自分のこと。分かった?」

(しゅんすけ)
「はい…。って、分かってるよ。」

 

2. まさや「当事者ではないぼくは…」

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家族に勧められて「語り部」を始めた2年生のまさやには、ある悩みがありました。

(まさや)
「自分は、家とかも無事だったし、津波によって大きな被害を受けていないんですけど、被害があった方の話をするときに、どういう気持ちで話せばいいのか、どういう話し方をすればいいのかっていう悩みはあります。」

Oshiete_10.png まさやくんに震災の話をしてくれる秋男さん

まさやに「語り部」を勧めたのは、おじいさんの秋男さん。自分で聞き取りをして調べたことを「語り部」で伝えています。まさやは、大先輩であるおじいさんに悩みを打ち明けました。

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秋男さんは、まさやの問いにこう答えました。

(秋男さん)
「そういう論法でいったら、津波体験した人が亡くなってしまったら、語り部やる人がいない。そしたら将来、伝わらないっちゃ。そこは、事実をしっかり把握して、その中から何を話せば、将来教訓として生きるかなと、自分で整理して説明すればいい。」

(まさや)
「やっぱり体験していなくても、伝承するためにはやらなきゃいけない。どんどん風化する。」

 

3. ゆい「ずっと思い続けた人形」

震災遺構として残された向洋高校のおかげで、津波で流された自宅のあった場所が分かるというゆいは、以前、高校の校舎の中で見かけた人形のことがずっと気にかかっていました。震災前に家族のように大切にしていた人形とそっくりだったからです。ですが、その人形の姿は、いつしか見えなくなっていました。

Oshiete_12.png 家族のように大切にしていた人形

(ゆい)
「窓側の方にある木の椅子に座っていたんですけど、風か何かで落ちちゃったと思います。もしあれが私のだとしたならば、語り部の説明に加えたいという気持ちもあるんですけど、全然確信がつかめないので、整理がつかない。」

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ゆいは、人形が自分の物か確かめたいと、館長の佐藤さんに相談しましました。すると佐藤さんは、こう説明してくれました。

(佐藤さん)
「遺構の中の物は、私たちでも触らないんですよ。2011311日当時の姿を見せよう、津波を受けた教室はこうなったんだよと。それに、君たちみたいに幼稚園だった子たちの大切なものがあそこに入っている。だからそれを全部ひっくるめて、震災遺構だというのを分かってほしい。」

震災遺構に入って人形を確認することはできませんでしたが、一週間後、佐藤さんは過去に撮影された人形の写真を見つけ出してくれていました。ゆいは、その写真を「語り部」の説明に使うことにしました。

Oshiete_14.png がれきの中に眠る唯一の思い出の品

(ゆい)
「写真が見られてうれしいです。震災から9年間経っていて、過去のものっていうのは確かなんですけど、その9年間ずっと一緒にいたという感じもするので、私にとっては過去じゃないのかなと思ったりもします。」

ガレキのようにも見える一つ一つ にも、 誰かが「あの日」に置いてきた思いがあります。震災の記憶が 「形あるもの」として残るこの場所で、中学生たちは 「形にならない思い」を、 言葉にして伝えようとしていました。

 

4. しま「“言葉にならない思い”を、言葉にする」

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3年生のしまは、5歳で震災を経験。避難するときに見た津波の様子が今でもよみがえってくるそうですが、この体験を「言葉」にできずにいました。

(しま)
「一回思い出しちゃうと深く考えちゃうので、特に夜とかだと、どんどんはまっていって、不安から抜けられないなという感覚があるので…。あのときの情景を思い浮かべて、それを言葉に起こすというのが、どうしてもうまく結びつかないというか。」

「あの日」、しまを安全な場所まで連れて行ってくれたのは、おばあさんのたか子さんでした。しまは、伝える「言葉」を探すために、たか子さんと津波から逃げた道をもう一度一緒に歩いて、「あの日」の記憶をたどることにしました。

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(祖母・たか子さん)
「後ろを振り返ると、津波が追いかけてきたんだよ。真っ黒いのがブルドーザーみたいに壊しながらきたのね。とにかく、津波後しばらくは何となく足が震えていましたね、1か月くらい。逃げてこうやって生きているので。生きたくても生きられなかった人たちがいる。忘れるのではなくて、それを心に留めて前に進んでほしい。」

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おばあさんの気持ちを知ったしまは…

(しま)
「おばあちゃんもそういう、同じような(怖い)思いをしているんだと思ったら、ちょっと心が軽くなるというか。恐怖があると前には進めないし、多分止まっちゃう。でも、私たちが止めちゃいけないと思うので、怖いけど伝えていこうという気持ちの方が大きくなった気がします。」

しまは、「あの日」の思いをノートにつづり始めました。

 

5. そして迎えた「語り部」本番

中学生たちの「語り部」本番の日、震災遺構にやってきたのは山形県の中学生です。

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当事者でないことに負い目を感じていたまさやも、そこで起きた現実を堂々と語り聞かせました。

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ゆいは、ここにある物はどれも大事なもので、自分の人形もここにあると思うと安心できると伝えました。

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しまは、「あの日」の体験と不安で寂しかった気持ちを、自分の言葉で伝えました。

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そして、しゅんすけは、おばあさんと津波に流されたときのことを話しました。

(しゅんすけ)
「僕は、おばあちゃんに『助けて!』と呼んだそうです。その時、奇跡的におばあちゃんの足が地についていたので、助けてもらうことができました。僕はこの話を聞いて、死んでいてもおかしくなかった状況だったことから、命があることの素晴らしさを改めて実感しました。」

 

中学生の「語り部」たちは、震災の教訓や命の大切さを伝える言葉を、それぞれにみつけていました。見学した中学生も、同世代の「語り部」たちの言葉に心を動かされたようです。

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(山形の中学生)
「中にはたぶん、同じ学年の子が亡くなったり、同じ世代の子がなくなったりしたのに、この活動ができるっていうのは、 すごく強い人たちだなって思った。」

(山形の中学生)
「たくさんの人が、小さかった自分たちを命がけで助けてくれたから、今こうして伝えられているっていうことが印象に残っています。」

 

6. まだ語られていない「あの日の言葉」

震災への思いを確かめ合ったしゅんすけと美枝子さんは、あの日、津波に流されたしゅんすけが助け出された保育所跡を訪ねました。震災後に二人で来たのは初めてです。

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(しゅんすけ)
「なんか、違う場所みたいな感じ。ここだっけみたいな。」

(美枝子さん)
「お母さんは逆に、ほぼそのままだと思う。お姉ちゃんと一緒に遊んでいた…、津波で犠牲になったお友達のこととか、考えちゃうかな。やっぱりここに来ると。…ちょっと胸が苦しいかな。」

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震災からまもなく10年。被災地にはまだ、語られていない「あの日の言葉」があります。