03.“障害者は生きる価値なし”ナチス・ドイツ

「私たち精神科医は、ナチの時代に人間を侮辱し、自分たちに信頼を寄せていた患者を裏切り、自らの患者を殺しました」。戦後、ドイツの医師たちは謝罪した。医師たちには、病気が治らない患者や障害者を安楽死させる権限がヒトラーから与えられていた。ガス室を用いた“T4作戦”。途中で作戦は中止されたが、最終的に20万人以上の患者や障害者の命が奪われたとされる。“T4作戦”の手法は、ユダヤ人の大量虐殺にも引き継がれていった。

  • 1.“生きる価値なし”と殺された父

    バーデルさんの父は脳神経系の難病、パーキンソン病だった。かかりつけの医師に半ば入院を強制され、その後、南ドイツのグラーフェネックに造られたガス室で殺された。回復の見込みがない病気や障害で働けない人間に生きる価値はない ――― ナチス・ドイツの方針だった。

    “生きる価値なし”と殺された父

    ヘルムート・バーデルさん

    ドイツ南部 シュヴェービッシュ・グミュント在住

  • 2.虐殺を見過ごしてきた市民たち

    ガス室は、ドイツ国内6か所に造られた。中西部の町、ハダマー。山の上の精神科の病院に向かうバスはいつも満席だったのに、帰りは空だった。煙突からのぼる煙の臭いに、ある兵士は「戦場で死体を焼く臭いと同じだ」と言った。病院で行われていることに市民は気づいていたが、何もできなかった。

    虐殺を見過ごしてきた市民たち

    ハインツ・ドゥフシエーラさん

    ドイツ中西部 ハダマー在住

  • 3.家族からも存在を消された叔母

    障害者の虐殺については、遺族も沈黙を守ってきた。プッシュマンさんの叔母はてんかんのために殺されたが、その事実が家族の間で語られることはなかった。存在していたことさえも消されてきた叔母。その尊厳を取り戻したいとプッシュマンさんは訴える。

    家族からも存在を消された叔母

    ギーゼラ・プッシュマンさん

    ドイツ中部 フランクフルト在住