NHK戦争を伝えるミュージアム

ミッドウェー海戦とは

日本海軍の大敗北 しかし真実は国民に知らされなかった

米軍機から攻撃を受ける空母・赤城(CG)

ミッドウェー海戦とは、1942年6月に行われた、太平洋戦争の戦局が転換するきっかけとなった戦いです。日本海軍は、真珠湾攻撃で活躍した航空母艦(空母)など4隻を失う大敗北を喫しました。

日本側の死者は3,057人にのぼり、その中には多数の優秀なパイロットが含まれていました。何が、日米の命運をわけたのでしょうか。

真珠湾で“取り逃がした”空母を追う山本長官の執念

ハワイの真珠湾攻撃は日本側の一方的な勝利でしたが、アメリカ太平洋艦隊の空母は、島を離れていたため被害を免れました。日米が長期戦になっては勝ち目がないと感じていた連合艦隊の山本五十六(いそろく)司令長官は、いわば“取り逃がした”空母を攻め、早期に決定的な打撃を与えようと考えていました。アメリカ軍の飛行場があったミッドウェー島を攻撃して、そこに米空母をおびき寄せ、決戦に持ち込む作戦が練られました。

太平洋の中央に位置するミッドウェー島

一方、作戦計画を担う大本営海軍部は、太平洋にポッカリと浮かぶミッドウェー島への補給は困難であるなどとして、作戦に反対しました。大本営の方針に山本長官は従うべき立場でしたが、真珠湾攻撃を成功させた山本長官の発言力は大きく、上層部の「それじゃあやらせてみよう」という漠然とした判断で実行が決まったと、大本営の参謀は後に証言しています。

連合艦隊の山本五十六(やまもと・いそろく)司令長官

そんな折、アメリカの空母から飛び立った爆撃機が東京などを空襲する事態が起きました。皇居(宮城)のある“帝都”への初めての攻撃に対し、不意をつかれて十分な反撃もできなかったため、軍部は衝撃を受けました。この空襲は、アメリカ空母の壊滅をねらうミッドウェー作戦の追い風となり、実行に移されていくことになりました。

おごる日本軍と必死のアメリカ軍

当時は、真珠湾攻撃の興奮が冷めやらぬころで、海軍ではミッドウェーのあとは再びハワイ攻撃だ、その次はアメリカ西海岸だと、敵をあなどる風潮が広がっていたといいます。

実は、作戦がもくろみ通りに展開するかどうかをシミュレーションする図上演習では、日本に不利な結果も出ていました。ところが、連合艦隊の参謀長は「このようにならないように作戦を指導する」と述べ、リスクと向き合おうとはしませんでした。

図上演習(再現)

一方、劣勢にあったアメリカは日本側の動きをつかもうと必死でした。直前に暗号の一部解読に成功し、日本側がミッドウェー島をねらっていることをつかみました。島の防備を固めるとともに、空母3隻などで待ち伏せする体制を取ったのです。

方針が定まらず大混乱に陥る日本軍

6月5日(日本時間)、4隻の空母から飛び立った零戦など108機は、ミッドウェー島の上空で待ち受けていた米軍機を圧倒し、島の施設を攻撃しました。

日本は島の燃料タンクや発電所などに損害を与えた

ところが、歯車が狂い始めます。この時、空母には、アメリカ艦隊を攻撃するための魚雷を積んだ航空機が待機していました。しかし、ミッドウェー島へのさらなる攻撃を行おうと、現場の指揮官が方針を転換、魚雷を爆弾につけかえる命令を下します。

その直後、偵察に出していた航空機から、アメリカの艦隊らしきものを発見したという一報が入りました。指揮官は、爆弾へのつけかえを停止しろという命令を下しました。魚雷と爆弾は大きさや形が大きく異なるため、つけかえ作業には時間がかかります。混乱の中で、魚雷や爆弾がきちんと収納されないまま置かれる、危険な状態になっていたといいます。

その間にミッドウェー島を攻撃した部隊が空母に戻り始めたため、甲板を空ける必要が生じ、航空機を発進させるのも難しくなりました。

日本の機動部隊を率いた旗艦「赤城」

日本側の攻撃態勢が整わないなかで、アメリカ空母から飛び立った米軍機が、日本の空母を襲ってきました。爆撃機が急降下し爆弾を投下、3隻の甲板に次々と命中しました。つけかえ作業中だった魚雷や爆弾にも誘爆し、大爆発が起こりました。ただ1隻残った空母が反撃し、アメリカの空母に大損害を与えましたが、こちらも急降下爆撃を浴びて火災を起こしました。

3,000人以上の将兵がすさまじい爆風と炎、煙に巻き込まれ、亡くなっていきました。ある水兵は「燃えさかる中を無我夢中で火中に飛び出したが、体が焦げるように熱く、熱さに耐えかね、泳ぎもできないのを忘れ15メートル下の海面に飛び込んだ」と記録しています。

赤城の前方の甲板は負傷者であふれたという

空母4隻を失ったこの敗北について、大本営は空母1隻喪失、1隻大破、逆に米空母2隻を撃沈したと発表、新聞は「太平洋の戦局此(この)一戦に決す」と全く逆に伝えました。真実を知らない国民は、ミッドウェー海戦に勝ったと信じて疑いませんでした。

参考資料

  • 『戦史叢書 ミッドウェー海戦』防衛庁防衛研修所戦史室 朝雲新聞社
  • 『ミッドウェー海戦』森史朗 新潮社
  • 『日本海軍400時間の証言』NHKスペシャル取材班 新潮社
  • 『昭和史 1926-1945』半藤一利 平凡社
  • 『昭和の歴史6 太平洋戦争』木坂順一郎 小学館

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