NHK戦争を伝えるミュージアム

学徒出陣とは

学業なかばにして若者たちは最前線へと送られた

太平洋戦争中、兵力の不足から大学生が学業を中断して兵役に就くことになりました。これが、学徒出陣です。学徒の一部は「特攻隊」として飛行機ごと敵艦に体当たりして亡くなっていきました。出陣した学徒は、10万人とも言われていますが、空襲で記録が焼けるなどしたため、正確な人数はわかっていません。

当時、20歳以上の男性は陸海軍の兵士となる義務がありました。ただ、大学生などは年齢制限はあるものの卒業まで徴兵が猶予されていました。

しかし、日本軍が敗退を繰り返す中で、現場で戦闘を指揮する下級士官や航空機のパイロットの不足が深刻になっていました。こうした中で軍部が目を向けたのが、大学や高等専門学校に在学していた学生たちでした。1943年9月、東條内閣は、理工医学系、教員養成学校などをのぞく大学・高等専門学校在学生の徴兵猶予の停止を決定します。

東條首相が考えていた学徒出陣のもう一つのねらい

1943年当時、陸海軍あわせて300万人以上が兵士となっていました。学徒出陣の背景には、大学生のいわば“特典”である徴兵猶予を見直すべきだという声の高まりもありました。

東條首相は、将兵の補充にとどまらない、学徒出陣のねらいを語っていました。当時、同盟通信の首相官邸付きの記者だった小山武夫さんがその言葉を記録しています。

小山記者の取材メモ
(NHKスペシャル「雨の神宮外苑 ~学徒出陣・56年目の証言~」2000年放送より)

「学徒の入営はよかったね。何よりもよかったのは上下の家庭がまったく一つになったことだ。精神的にも挙国一体になってきたことだ」(取材メモより)

当時、大学などの高等教育機関への進学率は3パーセントほどでした。このメモを残した小山さんは、「金持ちの子弟は学校で勉強させて、兵隊になるのを猶予する法律を立てて、のうのうと暮らしている。我々の子弟はみんな赤紙一枚で戦地に引っ張り出されている。こんな不公平な話はない。そういう庶民の声が上がっていた」と当時を振り返る証言をしています。(NHKスペシャル「雨の神宮外苑 ~学徒出陣・56年目の証言~」2000年放送より)

神宮外苑で行われた出陣学徒壮行会

内閣の決定からわずか3か月後に、大学生たちは入隊することが決まりました。入隊に先立つ10月21日、明治神宮外苑競技場で文部省主催による「出陣学徒壮行会」が行われます。

軍楽隊が奏でる行進曲に合わせ、東京帝国大学を先頭に、77校の学生2万5000人がそれぞれの校旗を掲げて行進しました。秋雨でぬかるむ地面を、小銃を担いで進む学生たちの姿が、映像に残されています。

大観衆の前を行進する大学生たち(日本ニュース第177号より

文部省の作成した「出陣学徒壮行会要綱」には、壮行会を開く目的として、学生たちの「決意を高揚する」とあります。壮行会には5万人を超える大観衆が集められました。その中でも大きな位置を占めていたのは女子学生でした。およそ2万5000人の女子学生が、雨に濡れながら行進を見守り、涙を流す人もいました。

スタンドから見送った女子学生たち

当時、慶應義塾大学経済学部の1年生で、出陣学徒壮行会で行進した渡辺槇夫さんは、スタンドを埋め尽くした女子学生の熱烈な声援を受けた当時をこう振り返っています。

「女子学生たちから送ってもらったこと、そして後につづく者がいたこと、しっかりやってきてください、帰ってきてください、がんばってください。そうやって励ましてくれる。その声を聞いているうちに、姿を見ているうちに、これは、彼女らを守らなければいけないんだということを、再確認した」(NHKスペシャル「雨の神宮外苑 ~学徒出陣・56年目の証言~」2000年放送より)

壮行会のあと、学生たちはそれぞれの故郷の部隊に入隊。短期間の訓練を経て、激戦地へと送られていきました。

特攻隊員となったある学徒は、自分が乗ることになる古い偵察機を見てがく然としたと語っています。「これで戦果なんか、あがるわけないですからね。国のためだとかね、兄弟、親のために捨て石になってやろうという気は十分に持っているわけですよ、ここまで来ればね。だけどそれが、捨て石になり切れないわけですよ。こんな扱いではね」(NHKスペシャル「雨の神宮外苑 ~学徒出陣・56年目の証言~」2000年放送より)

乗員が飛行機ごと敵艦などに体当たりする特攻隊(アメリカの空母から撮影された映像)

国立競技場にある慰霊碑

何人の学生が亡くなったのか、正確な数はわかっていません。明治神宮外苑競技場があった現在の国立競技場の敷地内には「出陣学徒壮行の地」の碑があります。1993年に元学徒兵の有志が建立したもので、壮行会が行われた10月21日に犠牲者を追悼する式典が行われています。

2021年の追悼式は新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、広く参列を呼びかけなかったということで、集まった15人ほどが、花を手向けて静かに手を合わせていました。

2021年の追悼式(NHKニュースより)

式典に訪れた元学徒(98)は1人だけで、「みな亡くなり、遠い人になってしまったが、きょうは仲間たちに見せたいと思い、当時の写真を持ってきました。若くして亡くなってしまったことが一番残念で、生きている自分には冥福を祈る事しかできません」と話していました。

当時を知る人が少なくなる中で記憶と教訓をどう受け継いでいくのか重い課題となっています。

参考資料

  • 「在学徴集延期臨時特例に関する件」国立公文書館
  • 「週報 363号」(昭和17年9月29日)情報局
  • 「清談録 自 昭和十七年十月・南京 至 昭和十九年四月・東京」小山武夫
  • 「出陣学徒壮行会要綱」 文部省・学校報国団本部
  • 「学徒出陣の壮行会から78年」NHKニュース(2021年10月21日放送)

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